118
『アイラ、怪我はない!?』
焦ったように眉を寄せ目を見開き突撃してきたのは、アルくんだ。淡い光の正体はもちろん精霊である彼である。
彼はすぐ姿現しをしたので、驚いて小さく「わっ」と声を上げたフォルに大丈夫だと声をかけつつ、アルくんに向き直る。
「怪我はないよ、何もされていないけど、でも閉じ込められちゃったみたい」
『ごめん、追ってくる途中で見失ったんだ。室内は回ったけどあの扉は魔力を通さないみたいで、僕も通れない』
ふむふむと頷きながら扉を見る。魔力を通さない金属の扉では、好きなように窓も壁もすり抜ける精霊でも通るのは無理らしい。
『しかもここ地下なんだ。天井をすり抜けてきたから、上は無防備だと思うけど』
「やっぱり天井かぁ。アルくん、人は?」
『この建物にいるのは真っ黒の服を着てた男たち三人に女が二人。ただ、ガイアス達が戦ってたやつじゃないみたい。アイラ達を攫った大男以外の二組はお楽しみ中』
ちなみにここは今使われていない王都の外れにある古い娼館だと言われてぎょっとする。さすがに知らないわけじゃないが、なんで娼館の部屋が地下にあるんだ。ベッドも狭いし扉は魔力通らないし!
「って、お楽しみ中って」
我に返ったフォルががっくりと項垂れて、さらに頭まで抱えた。
うーん、天井ぶち抜いて逃げると、女の人も巻き込みそうだな。敵なのかもだけど。
にしても、人がいなすぎじゃないか? ……いや、ガイアスが押し切れなかった人間だ。一人一人相当強い筈。だが、自惚れでもなんでもなく、事実として私達特殊科は魔力においてかなり能力が高く、特に戦闘において秀でているからこそ騎士科に選ばれているガイアス、レイシス、王子、ルセナがここに仲間である私とフォルを助けにくる可能性を考えていないのか? 余程ばれない自信がある?
「アルくん、とりあえず大至急ガイアス達に私は無事だと伝えてくれる? あと場所を教えても、明日の朝になるまで絶対に乗り込まないこと」
『どうして!』
目を見開いて私に詰め寄ったアルくんに、手を広げて待って待ってと伝え、ベッドから足を下ろして腰掛け直した私はそばにあるテーブルに肘をついてもう一度考える。
敵はフォルを攫うだけではなくわざわざ山に入れ、任務に出ていた特殊科の誰かも一緒に攫うつもりだった。
わざわざ面倒くさいやり方をしたのはなぜだろう。……フォルは僕に言う事を聞かせる為だ、といった。つまり仲間を使いフォルを脅す為。あの時山の中で敵はフォルが一番逃がしたがった人間を人質にしようとした……?
フォルは相手がルブラであると考え、あのメンバーの中で一番狙われる可能性が高いエルフィである私を逃がそうとしてしまった。それで私が一番効果的にフォルを脅す人質になりえると考えたルブラは、フォルと一緒に私を連れ去った……のかな。それにしてもまどろっこしいが。
「敵は明日の朝私とフォルを攫った目的を教えてくれるみたい。私とフォルがなぜ攫われたのか理由を知らないと逃げても意味がないわ。また教師や今度は生徒が人質にとられても困るし」
「アイラ、でもそれは僕が……」
「フォルがそうであると確信して連れ去ったのなら、私とフォルを一緒にこんな闇の中に閉じ込めて置くのがまずおかしいもん。敵は何か勘違いしてるんじゃないかな」
「勘違い……」
フォルが呆然と天井を見上げる。うーん、もう少し何かわかることがあればいいんだけど。
『僕は反対だ。こんなところにいつまでも捕まっているなんて、何かあったら』
アルくんが唇を引き結び、私の服を引っ張りながら必死な顔で説得しようとする。
「じゃあとりあえずこちらの状況をガイアスに相談してもらってもいい? いい、ガイアスよ? レイシスは熱くなりやすいわ、場所を聞いたらきっとすぐに飛び出す。ここの敵は強いから、絶対にレイシス一人飛び出すような状況にしないで」
『……レイシス……うん、わかってる』
アルくんはこくりと頷くと、飛び立とうとする。その前に魔力を投げ渡すと、アルくんは心配そうな表情をしたままそれを受け取り飛び立った。
「アイラ、大丈夫? 魔力は……」
「ぎりぎり、かな。うーん、血を飲むのって大変? 何かフォルがつらい?」
「え?」
首を傾げるフォルに向き合う形で身体を動かし、長袖の制服の袖を捲り上げる。きょとんとそれを眺めていたフォルに腕を突き出すと「飲める?」とだけ尋ねた。
「……え!? ちょ、アイラ!?」
「やっぱり腕じゃ駄目? 首って痛そう……いや、痛くはないんだっけ。でも、フォルの口が喉にあるとくすぐったいなぁ。逆に笑ったらどうしよう」
「いやいやいやいやいや! 何言ってるの!」
「私が失う血液を百としたら、そこに含まれる私の魔力も百とするじゃない?」
突然、まるで医療科の授業の時、私達の班の中で意見を交し合うあの雰囲気のように……私がそれを思い出しつつ語りだすと、フォルがびっくりしてぴっとその背を伸ばした。
「フォルが私の血液と魔力をその数字のまま取り込んだとしたら、どれくらいの魔力に変換できるの?」
「……わからない。その、相性があるらしいんだ。ただ、減りはしないと思う」
「もし二百になるとしたら、フォルがその魔力を使って治癒魔法で私の魔力を百回復させたとしてもプラスでしょ?」
他人の魔力回復を行う治癒魔法はただ魔力を流し込むわけではないので多少消費する。それでもそれに十くらい使っても、フォルに九十は残ってプラス状態だ。
そんな授業のような話をしてみるが、フォルは駄目だよと首を振る。……当然か、推測にすぎない今これは賭けだ。
「血液は戻らないんだよ!? 百マイナスのままなんだ」
ふるふると首を振るのを見て、やっぱ駄目かなとむき出しの腕を下げた。あれだけカレー研究で栄養取り巻くってたから、私の健康状態はいいと思うのだけど。
部屋は整えられているが、少し冷えている、と今になって気づく。冷たい空気に晒された腕を無意識に擦った時、そこがふわっと暖かくなった。
白いフォルの手が私の腕に触れている。
「アイラ、僕は……その」
フォルが何かを躊躇いながら、しかしその銀の瞳に私のむき出しの腕を映す。じわじわとその中心の紫苑色が赤黒く染まるように見えて、驚いて私はそれに注目した。
血を欲している時赤黒くなるのか、と考える。恐らく魔力が集まっているのだ。今の私もそうだが、何か魔力を使ってみたいものがあるとき、目に魔力が集まる。私はフォルの目に集まる魔力を見るために魔力を目に集めているが、さすがに目の色が変わったりはしない。フォルは何を見ているのだろう。……血の流れだろうか。
冷静にそんなことを考えている私の頭は、やはり余裕があるらしい。怖いという感情はなく、フォルをじっと見つめていると、その完璧に赤くそして黒く染まった目と視線が絡み合う。
「飲んだことがないんだ。血を」
「え?」
「……飲む機会もなかったし、というより、その……吸血族が初めて血を飲むのなんて、大抵皆大人になってからって聞いてて。欲しいって思っても我慢するっていうか、本当に普通に暮らす分にはちゃんとお肉とか食べてたら大丈夫なんだ」
「あれ、そうなんだ」
ああ、もちろんお肉は火を通したものだから! と何を気にしているのか首を振るフォルは、しかし視線が私の腕に絡みついたままだ。うーん、どうしよう。フォルは明らかに躊躇ってるし、飲んだことないのに無理に飲ませるのは駄目だろうしなぁ。
それにきっと、フォルも怖いんじゃないか。よく考えたらフォルは血は飲まないって否定しているわけだし、自分達の事を化け物だって言うくらいだし。……あ、いやなのかも。
「ごめんフォル。わかった。私無神経で……ええっとじゃあ」
「待って。今のところ一応明日まで脱出は待つんだよね? 確かにここまで魔力を消費してしまっていたら朝になっても完全回復はたぶん無理だ。でも回復しないわけじゃないよね。アイラが急いで魔力がほしいわけは?」
「……急いでないよ。ただ、ガイアスがどうするのかまだわからないから、少しでも回復しておいたほうがいいかなって。何が起きるかわからないし」
「そう、か。うん、そうだよね」
「でもフォル、他の方法探して見よう」
ちらっと見たフォルの目は、キャンドルの揺らめく明かりの中でもやはりまだ赤黒く見える。
だけど飲んだことないんだとなぁ。依存性ってあるんだろうかとか考えるとやっぱ飲んじゃだめかも、とか思っちゃうし。
俯いたまま大人しいフォルに一言断って、ランプシェードを手に立ち上がる。
それを手に室内の引き出しなどを調べる。何かないかなーといろいろ見てみるが、出てきたのはキャンドルくらいで物がほとんどない。
再びテーブルにランプシェードを置いてうーんと唸っていた私は、おなかに手が回るまでフォルが動いていたことに気づかなかった。
回された手が私をベッドの上に誘い、仰天して見上げたまま仰向けに倒れた私の上にまたしてもフォルがいる。だからフォル、なんでこの体勢なんだと突っ込む前に、腕を押さえられる。
見上げた先の赤い目になんとなく悟った。だけど、先ほどの情報を聞く限りそのまますんなりどうぞという気分にはなれず、なんとか口を開く。
「フォル、大丈夫なの? 初めてなんだよね? 怖くないの、嫌じゃない?」
なんだか詳しく聞くのは私も怖いんじゃと誤解させる気がして言えなかったけれど、心配しているのは伝わったらしいフォルは自ら依存性とかないから、と上で苦笑して見せた。
「怖いよ。でも、別に何か変わったりしない。出来る事をしてみるんだよね。ねぇアイラ、少しだけ」
試しに少しだけ。ちょっとだけ。咬まないから。
ぐっとフォルが圧し掛かってくる。腕に、と思ったのに、首の付け根辺りにフォルの指が触れた。冷えたと思ったらほんの少しだけチクリと痛んで、あれ、ほんとに咬まないんだ、とぼんやりと考えた私は、口に、頬に、顎に触れる銀糸をくすぐったいなと思いながら、首に触れるやわらかさには意識を向けないようにして目を閉じた。




