121.レイシス・デラクエル
「フォルセ、王子……?」
隣でガイアスが不思議そうに小さな穴の向こうに見える敵を見つめている。俺は必死に魔力と殺気を押し殺し、敵である大男がほんの少しでも動いたらすぐにでも防御魔法を作り出そうと自身に流れる魔力をコントロールすることに集中した。
そばに父もいるのだ。大丈夫、お嬢様は、大丈夫。フォルも解毒できているようで、見たところ外傷もない。
呪文のように心の内で唱えながら隣の部屋にいるお嬢様を見つめ、僅かに息を吐く。父がどうやったのか、無音のまま僅かに塵を残しただけで簡単に数箇所穴を開けた壁に張り付く俺達は、敵の動きをほんの小さなものでも見逃すまいと緊張に包まれている。
必死に言い聞かせなければ、この壁をぶち破って飛び出してしまいそうだ。
大男に抱え上げられ、苦しそうな表情をしたお嬢様の喉に光る刃。見ているだけで血の気が引き、まるで自分の喉に刃をつきたてられている気分にすらなる。
こんな状況でもお嬢様を助けに行けずここにいる自分に苛立つが、それでも今ここにいる父と兄、そしてお嬢様のすぐ隣にいる筈であろうもう一人の『兄』と仲間を信じて耐えるしかない。
お嬢様の喉には確かに刃が向けられているが、男がその腕の筋肉に力を入れるより先に、恐らく防御が展開されそれは防がれる。お嬢様がこの部屋に足を踏み入れた時、すでにそのようにルセナが魔法を施したのだ。
そうであっても、この状況を作り出したあの貴族の男と大男を八つ裂きにしてしまいたい程の怒りを感じるが、耐えるしかない。
――レイシス、本日の作戦で勝手な動きをすれば、お前をお嬢様の護衛から外す。
先ほど父に宣言された言葉を思い出し、拳に力が入った。
わかっている。勝手な動きをすればお嬢様に危険が及ぶ可能性があるのだ。なんといっても敵はルブラだ。しかも漸く尻尾を出したのだ、今後の事を考えると今日失敗することは許されない。
ああでも、お嬢様は自分に防御魔法がかけられたことを知らない。かけられた本人も気づかないほどの繊細な防御魔法を生み出すルセナの能力は卓越したものがあるとは思うが、つまりそれは今のお嬢様には僅かの安心感も与えられていないという状況を作り出しているのだ。
必死に自らの手を押さえ、来るべき時に備える。しかしそんな状況でも頭の片隅で俺はこの状況を分析できていた。
今回の誘拐は恐らく、『王や王子に不満を持つルブラが次期王として光魔法を使える可能性があるフォルセ・ジェントリーに目をつけた』ことから起きたのだろう。
可能性の一つに、フォルに案内させて油断したところで、エルフィであるとばれてしまったお嬢様を誘拐するのが目的だったのでは、という話も昨日の作戦会議では上がったが、それは違ったらしい。エルフィであるとばれていないのであれば安堵するところであるが、今の状況がそれを許さない。
わざわざ山にフォルを向かわせた上で攫ったのは、仲間の中で一番フォルを脅しやすい人間を見つけて一緒に攫う為か。
フォルが『エルフィであるお嬢様を逃がそうとしてしまった』為にお嬢様がそういう相手であると判断されてしまった。
……いや、お嬢様がエルフィでなくても、フォルはお嬢様の名を呼んだだろうか。
ぎゅっと心臓が掴まれた感覚がして、こんな時でも感じる焦燥感に更に苛立ちを覚える。
今はただ二人の無事を最優先に考えなければ。
「さあフォルセ王子!」
大きな腹を揺らし、妙にねっとりとした篭った声で男がフォルへと迫る。フォルは少しの間呆然としていたが、すぐにちらりとお嬢様を確認すると、険しい表情で貴族の男を睨む。
先ほどのフォルの話では、相手はイムス子爵らしい。正直に言えば、やっぱりかという感想が浮かぶ。
イムス家は怪しかった。決定的な証拠は掴めないでいたが、以前フォルの周囲を嗅ぎ回り、俺達特殊科を襲ったルブラの女は元はイムス家の娘の侍女だった。
解雇したと言い張り、何も知らないと娘も親も言っていたが、やはりか。
しかも、昨日捕まえて連れ帰った男……結局何も吐くことなく命を落としたらしいが、原因が副作用だったと聞く。
魔力増幅の効果がある、違法とされる薬の、だ。
男のポケットから転がり落ちた小瓶がイムス家の元侍女も使っていたあの薬の小瓶と同一の物だったらしく、調べた結果中身もそうであろうという結果が出たとジェントリー公爵が父に話したそうだ。
持ち主の魔力を強引に引き出す薬。それを飲んだ相手と戦うのは、実力を測り辛く何が起きるかもわからないため危険だ。
「イムス子爵、僕は王子ではありませんよ」
この場にはそぐわない穏やかなフォルの声が聞こえる。だがフォルの雰囲気は声に合わず烈々たるもので、間近でフォルと視線を合わせていたイムス子爵がひっと息を呑んだ。
そこで終えればいいものを、イムス子爵はまだ口を開く。
「いえいえ、現在王家が神の怒りに触れた今、神聖なる光の力を引継ぎし次代の王はあなた様の筈なのです。きっと神はあなたに眠りし光魔法を解放しておられることでしょう! 隠すことはありません、もはや王家に遠慮し、光魔法を封じることなどしなくてもよいのです!」
「……アイラを放して欲しいのですが?」
「その娘は……アイラ・ベルティーニ嬢か」
子爵がちらりとお嬢様を見て、ぐっと唇を噛んで黙り込む。
しばらくきょろきょろとしていたが、子爵は何も言わずお嬢様を解放しようともしない。
「脅すつもりですか?」
「フォルセ王子、光魔法を! お見せいただければ何でも致します!」
話にならない。フォルの言葉を一切無視して光魔法を乞う男に、フォルが大きなため息を吐いた。
ここにデュークがいなくてよかった、と僅かに思う。
デュークは護衛の騎士とラチナと共に、外で先に倒した子爵の従者らに直接話を聞いている。いくらなんでも、光魔法を従兄弟に乞う民を見るのは辛いだろう。
詰めが甘いのか、子爵は自分の護衛すら最小限にしたうえでこの古い屋敷の一室に閉じ込めていた為、ばれずに倒すのは簡単だった。薬を与える暇もなく暗部と騎士等に静かに引っ立てられた敵を今頃は尋問しているだろうか。
今ここにいるのは俺達の仲間とお嬢様を拘束するあの大男、子爵だけ。
ちらりと父を見る。もう十分聞きたい事は聞けた筈。子爵を捕らえるには十分な情報は得た。はやく、はやくお嬢様を助けなければ……。
「その娘は次代の王であるフォルセ王子殿下にはふさわしくないのです。これは仕方ない事なのです!」
広い額に汗を浮かべ、子爵が懐から取り出した布でそれを拭いながらお嬢様にそのぎょろりとした目を向けた。
「……は?」
フォルの空気が更に冷えた、と思う。そんな中さらに噴出した汗をせっせと拭きながら「ですから」「血筋が」「成り上がり貴族ですから」のような言葉を繰り返す子爵とは反対に、お嬢様を拘束する大男はただ静かにお嬢様に刃を向けていた。
「我が家はその娘の家と同じ爵位ではございますが、我が娘は生粋の貴族の生まれでございます。母親も元は伯爵家の出でございますし、我が家は代々領地で取れる宝石にて大きく商売を展開しておりますので、諸外国との取引も多くきっと新たなる王のお力に」
「勝手な事を言うな、イムス子爵」
「……え?」
「勝手な事を言うな、と言っているんです。子爵、僕は王子ではないし光魔法は使えない。王家の人間は神に見放されてなどいないし、僕が誰を選ぶかもあなたには関係ない」
「しかし」
その時、フォルがこちらを見た、気がした。
「煩いですよ、子爵」
隣の部屋でフォルの氷の魔力が膨れ上がる。お嬢様を掴む男が、動いた。
「行くぞ」
父が合図した瞬間、俺達とお嬢様を隔てていた壁が塵となって、俺の生み出した風に流れて消えた。ガイアスと父がそこに飛び込み、ルセナが防御壁を展開する。
「ぎゃああああっ!?」
酷く煩く不快な悲鳴が上がる。ガイアスが子爵の片足を切り落とし、父が大男と刃を交えていた。大男の元にお嬢様の姿はない。大男の身体は不自然に凍りつき、それを砕きながら父と刃を合わせる男はその手から小瓶を投げ捨てた。薬を飲んだか!
「お嬢様!」
お嬢様は上にいた。どうやら自分で男の手から逃れ脱出したらしく、部屋の天井にぶら下がる凍りついたシャンデリアに手を掛け自ら身体を捻ると、ふわりと下へ着地する。その周囲に淡い光が見え、恐らくアルがお嬢様に防御魔法をかけているのだろうと分析しつつ、走る。
「お嬢様!」
「レイシス!」
ぱっと顔を輝かせてくれたお嬢様が、俺に手を伸ばしたのを迷わず今度こそ握り返す。
目の前で攫われたあの時、確かに触れたのに留めることができなかった手をしっかりと抱きこみ、俺より小さな身体を腕に閉じ込める。
「ご無事でよかった」
目の前で揺れる桜色の髪に頬を寄せ、その温もりを確かめると、銀の瞳と目が合った。その瞳が僅かに揺れるのを見た時、俺の心に確かに浮かんだ感情を、慌てて消す。
「フォル、怪我は? 魔力は?」
「ないよ、魔力も回復してる、大丈夫。レイシス、アイラを巻き込んでごめん」
首を振って、友人が無事だったことを安堵する自分に、安心した。そこまで非道ではなかったらしい。
「レイシスごめんね、ありがとう」
「首を見せてください」
「大丈夫よ、刃があれ以上喉に当たるようだったら魔法で防いでたし」
ふふふ、と笑うお嬢様の言葉に、ああそうかと苦笑する。怖がってなんていなかったらしいお嬢様に、それでこそお嬢様らしいと、帰って来た実感が沸いた。
ギィン、ガキン、と、剣の打ち合う重い音が響き、シャンデリアからぱらぱらと氷の欠片が降って来る。
父とほぼ互角に打ち合っているらしい。まだ油断ならないか、とお嬢様を背に隠し、風で部屋の窓を割る。外で待機する暗部への突入の合図だ。
「後は父に任せてとりあえず脱出しましょう」
「わかった。子爵は?」
「拘束します。……って、あれはひどいですね」
ぎゃあぎゃあと悲鳴をあげている子爵を鎖の蛇で縛っていたガイアスが窓枠から外に飛び出そうとしていたところにフォルが向かい、ぼたぼたと血が流れ落ちていた足の断面を氷らせて塞いだ。
ガイアス、せめてお嬢様の前なのだから切り口を隠せといいたいが、そんなものは後でいい。
再び腕の中にお嬢様を抱き、風の力を借りて外へと飛び出す。
無事でよかった。
もうわかっている。大切な友人である筈のフォルに、あんな状況でも感じてしまった焦燥感の正体も、普段から感じるもどかしい思いも、お嬢様がそばにいない時に感じた絶望にも近い感情も。
「アイラ」
名を呼べば驚きの表情の後に柔らかい笑みが向けられる。
なぜとか、どこを、とか難しい事はわからない。でも確かにこの笑顔が一番俺の守りたいものだ。今はそれでいい。
「捕らえたぞ!」
父の声に、終わったのだと感じる。雪が朝日で煌く中、俺はもう一度腕にその存在を閉じ込め無事を確認した。
冷えますから、ともっともらしい言葉を添えて。




