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「わっ!?」


 悲鳴。続いて聞こえるドタン! っと大きな音。

 そして急に熱と重さが引いていき、温かかった身体がひゅっと冷えて思わずびくりと震えた。

 っていうか、え? 何、え?


 慌てて身体を横に倒して起こし足元を見れば、さっきまで上にいた筈のフォルが右手で顔を押さえ、左手でなんとか身体を支えてベッドの下に座り込んでいた。転がってる、と表現したほうが正確かもしれない。

 え、何で? 私の血はフォルを吹っ飛ばす程度の能力ですか?

「ちょ、フォル?」

 ベッド横においていたキャンドルの明かりでは、フォルの表情なんてくっきり見える筈もなくて慌てて手を伸ばし近寄ろうとすると、「待って!」と叫ばれた。

「ちょ、待って、アイラ近寄っちゃ」

 切れ切れなフォルの言葉で思わず身体の動きを止めるが、フォルは自分の両腕で守るように身体を抱えて蹲ってしまい心配になる。

 テーブルの上のキャンドルをとろうかと手を伸ばした時、床に転がるフォルがずるずると自らそのテーブルに近寄り始める。

 ゆっくりと手を開き、腕を伸ばしたフォルがその手をテーブルへと向けた。

「アイラ、何色?」

「えっ」

 言われて思わずフォルの手を見た時、キャンドルの薄明かりの中浮かび上がるフォルの手に僅かにもやが見えた。だが、頼りない明かりでその色は自信がなくて、答えられない。

「黒?」

 焦れたフォルに聞かれて、首を傾げた後「たぶん」とだけ小さな声で呟く。

 くそっ、とフォルにしては珍しい荒々しい言葉にびっくりしていると、唇を引き結んだフォルが必死に何かに抗うような動きを見せた。徐々に収まるもやを呆然と見つめ、しばらくの後フォルがはあと息を吐いて、漸く私はその事態を把握した。

「えっ、フォル、え、何その魔力!」

 フォルが抑えるのに苦労するほど、フォルに魔力が満ち満ちているということだ。

 自分の手を握ったり開いたりしているフォルは、しばらくそれを見つめた後ベッドに腰掛け、どさりとその身体をシーツに投げ出した。

「びっくりした……初めてで僕には刺激が強すぎたみたいだ」

 はは、と苦笑するフォルの顔色は非常にいい。

「あの、回復、した?」

「したした。慣れたらもう少し落ち着くし量も必要なのかもしれないけど、少なくとも今はびっくりするくらい回復した。闇の力を普通の魔力に変換すればいいんだ、成程、ちょっと難しいな」

「え?」

 どういうことかわからず首を捻っていると、フォルはそれを少し王子にも似た……いや、いたずらを思いついた子供みたいな瞳で見つめてきて、私の手を引っ張った。

 ひゃっと悲鳴が上がり、背に当たる少し硬いマットレスの感触と、再び圧しかかった熱に目を開けるのが怖くなる。

 それでも恐る恐る目を開くと、また銀の瞳がこちらを見下ろしていた。

 ……また? え、また? フォルの趣味?

「……あ、目、戻ったね」

「目? え、僕の目、何か変だった?」

「さっきまで赤いっていうか黒いっていうか……違う色に見えたから。薄暗いからちょっと自信ないけどね」

「そっか……それは知らなかったな。気をつけないと。……っていうか、アイラなんの疑問もないの?」

 ん? とシーツの上で僅かに首を捻って、ああと納得する。

「フォル、押し倒すの好きなの? 意外な趣味なんだけど」

「え! そうなるの!? それはちょっと困るんだけど……いや、趣味は勘弁して、僕それじゃ変態じゃないか」

 ぎょっとして目を見開いたフォルに本気で嫌がられて、違うのかと思わず笑った。

 いや、もちろん妙に緊張はしますけどね? 心臓どきどきするし、あ、これ上にいるのがもしあの前世ではまったゲームの大好きなキャラだったらどうなんだろう、悲鳴展開じゃない?

「僕、男なんだけど」

「え、うん」

 何をそんな当たり前の事を言っているの、と思った時、フォルの手がまた喉に触れた。しかしすぐに感じたのは、温かな治癒魔法だ。恐らく先ほどの傷を治してくれているのだろう。

 フォルが実は女だった説を一人脳内で考えて笑いながら、その目を見て口を開く。

「ありが……」

 お礼を言おうと思ったら、フォルの指が私の口を塞いだ。思わず言葉を飲み込んだとき、フォルは「ひどいな」と笑った。

「こんなひどいことしてるのに御礼言うなんてひどいな」

 笑ったフォルの表情が、子供っぽい悪戯な笑みではなく酷く大人びて見えて目を見開く。薄闇に浮かぶフォルのそんな表情は見たことがなくてぎょっとしていると、また両手を掴まれた。

 フォルの指が私の指に絡みつき、指と指の間に一本ずつフォルの指が入り込んできてくすぐったさに身を捩ると、僅かに耳に聞こえる詠唱と流れ込んでくる魔力に気づく。魔力回復してくれてるんだ。そういえば魔力回復は密着度が高いほど早く回復するとどっかの研究者が言っていたな、今度あの研究者の論文も読んで見なきゃ。

「続きは今度でいいや。これ以上はレイシスに悪いし。覚えててアイラ」

「うん?」

 起き上がったフォルがまたいたずらっ子のように笑って、つられて起き上がりつつ首を傾げた私は、「おお!」と思わず手を握る。

「回復した! これなら大きな魔法一発くらいは余裕でいけそう!」

「……ああ、うんそうだね、アイラすごいや」



『アイラー!!』

 存在を感じ取ってすぐ姿現しして飛び込んできたアルくんを受け止めると、ぐりぐりと顔を押し付けてきたアルくんが無事でよかった! と叫ぶ。

 とりあえず状況を聞くと、ガイアス達はこの建物のそばで待機する、というところで譲歩してくれたらしい。先生も無事らしいし、ほっとして肩の力が抜けたのを感じ、フォルと笑みを交わす。

 思わずレイシスがよく許可してくれたな、と思ったところで、レイシスは不服そうだったけどと言うアルくんの言葉に、フォルが苦笑いした。

「僕、レイシスに怒られそう」

『フォルセ、レイシスに怒られるようなことしたの?』

「……あー、うん、そうか、きみもか」

 ひゅんとフォルの前まで羽を動かして飛んでいったアルくんとフォルが話すのを視界の端で見つつ周囲を見渡し、天井を見上げる。この部屋、天井に照明ないな。娼館の屋敷に地下があるのって普通なんだろうか。

 牢屋のような扉の割にはそこそこいい材質のベッドだし、掃除してあるのは私達をここに連れてくることが決まってたからだろうか。だとしたらそこそこ待遇がいい? いや、攫われておいて待遇もなにもないけど。

「アルくん、上の人たちどうしてるの?」

『あ、あの大男以外寝てたよ。ほんと適当だね、アイラも夜明けまで眠ったら? ……フォルセは床で寝るといいよ』

 いつになく厳しいアルくんの言葉にフォルは笑う。随分と元気になったらしい。


 ここじゃ日が入らなくて時間がわからないだろうからと、アルくんに起こしてもらう約束をして壁を背に座り布団を被る。

 ちなみにアルくんが断固拒否の姿勢を見せてフォルをベッドに寝かせてくれず、冷えるのに私だけベッドを使うのはいやだと言う私と、僕は椅子でも大丈夫だよと苦笑するフォルとで意見が割れ、結局二人とも少し離れて壁を背にして座って寝るという微妙に休めないような奇妙な体勢に落ち着いた。

 恐らく外で待機するガイアス達は寝れないだろうからこれでいいと言い切ると、険しい表情をしていたアルくんは長くて大きくて重いため息をついて妥協した。

 なんだか少し懐かしい。幼い頃の私がわがままを言った時、同じような表情でため息をついていたサフィルにいさまを思い出す。……そこでふと、いつもと違う感覚を覚えた。おかしいなと首を捻ってみるが、それが何が違うのかわからなくて、まあいっかと目を瞑る。


 だけれど、寒いのに外にいるガイアス達が気になってなかなか寝れない。

 漸くうとうとしたかな、と思った時だ。

「わっ」

 私とフォルが思わず跳ね上がる程いやに響いた音に慌ててベッドから降りて立ち上がる。手探りでキャンドルに火を灯している間もガチャガチャという金属音が聞こえる。……扉から。


 敵か、それともガイアス達か、と身構えた私の前にフォルが私を庇うように立ち、その向こう側で重厚な金属の扉は勢い良く開かれた。




 思わず引いた身体を、フォルが手を繋いで自分のそばへと留める。

 現れたのはガイアス達じゃなかった。昨日の大男だ。じりじりと私達が下がると、その大男は手にランプシェードを持ち、「来い」とだけ言って扉を大きく開く。

 ここに光は入らない。今闇に浮かぶ明かりは頼りないキャンドルの炎と、男の持つランプシェードの火石の明かりだけ。相手の表情はわからないが、男は扉から手を離すと私達に背を向けた。

 ……今が本当に朝なのか私にはわからないが、時間は経った。私達の魔力が微々たるものでも回復しているのはわかっているだろうに背を向けられるのは、余裕だと思われているからか。

 思わず眉間が寄るのを自覚しつつ、フォルを見る。すでにアルくんはその姿を私にしか確認できない状態に変えているが、彼は困惑した表情で上を見上げていた。恐らくガイアス達の状態を見に行くか迷っているのだろう。

 こいつが来たということは、フォルを連れ去るように指示した誰かが上に来たはず。ガイアス達は様子を見ているだけだと信じたい。まさかやられてはいないよね、と妙にばくばくとする胸を片手でおさえつつ、フォルと目を合わせる。

「行こう」

 フォルがぎゅっと私の手を握り、背を向けた男の後を追う。このまま男の背から全力攻撃でもしようかと一瞬頭を過ぎったが、それでは朝まで待った意味がない。


 階段を上らされる。来た時は回復に手一杯だったのと暗闇の中担がれていたせいもあって階段に気づかなかったが、今度は自分の足で一歩一歩上りきり、男が再び金属の重い扉を開けると差し込む明かりに慣れない目が痛むのを擦ってやり過ごす。

 扉の向こうは普通の部屋だった。ソファとテーブル、飾り棚。窓もあるから地上に出たのだとわかる。応接室のようだと見回していると、男が出てきた扉とは違う木の扉を開き、続いて出ればそこは長い廊下だった。

 歩くとぎしぎしと鳴るのは古い建物だからだろうか。

 窓から漏れる明かりから、まだ早朝であるらしい。廊下は、ひどく冷えた。

 緊張に包まれた中、ただ私の右手を握るフォルの手の温もりだけが安心感を生み、ぎゅっとそれを握りなおす。

「入れ」

 男が一際大きな扉の前でノックをすると、中からかけられた声は男のものだった。前を歩くフォルが一瞬首を傾げる。

 開かれた扉の奥にフォルの背に隠れながら進むと、そこにいたのはでっぷりとしたおなかを抱え、つやつやのおでこが広いが身に纏う服がやたらと豪勢な男。

 貴族だ、と言うのはすぐにわかった。だが、私は社交界に出ていないので貴族の名前と顔が一致しない。

 誰だ、と首を傾げたのは私だけで、フォルは明らかに肩を揺らし、目を見開いていた。その口から漏れたのは。


「……イムス子爵」


 その名に過ぎったのは、同学年の私にやたらと好戦的な少女の顔。初めて会話した時に、私の侍女のレミリアの髪を自らの侍女に切り落とさせたあの少女。

 彼女の侍女はそういえば……ルブラと疑われていたか。


 彼女はルブラと繋がっていたのか、という理解が追いついた時、私の身体は大男に引っ張り上げられ、首筋にひやりとした何かが触れる。


「お待ちしておりましたぞ、フォルセ・ジェントリー様、いや、フォルセ王子! さあ、私にその御身に宿る光の力を、お見せください!」


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