05 負けません!
満面の笑みのディーク殿下がこちらにかけてくる。
「やっぱりセレナ嬢だ! 美しい!」
金髪碧眼のディーク殿下は、無駄にキラキラしながら私に向かって両腕を伸ばした。
手を握られそうになったので、サッと避けてディーク殿下が私に触れられないギリギリの距離を取る。
不思議そうな顔をしているディーク殿下に、笑顔を作りながら私は内心でため息をついた。
こういうことには、もう慣れているのよ……。
祖国の社交界で、許可なく私の体に触れようとした男性がどれだけいたか。
露出の多いドレスを着せられていたから、目立つのは仕方ないにしても、その数の多さにはうんざりした。
子どものころに、『許可なく女性に触れることは、とても失礼なことなのよ』ってお母様から教わらなかったの? と言ってやりたい。
失礼な男性に礼儀を払う必要はない。
無視したり、睨みつけたり、それでも諦めないときは、その手を叩き落としたりして対応していた。
そうして、私に拒絶された男性たちが、『私に誘惑された』だの『騙された』だのと有りもしない悪評を広めていき、いつしか私は社交界の毒婦と呼ばれるようになった。
ディーク殿下には、あの頃と同じような対応はできない。なぜなら、今の私の評価は、そのまま婚約者であるリオ様への評価にも繋がってしまうから。
せっかく私が毒婦だったころを知らない人たちが暮らす場所に来たのに、また同じことを繰り返すわけにはいかない。
ディーク殿下は頬を赤く染めながら「また、会えましたね」なんて言っている。
それは、すでに婚約者のいる相手に向ける表情ではない。
でもまぁ、既婚男性でも、私を口説こうとしていたから、社交界なんてこんなものよね。
そんなことより、噴水の向こう側にいるライラ様がものすごい顔でこちらを睨んでいるのだけど……。
なんだか、ライラ様と私の異母妹マリンは似ているような気がする。
だからこそ、ライラ様にも、ライラ様に片思いしているディーク殿下にも極力関わり合いたくない。
しかも、ディーク殿下は他国の王族。対応を間違えたら、国同士の揉め事に発展してしまう可能性がある。
でも、母様が亡くなってから、貴族らしい生活をしていなかった私に、他国の王族への対応なんてわからない。
今さらながらに、次期バルゴア辺境伯令息の婚約者という責任の重さに気がついてしまう。
「セレナ嬢は、散歩中ですか?」
「ええ、まぁ……」
「ご一緒しても?」
嫌です、とはっきり断っていいのかしら?
ディーク殿下は、私の返事を聞く前にエスコートする気満々だった。
私に断られるなんて、思ってもいないのね……。
どうしよう。リオ様や優しいバルゴア領の人たちに迷惑をかけたくない。
ここは大人しくエスコートされるべき? でも、リオ様以外の人にエスコートなんてされたくない。他の人に私たちの関係を誤解されても困る。
正しい対応をしないと……でも、正しい対応って何?
「セレナお嬢様!」
コニーの声で私はハッと我に返った。
チラリと後ろを見ると、何かを引きちぎるように手を動かしているコニーが見える。
――お嬢様に許可なく触れようとしたやつは、全員、髪を引っこ抜いてやりますよ!
コニーの言葉を思い出した私は、フッと笑い肩の力が抜けた。
そうだった。今の私はひとりじゃない。
何か問題を起こしてしまったら、すぐにリオ様や皆に相談しよう。
リオ様なら、私が失敗しても、父のように私の食事を抜くことはないのだから。
私は優雅に見えるように、ディーク殿下に微笑みかけた。
「ライラ様は、向こうに行ってしまいましたよ?」
「え?」
ディーク殿下がライラ様に気を取られている間に、私は歩き出した。
「あっ、待って! セレナ嬢!」
追いかけてこようとするディーク殿下に、「ご自身の髪を大事になさってくださいね。なくなってからでは遅いですから」と笑顔で手を振っておく。
「か、髪? えっ?」
不安そうに自分の髪に触れるディーク殿下を残して、私はその場をあとにした。
コニーのおかげで上手くかわせた。これからは、ひとりで散策するのはやめよう。ディーク殿下も、リオ様がいる前では、こんなことはさすがにしないはず。
でも、他国の王族が相手だとバルゴアの名前は効果がないことがこれでわかった。ということは、私がさっき誘われたように、リオ様も他の女性から誘われる可能性があるということ。
この国にお姫様がいるとは聞いていないけど、公爵令嬢や侯爵令嬢辺りなら、リオ様を誘うかもしれない。
想像しただけで、なんだかムカムカしてしまう。
部屋に戻ると、鍛錬を終えたリオ様が戻って来ていたので、私はリオ様の背中にピッタリとくっついた。
「うわぁあ⁉」
こんなことを今までしたことがなかったので、リオ様はすごく驚いている。
「セ、セレナ?」
今、味わっているこのなんとも言えない気持ちが嫉妬なのかもしれない。
「ちょっ俺、今、すごく汗臭いから‼」
「私、負けませんから!」
「な、何にだ⁉」
真っ赤になっているリオ様の質問には答えず、私はぎゅうとリオ様にしがみついた。




