表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
社交界の毒婦とよばれる私~素敵な辺境伯令息に腕を折られたので、責任とってもらいます~【書籍化&コミカライズ】  作者: 来須みかん
【第二部】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/60

23 アイリーン=タゼアという人

 リオ様と私は、ディーク殿下に会うために、メイド長のあとに続いた。


 私の手を握るリオ様の手は、大きくとても温かい。


 攫われたコニーとアレッタのことを考えると、今でも不安に押しつぶされそうになってしまう。

 でも、リオ様が「二人を必ず見つけ出す」と言ってくれた。


 だから、私はリオ様を信じる。そして、私も自分にできることをする。


 しばらく王宮内を歩いたあと、メイド長は立ち止まり深く頭を下げた。


「この回廊の先のお部屋で、第二王子殿下がお待ちです。護衛の方々は、こちらで待機をお願いします」


 ここから先は二人で行けということなのね。リオ様が目配せすると、バルゴアの騎士達は一斉に小さく頷く。


 真っすぐ伸びた一本道の回廊をリオ様と私は並んで歩いた。等間隔に白い柱が並び、光が降り注いでいる。左右の中庭には水が張られていて、まるで回廊が水の上に浮かんでいるような錯覚に陥った。


「この先にディーク殿下が……」

 王宮内でもこの場所はひと際美しい。まるで、この先に住む者こそが選ばれた者だとでも示しているかのようだった。

 この場所をディーク殿下が与えられていることだけでも、彼が特別視されていることが分かる。


 扉に近づくにつれ、男女のもめる声が聞こえてきた。


 リオ様が「先客がいるようだな」と呟く。


 勢いよく開いた扉から、ディーク殿下が飛び出した。


「うるさい! 婚約者面して僕に指示するな! 田舎者のくせに!」


 そう叫んだディーク殿下の顔面には包帯が巻かれている。


「殿下、今は部屋の外に出てはいけません! 火事があったのです! カルロス殿下が戻られるまで大人しくしてください!」


 悲鳴に近い声でそう叫んだのは、アイリーン様だった。


 リオ様と私がいることに気がついたアイリーン様の顔から、みるみると血の気が引いていく。それと同時に、手に持っていた何かをアイリーン様は素早く背後に隠した。


「ど、どうして、あなた方がここに……?」


 その呟きには、ディーク殿下が答えた。


「さっきメイドが来たときに僕が許可したんだ!」

「断るようにとあれほど言ったのに……なんてことを……!」


 悲痛な声を上げたアイリーン様を無視して、ディーク殿下はリオ様に駆け寄ってくる。


「リオ、話がある! お願いだから聞いてくれ!」

「そうだな。俺もおまえに話がある」

「よかった!」


 リオ様の声は低く冷たかったけど、ディーク殿下は気がついていないようだ。

 相変わらず、私を鋭く睨みつけている。


「でも、僕はセレナには用はない」


 とたんにリオ様の顔がものすごく怖くなった。私は『大丈夫です』という意味を込めてリオ様の背中をポンポンと叩く。


 その間に私達の横を、アイリーン様が静かに通り抜けた。背中に隠していた何かを、今度は胸に抱え込んでいる。


 私はディーク殿下に会釈すると「では、私は失礼します。リオ様、そちらはお願いします」と言い、アイリーン様のあとを追った。


 リオ様が「セレナ!」と叫んだけど「バルゴアの騎士達がいるから大丈夫です」と私は微笑む。


 早歩きで回廊を進むアイリーン様は、必死に何かを隠している。隠すということは、私達に見られてはいけないもののはず。


 私がアイリーン様のあとに続くと、それに気がついたアイリーン様が歩く速度を上げた。


 でも、残念。今の私はドレスの下にブーツを履いている。それに、王都からバルゴアに行って健康的な生活をしたおかげで、昔より体力に自信がある。


 あっという間に追いついて、私はアイリーン様の左手を掴んだ。


「きゃあ!」と悲鳴が上がり、掴んだ手を振りほどかれる。怯えて震えるその様子は、まるで猫に追い詰められたネズミのようだ。


「……アイリーン様、どうされましたか?」

「何も、何も!」


 必死に首を振るアイリーン様。


「では、質問を変えますね。アイリーン様、その胸に抱えているものはなんですか?」

「ほ、本当に、なんでもないんです!」


 青い顔で言われた言葉を信じることはできない。


 回廊の先に騎士の姿を見つけたのか、アイリーン様は一瞬ホッとした。なので、私は「あれは、王宮騎士ではなく、バルゴアの騎士ですよ」と教えてあげる。


「どうして、バルゴアの騎士が王宮内に……?」


 絶望が顔に浮かんだアイリーン様は、覚悟を決めたように回廊の外に飛び出した。そこには水が張っているわけで。


 バシャンという水音と共に水滴が舞い散る。


「アイリーン様⁉」


 溺れたらどうするの⁉


 私の心配をよそに、アイリーン様は、パシャパシャと音を立てながら水面を走って行く。


 あっ、水かさが低いのね。


 このままでは逃げられてしまう。バルゴアの騎士を呼ぶには遠すぎる。


 仕方がないので、アイリーン様を追って私も回廊から飛び出した。


 遠くでバルゴアの騎士達が何か叫ぶ声が聞こえる。


 水位は足首くらいまでしかない。まさか、私がここまで追ってくると思っていなかったのか、アイリーン様は「ひっ」と悲鳴を上げたかと思うと、胸に抱えていたものを乱暴に水につけた。


 紙? アイリーン様が必死に隠していた物は何か重要なことが書かれた文書なのかもしれない。


 アイリーン様が紙を破き始めたので、私は慌てて紙束を取り上げた。


「これは……?」

「あっ、ああっ」


 少し破られてしまい、濡れた文字が滲んでいるけどまだ読める。


 アイリーン様が隠そうとしていたものは、私がエルティダ国で『社交界の毒婦』と呼ばれたことが書かれている報告書だったのね。


 ディーク殿下の部屋から出て来たアイリーン様がこれを持っていたということは、ディーク殿下はこの報告書を読んで私への態度を変えたのかもしれない。


「ダメ! か、返して!」


 びしょ濡れになったアイリーン様が、必死に私から報告書を取り戻そうと手を伸ばした。しかし、駆けつけたバルゴアの騎士達を見てあきらめたのかガックリと肩を落とす。


 私が『社交界の毒婦』と呼ばれていたことは真実だ。だから、それが報告書に書かれていても問題にはならない。

 でも、この報告書には真実は書かれておらず、私を貶めようとする悪意あるウソが綴られていた。


「なぜ、アイリーン様がこんなものを?」


 アイリーン様は水面に顔がつくのではないかと思うくらい、深く頭を下げた。


「大変申し訳ありません! 何者かが文書を偽造しセレナ様を貶めようとした罪は何をしてでも償います! こんなものを見られたあとでは、信じてもらえないと思いますが、セレナ様が宿泊していたお部屋の火事は偶然で、決してセレナ様やバルゴア関係者に危害を加えようとしたわけではないのです! だからどうか……」


 顔を上げた彼女の頬を濡らすものが、水なのか涙なのか分からない。


 なんだか誤解があるようだけど、アイリーン様が私の知らない事情を知っていて、謝らないといけないようなことをしていることだけはたしかだ。


 私は彼女を見下ろすと「コニーとアレッタはどこ?」と冷たく尋ねた。


「……え?」


 驚くその表情は、ウソをついているようには見えない。


「私の専属メイドと護衛が、何者かに攫われたの。二人の居場所を教えなさい」

「そ、そんな……まさか……。あっ……殿下の顔のケガは……?」


 両手で顔を覆ったアイリーン様は、「もう……。もう私では庇いきれない」と呟くと長く深い息を吐いた。彼女のエメラルドのような瞳から、怯えが消える。


「セレナ様。私が知っていることを全てお話します」


 そう言ったアイリーン様は、さっきまでとは別人のように落ち着いていた。


「おそらくセレナ様のメイドと護衛騎士を攫ったのはディーク殿下の命令を受けた騎士かと。王太子殿下と聖女様ご結婚の日に、こんなことをしでかす愚か者なんて、ディーク殿下以外いませんから」


 それは、リオ様も同じ意見だった。


「コニーとアレッタの居場所は?」

「王宮内にいるはずです。ディーク殿下に人の命を奪うような重い判断はできません。二人は無事です」


 アイリーン様の言葉を裏付けるように、ひとりでこちらに駆けてきたバルゴアの騎士が叫んだ。


「コニーとアレッタが見つかりました! 二人とも命に別状はありません‼」


 ホッとしたのと同時に、私の足元がふらついた。支えてくれたバルゴアの騎士は、私を労わりながら回廊へと連れて行く。


 アイリーン様ももう逃げる気はないようで大人しく私達のあとを付いて来た。


 水を吸って重くなったドレスを引きずるように回廊に上がると、私はアイリーン様に尋ねた。


「どうしてディーク殿下は、そのようなことを? 一体、何が目的だったのですか?」


「殿下の目的は分かりません。攫った騎士達もおそらく知らないでしょう。殿下の命令を断ると、王宮をクビにされてしまうので……。今まで何人も殿下を(いざ)めた者達が王宮から追い出されてきました」

「でも、あなたはディーク殿下に堂々と意見していましたよね?」


「それは、私が王命により、ディーク殿下の婚約者に選ばれたからです。陛下は私にディーク殿下の補佐をするように、と」

「どうしてあなたが選ばれたの?」


「ディーク殿下がライラ様を愛していることは周知の事実で、王都では婚約したがる女性がいなかったのです。婚約の打診があったときに、私もディーク殿下のことを調べたので知っていましたが、褒美欲しさに覚悟を決めました」

「褒美?」


 アイリーン様は、コクリと頷く。


「私の実家のタゼア伯爵家は、文官や医師、学者などを多く輩出してきた家柄で、王都から離れた領地にも関わらず、国一番の図書館があったのです。でも、戦時中の混乱に紛れて、図書館が破壊され、多くの書物や貴重な資料が心無い者達によって盗まれてしまいました」


 俯いたアイリーン様は、「戦争は人だけでなく文化や歴史、何百年と受け継がれてきた知識さえも殺してしまうのです」と涙ぐむ。


「タゼア家は、盗まれたそれらを何十年もかけて探し求めているのですが、なかなか思うようにいきません……。陛下は、私がディーク殿下を上手く補佐できれば、王家が捜索に協力してくださることを約束してくださいました」


 だから、社交界であんな仕打ちを受けていても、アイリーン様は逃げ出さなかったのね。


「それにしても、あなた一人で補佐できるものではないでしょうに」

「はい。私もディーク殿下の予想以上の頭の悪さに、私だけでは補佐は無理ですと陛下に訴えたのですが、『不可能すらも可能にするタゼア家ならできるだろう』と流されてしまい」


「不可能を可能に?」

「戦時中のタゼア家が、あまりに優秀だったためついた呼び名です。あの時代は、医師や軍師などをタゼア家から多く輩出し大活躍をしていたと聞いています。それも過ぎ去った過去の栄光ですが……」


 ふぅとため息を吐いたアイリーン様は空を仰いだ。


「なんのために、今までなりふり構わず、あのバカを裏で必死に補佐してきたのか……。結婚式にこんなことをしでかしたとあれば、カルロス殿下もこれまでのようには許してはくれないでしょう。しかもよりによって、バルゴアを敵に回すなんて。いくら陛下でも、ここまでしたらディーク殿下を庇えません。これでもう、全て終わりなのですね……。ディーク殿下も、私も、タゼア家も……」


 アイリーン様の頬を静かに涙が伝っていく。


「でも、最後にこうしてセレナ様に私の話を聞いていただけて、本当によかった……。夜会のとき、私に声をかけてくださり、お茶会のときに庇ってくださり、ありがとうございました。すごく……すごく嬉しかったんです。セレナ様のように強く美しい女性に、私もなりたかった……」


 そう言って小さく微笑んだアイリーン様は、どこかスッキリしているようにも見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ