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「んふふー!」
非常に怪しい笑いがつい漏れてしまったが、そんなことは気にせず目の前で煮えたぎる(そうでもないが)鍋を、両手でお玉を持ってぐるぐるとかき混ぜる。気分は魔女だ。いーっひっひっひ!
目の前で静かにぽこん、ぽこんと泡が浮かぶどろりとした液体は、赤い。鮮やかな赤だ。まるでとろとろのトマトスープだが、そこから漂う香りは決してトマトの酸味だけを感じさせるものではなく、香ばしい。そしてスパイスの香り。
そう、カレーなのである!
「出来た!」
小皿にとって味見をし、よっしゃとガッツポーズする。色はなんだか想像していたものと随分違うが、味は紛う方なきカレーである!
真っ赤なせいで私の知る茶色いカレーより辛そうだが、味は甘口だ。もちろんご飯も入手済みである。私の地元では食べられることは少ないが、王都では結構簡単に米が手に入るのだ。ちなみに醤油もあった。醤油があるなら味噌もあるよね! どうやら、どこかの地方では和食に近い食事がとられているらしい。健康の為にもぜひ研究したい。お菓子もそうであるが、食というものはとにかく人を幸せにするのである!
「アイラ、こんな朝早くからどうしたの?」
「あ、フォルおはよう」
「ああ、あれ、出来たんだ。完成? やっぱりあの配分でよかった?」
「うん!」
おかげさまで、と笑みを浮かべる。最近はこのカレーにたどり着くまでにフォルにも随分協力してもらったのだ。あ、朝から香ばしい匂いをさせてすみません。
王子に相談しに行ってから少したったが、あれから皆で普通通り、つまり朝起きて食事をとるところから始まり、午前中勉学に励み、昼食も一緒に食べて午後の授業も揃って受け、一息つくのも夕食もその後のお楽しみゲームタイムまでべったりと皆フォルとくっついていたら少々元気になったようです。もしかしたらフォルはウサギかもしれません。いや、実際はウサギは寂しくても死なないそうだけど。
特に私はフォルに約束通りカレーの研究を手伝ってもらっていて、このカレーは言わば二人の力を合わせて作った最高傑作である。というより、フォルの新しい一面を見た。私より包丁捌きが上手かったのである。じゃがいもの皮をあっという間にするすると剥いたフォルを見て、この人に出来ないことはないんじゃないかと思った。ちなみに私はピーラー派です。この世界にないけどね!
「お昼ね、みんなにこれ食べてもらいたいから今日はランチボックスなしで!」
「これって……これ? いきなりで大丈夫かな。辛いほう?」
じっと鍋の中を見つめるフォルの表情が若干強張った気がする。いやいやフォル怖がることなかれ、これは甘口だから大丈夫よ!
一度非常に辛いカレーをフォルに味見させてしまって、彼が涙で潤んだ瞳で蹲って私を見上げてくるというレア体験をした。思わず鼻を押さえました。
「大丈夫食べれるから!」
「そこはせめて大丈夫おいしいからって言ってくれないかな……まあ手伝った時に聞いた材料なら確かに栄養たっぷりだろうね」
「うんうん。まあ一食でとれる栄養なんて高が知れてるけどね。野菜もたっぷりだし、このルゥ……スープはいろいろ健康にいい香辛料とか薬草も組み合わせ考えて入れてあるから、普通にスープ飲むより全然いいと思う」
「お昼、楽しみにしてるね」
にこっと笑みを浮かべるフォルを見て嬉しくなる。あれからフォルは闇のエルフィの話をしない。まだ時折悩むような表情を見せるが、やっぱりフォルは笑顔が似合うよ、と思いつい微笑み返すと、その向こう側の扉がばたんと音を立てて開いた。
「なんだこの匂いは! 敵襲か!?」
「寝ぼけてるんですかデューク様、どう考えてもおいしそうな匂いでしょう!」
むっとしてカレーを指差すと、王子はきょとんとした顔をしたあと鍋の中を覗きこんで、わかりやすく顔を顰めた。こら! カレーをなんだと思っているんだ!
とりあえずにっこり笑って、今日のお昼はこれを食べてくださいね、と言うと引きつった笑みを浮かべつつ頷いた王子に満足して、鍋の蓋を閉じる。
ところでカレーってどうしてあんなに作り出すと近所の人にまで「あ、カレーね」ってわかるくらい匂いが広がるんだろうか。おなかすいている時道を歩いていてあれに出くわすとトドメを刺されるよね。その場で本日の夕食決定になっちゃうよね。
いそいそと皆揃ったところでそんなカレーの匂いを背に朝食をとる。今日の朝食はフレンチトーストに果物にミルク。甘いものを味わっていると、昼のカレーへの期待も高まるというもの。
「なんだかおねえちゃん嬉しそうだね」
ルセナが首を傾げながら、それでもにこにこと私を見るので、一緒に微笑んで「それはもう!」と答えておく。
「長かったからな、完成まで」
「そうですね、お嬢様、お疲れ様でした」
ガイアスとレイシスはすぐに私が機嫌がいい理由に思い至ったらしい。二人にも仕入れを手伝ってもらったから当然ではあるが、製作期間は昔のベルマカロン立ち上げ当初を思い出し懐かしかった。
とにかく、なんといっても! やっと出来たのだ。長かった。どれだけあのカレーの為に毎日自らに腹痛を治す薬やらしびれた舌を治療する魔法やらを酷使したことか! 挫けてカレーもどきに何度水魔法をぶちまけようとしたかわからんぞ!
アルくんの協力だけではなくその辺にいた植物の精霊に魔力を弾んで香辛料の組み合わせを教えてもらいつつ作る日々は頭が破裂しそうな程悩みましたよ? シンの実で作った香辛料がじゃがいものでんぷんで硬くなるなんて知らなかった。歯が折れるかと思った。
カレールゥは偉大である。
「フォル、腹痛に効く薬は用意してあるか?」
「ああうん、大丈夫人数分あると……」
「おいこらそこー! そういうことは聞こえないようにいいなさい! あとフォルそこはフォローして!」
「あははっ、ごめんごめん」
「お前ら朝から騒がしいぞっ」
ばたんと扉を開けて入ってきた眠そうな先生に注意されて皆で苦笑して出かける準備をする。レミリアにカレーを任せ、後は午前の授業を終えるだけだと意気揚々と出かける。が。
「あら、アイラ・ベルティーニ様ではございませんこと?」
聞こえた声にがっくりと頭を下げた。ちなみにこういった呼び止めは大抵騎士科のガイアス達と別れた後、私とおねえさま、フォルと歩いている時が多い。今もそうであるが。
「ええっと……ああ、レディマリア様」
どうでもいいが、どうしてこうもあまり良くない呼び止めがある時は、私はフルネームで名前を呼ばれるのだろうか。注目されるし勘弁していただきたい。
振り向いた先には、綺麗な朱色のドレスに身を包んだレディマリア嬢がいた。この辺りは医療科の制服を着た生徒しかおらず、少し……いや、かなり目立っている。淑女科の校舎正反対だけど、わざわざ私を呼び止めるためだけにこっちに来たのだろうか……。そういえば少し前にベルマカロン王都店で会って以来だが、相変わらず美人だが尖ったイメージだ。
背が高いのもあると思うが、常に見下ろすように人を見ているからだろうか……いや、社交界ではこの雰囲気が強い武器になるのだろうなぁとその綺麗な顔を見上げていると、相手は少し怯んだようだ。
「な、なんですの!」
「え? いえ、何でも」
呼び止めたのはそちらだろうと首を傾げると、ふん、と胸を張ったレディマリア嬢は声高らかに宣言する。
「わたくしの家で、今度王都にお店を出すことになりましたの。お菓子のお店ですわ。せっかくですから御挨拶にと思いまして」
「まあ、素敵ですね」
なるほど、ライバル宣言らしい。
そうかそうかと微笑んでいると、レディマリア嬢は口元をひくつかせ、慌てて手にしていた扇子で口元を隠した。どうやら思っていた想像と私の反応が違ったようだ。
「やるからには上を目指さねばと思っておりますの。どうぞ楽しみにしていてくださいませ」
「そうですね、楽しみにしております」
うふふおほほと会話を交わし、自分の言葉でおきた寒気を背に感じつつ、なんだか不機嫌になって背を向けて立ち去ったレディマリア嬢を見送る。
「……なんですの、あれ」
おねえさまが呆れたような表情をしてレディマリア嬢を見ているので、苦笑して首を振る。
今現在お菓子の新作はほぼベルマカロン製ばかりだ。市場を独占しているというのは売り上げ的に良かったとしても、張り合いがない。刺激を受けて新作が思い浮かぶということもあるだろう。とっくに情報は掴んでいるとは思うが、一応カーネリアンとサシャには知らせておいたほうがいいだろうか。
「むしろ今までベルマカロンに正々堂々挑んでくるところがなかったほうがおかしいんですよ。職人達もライバルがいればやる気も上がるでしょう」
「よいんですの?」
「負けるつもりはありませんから」
「まあ」
くすくすと笑いあって、すぐそばでそのやり取りを黙って見ていたフォルを見る。
「カレーだってきっと皆においしいって言ってもらえるわ、だってフォルと私で頑張ったんだし!」
「……ありがとうアイラ。楽しみだね」
「まあ、仲がよろしいこと。私も混ぜてもらえばよかったわ」
おねえさまが残念そうな声を漏らすので、次はぜひ! と声をかけて医療科の校舎へと入っていく。
そこにいたアニー様にも、話していた料理が出来たと話題を振って盛り上がりながら教室へ向かう。もうすぐ春のテストですね、という話題には若干顔をひきつらせつつ、私は窓の外を見た。
そう、もうすぐこの外にまだちらついている雪は姿を消すだろう。また植物の精霊達が喜ぶ、植物が芽吹く季節がやってくる。
事件は解決の兆しを見せないまま、ただあの王家に関する噂だけは沈静化を見せ、商人達の取引の問題も緩和されつつあるらしい。王子が忙しそうにしていることから、恐らくかなり城では忙しい思いをしているのだろう。
嵐の前の静けさ、という言葉があるが、このまま穏やかに春を迎えればいい。
皆が笑顔で、また楽しく授業を終えたら依頼をこなして、一歩一歩目標に向かって歩んで行けたら。
「アイラ!」
「あ、うん!」
いつの間にか窓の前で足を止めていた私を、フォルが呼ぶ。差し出されるその手にすぐ手を重ねて、私は皆の下へ駆け寄った。




