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「殿下」

 少しして現れた騎士達をぎょっとして見たのは少数で、フォルや王子ははぁと息を吐いてそれを出迎えた。まるで来るのがわかっていたかのようだ。

 王子に一人の騎士が近寄って、小さな声で何かを伝えると王子が立ち上がる。

「アイラ」

 立ち上がった王子は私の名前を呼びながら近寄ると、そっと耳元に口を寄せてくる。

「エルフィの事をフリップに説明するのは任せる。俺についても好きに言え」

「えっ」

 それだけ囁くと王子は立ち上がり、城に行く、と告げて歩き出す。

「デューク!」

 おねえさまが慌てて立ち上がって後を追うと、それを見た王子は珍しく柔らかい笑みを浮かべて、おねえさまの頬に一度触れた。

「王に呼ばれただけだ。心配するな」

 そう微笑むと二人はきゅっと手を握り合い、そして離れる。いつもなら慌てていそうなフリップさんはぎょっとした表情をしただけで黙り込み、王子が部屋を出て行くのを静かに見守った。

 呆然としたおねえさまが扉を見つめる中、皆が静かにどうしようかといった雰囲気で黙り込む。


 神が現在の王家への不満を表している。

 そう言われた夜中の不可思議な襲撃事件は、確かに何も知らない人が聞けばそう思ってしまうかもしれないと思う。

 群れるはずがないグーラーが群れて王都内部に現れ、年越しの鐘を鳴らす神殿を襲った。しかも闇魔法を使っていたという。

 光と相反するものとされる闇魔法。普通に考えて、神が怒ったらなんで獣が闇魔法を使うようになるのか私は納得がいかないが、そう解釈した人がいるらしい。というか、誰が闇魔法だって判断したのか疑問も多いのだが。

 だが、しばらくすると言いづらそうにしながらも、フリップさんが「実は」とゆっくりと語りだす。

「さっきの話だけれど、裏付ける内容としてこんな話がある。夏の大会で……王子が光魔法を失敗していたと。もう光魔法を王家が使えないから、闇魔法を使う獣が現れたのではないかって」

「えっ」

 激しく反応したのはおねえさまだった。

「光魔法の失敗って!」

「あれだろうな、誰かに邪魔された、ハルバート先輩との試合」

 ガイアスの言葉で、しんと部屋が静まりかえる。そして、その沈黙を破ったのはまたしてもフリップさんだった。

「ちょっと待て。邪魔されたってなんだ? 試合をか?」

 ぎょっとした表情のフリップさんを見て、ガイアスがまた口を押さえて「あっ」と声を漏らし、レイシスが呆れたような視線を向ける。

 フリップさんは知らなかったのだ。あの時、大会の会場の防御石に細工されていて、王子の魔法を邪魔されていたという事を。あれから、公表もされていないのだから。

「待て。昨日からなんなんだ? お前達何を知っている? ラチナ。兄はそんな事何も聞かされていないぞ!」

「わーっ、落ち着いてフリップ先輩!」

 がやがやと急に騒がしくなった室内で、とりあえず落ち着こうと立ち上がりお茶を淹れる為に簡易の台所へと向かうと、手伝いますわとおねえさまが追いかけてきた。

 ふと、気になっているかなと思いおねえさまにこっそりと声をかける。

「さっき王子、私にエルフィの説明を任せるって言いにきてました。それだけです」

 それを告げると、おねえさまが大きく目を見開いてすぐ、顔を赤く染めた。ほんの少し口を尖らせるおねえさまは、ひどく可愛らしい。

「信じてますわ……わかってます」

 そういいながら手にした茶缶を開けたおねえさまは、やはりいつもと何か違ったのだろう。力加減を誤ったそれからばらばらと茶葉が飛び散るのを見て、私は苦笑して片付けたのだった。



「つまり……ああ、もう」

 これから話す事は好奇心だけでは聞けない、とおねえさまが言っても、聞くと即断したフリップさんに皆で知っている事を話し終えた頃には、お茶は二杯目も飲みきっていた。

 なるべく丁寧に説明したつもりだがフリップさんを混乱させるのは十分な内容だったせいか、彼はしばらく唸りつつ気になる点を追加で尋ねながらため息をついていた。

 私がエルフィである事も説明したが、王子が光のエルフィである部分は省いた。王子はいいと言っていたが、自分で言う機会があればそのほうがいいだろうと思ったのだ。

 フリップさんはエルフィについては、猫のアルくんが精霊なのか、と確認しただけで深くは尋ねてこなかったので、なんとなくほっとする。エルフィについて深く質問されても、答えられないだろうから。


「……なあ皆」

 悩むフリップさんを見つつガイアスが言いにくそうに口を開く。

「今回の噂って、少し無理矢理な感じしないか……?」

「……確かに」

 レイシスの同意を得ると、ガイアスは「だよなだよな!」と少し声を大きくする。

 すぐにルセナもこくりと頷いて、その様子を見ながら私とおねえさまは手を取り合っていた。いい予感がしない。

 グーラーは今までも群れて暴れるという行動をとっていた。それは有名ではないが、商人などの間では旅の間気をつけるようにといわれていたので突飛な話ではなかった筈。それがいきなり王家への神の不信感につながるというのが、よくわからない。事件が起きてから数時間でそんな噂が広まったのだから、なんだか予め用意されていたような話だ、と思うのも仕方ないだろう。

「可能性があるとすれば、グーラーに神殿を襲わせたルブラとやらがわざと噂を流したとか……?」

 フリップ先輩がそういうと、ガイアスがなるほど! と身体を起こし、しかしすぐにあれっ、と首を捻った。

「ルブラは王家至上の集団ですよフリップ先輩。それが王家を悪く言うのも変な気がしませんか?」

「そもそも今回のグーラーはいつもと違ったようですが、これまでと同じなんでしょうか」

 私とおねえさま、フォルだけが何も言わず話し合い始めるガイアス達を見る。

 おねえさまはただ不安そうに、いつも王子が座っている今は人がいない席をたまに見ては俯いている。フォルはなんだか難しそうな顔をしていた。

「今までと同じ……だと思うんだけどなあ。なあアイラ、今回のグーラー、魔力が首元にあるって言ってただろ?」

 ガイアスに話を振られて、少し驚きつつも「うん」と頷く。

 確かにグーラーの首元に魔力が蠢くように溜まっているのを見た。暗闇のせいでそれが闇の魔力であった自信はないが、それは間違いない。首元以外は普通のグーラーだったのだ。

「それがさ、今までと同じだろ? 群れてたグーラーの話じゃなくて、そいつらと一緒にいた人間のほうと」

「へっ?」

「あっ」

 私が間抜けな声を出すのと同時に、ルセナが大きく納得の声を上げて、本当だ! と立ち上がる。今まで捕まった女性達も首元に魔力が蠢いていたのだと。

「今までの操られていた女性達と、昨日のグーラーが同じだった。ということは、昨日のグーラーは今まで人間にかけられていた操る魔法をかけられていたということじゃ?」

「だけど獣を操るって……それこそ獣人以外ありえるのかな」

 次々と意見が交わされる中、ふと考える。なんだかもやもやとして気持ち悪い。何かを知っているはずなのに、それが出てこないようなもどかしさ。

 あの村で捕まえたルブラの男は、闇魔法に操られていた女性を「失敗作」と言っていた。

 昨日のグーラーはどうなのだろう。そもそも何の失敗作と言っていたか……あ。


 ――闇のエルフィ。


 いまだにどういった存在なのかわからない闇のエルフィ。やつらは、作るといっていたか。……いやまてよ、あのルブラの男、私を勧誘してきたな。

 エルフィに闇の力を与えてみたらどうだろう、と確か言っていて、そのあとは……。

『君は闇の力に興味がありませんか? 私のところにくれば、すぐに彼らにか』

 途中で途切れるあの男の台詞を思い出してはっとした。そういえば、フォルがあの時あいつを氷漬けにして……。


 フォルもしかして、あの男が言おうとしたことがわかった?


 そう思ってしまいついちらりとそちらに視線を向けて見れば、フォルはまだ何も言う事なくガイアス達を眺めていた。

 私の中で、確信に近い感情が沸き起こる。フォルが何か知ってる。でも言わないのは……なぜ?


「とりあえず、噂なんてデュークが光魔法使って見せれば解決だろ? 大丈夫だって」

 明るくガイアスが言うと、皆がそれに縋るようにそうだよなと頷き始める。だが誰の顔も晴れやかではなくて、結局謎ばかり増えて何も解決しないこの現状に不安を抱いているのがわかる。

 ただ一人、フォルだけが別な表情に思えてならない私は、これ以上踏み込んではいけないと頭のどこかでわかっていた筈なのに。


「……ちょっと用事があるから部屋に戻ってるね」

 そう言って立ち上がったフォルに続いて、つい、私も部屋に本を取りに戻ると立ち上がってしまった。


 階段を無言で歩くフォルの後ろを、なんだか焦る気持ちを落ち着かせながら追う。他に誰も部屋に戻るといわなくて良かった。闇魔法関連はフォルは絶対に他の人の前で口を開かない気がしたから。


 だけどこの時どうして、私もこれ以上踏み込まないほうがいいのでは、と思わなかったのか。フォルの雰囲気がおかしいのなんて、ちょっと顔を見れば気づけただろうに。


 階段を上りきった時、フォルがくるりと後ろにいる私を向いた。その口元に笑みが浮かんでいる事にほっとして、口を開きかけた時。

「何に、気づいたの?」

「え?」

「何か言いたそうに僕を見てたでしょう? だから」

 ここに来たんだけど、とフォルが私に一歩近づいた。

 無意識に一歩下がった私はだがそれに気づく事なく、首を傾げてフォルを見上げる。

「えっと……その」

 何を聞きたかったんだっけ? と、なぜか急に緊張に包まれた身体を落ち着かせる事に必死で、言葉が出ずにフォルを見ているうちに、どんどん距離が縮まって。

 背がどんと壁にぶつかって漸く私が後ろに下がっていた事を自覚した時には、その私の背にある壁を押さえるようにフォルの腕が伸びてきていた。

「え? ふぉ、フォル?」

「闇のエルフィのことでしょう? わかるよ」

 伸ばされた腕の間に入り込んだ私を見下ろしながら、フォルの銀の瞳が揺れていた。迷いがあるような、決断しきってないような揺らぐ感情が伝わって、ここで漸く私は出しゃばりすぎたことに気づいた。

「ごめんフォル、私」

「もっと早くに聞いてくるかな、と思ってたんだ。だから別にいいんだけど、けど」

 そういってフォルは一度言葉を切ると、視線を私から外した。

 ただフォルを見上げて、どうすればいいのかと思わず乾いた唇を舐めた時。フォルの視線が再び私を捉え、フォルがつられたように自らの唇を少しだけ舐めた。

「なってみる? 闇のエルフィに」

「なる? 私が、なれるものなの?」

「さあ、大抵は、あの女たちと同じようになるよ。グーラーだってやられたことは一緒だ。もちろん、獣なんだからそっちは成功するはずなかったんだけど」

「……何を言っているの、フォル。わから……」

「アイラは」

 私の言葉を遮って、フォルが私の名を呼ぶと少し顔を近づけた。綺麗な顔が目の前にあって、思わずその瞳の中の紫苑色を見つめる。

「愛って信じる?」

「へ? あ、愛?」

「そう、命をかけれるほどに」

 いのち……?

「フォル、私は」

 何を言おうとしたのか。

 中途半端に零れた言葉に続きなんか出なくて、はくはくと息だけが漏れる。愛、と言われても、私には、わからない。

「闇のエルフィはね、闇の力を使える者が分け与えた相手に極稀に現れる能力っていわれているんだ。闇の精霊と話すことで、闇使いはその相手に会えれば救われると言われている。でも能力を与えるのに失敗すれば、相手は『あんなふうに』なるんだよ。自我を失い、中途半端に闇の力だけ得た化け物だ」

「え? ちょっと待ってフォル、それってどういうこと」

「もちろん、神が王家に不満を表してるなんて話じゃない。あれは人為的に作られたものだ。広まった噂を消す為に説明なんてできないけれど。一度広まってしまったよくない王家に関わる噂は、どれだけいい治世をしていても必ず傷となって残る。重箱の隅をつつくようにどうしようもないあれもこれも王への不満となる。狙いはそれだ」

「待ってフォル」

 わからない。いきなり与えられる情報が大きすぎて処理しきれない私の前で、フォルはぐにゃりと見たことがない崩れた笑みを浮かべた。悲しそうな、つらそうな。

「それは誰かが意図的に、今の王や王子を陥れようとしているの?」

「そうだろうね」

 あっさりと頷かれて息を呑む。

「アイラは変えたいんでしょう? 今の治世を」

「え」

「今の治世は決していいものではないから。王は頑張っているけど、先代までの治世の結果は知っているでしょう? 僕だって良くないとは思ってるよ。なら、これはいいことなのかも」

 その言い方ではまるで、私達と同じ目的を持った誰かがあの事件を起こしているように聞こえるのだけど、と理解した時、なぜか背筋に冷たいものが走る。

 夏の大会で王子の光魔法を失敗させ、何度も闇のエルフィを作り出す実験をしてグーラーを操り、年越しの神殿を襲い、民の不信感を煽らせて……用意周到に、こんなことしてるのが。

「正義の為に動いているのがルブラだっていうの?」

 フォルは答えない。ただ、瞳が揺らいでいた。フォルも確信を持っているわけではないのかもしれない、とふと考えて、そしてフォルはこんな重い話を一人抱えていたのかと唇を噛む。

 いいことなのかも、と言ったフォルの表情は決してそう思っているものではなかった。少なくとも、王子は今の政が駄目なのだと、変えるのだと努力している。だが、見えない敵の行動はそんな王子を排除するものだ。まるで、病気になった苗を治療せず根こそぎ引っこ抜いて新しく植えるような、そんな行動だ。

 だけどそれが間違っているのかと言われると……私は王子と仲がいいから、違うと思うのかもしれない。何も知らなければもしかしたら、と考えてはみたが、やはりあんな人を実験に使うような、怪我人が出るのかもしれないのに神殿を襲わせるような行動だけは間違っていると確信を持って顔を上げたとき、頬にさらさらとしたフォルの髪が触れた。

「それで、アイラはなってみる? 闇のエルフィに」

「え……?」

 首筋に何かが触れた。それ以前に、近すぎるフォルの距離にぎょっとして息を思わず止める。フォルが言葉を話すたびに首に吐息が触れて、あれ、前もこんなことあったっけと変な事を考え始める。

「ガイアスとレイシスも、駄目だね。これじゃ護衛失格だ」

「フォル」

「いるわけがないんだ。……アイラ、冗談だよ、僕はそんなことしたくない。ごめんね」

 前半声が小さくて何を言っているのかわからなくて、聞き返そうとしたら謝れ、ふわっと銀の髪が揺れて離れていく。その時触れていた首がひやりと冷えて、ぱっと押さえた。一瞬濡れた感覚があったが、手のひらで押さえたときにはもうそこはさらさらとしたいつもの自身の肌しかなくて……はっとした。

 今私、首にキスされていなかったか?


 気づいた時には、フォルはとっくに自分の部屋の扉を開けて入り込むところで。慌てて後を追おうとしたけど、それはすぐに閉じてしまう。

 なんだ、何が起きたんだろう。キス? いや、私の肩にもたれただけかもしれないし、そもそもフォルはローザリア様がいるのにそんなことするわけ……あれ!?


 混乱した私は下から誰か上がってくる気配に慌てて自室に飛び込んで、寝ていたらしいアルくんを驚かせつつベッドに飛び込んだ。

 なんだか重要な事を言われたはずなのにまったく纏まらない。


 うだうだと考えていた私だが、次第に焦るようになる。

 グリモワの改良やカレー製作に時間を費やしてみたが、待てど暮らせど王子が帰ってくる事がなくて。


 日に日に顔色を悪くするおねえさまを見ながら慰めにならない慰めの言葉を紡ぎ、しかし結局王子は冬休みを終えるまで、屋敷に戻ってこなかったのである。


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