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ちらちらと降り始めた雪はしっかり地面にも積もり始め、街中の通路も白く染まり始めていた。歩くと靴の形に雪が潰れて融け、地面がすぐに見えてしまう程度であるが、今期初の街中に積もった雪を見て僅かに気持ちが浮上する。地元が雪深いところである為だろう。周りを見れば足早に……は歩けていない市民たちが、雪を見て眉を顰めているから、喜んでいるのは僅かな人間だろうが。
王都に来て初めての冬だが、王都はあまり雪が積もらないと聞いている。人通りが少ないところには数センチ積もるそうだが、その程度だ。
なんとなく皆と歩きながら空を見上げた時、降って来る雪が桜に見えてどきりとした。きっとサフィルにいさまも、桜の花びらに似てると思って雪を見上げたことがあるんじゃないかな、と思うと、桜を一緒に見る事はできなかったが、雪を一緒に見たことはある、あの昔の記憶がとても大切な大切なものに思える。
「それにしても買い込んだなー」
私の荷物を、私の代わりに持ってくれたガイアスが、布袋を持ち上げて笑う。
ちなみに何かあった時動けるように、レイシスは手ぶらだ。二人はこうして私が買ったものを持ってくれることが多いが、必ず一人は自由に動けるようにしている。初めてガイアス達とだけ出かけた時に買い込みすぎた時は、自分で持つつもりだったので申し訳なく思ったものだ。護衛される側が護衛を困らせてどうすると反省しましたよ? もちろん。
今ではちゃんと学習して、両手が塞がるほどは買い込んでない。たぶん! ちょっと大きな袋がぱんぱんだけれど、中身は乾燥させた薬草や香辛料なので軽い……はず。
もう私の研究用のカレー(になる予定の)食材は買い終わったので、今は皆でベルマカロンに向かっているところだ。
今から行くのは学園の敷地内にあるベルマカロンの店舗ではなく、王都の商店街にある大きなベルマカロン王都店なので楽しみである。噂では、お菓子と共にお土産で小物も人気だとか。元は私が始めた贈り物用の包装が人気だったことから始まった小物売り場が人気だというのはやはり嬉しいなとわくわくしてやってきた店舗を覗いた私の口から、すぐに「あっ」と驚きの声が漏れる。
「アイラ?」
不思議そうな顔をしたガイアスが同じように店舗を覗くとすぐに、目を見開いて「先輩!」と叫ぶ。
そう、ベルマカロン王都店の焼き菓子を思わせる可愛らしい茶色い扉に嵌められたガラスの向こう側に、背後しか見えないものの非常にわかりやすい姿の、ある見知った人を見つけたのだ。
覚えのある筈の騎士科の制服に金糸で魔法文字の刺繍が施され、鮮やかな赤いマントをつけた男性。
あれは間違いなく、極最近会ったばかりの……私達の先輩ではないか。
非常に真剣に商品を見ているようだが、彼がいるのはメインのお菓子コーナーの前ではなく、小物売り場の方らしい。ちらりと見ると、お菓子のショーケースの向こう側にいる若い女性の店員が、ひきつった笑みで先輩を見守っているのが見えた。それを注意できないほど、今の先輩はなんというか……非常に、怪しい。
「ヴィルジール先輩? なにしてるんだろう……?」
ルセナが中を覗き込んで呟く。
先輩は左右をきょろきょろとしながらあれだこれだと手にとっては、まるで神に崇めるかのごとく商品を持ち上げ、そして店内で欲しいものを入れる為にベルマカロンが用意している果物の蔓で作られたかごに、丁寧に入れていく。
「商品を選んでる……のだろうけれど……」
フォルですら自信なさそうにし、私達はベルマカロンの店舗前で佇んでいたのだが……まあ入らないわけにはいくまいと、取っ手に手を掛ける。
カランカランと可愛らしい音がして店内に入ると、店員はすぐに元気良く「いらっしゃいませ!」と挨拶をしてくれたが、先輩はどうやら私達に気づいた様子もなく先ほどの行動を続けている。
どうしようかと一瞬悩んだが、相手は先輩だ。挨拶した方がいいよね、と一歩近づいたところで、急にくるりと先輩がこちらを振り向いた。
「おお! 僕の可愛い後輩達じゃないか、この前は世話になったね!」
急に両手を広げてやってきた先輩が、そばにいたガイアスにぎゅっと抱きついたのでびっくりして固まる。抱きつかれたガイアスは目を大きく見開いて、息も止まっているのではないかと思うほど微動だにしない。
「君達のおかげで弟は無事に卒業できそうだ! 助かったよありがとう!」
ガイアスをぎゅうぎゅうと腕に抱きしめ、さらにぴょんぴょんと店内を器用に跳ね出した先輩を見て、さっとレイシスがガイアスの指先に引っかかっていた私の荷物を回収した。レイシス、そっちより「ぐああ」とおかしな悲鳴をあげだしたガイアスを助けてやってくれ!
「あ、ああ、あの先輩! きょ、今日はこちらでどうしたんですか!?」
ガイアスの顔色が変わったのを見て慌てて先輩に話しかければ、「おお聞いてくれるか!」と跳ねるのを止め私達に向き直ったので慌ててガイアスを回収する。
私にもたれかかってぼそりと「ありがとうアイラ」と呟くように言うガイアスを支えつつ、先輩が見てくれよと手にしたものを見ればそこには可愛らしいリボンやデコレーション用の石にビーズ。
「……あ、もしかして」
先日先輩がイルムの体液、と言って持っていたあのヘドロのようなものが入った小瓶。あれには可愛らしい赤やピンクのきらきらした石が装飾されていたが、お手製のデコレーション小瓶だったのだろうか。
「ここはね、安いものから質のいいものまで可愛くいろんなものを飾ることのできる小物がたくさんあって、素晴らしいんだ。まさに聖地だよ! 可愛らしく飾った依頼の品は依頼主にも喜ばれているはずさ!」
「……なるほど?」
喜ばれているはずさ! って、実際にどう思われているのかは知らないらしい。ヘドロのようなものが入った小瓶は若干小瓶可哀想、な状態だったが、まああのデコレーションを自分でやったのだとしたら、すごい。ちょっと教えてもらいたいほど上手かった気がする。
「可愛いものが、好きなんですか?」
こてん、と首を傾げてルセナが先輩に尋ねる。
「そうともそうとも、可愛いものは人の心を癒すのさ!」
「そうですよね!」
つい首を傾げたルセナが可愛くて全面同意しつつ頷くと、同意を得られた事で嬉しそうに手を叩いた先輩がわかっているねと手を差し出してきたので握手しておく。
満足したらしい先輩が、僕はこれを買わなくてはと、うきうきと店員の方に商品が詰まったかごを運び始めたので、私達も本来の目的を果たすべくたくさんのお菓子が並ぶショーケースの前に移動する。
店内にはショーケースの中に飾られた美しいケーキのほかにも、手に取って選ぶ事ができる焼き菓子コーナーやお土産用の包装済みのお菓子、それにお菓子と一緒にどうぞと書かれた可愛らしいイラストつきのポップ広告と共にお洒落なビンに入れられたジャムが並べられていたりと、見て回るだけで楽しめるようになっていた。
もちろん早速期間限定と書かれたマシュマロコーナーでいろいろなマシュマロを楽しみつつ、わいわいとみんなでお菓子を選び、私達も店内に置かれたかごに思い思いのお菓子を入れていく。
みんな自分で食べたいお菓子を選ぶ時よりも、お土産に熱が入っているのが面白い。アドリくんはどれが好きかなとか、王子とおねえさまには何にしようかとか話しながらお菓子を選んでいくと、あっという間にクッキーが二十枚は余裕で入るかごが山盛りになる。
貴族であるルセナやフォルはこうして好きなものを直接選び自分で運んで買い物をするのは珍しい事らしく、張り切りすぎて山盛りのかごを見て苦笑しながらも、「やっぱりこれもいいな」となかなか一つのかごに収めきれないようだ。
ちょっと買いすぎかもね、と笑いながら、店員さんに包装してもらっていると、外がガタガタと騒がしい事に気づいた。
なんだ、とちらりと扉の向こう側を見ると、どうやら立派な馬車が店の前に到着したようだと気づく。
店内には私達と、一度会計を済ませたのにまた小物売り場で何かを選び始めた先輩の他に一般客が数人。店内は広く設計されているが、外の様子を見るにここに今来たのは恐らく貴族。ベルマカロンは出張販売を月に二度しか行わないので、大抵は使用人が店舗に買いにくるらしいが、たまに直接購入しにくる貴族もいるらしい。となれば、使用人を大勢引き連れている筈なので、狭くなるかもしれない。
そもそも貴族にもベルマカロンのお菓子が浸透し始めたとき、最初断り続けていた出張販売を、貴族がお金に物を言わせて強引にベルマカロンの店員に強要したことがあった。
ベルマカロンは元々庶民向けなお菓子販売からはじめた店だ。そんな高級な小麦粉や玉子を使っていたわけじゃないし、材料だって一般の人たちが買うお店から仕入れていた。それが、材料はこちらとこちらを使って我が家に持ってきて、いや、我が家で作って出来たてを用意しなさい。と言われて、ベルマカロンとしては頷く事ができなかったのだ。専属になってしまう可能性もあったし、門外不出であるレシピを覚えている職人はそこまで多くない。
それをお父様がどうやったのか「呼ばれて訪問するのは月に二回、予約制とし、また訪問先で調理することは特別な理由がない限りは行わない」と周知させたことがある。本来であれば商人がそんなことを言ったところで結局お金に物を言わせる貴族が大半であろうに、それからベルマカロンには小さな村の店舗にまでそういった強引な販売要請がこなくなった。
どうやったのかはいまだに謎だ。
だがおかげで、ベルマカロンは無事に運営できている。アイラが立ち上げたのだ、立派だと父は褒めてくれるが、父がいなければベルマカロンの成功はありえない。
購入したお菓子の清算をフォルが終えたのを確認して、出ようかと視線を合わせあう。馬車から人が降りれば一気にこの店舗は混みあう事になるだろう。
皆が集まって、先輩に一声挨拶をかけて店舗を出ようとした時。
カランカランと扉のドアベルの音が鳴り、ぞろぞろと同じ服を着た人間が店へと入ってくる。ああこれは、先に貴族に入ってもらってから出たほうがいいな、と待っていると、現れた青灰色の見覚えのある髪色にはっとした。
「ローザリア様……?」
使用人らしき人たちに囲まれている為自信がなく呟いたが、私の声に反応して顔を上げたローザリア様はこちらを見て目を見張った後、後ろにいる特殊科のメンバーを見回して顔を輝かせた。




