30 あの頃の彼女はもういない【ディーク視点】
謁見室から追い出されたあと、僕は自分の部屋に軟禁された。
扉や窓の前に王宮騎士が配置され、ここから出ることができない。
今、王宮内はどうなっているんだろう……。
兄さんが父さんを「北の塔にお連れしろ」と言っていた。北の塔は罪を犯した王族が入れられる場所だ。
入れられたら最後、生きて出て来た者はいないと言われている。
そんな場所に父さんを閉じ込めるなんて、いくら兄さんでもひど過ぎる。
でも、兄さんは僕の話を「あとで聞く」と約束してくれた。
だから、きっと僕の話を聞いてくれる。兄さんは、誰よりも優秀で、そして、誰よりも優しいから。
それなのに、兄さんは数日経っても僕に会いにくることはなかった。
今日は王宮で戴冠式が行われるらしい。
僕も参列するようにいわれ、久しぶりに部屋の外に出ることができた。王宮騎士に挟まれているから、自由に歩き回ることはできないけど、それでも外に出られたのは嬉しかった。
謁見室に現れた兄さんは、堂々たる態度で、もうすでに若き王の貫禄が出ている。
兄さんが進む先の王座に父さんの姿はない。代わりに母さんが王冠を兄さんの頭にのせた。数日しか経っていないのに、母さんはやつれているように見える。
兄さんが振り返ると、大きな歓声が上がった。
その熱狂ぶりは凄まじく、感動して涙を流している者さえいる。
それなのに、兄さんが右手を上げると辺りは静まり返った。それは、この場にいる全員が兄さんの一挙一動を見逃さないように注目している証だった。
「前国王に代わり、この国をさらによくすることをここに誓おう。そのためにも、この者たちを紹介する。前へ」
数十名が一斉に前に出た。年齢も性別も様々な者たちが兄さんに深く頭を下げている。
「この者たちは、私が信頼している者たちだ。これからそれぞれ重要な役職に就くことになる」
ざわつく人たちの気持ちが分かる。なぜなら、兄さんが紹介した人たちは、社交界から追いやられていた者たちだったから。
でも、そんなことより僕が驚いていたのは、その中にアイリーンがいたことだった。
髪色や顔はアイリーンなのに、背筋をまっすぐ伸ばして、前を見るその姿は、どこか誇らしそうですらある。
流行おくれのドレスではなく、王宮文官の服をまとっているのでそう見えるのかもしれない。
なんとなく目が離せないでいたけど、どうせ、この後のパーティーになるとまたいつものみすぼらしいアイリーンに戻るだけ。
壁際でうつむいて、一緒にいるのが恥ずかしい女。それが僕の望んでもいない婚約者アイリーンだから。
そういえば、ライラはどこにいるんだろう?
「あれ?」
いつも華やかで周囲の視線を独り占めしているのに、今日は謁見室の端っこで静かに佇んでいる。
気難しそうなメイドが側にいて、護衛のためか王宮騎士に挟まれていた。肌を見せない落ち着いた衣装を身にまとったライラの顔色はこの距離でも分かるくらい悪い。
なぜか輝くような美しさに陰りが見えた。
そのせいなのか、いつまでも見つめていたいと思っていたライラから、自然と僕の視線は外れて、気がつけばまたアイリーンを見ていた。
僕がこんなにも見ているのに、アイリーンは一度たりとも僕のほうを見ない。そのことに、なんだか苛立ちを覚える。
戴冠式を終えたら、アイリーンに文句を言ってやろうと思っていたけど、行動を制限されている僕は自由に行動することができない。
つぎにアイリーンに会ったのは、パーティー会場だった。
いつも誰のエスコートも受けられないアイリーン。今日もたった一人でパーティー会場に入って来た。
いつもは嘲笑を浴びせられるのに、真っ赤なドレスを身にまとったアイリーンは堂々としている。
ドレスのスカート部分に深い切れ目があり、歩くたびに足が見えてしまっている。そして、あり得ないことにアイリーンは、ドレスの下にズボンを履いていた。靴もヒールが低くパーティーに相応しくない。
馬鹿にされても仕方がない恰好をしているのに、その場の誰もがアイリーンに目を奪われた。シンッと会場が静まり返ったのは、アイリーンがバカにされているからではない。
その姿に見惚れているからだ。
ライトブラウンの髪を優雅にまとめて、薔薇と真珠で飾っているアイリーンは、美女とまでは言えないけど確かに悪くない。
なんだ、やればできるじゃないか。
どうして今まで着飾ることをさぼっていたんだろう?
振り返ったアイリーンと目が合った。そのとたんに、アイリーンは花開くような柔らかい笑みを浮かべる。
その愛らしさに、不思議と僕の胸が高鳴った。
今まで、どうして僕だけこんな婚約者なんだと思っていたけど、もしかしたら、アイリーンこそが僕の運命の相手だったのかもしれない。
そう思えるくらいに、アイリーンの笑顔は素敵だった。
その笑みに誘われるようにフラフラと近づいていくと、アイリーンはスッと僕の横を通り過ぎた。
「え?」
慌てて振り返ると、その先でセレナと手を取り合って微笑み合っている。
「アイリーン様、とてもお似合いですよ」
「セレナ様のおかげです」
二人は気心が知れているように見える。一体、いつの間にそんな仲になっていたんだ?
セレナは社交界の毒婦と言われるくらいの悪者なのに。
「アイリーン!」
名前を呼ぶと、たった今、僕の存在に気がついたかのようにアイリーンは僕を見た。
「ディーク殿下? どうされましたか?」
「どうされましたかって……」
僕を見たとたんに、セレナに向けていた笑みは消え去り、そこにはなんの感情も読み取れない。
「こっちに来るんだ。アイリーン!」
「嫌です」
今まで僕に反抗したことがなかったのに、間髪を容れず断られた。
「なっ⁉ 婚約者のいうことが聞けないの?」
僕の言葉にアイリーンは眉をひそめる。
「私達の婚約はすでに解消されています。あなたの元にも書面が届いているはずですが?」
「え?」
驚く僕を見てアイリーンはため息をついた。
「いつものように、書面を確認していないのですね……」
そう言ったアイリーンの瞳は、信じられないくらい冷たい。こんなアイリーンは見たことがない。
「ど、どうしたの? 何を怒っているの?」
僕には答えずアイリーンは、セレナに向かって「大丈夫です。自分で対処します」と微笑みかけた。
「ディーク殿下。バルコニーへ行きましょう」
それだけ言うと、アイリーンは、僕を置いてサッサとバルコニーに向かってしまう。慌ててあとを追いかけた。
バルコニーで二人きりになっても、アイリーンの表情は冷たいまま。あの、自信がなくオドオドしていたアイリーンはどこにもいない。
「ディーク殿下。率直にお伝えしますが、あなたは私を殺そうとしました。そんなあなたにはもう関わり合いたくありません」
「え?」
驚く僕を見てアイリーンは、またため息をついた。
「そこから説明が必要ですか? 私はタイセン国王に無実の罪を被せられて、あのままでは死罪になっていました。あなたは私が無実だと知っていたにも関わらず、タイセン国王を止めませんでしたね?」
「それは……だって」
僕の言葉を遮って、アイリーンは静かに語る。
「あなたは、気に入らない私には何をしてもいい。私があなたの罪を背負って死ぬことすら、当たり前だと思っていましたよね?」
僕は何も言い返せなかった。
「ずっと私のことを無視していたくせに、今さら婚約者面するなんて、どういうつもりですか?」
「僕は……。今の君に、笑顔を向けてもらいたい……。その、仲良くなりたいと思っている」
正直に話すと、アイリーンは信じられないものを見たような顔をした。
「……あなたは本当に外側しか見ていないのですね。あなたのために全てを投げ打ち、あなたに何を言われようが側を離れなかったアイリーンはもういません」
そうだ。アイリーンは僕がどんな態度を取っても、ずっと側にいてくれた。それを僕はずっとうっとうしいと思っていたんだ。
「好きであなたの側にいたわけではありません。それが私の仕事だったのです。それを終えた今、ここにいるのは、あなたのことが大嫌いで、視界にも入れたくないと思っている私だけです。お願いですから、もう私に関わらないでください」
「待って、アイリーン!」
アイリーンは一度も振り返らすに、パーティー会場へと戻っていった。すぐに人々がアイリーンを取り巻き、アイリーンも楽しそうに会話を始める。
パーティー会場に戻っても、僕に話しかける人は誰もいない。まるで僕の姿が見えていないかのよう。たったひとりでぼんやりと立ち尽くしていると、ふと泣きたくなった。
もしかしたら、アイリーンもこんな気持ちだったのかもしれない。悲しくて、心が苦しくて、本当は泣きたかったのかも。
今となってはもう、尋ねることすらできないけど……。
自分とアイリーンの立場が入れ替わってしまったこのときになって、僕はようやくアイリーンを傷つけてきたことに気がついた。




