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「アイラ・ベルティーニさん、少しお時間いただけませんか!」
「ふぇ?」
医療科からの帰り道、食堂でランチボックスを買い終わった私とフォル、おねえさまに、寮に戻ろうとしていたアニー様が並んで歩いていると、呼び止められて思わず足を止める。
呼び止められる事はよくあるが、いつもと違う声音にびっくりした。……女子じゃない。低いが若い、男の声だ。
振り向いたそこには、ぴっと背筋を伸ばしてこちらを真っ直ぐ見つめてくる青年。私より頭一つ分くらい背が高くて見上げると、綺麗な青い瞳に射抜かれる。
はい? と間の抜けた返事をしつつ、なんだろうとぼんやり見上げていた私の前でしかし青年は「えっと」と気まずげに視線を泳がせた。
「……アイラ一人では行かせられませんよ?」
すっと私の前に出てフォルがその腕を私の前で横に伸ばした。
フォルの表情は私の前に出てしまったのでわからないが、フォルを見た青年はその視線を受け止めて僅かに目を瞠った後、苦笑した。
「難しい、ですか?」
その言葉で漸く、ああここでは話せない内容なのかと理解し、どうすべきか思案する。いつものように女の子に呼び止められたのであれば、また嫌味合戦かとも思うのだけど男性。男性に「王子のそばにいないでくれ!」とか「身分を考えろ」とか言われるのだろうか。え、びーえる?
少し考えて、そんなわけないか、いい人そうだしと解決した私は、何か大事な話っぽいしと視線を僅かに斜め上に向けた。そこには、最近昼に精霊の姿でそばにいてくれるアルくんの姿。
「わかりました、行きます」
「アイラ!」
前にいたフォルが慌てて振り返ったが、にこりと笑ってその制服の端を掴み軽く引っ張って、フォルの耳元でこっそりと告げる。
「アルくんがいるから大丈夫。すぐ戻るから」
そう言ってきょとんとした表情のおねえさまとアニー様に手を振ってさっさと歩き出して、少し戸惑ったような青年について歩く私は、後ろでおねえさまが目を光らせていたことなんて気づくわけもなく。
「何をしておりますの、フォルセ!」
そう騒ぐ声が僅かに聞こえただけだった。
「俺の事、知ってますか?」
食堂のそばにある中庭の木陰でそう問われて、思わず眉を寄せる。
服を見るに騎士科だ。だが誰かと言われてもわからなかった。短めに切りそろえられた明るい茶色の短髪に、弓形の形のいい眉。すっとした涼しげな眼で、なんだか爽やかなスポーツマンのようだ。見たことあったような……いや、騎士科なら夏の大会に余程のことがなければ出ている筈。でも人数多かったしな……。
あれこれ考えてしまった私は答えを出せず、しかしそれこそ「知らない」という明確な返答で、目の前の青年は苦笑しながら私をそばのベンチへと促した。
ちらっと周囲を見渡し、アルくんを確認する。しっかりついてきてくれた彼がこくりと頷くのを見てベンチへ座り、相手の方へなるべく身体を向け、なんでしょうか、と尋ねる。
「俺、騎士科三年のカルミア・ノースポールって言います」
「ノースポール……ノースポール男爵家?」
小さな声で自分で確認するように呟き、聞き覚えのある名に少し身構える。貴族か、しかもノースポール男爵家はベルティーニと同じく服飾関係の取引を主としていなかったか。確か羊の毛が良質なものがとれていた地域だったような。
無意識に何を言われるのかと身構えた私に、また困ったような笑みを浮かべたまま青年……カルミアさんは首を傾げ、そんなに力をいれないで欲しいと言う。
「俺はもうすぐ、卒業です。お恥ずかしながら大会では二年のファレンジ君に惨敗してしまったけれど、卒業後は騎士に合格したので頑張って経験を積むつもりです」
「……えっと」
ファレンジ君。……ファレンジ先輩に負けた? そういえば三回戦辺りでファレンジ先輩が騎士科三年の先輩に勝っていたような……あ!
「あの時の……」
治療室に血まみれでファレンジ先輩に担がれてきた生徒か。思い当たって声を上げたが、彼にとっては苦い思い出なのだろう。ますます眉が下がってしまい、慌てて口を閉じた。
気まずい沈黙が訪れたがそれはほんの少しで、急に立ち上がった彼は私の前にぱっと片膝をついてしゃがみこんだ。
ぎょっとして立ち上がりかけた時、私はベンチについた手をそっととられ、その手の甲に僅かに唇を落とされていた。
「アイラ・ベルティーニさん。俺はもうすぐ卒業です。ですから最後に想いを伝えたかった」
え、と間抜けな声を出す私とは対照的に、真剣な表情で目の前にいる男性はぐっと私の手を握り、しっかりとはっきりした声で言う。
「好きです」
「お嬢様!」
呆然とした私の耳に、ほっとする声が届く。
レイシスとガイアスの姿が、中庭の入口付近から走ってくるのが見えた。もっとも走っているのはレイシスだけで、ガイアスは笑んだまま普通に歩み寄っているだけであるが。
「返事は、ゆっくりでいいんです。待ちますから」
そういってレイシスが到着する前に、そして私の返事も聞く前に立ち上がったカルミアさんは、少し表情を険しいものに変えたレイシスに微笑んで頭を下げると、さくさくと足取り軽く立ち去ってしまった。
「お嬢様、どうされましたか、何か言われましたか!?」
顔色を変えて心配しているレイシスに、ぼんやりと「大丈夫」とだけ告げる。
うん、いつもみたいな悪い事を言われたわけではない。あれはそう、告白というものだろう。告白。
愛の告白?
「わっ」
突然がばっと立ち上がった私に驚いてレイシスが仰け反った。
到着したガイアスが大丈夫か、と聞くのでそれに必死で頷いて、戻ろう、と中庭を出るために駆け出す。
告白。告白された!? あんな騎士みたいに片膝をついて、手をとられて告白なんて、小説に出てくるお姫様みたい! いや、騎士になるみたいだから、騎士なのだけど!
そんなのが私の身に起こるとはと熱くなった頬を押さえて走った私は、どうやら前方不注意だったらしい。
「わっ」
「お嬢様危ない……っ」
後ろからレイシスの声と、前方で衝撃による悲鳴。傾きかけた体を支えてくれたのは先ほど別れた筈のフォルで、その後ろにおねえさまとアニー様までいる。
「あれ? あ、ごめんなさいフォル、怪我ない?」
慌ててぶつかった相手がフォルなのだと理解し視線を巡らせるが、特にどこかを捻ったとかぶつけた様子もなさそうなのでほっとして見上げた顔が険しくて、ちょっとだけ身体が跳ねる。
「アイラ、あの」
気まずそうに揺らぐ瞳、口元に添えられた曲げた人差し指に力が入ったり抜けたりするのを見ながら首を捻ると、後ろで目が合った顔を真っ赤にしたアニー様が慌てたように手を振った。
「あの、アイラ様ごめんなさい、あの、わ、私そろそろ……っ!」
何度も謝罪しながら転ぶんじゃないかと思うくらい頭を激しくぺこぺこと下げたアニー様が走り去り、その場に残されたおねえさまと顔を合わせればにやにやとした笑みを向けられて。
「アイラ、屋敷に戻りますわよ!」
引っ張られていけば、中庭の入口には王子とルセナが立って待っていて、あ、全員揃ったのかとそれに頷きランチボックスを手にいつもの道のりを歩く。その頃には先ほど熱かった頬も落ち着いて、ぼんやりと考える。
返事、保留にされたらどうしたらいいんだ、と。
「アイラお嬢様、こちらが届いておりました」
ぽわぽわとした気持ちで屋敷に戻ってすぐ、レミリアに手渡された分厚い手紙の差出人を見て、先ほどまでの気持ちを切り替える。
お父様だ、と反射的に背筋が伸び、先に食べてと皆に食事を促して部屋の隅にある机からペーパーナイフを取り出し、封を開ける。
何枚も入っていた便箋に慎重に目を通した私は、だんだん自分の眉がよっている事は気づかず、ふわふわとそばを飛んでいたアルくんが心配して顔を覗き込んできたところで悲鳴があがった。
「うそー!?」
お父様の手紙には私が手紙で報告していた例のカレーライスが非常に興味をそそられ、試食にはぜひ行きたいと思う、と書かれているものの、その続きは否定的な文章だ。
曰く、材料集めが非常に手間がかかる事、全国各地どころか他国にしかない材料も必要な事によるコストへの不安が書かれている。なるほど……私が作った段階ではそこまで高額なものではなかったが、大量に使うとなれば仕入れに苦戦するものもあるかもしれない。この世界では荷物は量が多ければ多いほど運ぶのが困難となり料金も厳しい。もちろん当然といえば当然であるが、身動きがとりにくい状態になるほど道中の危険度が増すのであるからそれは前世の私の想像力を軽く凌駕するのだ。
一度材料の見直しか、それか仕入れ方法を考えてみるか。
なんにしても、仕入れにリスクがあったとしてもお父様が試食した感想によってはいい案ももらえるかもしれない。うーん、手紙によれば近いうちに一度王都に取引の用事で来る予定があるそうだし、勝負はその時か。
そんなことを考えていた私はすっかり先ほどの告白の事は忘れてしまっており、後ろで心配していたガイアスとレイシスに呼ばれて慌ててお父様の返事を伝えつつ、急いで食事を終えた私はカレーの研究ノートを開き、材料を一つ一つ入手難易度に分けて分類を開始する。
「おいしいのになぁ、あれ」
そういって手伝いを申し出てくれたガイアスとレイシスも資料を開き情報集めを手伝ってくれて、こうして午後は穏やかに過ぎていったのだ。数人の心の中の荒れようなど、私が気づく筈もなく。




