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「水の蛇!」
「水の玉!」
私とおねえさまの魔法が同時に放たれ、目の前に迫る獣達を襲う。
なぜか魔法を使う獣なのか、魔物なのかわからない。ただ、精霊はあの獣達を『獣』だと言った。魔物であれば魔物だとその異常性を伝えてくれた筈なのだ。
キャウン! と鳴き声が聞こえて、私の水の玉が獣に直撃したことを確認しつつその叩き落されていく姿をじっと見る。グーラーとワーグーラーの見た目の違いは殆どない。魔力が使えるか使えないか以外は、グーラーが少しばかり機敏であるということくらいか。しかし、今目の前にしてもその違いはわからない。
生物学者であれば細かな違いがわかるのだろうか、と考えた私は、はっとして自身の魔力を意識的に目と手のひらに集める。
治療と同じだ。相手の身体に流れる魔力を確認すればいい。その考えは当たりで、倒れたグーラーに手を向けた私はその異常さをすぐに見つける事ができた。
「こいつら、魔力が体内に流れてない! 全部首辺りに溜まってる!」
「え!?」
驚きの声を上げたのは、フォルだった。彼が声を荒げるのが珍しくてそちらを見つつ、魔力探知してみるといと叫ぶ。
しかし、そんな暇もなかっただろう、すぐにルセナの悲鳴があがる。
「やばいよ、すり抜けていく!」
足止めしようとして壁を作り出していたルセナだったが、どうやら相手の動きが早すぎることと、相手が物理的にも魔法でも攻撃をしてくるために、数多いグーラー全てを止める事ができないらしい。
彼らが向かう先には大勢の人たちがいる。まずいとチェイサーをいくつも飛ばすが、数が多すぎる。こんな暗闇で、そして街中でなければ大魔法で一発であろうに、万が一人を巻き込む可能性があると考えるとそれもできない。木をなぎ倒しても二次被害があるだろうし、ちまちまと倒すしかないのだ。
レイシスの矢がルセナの壁を抜けた敵を仕留め、ガイアスと王子、フリップさんがそれ以上後ろに行かせるかと前方で剣を振るい、フォルが氷を使って敵の足止めをして、私とおねえさまが水魔法で敵を倒し、アルくんとルセナが皆の防御をしつつなんとか止めようと壁を作る。
だけど。
「きゃーーーっ!?」
離れたところから聞こえる悲鳴に皆の顔色がさっと変わる。方向的に神殿の方角だ。グーラーを、逃してしまったのか!
「止めろおおおっ!」
王子が吼える。次第にわぁわぁと祭りの行われていた方向が騒がしくなり、騎士たちはまだなのかと焦りが生まれる。
その時、人々の悲鳴に驚いたのか。ルセナが、うわっと妙な声を上げて頭を庇うような体勢をとる。その前方に跳びかかろうとしているグーラーを見つけて、慌てて生み出していたチェイサーをそちらにぶつける。
しかし、ほっとしたのも束の間肩と頭に圧し掛かられるような衝撃を感じた瞬間私の視界に口を大きく開けたグーラーの頭が飛び込んできて、思わずひっとおかしな声が漏れた。
頭と肩にグーラーの前足が乗り押されたせいでバランスを崩し、すぐにどっと音を立てて仰向けに倒れた私の上から迫る大きな口はしかし、横から射られた矢と氷の礫に吹き飛ばされ横に転がった。
「お嬢様!」
「アイラ!」
同時にこちらに声をかけてきた二人が助けてくれたのだとわかって、ありがとうと叫びながらすぐに立ち上がり体勢を戻す。二人の顔を見る余裕なんてなかった。油断したら、やられてしまう。
神殿の方角が先ほどとは別の騒がしさに包まれているのはわかるが、その中に騎士たちが到着しているのかどうかがまったくわからなかった。
「おねえさま! チェイサーに切り替えましょう!」
蛇の魔法では追いつかないと追跡型のチェイサーのみに切り替え確実に一体ずつ仕留めるが、既にどれだけ人々がいる方向にグーラーを逃したのか。
グーラーは、私たちがここで八人もこうして戦っているのに、見向きもせずにまっすぐ神殿の方角へと向かっていた。この状況はいくらなんでもおかしいだろう。
もし、以前のルセナの話の通りに、獣人に獣に「お願い」できる能力があるとすれば。
誰かが、神殿を襲え、とでも指示しているのか……?
その考えにぞっとして首を振り、再びチェイサーを生み出す。
どれだけその状態が続いたのか。たぶん長くはない時間だが、気づけばガイアスと王子が人混みへと戻りだしていた。グーラーの侵攻が止まったのだろう。あとは取り逃がしたグーラーを退治しなければ……と駆け出した私達の前に、ざっと音を立てて誰かが飛び込んできた。
「ファレンジ先輩、ハルバート先輩!」
叫んだのは先頭にいたガイアスだ。私達の前を塞ぐように立っていたのは、特殊科二年の先輩二人だった。
「悪い、俺らがジェントリー公爵からグーラーを見つけ出す任務を受けてたんだが。とりあえず、お前らここを離れるぞ!」
「もう騎士たちは到着している。君達はここから離れるんだ」
先輩二人に同時に言われて私達は思わず足を止めたが、王子だけが「だが!」と叫んで駆け出そうとする。
「デューク落ち着いてくれっ! もう大丈夫なんだ、今はこんなところに学園の貴族の生徒がいるとわかる前に離れるぞ!」
「それが最優先です、君達も行きますよ」
「人はいないのか!? 怪しい人間は!?」
混乱した中の質問に慌てることもなく二人の先輩は私達を止め、フリップさんに「つれて帰るぞ」と指示を出し私達は先輩達に背を押される。
「グーラーの側にいるかもしれない怪しい人間は見つけ次第確保と依頼されているが、見てはいない。どういうことなんだ? まるで獣使いでも捕まえろと言っているような内容だったぞ。群れているだけでもおかしいが、あのグーラー魔法を使ってなかったか」
「そうだ。おかしいんだ。だから」
「だから、殿下が出る必要はないんですよ。騎士達が動いています」
ハルバート先輩にさっくりと否定されて、王子が珍しく黙る。
ここに王子がいる、と市民に伝わるほうが騒ぎになると考えているのだろう。そして、それは危険だ。王子も、フォルも、私も。グーラーが群れて現れた時点で、ルブラが関わっている可能性が高いのだから。王子以外は特殊な血であるとばれていないかもしれないが、騒がれて目立つわけにはいかないだろう。
「ジェントリー公爵からすみやかに特殊科一年全員を屋敷に戻すようにと連絡がきた。……不満はわかるが、戻るぞ?」
ファレンジ先輩に顔を覗き込まれて、王子はぐっと言葉につまり……そしてため息を吐いた。
「あやしい人間はいなかったな」
いつもの部屋に戻されて椅子に腰掛けた私達を見回しながらガイアスが言うと、重苦しい空気が部屋に満ちた。
「ハルバート、民は無事だったのか?」
王子の問いかけに、一瞬だけハルバート先輩の綺麗な眉が少し中央へと寄った。
「……最後までいたわけではありませんが。一人、女性が怪我をしたと情報は入ってます」
「そう、か」
非常に重いため息が王子の口から漏れる。
「あそこがもっと広い土地ならもっと大きな魔法を使えましたのに」
「わかっているからこそあの道を通ってグーラー達は現れたんじゃないだろうか」
おねえさまとフリップさんもぐったりと椅子に座り込んでそう漏らす。
フリップさんの言う話は非常にありえることだ。あれほどの数のグーラーが、ファレンジ先輩やハルバート先輩のように警戒していた人達に気づかれず王都内を走り回っていたのだ。いくら人通りの少ないところを走っていたとはいえおかしいし、そもそも人を襲う獣たちが目的の地まで人通りの少ない道を選んできたというのがおかしい。
レミリア達侍女が大急ぎで用意してくれた、ポットの葉を浮かべた暖かいお酒がテーブルに並ぶ。その立ち上がる湯気を見て漸く冷え切っていた身体が温かくなった気がしてマフラーと帽子を外した時、そばにいたレイシスが悲鳴に近い叫び声をあげた。
「お嬢様! 頬に傷を!」
「あ、忘れてた」
冷え切っていて肌がぴりぴりしていたので、怪我をしていたのをすっかり忘れていた。自分でさっと応急処置だけして、後で皆に気づかれる前に治そうとしていたのがまずかった。
顔に傷が残ってしまったら。もし切ったのが毒の塗りつけられているものだったらどうするのだと駆け寄ったガイアスとレイシスに言われ、慌てて治すから! と手を振った時、くっと袖を引かれる。
「見せて。見ながらやったほうが速い」
フォルの銀の瞳が今度は覗き込んできて、突然でびっくりして動きを止める。
じっと傷口を見ていたフォルがすぐに治癒をかけて、大丈夫だよ、と言いながら頬をするりと撫でた。
「傷を残さず治せたけど……もっと早く言えたよね」
「うっ、ごめんなさい」
いや、え、私悪いのかな。いや、悪いのか。放っておいたのは私だし、ガイアスとレイシスのあの青ざめた顔は見たくはない。護衛を困らせたのは間違いなく私だと反省しつつ、治してもらった頬に触れる。そこはまだひやりと冷たい。……怒っているらしいフォルの視線も少々冷たいが。
口をつけたポットの葉を浮かべたお酒は、本当にアルコールなんて感じなくて、それでも身体が温まりほっとした。
年越しの鐘なんてもう聞こえなくて、とっくに日付が変わった今、フリップさんへの説明も明日に回して私達は休むようにと事情を聞いて現れた先生に言われて、部屋に戻る事になる。
ファレンジ先輩とハルバート先輩は先生が現れた時点で、依頼主のジェントリー公爵のところに戻らなければと帰ってしまった。
先生に気になるだろうが絶対に部屋を出るなよ、といわれた私達はすぐ部屋に戻ったが、きっと皆落ち着いてはいられなかっただろう。
また疑問ばかり増えて、謎が一つも解決しないのだろうか。
そんな事を考えつつ殆ど眠れていないような状態で迎えた朝。
朝食の席に飛び込んできたフリップさんが、険しい表情で思わぬ事件の弊害を口にした。
「昨日のグーラーの襲撃事件、鐘が鳴りきる前に神殿が襲われた事で、神が現在の王家への不満を表しているのではと噂になっている」
グーラーが使った魔法は、闇魔法だったんだ。そう続けるフリップさんを、なぜそんなことに、と見つめたのは私だけではない。
「そんな無茶苦茶な」
「誰がそんなこと」
呆然とした私達の口からそんな言葉が漏れるが、王子が表情を固まらせたままだが、と呟いた。
「噂になってしまったのならそれは……事実とされてしまうだろう」




