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「やーっと帰ってきたー!」
思わず叫んでしまうほどの解放感に、ぐっと腕を上げて伸びをする。たった一晩戻らなかっただけの、寮である屋敷に戻れたこの瞬間の安心感はなかなか普段得られないものだ。私にとってここがどれだけ大切な場所であるか再確認しつつ、いつもの部屋のいつものソファに座る。
すぐにそばにやってきたガイアスとレイシスも両脇に座り、それに続いて他の皆もそれぞれソファに身を投げ出して、大きく息を吐く。アルくんも姿現しをしてはいないが私の肩に小さな身体を乗せ、くったりともたれた。
無事に全員揃った安心からか皆疲れが滲んでいるものの穏やかな表情をしているが、こうしてだらけてばかりはいられない。私にはまずやらなければならないことがある。
「……あの、皆、ご心配をおかけしました」
そう言って謝罪もすれば、おねえさまが「心配しましたのよ!」と泣きそうな、怒ったような表情をして立ち上がり、私の前にくると手を取られ少し冷たい指に握りこまれる。
「フォルセがいないと思ったら、アイラまでおりませんし! 先生も戻りませんでしたし、私とデュークだけ朝合流にされて屋敷に残されてしまいましたし!」
なるほど、まさかおねえさままで外で待機させてはいなかっただろうと思ってはいたが、やはり王子とおねえさまは別行動だったのかとここで知る。
屋敷に戻るまでの間に先生の無事は確認したが、まだ戻っていないらしい。同じ毒に侵されながらもフォルは解毒剤を得たが、先生の治療は医療科の教師達がかなり苦戦したらしく、解毒は成功したものの絶対安静状態だと聞いて思わず目を伏せた。
しかし、先生も入れての作戦とはいえ王子達に内緒で罠と知っていた依頼を受け、そして失敗して攫われた私だけでなく、ガイアスとレイシスも気まずそうに謝罪をし、何よりフォルがその眉を下げ非常に辛そうな表情で僕のせいだと繰り返す。
だがそこで王子が首を振った。
「子爵の事は聞いた。……ルブラに繋がっていたのだな、やはり。だがフォル、アイラにガイアス、レイシスも。黙って出て行ったのは感心しないが、それが悪いかといえばそうだとも決め付けられる事じゃない。フォルが俺の従兄弟であるのは事実で、どうしようもないことだ。王家に問題があったせいだといえばそうであるし……フォル、お前を騙した教師だが、娘を子爵に人質に取られていたそうだ。教師はお前達と同じ毒に一度侵されたようだが、娘も救出し両者無事だと聞いている。安心しろ」
王子からもたらされた情報で、僅かにフォルが肩の力を抜いたようだ。
それでももう一度謝罪を繰り返そうとした私とフォルを今度は王子もルセナも、おねえさまも笑って首を振って、とにかく無事でよかったと皆で笑いあう。
「……イムス子爵はどうなるんだ?」
ぽつりとガイアスが零した言葉に、再び部屋がしんと静まる。
まあ、ただではすまないだろうな、と王子が窓の外に目を向けた。
漸く捕まえたルブラの人間。それも恐らく末端ではなく、少なくとも指示を出せば人を動かせる地位についたルブラの一員である筈。
ふと、フローラ嬢はどうなるのだろうと考えた。恐らく娘である彼女もただではすまないだろう。今頃既に学園にはおらず、騎士らに連れて行かれているかもしれない。
イムス家は商売敵でもあり、娘である彼女も入学早々私に噛み付いてきた人間ではあるが、彼女に以前ルブラであると判断された侍女の話を聞きに言った時、そのような動揺等は見られなかったと思う。彼女はルブラの事を知らなかったのではと思ってしまうと、いくら好意的に思われていない相手の事であってもなんだか胸にもやもやとしたわだかまりが残った。
少なくともフォルを誘拐してしまったイムス子爵家当主である彼女の父は、その座を降りなければならないだろうから。彼女も穏やかにはすまないだろう。
だが気にかかるのは彼女の事だけで、子爵に関しては到底許せるところではなかった。フォルに対しての態度も、私達を攫った事も許せないが、何より王子の存在を否定し身勝手に振舞う、あたかも自分の思想は正義であると振りかざしたあの男は少なくとも同情できる筈もない。彼は明らかにフォルを王子に仕立て上げ、娘を宛がうことで上の地位を目指していた。どこか少し、昔私を攫ったマグヴェル子爵に似ていたと思う。
ルブラの思想などわからないし理解もできないが、宗教的な位置づけである彼らの信心するものまで否定はしたくない。だが行き過ぎた行動もよくないし、子爵は権力に目が眩んだだけだ。その罪は償ってもらわなければならないし、今後の為にも余罪も含めてきっちり吐き出してもらわなければならないだろう。
気になる事はそこだけではなく、レイシスから聞いたのだが、今回の敵の中に極めて危険な薬を使い魔力を底上げしていた奴等がいるという。
以前特殊科一年のメンバーで朝方出かけた時に襲ってきた、イムス家の元侍女……彼女が使っていた薬と同じらしいが、あれには副作用を起こす可能性もあるそうだ。それも命に関わるものの。
どうやら体内にある魔力を生み出す器官を活性化させすぎて、壊してしまう可能性が新たに発見されたらしい。もちろんそんなもの国が認めている筈もなく、受け入れていい存在ではない。
今のところイムス家に関わる周辺からしか発見されていないらしいが、出回れば危険だ。
「問題は山積みだな」
疲れたようなため息と共に王子が零した言葉に返せる言葉もなく、私達は疲労が抜けない身体をソファに沈め身体を休めたのだった。
「忙しいっ!」
「落ち着いてアイラ」
苦笑したフォルに頭を撫でられて、思わずほうっと息を吐いた。うん、落ち着きました。ああでも忙しい!
朝方帰還した私達ではあるが、授業は待ってくれない。少しの休憩の後出席せねばと準備し始めたところで、アーチボルド先生が部屋に戻る事を許され屋敷へと帰って来た事で喜んだ私達に、先生は授業を休むように言いつけた。
とりあえず寝ろ、授業はなしだ、あとで担当教師に課題用紙を用意してもらうことになってるからまず休めとほぼ無理矢理追い立てられて部屋に戻された私達であるが、結局皆疲れていたのかぐっすりと休み、一番初めに起きたらしい私とおねえさまがばったり廊下で出くわして部屋へ向かっても誰もそこにはいなくて、苦笑して遅すぎる食事を食べたのが午後二時。
それからぱらぱらと皆が起き始めて食事をし、全員がしゃっきりと目を覚ましお腹も満たされたのは午後四時になってからだ。ただし、アルくんはあの小さな身体で飛び回っていたせいかまだぐったりとクッションに身を預けて転寝を楽しんでいた。
丁度その頃先生が全員分の今日休んだ授業の課題用紙を持って現れ、すっかり元気になった先生が作戦失敗と危険な状況を作った事を詫び、それにつられて再度謝罪合戦になったところで全員が安堵から笑いが止まらなくなって、穏やかな雰囲気で課題を解き始めたのは午後四時半。
そしてそれから三十分後。早々に課題を終えたフォルが、悲鳴をあげた。
「アイラ!! 薬剤調合の依頼、やってない!」
と。
そういえば昨日のあの作戦の日は、元は夕方からフォルと傷薬の調合をやる予定だったのだと思い出した私は同じく悲鳴をあげて慌ててフォルと部屋を飛び出す。
傷薬の調合も三時間程かかるだろうが、何よりあれは一晩寝かせなければならないのだ。
依頼期日は明日正午。やばい、ぎりぎりすぎるとそれぞれ部屋に飛び込んで参考資料と薬草やら容器やらの材料と道具を持ち出して、二人で空き部屋に入って調合を開始する。
ざくざく、ごりごりと切ったり摩り下ろしたり練ったりと腕を酷使し、なんとか後は仕上げだけの状態にして出来上がった軟膏剤に布をかけた私とフォルががっくりと空き部屋のベッドのふちに座り込んで仰向けに倒れたのは予定通りの夜八時だった。
後は明日の朝に一度浮いた余分な水分を捨て掻き混ぜたら出来上がりだ。ちなみに難しいものではなく、今回作った傷薬は主に皸などの手荒れ用の塗り薬である。主に主婦層に大人気だ。乾燥しやすい冬は何かと需要が高い品であるが、そろそろその需要が高い時期も終わりだろうか。
そういえば私も薬の調合中は細かく手を洗うのでかさかさだ、と天井を見上げながら手を持ち上げた。手袋も使うが、どうしても手洗いは多い。保湿剤どこだっけ、と制服のポケットを漁っていると、その手をとられた。
「手、貸して?」
隣に寝転んでいたフォルがそのまま寄ってきて私の隣に来ると、私の手に何かを塗りこんでいく。さっぱりとした甘酸っぱい香りに、ああ保湿剤だ、と有難くそれを頂戴する。
時折くすぐったく感じて、ベッドの外に投げ出したままだった足をぱたぱたと動かしていると、はい終わり、と手を解放された。
「ありがとうフォル」
私も普段使っているものであるが、この保湿剤はフォル手作りだ。私が作るのは無臭だが、フォルは何か香料を入れているらしく使っていて楽しめる。
ふと、どうやって作ってるのかな、と思いフォルを見る。
「フォル、これどうやって作るの? いいにおい。他にも作れたりするの?」
「興味ある? 今度一緒に作ろうか、教えてあげる……ああそうだ、面白いお店があるんだ、今度一緒に行かない?」
「どんなお店?」
ちょっと楽しくなって少し身体を起こすと、フォルも楽しそうに笑って「内緒」とその人差し指を自らの唇に当てた。
うーん、たぶん話の流れから考えると、保湿剤か香料のお店? うわぁ、楽しそう。香料ならその製造方法や食用にも利用できるか興味あるし、今度ゆっくり聞いてみようかな。
「アイラ」
呼ばれてまた目を合わせれば、フォルがにやりと悪戯な笑みを浮かべる。
「ねえ、昨日の続き、する?」
「昨日?」
何の話だ、と思った時、くすくすと笑ったフォルが「忘れた?」と距離を近づけて囁いた。思わず小さく「え」と声を上げたとき、フォルの腕が私の手を押し戻し、私の上へと体勢を変える。
ああ、やっぱこれフォルの趣味かと笑おうとした私は硬直した。
明るい。
「ちょ、フォル、え?」
「あれ? 昨日と違うね。顔真っ赤」
「フォルあの、明るい!」
「そうだね」
いたずらっ子のような笑みで笑い続けるフォルは、「また今度ね」と告げて私の上から離れていく。
「戻ろう、遅くなっちゃったけどご飯食べないと。あ、アイラ課題も終わってないよね、一緒にやろう?」
「え? うん、あ、ありがとう!」
慌てて立ち上がってフォルに続いて部屋を出る。
一時の元気がないフォルに比べたら全然いいけれど、最近のフォルは少しいじわるだ。そう思って頭を振るが、なぜか先ほどの私を見下ろす銀の瞳が今度は頭にちらついて、階段を下りきった時には呼吸が少し乱れた。
うーん、フォルみたいな美形に至近距離でその綺麗な顔を向けられるのは緊張するな。……まてよ、そのまま大きくなっちゃったら結構悪い男になりそうじゃない? なんて言うんだっけ、チャラ男? う、フォルのイメージじゃないな。
「フォル、ほどほどにね……?」
「え? うん、え? 何、いやな予感しかしないなその反応」
ぽんぽん、とフォルの肩を叩き、ゲームにもそんな女の子にスキンシップ多いキャラいたよなあと考えながら私は「お腹空いた!」と部屋へ飛び込んだ。




