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「くそっ」

 顔を歪めて雪に埋まる塊(人だが)を見たグラエム先輩が吐き捨てるような言葉を出すと、さっさと背を向けて歩き出そうとする。

 慌ててガイアスと私、レイシスでその埋まった特殊科の先輩らしき人を引っ張りあげようとした時、先生が「ああ」と納得した声を出した。

「そういえばお前、こいつの弟か」

 その言葉に、誰が「お前で」「こいつ」なのかふと考えた私はすぐにはっとして顔を上げ、グラエム先輩を見た。

 先輩の名前、グラエム・パストン。特殊科三年のこの先輩の名前は……

「ヴィルジール・パストン先輩、だったわね……」

 おねえさまがなんだか疲れたような表情でそう言った。ぴくっと肩を揺らしたグラエム先輩は、振り向いたかと思うと眉を吊り上げている。

「そんな馬鹿、兄貴じゃねえ!」

 強い口調で言うと、すたすたと再び柵の方へと歩き出したグラエム先輩を一人にするわけにもいかず、慌てて皆が後を追おうとした時、ガイアスが担ごうとしていた特殊科の先輩が、急にがばっと顔を上げた。

「僕は悲しい! せっかく人見知りで恥ずかしがり屋で照れ屋な兄がマイスイートブラザーの為に友人達に挨拶をしてやろうと降りてきたと言うのに!」

「うるせぇ! どこが人見知りで恥ずかしがり屋で照れ屋だ! 辞書を調べなおしてから発言しやがれそして俺には話しかけるな!」

 交わされる会話を呆然と聞いていた私達は、呆けた表情でパストン兄弟を見つめた。これはあれだ、思わず「仲イイネ」なんて呟いたら弟の方に全力で地の果てまで追われるパターンだ、絶対に口は滑らせまい。

「なんだお前ら仲いいな」

 先生ーっ! 空気読んでーっ!


 とりあえず、あんなところで言い合っていても魔物を呼び寄せるだけだと王子の言葉で無言で柵の外まで急いだ私達は、魔物蔓延る柵の中から出た瞬間大きく息を吐いた。

 あんなところ、なんの準備もせずに行くところではない。というより、勝手に入るべきじゃない。

「さーて、なんであんなところにいたのか教えてもらおうか」

 先生が笑みの中に怒りを隠さずに私達以外……例の三人と、特殊科の先輩へと視線を向けて言う。

「僕はですね、依頼でしたよ。魔物イルムの体液を奪ってこいというやつでして、ジェントリー公爵にも任務で北山に入る許可を頂いてますとも」

 うんうんと何か一人納得したように言いながら、派手な制服のポケットから小瓶(なぜかピンクと赤の宝石をあしらったデコ小瓶だった)を取り出し、中にヘドロのようなものが入ったそれを振ってみせるヴィルジール先輩。なんだか可愛らしい小瓶が可哀想に見える不思議な光景だ。

「なるほど、それならよし。で、そっちの弟一味は?」

「弟一味じゃねえ!」

 噛み付くグラエム先輩をスルーするように先生は視線を槍使いに向けると、同じ質問を繰り返す。

「ええーっと、グラエムが修行でイルムを倒しに行くからと」

「黙れヴァレリ! 殺されてーのか!」

 すみません、止めるべきでしたと素直に頭を下げる槍使いと、舌でも間違って噛みそうなほど震えている大剣使いの小柄な少年とは違い、グラエム先輩はひたすらに怒鳴っている。

「ああ! やっぱり僕を追ってきてたんだねマイスイートブラザ-は。そんなにイルムと戦う僕が心配だったのかい?」

「うるせええっ気色悪い事言うなあぁ!」

 なかなかに混乱した事情聴取である。

 それにしても、ヴィルジール先輩はあの夏の大会で空飛ぶヒーローのような試合を見て以来で、話したことすらなかったのだが……見た目通りキャラが濃い。マイスイートブラザーってなんですかね……というか魔法文字の刺繍をして空飛ぶの、失敗してもめげてなかったんですね……。

「俺はなぁ! てめーの情けない姿を見に行っただけなんだよ! イルムに負けて体液摂取する前に逆に摂取されてればよかったんだ!」

「あーはいはい、ガイアス、グラエムが逃げないよう見とけ。フォルセ、家に言うか?」

 視線も合わせずひらひらとグラエムの方に手を振った先生がフォルを見ると、フォルはうーん、と悩むような声を出した。

「本来なら言うべきでしょうね。ただ……」

 ちらっと顔を上げたフォルの前に、びゅんっとすばやい速さで移動したヴィルジール先輩が、悩むように口元に当てられていたフォルの手を強引に引っ張り……握りこんだ。

「おおっ! 良く見たら君達は特殊科の我が後輩達ではないか! どうか、どうか僕に免じてグラエムの罰を減じてくれないか、この通り! 僕はなんでもするよ、なんならこの体液を全部あげてもいい!」

「い、いえ、結構です」

 引きつって足を一歩後ろにずらしたフォルが、微妙な笑みを浮かべながらぶんぶんと首を振る。

 というか、今まで私たちが誰だか気づいていなかったのか! それにこの体液を分けてもいいって、イルムの体液なんて何に使うんだろう? 医療科の授業でも聞いた事がないし、特殊科の授業でもない。

「あ、もしかして何に使うかはわからないかい。イルムの体液って言うのはつまり催淫剤なんだ。もちろん体液って言うのは」

「あーわかったわかった、いいか良く聞けこいつらは未成年だこの馬鹿が! つかお前もな!」

 ごつ、と先生の拳がヴィルジール先輩の頭に落ちた。非常にいい音がしたが大丈夫だろうか……ってか催淫剤。詳しく聞かなくてよかった。どうでもいいことだけど、どうせなら植物由来のほうがいいと思います。

 まさかあのヘドロを飲むのだろうかと一瞬考えて慌てて首を振り、ヘドロを思考から追いやった私は、フォルを見る。

 気づけば巻き込まれたらしい兵科二人も、止めなかった俺達も悪い、僕が北山に興味を持ってしまったから、とグラエム先輩を庇うような発言をしていた。学年も科も違う三人ではあるが、友達なのだろう。

 そんな二人を見つつ、フォルは頷く。

「北山へ入る許可を得た時の人数が申告とは違うでしょうが、ヴィルジール先輩の仲間……という事でいいのではないでしょうか。もちろん問題が起きれば調査は入るでしょうが」

 既に勝手に入り込んでいる事が問題ではあるが、フォルの判断はグラエム先輩の為であろう。ヴィルジール先輩の弟、と言うことは、彼はパストン伯爵家の嫡男ではない可能性が高い。つまり、最初懸念したとおり家を出される可能性があるのだ。

 子を想う親であれば公爵家に他の方法で謝罪を申し出るだろうが、兄であるヴィルジール先輩の必死さをみる限りパストン家はそれを期待しないほうがいいのかもしれない。貴族とは大抵、そういうものであるらしいが。そもそも今回は大事になって公爵家から捜索隊が出たわけでもないので、わざわざ申告する必要もないだろう、ということだろう。

 しかし、ほっとしたのは兵科の二人だけだった。

「ふん! あんな家と縁が切れるなら俺にとてはいい話だね」

 そう言ったグラエム先輩がヴィルジール先輩から視線を外したとき、たまたま視線が合ってしまった。

 私を見た先輩は、一瞬眉をしかめた後「なんだよ」と急に不敵な笑みを浮かべて口の片端を上げた。

「強欲なベルティーニ、お前にはわからねーだろ、元庶民の成り上がりの貴族には、ホンモノの貴族のしがらみなんてな!」

「おい!」

「なんだよ金魚の糞のデラクエル弟! やるか!?」

 思わずといった様子で私の前に出たレイシスを、ガイアスがやめろと腕を引いて止めた。

「お前が周りを見ずにとった行動でどうなったか考えろ」

 ぼそっと、ガイアスが本当に小さな声でレイシスに告げた台詞が、私にも届いてしまった。こんなガイアスの声は滅多に聞かない。恐らく他の人には聞こえなかっただろうと、私も聞かなかった振りをしてグラエム先輩を真っ直ぐに見る。


「わかりません」


 すぱっと、先ほどのグラエム先輩の言葉に返事を返すと、「は?」と先輩は呆けた顔をした。レイシスを煽ったことで意識がそちらに向いてしまっていたのかもしれない。

「だから、わからないって言ってるんです。こんなにあなたの為に、魔物の巣窟でこなさなければならないような危険な依頼の品を差し出してでも弟を助けようとしているお兄さんを無視してまで、私なんかに食ってかかる方が大事な貴族の言うしがらみとやらは」


 わかってる。私も十分煽っている発言だ。

 だけど、きっとイライラしてる。

 兄に守られているのに食って掛かる先輩に?

 こんな危険な事に、友人らしき兵科の生徒を巻き込んだ事に?

 私達が危険なこの柵の向こうに助けに入ったことを、迷惑そうにしたことに?

 レイシスを、馬鹿にしたことに?


 何に対してかわからない苛立ちはしかし、すぐに後悔に取って代わった。

 もやもやと胸に渦巻く感情に思わず眉を寄せる。

 心配そうにしている仲間の目を見てはっとして、喉につっかえる何かを、飲み込んだ。


「……言い過ぎましたわ、すみません」

 搾り出した、だがしかし本当にそう思っているからこそ出た謝罪の言葉は酷く重たく深い雪に吸い込まれていく。

 空気を悪くしたのは確実に私だとわかっているだけに、なんとも言えないこの場の空気を甘んじて受けつつ、しかし皆にまで味合わせるわけにはいかないのでどうしようかと思考を巡らせる。

 私は善人じゃないし、清らかな心を持っているわけでもない。そんなのわかっているが、先ほど私の口から滑り出た言葉はさすがにないだろうと少しだけ落ち込んだ。

 どうにも私、前回といい今回といいグラエム先輩とは相性が悪そうである。すぐに言い合いだ。


「ま、とりあえず公爵家からはお咎めなしでも学園としてはそうは行かないっしょ?」

 ガイアスが軽い口調で言うと、先生が唸ってそうだなと呟いた。

「グラエムはとりあえず今日は反省部屋。お前達二人は、寮生か?」

「は、はい!」

「そうです」

 今まで気配すら殺していたのではと思うほど静かにしていた、グラエム先輩に連れ出されたらしい兵科の二人がすぐに返事をすると、先生は「お前達二人は謹慎だ、部屋から出るな」と言いつける。


 漸く帰る気配に、ほっと息を吐いた。結局こんな寒空の下の事情聴取は長くはなく、詳しい話は帰ってから騎士科二年と兵科二年、一年の教師……つまり無断進入の三人の担任を含めて行うことになるらしい。

 私がきつい言葉を吐いた直後、なんだか目を見開いたグラエム先輩を見たような気がしたが、その後顔を見る事ができずにいた上にグラエム先輩は黙ってしまったので、彼がどのような反応をしたのかはわからない。


 アルくんを腕に抱きながら屋敷へと戻り解散となった私は、疲れたといつもの部屋に集まらずアルくんを連れて自室に戻り、肩の力を抜いた。


 貴族になったんだ、市民の手本となるようにしなきゃな。

 たしかお父様がそんなことを前に言っていた気がする。今日の私は、手本となるべき事をしてはいない。人の事を言える人間ではないのだ。

 もやもやとしたものを抱えながら、それでも私は医療制度を変える為に上に行くのだと漠然とした思いを抱え、一向に訪れない眠気に睡眠を諦め机に向かうと、カレー粉の配合の為にメモを手にしたのだ。


 胡椒をぶちまけて、アルくんが盛大なくしゃみをする事になったのだが。

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