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「わっ」

 わけがわからないフォルの叫び声を聞いた瞬間、お腹に回った腕にぐっと力が入り私は引っ張られ足を動かされた。

 えっ、何が起きた!? と混乱した私の目の前を走るレイシスを見て、慌てて足に力を入れる。

「レイシスだめ、フォルが!」

「いけません、フォルはお嬢様に逃げろと言いました。狙いはお嬢様だ!」

 説得するように視線を真っ直ぐに合わされそういわれても、あの青ざめた表情のフォルが気になってしまう。逃げるなんて、目の前にフォルがいるのに置いて逃げるなんて!

 だが、敵もやはりフォルの発言で隠れる意味がないと悟ったのだろう、黒い影がフォルの右後方から現れ、一瞬フォルに何かした後、すぐに方向転換し狙いをこちらに定めて飛び掛ってくる。

 真っ黒な服、口も布で覆い、ぎらぎらとした目だけがこちらを睨む。体型的に男だろうか、体に張り付いた服がしなやかなその肉体の筋肉を浮き立たせており、魔力の流れは安定しているように見える。

「炎斬!」

 ガイアスの炎が宙で踊り、敵を巻き込む。が、何か防御壁を張っていたらしい敵はそれをものともせず突き進み、しかしレイシスも私も魔法を唱えている事に気づいたのか地面を蹴り方向を変えると、その手にした剣先をそばにいたガイアスへと向けた。

「水の蛇!」

 生み出した蛇をそばに待機させたままレイシスと共に走る。もちろん逃げるのではない。敵が姿を現した今最優先なのは様子のおかしいフォルの安全の確保だ。

 それに気づいたらしい敵がこちらに何かを投げてきたが、水の蛇がそれに絡みつくように取り込む。蛇の透ける水の体の中に取り込まれたのはまるでディスクのような妙な形だったが、銀色に輝く薄いそれは間違いなく刃物だ。

「お嬢様」

 さっとレイシスが位置を代え、私を庇いつつフォルの元へと誘う。レイシスが唱えた魔法が私達とフォルを囲う壁へと変化したところで、敵と斬り合いしているガイアスを気にしつつ私はしゃがみこんで蹲ってしまったフォルの顔を覗き込んだ。

「フォル」

「ぐっ、ごめ……ど、っ」

 何か伝えようとしている汗の滲むフォルの顔を覗きこんで魔力を集めた手で触れた時、異常な速さでフォルの魔力が消えていっていることに気づく。

 漏れ出ているわけでもなく減る魔力に、すぐにその原因を特定した。魔力を消しているということは、毒だ。魔力を分解してしまう毒魔法か毒薬の何か。

「フォル、魔力分解の毒ね?」

 こく、と頷くフォルの苦しそうな表情に、レイシスがすぐに抱きかかえようとするが、フォルが抵抗した。

「アイラ守っ、ぼくはだい……ぶ」

 切れ切れの言葉に、レイシスが顔を歪めた。先ほどはフォルの言葉に従ってレイシスは私を逃がそうとしたが、レイシスだってフォルを見捨てたい筈はない。

 ガイアスと先生を見れば、二対一であるのに苦戦しているようだ。押されてはいないが、敵を封じられる程押してもいない。先生の実力というものは普段の生活から垣間見る程度しか知らないが、魔力を操るのは非常に上手かった。それにガイアスが加わっても手こずるなんて。

「レイシス、あいつルブラかな」

「蛇の武器を見せてください」

 短く問うと、すぐにレイシスが私の呼び出した水の蛇を指差すので、敵を気にしつつ蛇の魔法を解除する。

 とさっと軽い音を立てて雪の上に落ちた刃を拾い上げようとしたレイシスを、フォルがかすれた声で「だめだ」と止める。

「毒?」

 慌ててフォルを確認すれば、なるほどフォルの左二の腕の後ろの方に僅かに切りつけたような傷がある。つまり体内に取り込ませるタイプの毒かと推測したところで、風を操りふわりと刃を雪の上に起こしたレイシスが、「ルブラです」と告げた。

 レイシスの視線の先を見ると、円盤状だった刃の中央に見覚えのあるマークが見える。蛇と剣、それに鳥……あの村を襲った男の服にあったものと同じ紋様。

 ご丁寧に自分たちの所属を教えてくれるとは、持ち物や衣服にこれを印す決まりでもあるんだろうか。これほどわかりやすいのに秘密組織だなんて、しかも本気でその所在がわからないとは……と思わなくもないが、この世界に指紋やらなんやら科学的な操作方法があるわけでもなく、なんだかがくっと頭を下げて項垂れたい気分だ。

 とにかくそんなことをしている暇はなく、今はフォルの治療とガイアス達の手助けをしなければならない、と急いでフォルの腕に触れ、その傷口を見る。

 試しに解毒の魔法をかけてみるが、フォルの顔色が良くなる気配がない。私の流し込む解毒の魔力自体が分解されてあまり作用されていないのかもしれない……となると、既存の治癒魔法では回復できない珍しいもしくは新種の毒か?

 このまま魔力を失い続ければフォルは……と考えて自分の血の気が引いていくのを感じ、慌てて腰につけたポーチを漁る。何かなにか、何かないかとかき回して、ピンク色の液体が中で揺れる小瓶を見つけた私は思わずあっと叫んだ。

「回復薬! フォル、とりあえずこれ飲んで!」

 時間稼ぎにしかすぎないが、一時的に魔力を回復してもらうためにそれを手に握らせ、ほぼ無理矢理に近い状態で口元へと運ぶ。ガイアスの方も気になるが、レイシスが今隣で特に動きを見せていないから大丈夫なのだろうと必死に他に有用なものはないかとポーチを漁る。

 ……駄目だ、ここじゃ血液検査することもできないし、なんの薬もないし、治療できない! なんの為の医療科の知識なんだ、道具も薬もないなんて!

「くそっ」

「レイシス、駄目だわ、ここじゃ治療できない!」

 レイシスが珍しく苛立った声を上げるのと、私が声を荒げるのはほぼ同時だった。

 どうしたのだと顔を上げたとき、ぐっと眉を顰めたレイシスが叫ぶ。

「お嬢様、回復薬なら僕も、恐らくガイアスも先生も持っています。それで街に戻るまで持たせましょう!」

 今は目の前の敵を何とかするしかない、とそちらを見れば、珍しく険しい顔をしたガイアスが剣を打ち鳴らし敵と戦っている。先生は……先生!?

 蹲りながら自らに防御壁を張る先生を見て目を疑い、慌てる。

「どうしたの!? 先生は!」

「今ガイアスを庇い相手の刃を食らいました。恐らくフォルと同じでは……」

「なんてことなの! 私が」

 言いかけた時、アルくんにエルフィの力を使っては駄目だと叫ばれてぐっと唇を噛む。

 強すぎる! こんな戦いにくい森の中でガイアスの剣相手にまったく隙を見せないなんて、と考えてしまったと気づく。ここは森だ、だから炎を好むガイアスは不利なのだ。

 私が戦えば有利であろう森はガイアスには不利だ。しかし代わろうにもアルくんが宣言している通り私はルブラ相手にエルフィの力を使う事を、絶対に許してもらえないだろう。何より、フォルには持続的に少しでも魔力回復と解毒を試さなければならない今、私は動けない。

「レイシス、ここじゃガイアスよりレイシスの方が戦いに有利だわ、応援に」

「駄目です、お嬢様を置いていけません!」

「自分とフォルを守るくらいの防御なら、フォルの治療をしながらでもできる! このままガイアスにまで怪我させるわけにはいかない!」

 悩むように視線を揺らがせたレイシスを、早く、と急かす。ここにルセナがいれば、回復におねえさまがいれば、王子が戦ってくれればと思ってしまうが、今はこのメンバーで切り抜けなければならない!

「ぐっ、くそおおおっ!」

 ガイアスが叫んだ。雪に足をとられ一度体勢を崩したのか、それでも相手の剣を受け流し必死に立ち直り、敵と戦うガイアスを見て、レイシスが唸るような声を出し手を震わせた後、その手を振り上げた。

「風の刃!」

 無数の刃が生み出され、敵を襲う。

 私とフォルより数歩前に出たレイシスが次々に魔法を繰り出し矢を番え、ガイアスも猛攻撃をしかけ敵が体勢を崩し始めた。

 ガイアスとレイシスが組んだ時、その完璧なタイミングで交互に生み出される攻撃は脅威だ。王子ですら、俺がフォルと組んでも勝てる気がしないと話していたことがある。

 これなら、とフォルの治療をしていた私の横で、アルくんが急に飛んだ。アイラ、と名前を叫ばれ顔を上げた私は、慌てて防御を張る。


 だけど。


「えっ」

 砕ける防御壁が周囲に降り注ぐ。


 敵だ。もう一人敵がいたのだというのは理解したが、なぜここまで接近するほど気づかなかったのか。

 既に日は落ちた。山の中であるここは僅かに雪明りで明るいが、確かに視界良好とはいえない。それでも気配なくここまで近寄られるなんてと身体を震わせた時、私とフォル目掛けて伸ばされた手にぐいと担ぎ上げられ、頭が揺れて呻いた。

「お嬢様!? フォル!!」

 レイシスが驚いた表情でこちらを見て手を伸ばす。必死に伸ばした手が、指先が僅かにレイシスと触れたと思ったのに、ぐっと腹部を押された感覚の中どんどんとレイシスの手が遠ざかり、その表情が闇に紛れていく。

「レイシス、ガイアス!!」

「お嬢様……アイラ!!」

 暗闇に、雪に、悲鳴が吸い込まれていく。私とフォルを抱え上げた敵らしい大男は息もしにくい程の速さで山を降り、横にいるフォルの表情がさらに苦しそうに歪んだ。

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