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雪が消え、地面には緑が生まれはじめたこの時期は、新しい芽吹きとは逆に別れの季節でもある。
「結局わからなかったなぁ、特殊科の三年生のもう一人の先輩」
「ああ、錬金術科の先輩……でしたかしら」
一緒にお茶を楽しんでいたおねえさまも、首を傾げてそういえばお会いできませんでしたわね、とカップを傾けた。
騎士科に所属しているヴィルジール・パストン先輩は依頼場所が被って魔物蔓延る場所で会って以来、いろいろなところでちょくちょく会っては挨拶できているが、錬金術科の先輩はまったくと言っていい程会わない。いや、もしかしたらすれ違うくらいは学園内でしているのかもしれないが、何しろ相手の顔がわからない。
特殊科はそこに所属しているとわかるバッジをそれぞれの制服につけているが、そもそも特殊科の他にも二年三年になると優秀な生徒や、特殊な依頼をこなせる生徒に徽章としてバッジが渡されることもあるのでいちいち細かく見ていない。
そういえばヴィルジール先輩の制服は刺繍の派手さとマントの鮮やかな赤に目が行きがちだが、バッジもいろいろついていた気がする。
錬金術科に所属する特殊科三年の先輩はラビリス・シャクナーという名前だ、という事だけは知っている。が、本当にそれだけだ。この学園では、卒業式に下級生が参加して盛大に見送る、ということはない。卒業式はあるが、卒業生とお偉方だけなのだ。つまり会えないのである。
ところで錬金術というのはどういったものなのだろうか。
前世で錬金術といえば、他の卑金属から金などを作り出すものだったように思う。となると有名なのは賢者の石だろうか。不老不死の薬であるとか、他の金属を金に変える薬であるとかとにかく「すごい!」と言ったイメージはあるが、魔法があるこの世界で錬金術はどのようなことをさしているのだろう。
この魔法の存在があって当然のこの世界でも『不老不死の薬』というものが存在するとは、思えない。それに近い治療の薬であれば、医療科の分野である。であれば、金属を使った何かの道具? 発明? 例えば鉛を金に変えるなど、そこにある物を他のまったく違う物に変えるというのは魔法でもありえないように思うけど。
魔道具科は魔力無しでも使える道具を作り出す科であるが、錬金術科も似たようなものだろうかと考えて、自分は錬金術科に関しては生徒会の人間が多いということ以外殆ど知らないと気づく。言葉通りなら金を作り出すのであるが、そこから発展した技術も……いや待てよ?
そういえば、夏の大会で自分の順番や対戦相手を組む際に活躍していたあの左手の甲に勝手に嵌る宝石は、錬金術科の今期最大の発明だ、と生徒会の人が言っていなかっただろうか。
あの石、負けたらいつの間にか取れていたんだよね、ほんとに。知らないうちに取れたから、どこにあの宝石がいったのかもわからない人が大勢いたらしい、と聞いて、若干勿体無いと思ったりもした。
とにかく、もしかしなくても錬金術科は魔法と科学をあわせたもの、なのかもしれない。少し興味があるが、錬金術科は人数が少なく、私達特殊科一年は医療科と騎士科しかおらず接点がない。
あれこれ考えていると、部屋にぞろぞろと男性陣が戻ってきた。今日は特殊科一年の男性陣は先生の手伝いにかり出されていたのだ。なんでも、卒業生の進路調査の書類分けらしく、重たい資料もあるから男共来い、とアーチボルド先生に引っ張って行かれたのである。
「おかえりなさい」
私とおねえさまが出迎え、疲れているだろう皆にお茶を入れるために立ち上がる。
今日は落ち着く香りのお茶にしようとおねえさまと話し、茶葉を手に取り準備する。お湯を注ぐとふわりと広がる香りにほっと息をつきつつ、暖めておいたカップにお茶を注いでいく。
「はぁー、疲れたー!」
大きく伸びをしてそう叫ぶガイアスに苦笑しながらお茶を差し出し、全員に渡ったところで私とおねえさまも席について和やかななお茶の時間。お菓子はもちろんベルマカロン製だ。春の果物フェア中で果物とクリームたっぷりのケーキなどを何種類もレミリアが買ってきてくれたのである。
「今年の卒業生は騎士になる者が少ないな」
一息ついた頃王子がそう話しだし、ルセナとフォルがそうですねと相槌を打つ。
なんでも志願者もスカウトも共に少ないようで、進路を尋ねたところジリオ斡旋所に世話になると答えた人が多数いたらしい。
ジリオ斡旋所といえば、アルくんが魔力を持った猫だと騒いでいたあの入学当初に先生に出された試験の中で、手がかりを探す際に何度か訪れた事もある所謂冒険者ギルドだ。
そういえば卒業後あそこで修行と経験を積む人も多いんだっけ、と納得していた私であるが、王子達の話を聞いたガイアスとレイシスが苦笑いしているのを見て思わず首を傾げた。
「今年の卒業生は、貴族や騎士団、兵団からの勧誘が非常に少なかったみたいですから」
レイシスがそう話すと、皆の間にも「ああそっか……」となんとも微妙な反応が広がり、疑問を浮かべているのは私だけのようで。
「おねえちゃん、夏の大会、思い出してみて?」
ルセナがまるで弟妹にわからないことを教えてあげているような雰囲気で私に目線を合わせ首を傾げてくるのを見つつ、しばらくして私は「ああ!」と遅い納得の声を上げた。
今年の優勝者は、騎士科二年のハルバート先輩だ。それだけでなく、騎士科三年、兵科三年共に、上位に勝ち進んだ人間がほぼいないのである。
苦笑いを浮かべていたガイアスとレイシスの態度にも漸く納得がいった。つまり、私達特殊科一年も含めた下級生に負けてしまった今年の三年は全体的にスカウトが少なかったのだろう。
勝ち進んだのは何も私達特殊科一年だけではないし、仕方ない事ではあるがなんとも言えないもやもや感。特に兵科卒業者はかなり厳しいらしい。
そんなことを話しながらも穏やかな時間が過ぎるのは、あの二週間ほど前の私とフォルを連れ去ったルブラの男達、そして何よりイムス子爵から、さまざまな情報を聞き出すことが出来たからかもしれない。
まず驚いたことに、子爵はルブラの幹部であった。それも、階級についてはよくわからないが、本人の言うところではルブラで二番目に偉いんだぞ! らしい。しきりに自分はルブラの副長であると宣言しているそうだ、自白剤で。
当初まさか急にそんな地位の者が、と疑問も生まれていた上層部であるが、自白剤によってぽろぽろと出てくる情報には私達に漏らせないものの事実であると思われる証拠も話も出ているようで、今はそれが事実であるか必死に過去の事件と情報を照らし合わせているようだ。
問題があるとすれば、なぜか他の幹部メンバーについては自白剤を用いても、詳しく聞きたくはないが他の方法を用いても吐かないらしい。知らない、の一点張りで、どうやら本当にしらないのではないかと思われる、と王子が話していた。幹部同士の連絡を取り合うのはそれぞれの専用の鳥を使った手紙のやり取りらしく、顔を合わせないそうだ。
ただ幹部はわからずとも、研究者などの名は口にしているらしく、どうやら何も言わずに記憶を失ってしまった、あのアドリくんの村を襲った男の事も知っていると話したようだ。
あれ程の秘密組織がこんなあっさり、と思わなくもないが、話している内容に事実がある以上話半分に聞くわけにも行かず、騎士達は大忙しだ。
一番ほっとしたのは、この王都にいるルブラの関係者は全て今回捕まえたイムス家の者らしいという話、そしてフォルと私を攫った件はイムス子爵の独断で、ルブラの中で確かに「今のメシュケット王家は神の意思に背いたのかもしれない」という話題が出ていたらしいが今のところ見守る姿勢で、フォルを王にと言う話が出ているわけではなく、勝手に勘違いし誰よりも先にフォルの力を確かめ、それを功績に次期ルブラの長になろうと企んだイムス子爵の作戦であったとのこと。
もしルブラの長がそういった指示を出しているのであれば大変だと話していたのであるが、そうでないのなら今の王家を見守ろうと判断している長は違う考えであると信じたい。……甘い考えなのだろうか。
夏の大会で王子の魔法の邪魔をした相手が誰であるかとか、とにかく余罪も多すぎて確認事項は多いのだが、今のところ私達は学園内では自由に過ごすことができているし、明るい時間帯であれば街に出る事もできている。
気を抜くわけではないが、取り逃がしたよりははるかにいい状況。あれから領地に戻り騎士等の監視の中生活しているというフローラ嬢の事も僅かに気になるが、彼女が拷問にあっているわけではないとの情報もあるので、なんとなくほっとしつつ残り僅かな一年生の時間を忙しく過ごしている。
そんな中。
ぱくぱくと新作のフルーツタルトを口にしていた私をちらりと見たおねえさまが、僅かに嘆息した。
「アイラ……食べすぎではございません?」
「え?」
ぱくり。
酸味があるさっぱりとした柑橘系のフルーツを口にしつつ、そうですか? と首を傾げる。
「ケーキ、いくつ食べたんですの?」
「えーっと、……四つかな?」
自分が食べたものを思い浮かべながらそう答えつつ、もう一度ぱくり。うーんおいしい。こっちのベリーも甘くていいな、ジャムにしてもおいしそう。
思わずレシピを考えつつ、おいしくてほっぺが落ちちゃいそう! と頬を押さえて顔を上げた私を、ぎょっとした目で見ていた面々と目が合う。……ん?
「え?」
「いやアイラ……お前食べすぎだろ」
王子に突っ込まれて、そうか、と自分の腹部を見る。うーん、ドレスを着ていると苦しくてあまり食べられないけれど、制服って結構楽なんだよね。
もうすぐ夕飯だしな、そろそろやめにしようかと、食べかけのタルトをこれで最後とぱくぱくと口に入れると、前に座るレイシスが心配そうな顔で「お嬢様」と顔を覗き込んできた。
「あまり召し上がっては、夕食の時間も近いですし……」
「これで最後にするー」
「アイラはよく食うなぁ、昔からお菓子は別腹! とか言ってたっけ」
からからと笑うガイアスに、こくこくと頷きつつ最後のタルト生地を食べきった私に、ガイアスは続けて笑いながらこういった。
「気をつけろよ、奥様にばれたらまた昔みたいに服のサイズが変わる! って怒られるぞ」
と。
……あ。
「あー! そういえばお母様近々ドレス送るって言ってたっけ、うわわ、入らないとか言ったら怒られそう!」
「おいまて、そこか? そこなのか?」
「アイラ、いくらおいしくともそろそろ私達も体型を気にする年頃だと思うのですわ」
呆れたようなおねえさまに言われて、一応気にしてますよと口を尖らせる。
だが、今食べないでいつ食べるというのだ。活発に動く事が多い今、そう、今若いうちこそおいしいものをお腹いっぱい食べれるというのに。
むーっとしつつ残ったケーキから目を逸らし、まだ食べていない新作はまた今度にしようと視界に入れない努力をしてみる。
私は別にそこまで太りすぎ、というわけではないと思う。お腹とかはすこーし気になるが、どうせ服を着ているのだし誰にもわからないし、などと考えていた私に、今日は隣に座っていたフォルが小さな声でささやいた。
「気にしなくてもアイラは変わってないと思うよ」
「……そう?」
制服がきつくなった気はしないんだけどなー。でもドレスは本当に一センチ狂っても苦しくなったりするしなぁと考えていた私は、続けられた囁き声に飲もうとしていたお茶を吹き出しかけた。
「抱き心地はとてもいいけれど」
抱き心地!? そう聞こえた気がしたんですが!? 何の話だ、この前のあれか! と顔を上げた私と既に視線は合わせず、フォルはくすくすと笑ってお茶を飲んでいる。抱き心地……そ、そうか、見えなくても他人に触れられれば太ったのってばれたりする?
うんうん唸っていた私は、前に座っていたレイシスと、フォルとは反対の隣に座っていたおねえさまが、ぎょっとして私を見ていた事になんて気づくことなく。
「ダイエットした方がいいのかな……」
呟きながら私は、再び視点に入ってしまったケーキから必死に逸らし、脳内で「抱き心地って……」と嘆いたのだった。




