31 王族としての罪の償い方【ディーク視点】
戴冠式を終えた次の日、僕は兄さんに呼び出された。やっと僕の話を聞いてくれるんだと思い喜んでいたのに、顔を合わせた兄さんは僕にこう言った。
「ディーク。お前に選択肢をやろう」
「選択肢……?」
「その前に見せたいものがある。ついて来い」
そう言われたのでついて行くと、兄さんは王太子妃宮に向かった。ここには、兄さんと結婚して王太子妃になったライラが住んでいる。
あれほど恋焦がれたライラに会えるというのに、僕の心は少しも弾まない。今はライラより、アイリーンに会いたいと思ってしまっている自分がいる。
「こっちだ」
兄さんのあとに続くと、とある部屋に通された。なんだか隣の部屋が騒がしい。
「ここから中を見てくれ」
小さな覗き穴からは、隣の部屋が見えた。そこでは、髪を振り乱して暴れる女性がいる。
「どうして、どうして私がこんな目に遭わないといけないの⁉」
キンキンと響く声が聞き苦しい。こんなに醜い女がいるなんて信じられない。
あっけに取られていると、女は自分の爪を噛みながらブツブツと呪いの言葉のようなものを呟き始めた。
「あのバカが、あんなことをしなければバレなかったのに! ディーク! ディークディーク! あの顔だけのバカが!」
名前を呼ばれて初めてこの醜い女性がライラだと気がついた。足が震えて立っていられない。無様に尻もちをついた僕を、兄さんが見下ろしている。
「ライラには王太子妃に相応しい教育を受けてもらっている。しかし、教育係達が帰ったとたんに、毎日あのように荒れているそうだ。彼女がほしかったのは、富と名声だけで、それに伴う責任ではなかったからな」
兄さんは僕に手を差し伸べた。
「ライラは、おまえが思っているような聖女ではない。私とおまえを天秤にかけて、楽しむような女だからな。その結果、より利用価値がある私が選ばれただけだ。だからこそ、私も遠慮なくライラを利用できて都合がいいのだがな」
兄さんに引っ張り上げられた僕は、今まで信じていたものが一瞬にして崩れ去ったのが分かった。
「おまえがライラのメイドから受け取った情報は全てウソだ。セレナ嬢は社交界の毒婦ではない」
「……あっ」
リオに何度も言われた言葉が今さらながらに理解できた。
「僕は……ずっとライラに騙されていたのか……?」
兄さんは何も言わない。ただ、僕を見つめる瞳がとても冷たい。
僕はライラに騙されて、セレナのメイドと護衛騎士を誘拐してしまった。リオはとても怒っていたし、『タイセン王家からバルゴアへの宣戦布告だと見なす』とまで言われた。僕は一体どうなってしまうんだろう……。
「ディーク、ついて来い。おまえにまだ見せたいものがある」
そういった兄さんは、北の塔に入っていく。
まさか、父さんと同じように僕も閉じ込める気なの?
恐怖で逃げてしまいたかったけど、僕の後ろには王宮騎士が控えていて逃げることができない。
塔内では、父さんが王宮騎士に押さえつけられ、罪人のようにひざまずかされていた。あれほど大きく見えていた父さんが、今はただの小汚い老人に見える。
そんな父さんの前に立った兄さんは、僕に言ったことを父さんにも言った。
「父上に選ばせてあげましょう」
兄さんは、父さんの目の前で液体が入った小瓶を振った。父さんの目は、小瓶を捉えているのかいないのか分からないくらい虚ろになっている。
「これは強い毒で、この量を飲めば即死です。今、この場でこれを飲めば、あなたが私を殺そうとしていたことは、歴史上から消してあげましょう」
父さんの目の焦点が合い、毒入りの小瓶をじっと見つめた。
「ほ、本当か?」
兄さんに尋ねた声は、ひどくかすれていた。
「本当です。王家としても、子殺しをするような者が王だったなんて恥ずべきことです。潔く散ると言うなら揉み消しましょう」
「……もし、飲まなかったら?」
父さんの質問に兄さんは笑う。
「あなたが私にしたように、今後、あなたが口にするであろう全てのものに、銀食器に反応しない毒を入れてあげますよ。どうぞ、私の絶望と苦しみを長く味わってください。あれは、少し飲んだくらいでは死にませんから。体験済みの私が保証します。苦痛は想像を絶しますけどね」
そう言うと、もう用は済んだとばかりに父さんに背を向ける。兄さんと僕が、塔から出ようとしたとたん、ガタッと大きな音がして背後が騒がしくなった。
兄さんが「最後は潔く逝ったか」と呟いたので、父さんが毒を飲んだのだと分かった。
恐怖でカタカタと震える僕は、「さてと」と呟いた、兄さんの顔を見ることができない。
「ディーク。お前に理解できるか分からないが、父上は年を取るにつれて愚かになっていってな。いや、私が成長するにつれて恐怖に囚われていったというところか。このままでは私が戦争を引き起こすと本気で信じていたようだ。その結果、私もおまえも、それに巻き込まれてしまった」
「兄さん……」
僕はいつも穏やかで優しい兄さんが、父さんに毒を盛られていたなんて知らなかった。口にするもの全てに毒を? だったら、兄さんは何を飲んで食べていたの?
もしかして、母さんが兄さんだけを可愛がっているように見えたのは、兄さんを呼んでご飯を食べさせるため?
「これまでは、決定的な証拠がなくて動けずにいた。だが蓋を開ければ、父が私を病死に見せて殺したかったということだ。いっそのこと、即死させてくれれば、あれほど苦しむことはなかったのに……。それほど、優秀な私が憎かったのか、それとも死なない程度に弱らせて、ディークに王位を継がせるつもりだったのか……」
兄さんの言葉は僕に向けられたものではなかった。きっと、これは兄さんが父に尋ねたかった言葉だ。
「兄さん。僕、何も知らずに……」
涙を浮かべる僕の頭を兄さんは、小さな子どものときのようにポンポンと優しく叩いた。
「おまえも父の被害者だと分かっている。誘拐の件もライラにウソの情報を与えられ、唆されたと判明している。だが、今までのように、なんのお咎めもなしにはできない。それだけのことを、おまえはすでにしてしまっているんだ」
「……」
今になって母さんの言葉が僕の頭の中に浮かんだ。
――ディーク。あなたには決定的に足りないものがあります。それは状況を正しく判断する力です。あなたが置かれた環境では、理解するのは難しいでしょうが……。
その意味がようやく分かった気がした。僕は父さんが作った僕にとって都合のいい箱庭の中から出ようとせず、自分に不都合なことを、今まで何一つ見ようとしてこなかったんだ。
兄さんは、ポケットから小瓶を取り出した。それは父さんに見せたものと同じで……。
「安らかな死か、私に服従するか、この場で選べ」
本当だったら、僕は処刑されるべきなんだと、もう分かっている。
だって、僕の罪を被せられそうになっていたアイリーンは、死罪になるところだったんだから。
「兄さん……僕は、死ぬのが怖い」
父さんみたいに毒を飲む勇気はない。自分が悪いことをしたと分かった今でも死にたくない。
「兄さんに服従します。僕は絶対に兄さんを裏切らない。敵対しない。今まで、ごめんね。アイリーンにも、ごめんと伝えてほしい」
アイリーンはもう、僕を見るのも嫌だと言っていたから。
「その言葉を信じよう。これよりおまえは、王家から追放され平民となることで罪を償う。ディーク、おまえを神殿が引き取りたいと言っている。だから、おまえは神官を目指せ。そこで神殿に深く入り込み内部を探り私に情報を流すんだ。神殿は勢力を付け過ぎた。私がライラを妻に迎えなかったら、神殿からの刺客に私は殺されていただろう。神殿もまたおまえを王に据えて傀儡にすることを望んでいたからな。このまま放置することはできない」
「そ、そんなこと言われても、僕にはできないよ……」
「大丈夫だ。できなかったら、神殿がおまえを担ぎ上げて反乱を起こそうとしていることにして、おまえごと神殿を潰す。どちらにしろ、私に損はない。生き残りたかったら学べ。そして、私の役に立つんだ」
残酷な言葉だけど、これが兄さんからの最後の温情なのだと、父さんが作り上げた箱庭から出た今の僕なら分かる。
その日の夜、僕は数人の騎士に連れられてひっそりと王宮から出ようとした。
その前に母さんが来て、泣きながら僕を抱きしめてくれた。
「母さん、ごめんね」
母さんは何度も僕に忠告してくれたのに。
「私こそ……私こそ、暴走する夫を止めることができなかった……。あの人は、賢い王だったのです。歴史に名を残すにふさわしい。だから、いつか、目が覚めてくれるのではないかと、昔のように正しい振る舞いをしてくれるのではないかと、どうしても期待を捨てることができなかった……。そのせいで、あなた達が辛い目に……本当にごめんなさい」
そう言った母さんが今にも消えてしまいそうで、僕はこう伝えた。
「母さん、兄さんを支えてあげてね」
僕の言葉に、母さんは静かに頷く。
こうして僕は、王宮を去った。もう二度とここに戻って来ることはない。
悲しいはずなのに、僕はなぜかようやく目隠しを外されて、自分の目で世界を見ることができたような気がして、清々しい気分だった。




