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「フォルセ様!」

 私達の中で一番後ろにいたフォルをすぐに見つけたらしいローザリア様が頬を染めて名を呼ぶと、彼女の視線を遮りそうな位置にいた使用人がざっと離れ頭を下げた。

 フォルは名前を呼ばれて、ガイアスの後ろからひょっこりと顔を出した。位置的にローザリア様からぎりぎり見えなかったんじゃないか……? 恋する乙女のセンサーでもあるのかもしれない。

 なんとなく間に挟まっていてはいけない気がして一歩引くと、ガイアスが私の手をとってその場から離してくれた。ガイアスも一緒に動いたので、フォルとローザリア様の間に人がいなくなりまっすぐに見つめあう二人。


 ん……?


 微かに違和感を感じた時、ひゅんと前をローザリア様が横切ってふわりと香る爽やかな香りになぜか頭がくらくらする。ガイアスがすぐに壁際に寄せてくれたのだが、すぐにまた入口が騒がしくなり視線を向けた先で、今度は赤い色を見た。

「あーら、アイラ様」

「……レディマリア様、御機嫌よう」

 高い位置にあるワインレッドの瞳がその感情を隠す事無く私を見下ろしてきて、思わず何を言われるのかと身構える。が、すぐに彼女は口元を手にしていた扇子で隠し、きょろきょろと周囲を見回す。

「……あら。殿下はいらっしゃいませんのね」

 ほっとしたような、残念そうな、微妙な表情でそう言うと、彼女はじっと扇子で顔半分を隠したまま私を見下ろしてきた。

 その瞳だけでどう思ってるかなんてすぐにわかる事だが、彼女はやはり私を嫌っているらしい。滅多に話す事なんてないし、話した記憶というものを探せば、入学して私達が特殊科に選ばれた次の日に寮の部屋の前で話しかけられた時か。

 あの時もそういえば睨まれたなと思い返しつつ、その視線を受け止める。きっと扇子で隠された口元には嘲るような笑みが浮かんでいるのだろうなと容易にわかるその瞳は私から逸らされる事はない。


「こちらでお会いできるなんて嬉しいですわ! 夜のお食事会には来てくださいませんの?」

 後ろの方で嬉々としたローザリア様の可愛らしい声が聞こえる。このままレディマリアと見詰め合っていても意味はないので視線を外し後ろを見ると、困ったような笑みを浮かべたフォルがすみませんと静かに告げていた。

「今日の夜は、任務がありますので」

「お忙しいのですね……ここには今日のお食事会のデザートを選びに参りましたの。ああフォルセ様、おすすめはございますか?」

「……こちらのお店のお菓子は全て見た目も味も楽しめるものだと思いますので、どれを選んでも大丈夫だと思いますよ。ですから僕も友人の為に買い込んでしまいました」

 微笑みながら目の前の少女に買った袋を見せたフォルは、すぐにそれを持ち直すと「では」と立ち去ろうとした。

「あっ、フォルセ様っ」

 悲しそうな、それでも控えめな声でローザリア様が呼ぶと、フォルは一度躊躇うように足を動かし、止まって振り返る。

「はい」

「あ……お仕事、頑張ってくださいね」

 今にも泣き出しそうな、それでも笑みを浮かべローザリア様が言う。……んん? もしかして会ったのが久しぶりだったとかだろうか、そんな泣き出しそうな表情で見送られたら向かう先が戦地じゃなくても非常に後ろ髪をひかれそうだ。

 案の定フォルも困ったような表情をして……いたが、すぐにくるっと背を向けて歩き出してしまった。

 えええっ、ここは駆け寄って手を握るシーンじゃないの!? 夏ごろ読んだ小説はそんな感じだったのに……まあ人によるか。

 なんだか少し残念なような、不思議な気持ちで見守りつつ後を追おうとしたとき、ぐいと手を引かれる。

「あの女はどこですの?」

「へ?」

 私の手を引いたのは赤い髪を揺らし、燃える火のような恐怖させる瞳でこちらを睨みつけるレディマリアだ。

 私にだけ聞こえるように言われた小さな言葉を脳内で復唱した私は、「あの女」がおねえさまをさしているのではないかと思い至り、思わず眉を寄せた。ここには特殊科が五人もいるのに、王子とラチナおねえさまだけいないのだ。その可能性は高いだろう。

 どう答えるべきか悩んだ私は、そのまま口をつぐんでその炎のような瞳を見つめた。相手も私から目を逸らさない。

 きゅっと手を掴まれているが、女性の細腕の力だ。特に耐えられない事はないが、握るにしては強い。そもそも「あの女」なんて呼び方をする相手におねえさまの居所を言うわけがないが、どう考えても向けられているのは悪意だ。

 ガイアスとレイシスが、いつでも動けるように私のそばから離れない。私が手を掴まれた時点で二人ともすぐに反応したが、私が僅かに空いた手を動かして二人にそのままでいいと合図を送ったからだ。

 やっていることはよくなくても、彼女は淑女科の生徒なのだ。荒っぽいことをしては必要以上に恐怖を与えるだろうし、ここには彼女の使用人もいる。もめることになるのは明らかだ。


「レディマリア、皆様が困っておいでだわ」

 

 空気を変えたのはローザリア様だった。首を傾げてふわふわの髪を揺らし声をかけると、私の手を強めに握っていた細い指が離れていく。

「ですが、この女……アイラ様が、質問に答えてくださらないもので」

「それは失礼致しました。ですが、あの女というのがどなたの事かわかりませんでしたので」

 すっぱりと少しだけ大きめの声で告げた私に、「なっ」と小さな悲鳴がすぐ前から上がる。

「わ、わたくしはっそのような物言いは」

「本日はお食事会でのお菓子を選びに来てくださったのですよね、ご来店ありがとうございますローザリア様」

 ここで、まだ挨拶ができてなかったローザリア様に向き直れば、ローザリア様は微笑んでいたが後ろから「は?」という疑問の声が届く。

「あなた何言ってますの?」

 どうやらレディマリア嬢、このお店をお菓子屋だとは認識しているようだが、ベルティーニ関連のお店だとは気づいていなかったらしい。

「こちらのお菓子はとてもおいしいですもの。さすがはベルティーニのお店ですわ」

 そこまでローザリア様が言葉にしたところで、漸くレディマリア嬢ははっとしてこの店が私の実家のものであると気づいたらしく、すぐにふん、と視線を横に流した。

 ローザリア様が知っていたのに自分が知らなかった事を誤魔化したいようだが、次に彼女の口から出たのはやはり攻撃的な言葉で。

「まあ、うちの料理人の方がおいしいお菓子を作れるかもしれませんけれど。たまには家へのお土産に大したことない既製品もいいかと思って寄っただけですわ」

 どうやら少なからず動揺しているらしい彼女の言葉はキレがなく、だがしかし失礼である事には変わりない。けれど、例え社交辞令であったとしても褒めてくれたローザリア様の前で言うのはどうなのだろう。そこまで配慮することは今の混乱した状態では難しいらしい。

「まあ。レディマリア様もご来店いただけて嬉しいですわ。幸いな事に、ここのお菓子は王子殿下にも気に入っていただけておりますの。今日もお土産に皆でいくつか買ったんですよ。……どうぞごゆっくり」

 にっこりと笑みを浮かべながら言い切って相手の顔を見ると、少し言い過ぎたかと若干の後悔が訪れた。

 一番納得がいかなかった「大したことがない既製品」という言葉を繰り返していってやろうかと思ったが、あまりに嫌味っぽい上に嘘だとしても彼女に謙遜した言葉を吐く気にはなれなかった。

 このお菓子は、そこではらはらとこちらを見守っているこの店舗の菓子職人が必死になって作り上げた、大切なものだ。

 それにしても効果はあったようで、彼女はやはり王子が好きなのだろう。意地悪にも私が付け加えた言葉で、王子が好きな食べ物を貶したことに気づき顔を青ざめさせている。

 うーんと一瞬悩み、私はそのまま方向転換してローザリア様に頭を下げると、にこにこと微笑んで扉のところで手招きしているフォルとルセナの元へとガイアスとレイシスの二人と共に駆け寄る。


 さあ行こうか、と思って扉に手をかけカランとドアベルが音を立てたところで、奇妙な奇声が聞こえた。


「なんと美しい! まるで天使のようだ!」

「……え?」

 声の主を見て、今の今までその存在をすっかり忘れていた事を思い出す。

 まだ商品を見ていたらしいヴィルジール先輩が、両手に抱えていた袋をぼたりと下に落とし天に向かって手を伸ばしていた。その視線の先は、困惑した様子の……ローザリア様。

「ふわふわの可愛らしい髪、大きな銀の瞳に小さな唇! 君の背に天使の羽が見えるよ! ああ、僕の天使、君のお名前をお伺いしてもよろしいだろうか、僕はパストン家三男、ヴィルジールという!」

 熱く語った後、先輩は手を差し出しながらローザリア様に突進して……ルレアス家の使用人の皆様に弾かれていた。

 例の飛ぶ魔法を上手く使ったのか、そのまま空中でくるりと回転して珍しく見事な着地を見せた先輩は、片膝をついて手を前に差し出し、まるで物語に出てくる求婚する王子様のような雰囲気でぜひお名前を! と声高らかに宣言している。

 え、これどうするんだと思っていると、くいと手を引かれた。今度は優しくであるが、有無を言わさず私はガイアスに外に引っ張っていかれる。

「今のうちに逃げようぜ!」

 いいのかあれ。店員さん大丈夫かなぁ、と考えつつ、ひやりと冷える空気の中、吐息が白くなるのを眺めながらぽつりと呟く。

「……言い過ぎた」

「……そんなことないと思うけれど?」

 以外にも発言したのはガイアスやレイシスじゃない。フォルだった。もちろんガイアスなんて「あはは」と笑っているし、レイシスは「何も問題ありません」のような発言をしている。

「貴族社会じゃもっときつい言葉が飛び交っていると思うけれど」

「嫌味言ったことには変わりないのよ、デューク様の名前も勝手に出しちゃったし。あーっ! 次はもう少しまともにかっこよく言い返してやるわ!」

「そこなんだ」

 くすくすと笑い声を上げながら、私達は大きなお菓子の袋を手に学園の私達の屋敷へ戻り始める。

 フォルも先ほど言っていたが、今日も依頼が来ているのだ。最近は、一日に二個こなしたり、たまに休みがあっても一日だけだったりと忙しい。

 特殊科の先輩たちが殆ど姿を見ないのは忙しいからであると聞いた事はあったが、一年の私達もだんだんと依頼が増えているのだ。

「今日はお酒に浮かべる薬草の採集だっけ?」

「年越しの祭りで振舞われるお酒に一年の健康を願って浮かべるポットの葉の採集だね」

「それどこにあるんだ? この雪の中」

「王都から出て南方にある森の中の低木の葉だったと思うよ」

 今日の打ち合わせを軽く話しながら、皆で雪に足跡をつけていく。この雪で出歩く人が少ないのだろう、まっさらな雪に私達の足跡が増えていく。

 なんとなく昔のようにガイアスの足跡の上に靴を重ねて踏んでみたら、私の靴はすっぽりと白い溝の中におさまり、まだ余裕があった。

 ガイアスの方が、足が大きくなっていたらしい。いつの間に。

 なんだか悔しくて足を左右に動かし足跡をかき消して、白い空を見上げた。

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