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32.ぼろネコが女神に見える

*****


 放課後のアキラっちは主に弁当屋の看板娘や。赤いメッシュのさっちん、それに青いメッシュのみゆきちも、今日は、それぞれの恋人みたいな連中のことで忙しいらしい。


 まあ、誰も相手してくれへん日があっても、それはあんまりおかしくないんやけど。


 さりとて、それはそれで寂しいな。

 そないなふうにおもてたからからそのへん歩いてるネコさんにも声かけた、藁にも縋るとはこのこと。


 真っ黒な毛並みには艶があんまし、ない。

 べつに栄養状態が悪いとかそないなとこはないんやけど、身だしなみに無頓着なようには映った。


 オレは膝ぁ折って、ひょいって右手を伸ばした、「ぼろネコさんや」とか酷い評価をくだしながら、彼(彼女?)んことをあやしたろうとした。


 ほったらや。

 ぼろネコさんは身を低く身構えたような格好をしたところで、じっと見つめてきやったんや。


 なんや?

 不思議に思いながら、オレは首かしげた。


 ほったらや、ほったらや。


「気安く触れようとするな、このポンコツニンゲンめが」


 ――は?

 ポンコツ?

 ポンコツニンゲン?


 おまえ、今、ネコのくせして、確かにヒトの口、利きやったな?


 って、そないな、目ぇ向けた。

 そったら、「都合が良いな、おまえは、ニンゲンよ」とか返された。


 どうやらくだんのぼろネコさん、しゃべれんのはホンマらしい。

 榊原〇子さんみたいにええ声なんはなんやメッチャ羨ましい、ちゅうかメスなんか、マジ惚れる。


「ぼろネコさん、ぼろネコさん」

「うるさいぞ、ぼろネコぼろネコなどと連呼するな」

「それはあぅ、ホンマ、ごめんなさい。何したら許してくれる?」

「巨大なエビフライと上質なタルタルソースを用意しろ」

「いきなりそりゃ無理やっちゅうもんや、ただでさえ、ここは下町なんやぞ」

「ああ、そうだった、そうだったな、ここは冴えない下町だったな、ふはははは」


 なるほど。

 口はええとは言えへんけど、おおらかではあるらしい。

 オレはあんたになら余裕でついていくぞ、ハマーン様。



*****


 タイヤ公園のブランコに並んで座ってる。

 誰とって、ぼろネコさんと。


 来る途中、ぼろネコさんにあまりにエビフライと、やっぱりタルタルソースとをねだられたもんやから、両方、用意したった、大田区名物のOKマートで仕入れた。どっちも冷凍もんやったから、自宅で解凍したった次第やけど、皿にのせてプレゼントしたったらくわえてぴゃーって向こうへと走り出しやったっちゅう――。


 ぼろネコさんはきぃこきぃこと揺れるブランコから飛び降りると地面――砂の上に、横たわりやった。

 背中がかゆいらしく、実際その旨、口にすると、ごろごろごろごろ転がりやる。


「見たところ、おまえは高校生だな? なあ? そうなのだろう?」


 やっぱり洞察力に優れたにゃんこさんやな。

 そないに思いつつ、オレは問いかけに対して首肯した。


「私は毛も瞳も黒い。対しておまえは――」

「黒い猫は珍しくない。白い瞳の男は、ま、その限りやないやろう」


 ぼろネコさんは「うむ」と一つ、頷いた。


「だが、おまえは異性にモテるだろう?」

「いきなりなんの話やぁ?」

「そんなお前が今、どうして一人なのかという話だよ」


 なかなか鋭いことを指摘してくれる黒猫殿である。


「普段は結構モテるんやぞ? 今はそういう状況やないってだけで」

「それはだんだん、嘘っぽく思えてくるぞ」黒猫殿は「はっはっは」と鷹揚にわろた。「そもそもモテる男とは、女性がほうっておかないはずだからな」

「せやから、その限りではないんやってば」

「はたしてそうなのかね」

「今は証明のしようがないな」オレは苦笑交じりに言う。「せやさかい、黒猫さんは意地悪や」


 べつに信じてやってもいいんだよ。

 黒猫さんはそんなふうに言うと、鼻をふんと鳴らして。


「モテる男というのはいるものだ。ゆえに疑おうとは思わない。事実として、おまえは白くて美しいからな」

「おおきに。真っ黒なあなたのこと、オレもめっちゃ綺麗やなって感じてるよ」

「世辞はよせ」

「本音やってば」


 オレがにっこりと笑いかけると、黒猫さんもにこりと頬を弛緩させたように見えた。


「で、や、黒猫さんよぃ、あなたの名前はなんぞや?」

「その昔、家猫だった折は、さあ、なんと呼ばれていたかな」


 家猫だった折?

 ツッコミどころが満載と言える事象やった。


「なんや、おまえ、家猫やったとして――捨てられでもしたんか?」

「おまえだとか、偉そうだぞ、おまえ」ご立腹な様子の黒猫殿。

「せやけど、話聞いてる限りやと――」

「ああ、そうさ。なかば、捨てられてしまったんだよ」

「ほら、そうなんやないか」

「うるさい。おまえに私の思い出を汚されたくない」


 思い出?

 オレがそないなふうに問いかけると、黒猫殿は「そのとおりだ」と力強く頷いた。


「彼女は私のことを手放したくなかった。だが、彼女の家庭環境がそれをゆるさなかった」

「せやからその『彼女』んちは貧乏やったんか?」

「貧乏になってしまったんだよ。お別れするなら早いほうがいいってんで、私は放逐されたんだ」


 なんや、これ以上聞きたくないくらい、不幸な話や。

 せやさかい、もう先は伺いたくないさかい、オレは黒猫殿――彼女に、「ウチに来るか?」って訊ねたんや。


「おまえはエビフライもタルタルソースも用意してくれた。しかしなびこうとは思わんよ」

「それはなんで?」

「結論を言うと、私は誰にもなびかないんだ」

「せやから、それはどうして?」

「ニンゲンは、信用ならない」


 ああ、その答えは予測してたんや。

 ――けど、面と向かってそないに言われてまうと、なんだかとっても寂しいし、悲しい。


 俺は俯いて、「そりゃ悲しいこっちゃ」と本音を述べた。

 そったら黒猫殿は、「いいさ。この公園は今後も訪れてやる。そのときおまえがいたら、それなりに楽しいだろうさ」と優しい弁を述べてくれた。


「マジ、御飯なら支援したるぞ。オレかて無収入ってわけやないさかいな」

「そこにあるのは私の矜持だよ、イクミ殿。自分の食い扶持くらい自分で探す。大人たるもの、それが正しいのでは?」


 否定できへんなぁっておもて、つい込み上げてきたのは苦笑やった。


「わこた。もはや何も言わへんわ」

「そうだぞ。おまえには何も言う権利もないんだ」


 なんとも立派で、そして生意気な猫殿である。



*****


 オレはアキラとタイヤ公園で過ごす時間が短くない。

 今日も夜、そないなカンジ。

 お互いブランコに乗って、きぃこきぃこと揺らしてる。


「ご、ごめんな。でも、家業の手伝いくらいはしたいんだ」


 放課後、いつもオレの隣におらへんことを詫びてるんやろう。

 そないなことはどうやかてええんや、むしろがんばって家の手伝いしてるアキラのほうが、オレは好きや、大好きや。


 その旨は伝えへんかったんやけど、そったらアキラは慌てたようにして、「だだっ、だからって嫌わないでくれよ」――。


 オレの態度はきょとんとなったことやろう。

 アキラはアキラで恥ずかしく、また照れくさいセリフを口にしたのがわかったんか、顔を真っ赤にしやったんや。


「あああっ、あたしってば何を?! い、今のは忘れてくれ、っていうか忘れろ忘れやがれ……っ!」

「そのへんはまあ、どっちでもええんやけど」

「どどどっ、どっちでもいいのか?」

「いや、そうとも言わん」

「どっ、どっちなんだよ」


 あっ。

 公園の出入り口のほうからくだんの黒猫さんが入ってくるのを認めた。


「あいつやぞ、アキラっち。あいつが例の黒猫さんや」

「そうなのか? ほぉほぉほぉ。なんだか貫禄があるな。ハリウッド女優の装いだ」

「せやろ?」

「うん」


 しゃべるんだよな?

 アキラにそないなふうに訊かれて。


「しゃべるぞ。めっちゃ流暢にしゃべりやるんや」


 黒猫殿はぴゃーっと駆けて、築山のてっぺんにまで至った。

 そっちに、走って向かったのはアキラっちや。

 マジで勢いが良かったさかい黒猫殿はビックリして逃げるかもっておもたんやけど、そこはなんだか泰然自若――。


 座り、前足をつこて自らの顔の毛並みを整えやる黒猫殿。

 アキラっちは膝を折って、その様子を眺めてやる。


 おーい、イクミ!

 ――と、アキラっちから呼ばれた。


「こいつ、べつに日本語なんてしゃべらねーぞぉ?」


 そのへんはヒトを選ぶんかもしれへん。

 その旨、届くように伝えてやると、「そんなの残念だ!」と返ってきた。


 オレも築山をのぼる。

 奴さん――黒猫殿のそばで腰を落とした。


「なあ、黒猫さん黒猫さん、前はあんなにしゃべってくれたやんか。今日はどないしたん?」


 すると黒猫さんは「なおーん」だなんて鳴くばかりで。


「いやぁ、ホンマ、しゃべったんやぞ? なかばオレは慢心してるって、気ぃつけるように教えてくれたんや」

「ちょっとビビってるよ、あたしは。しゃべる猫だとか、フツウの神経だとは思えないからな」


 そない言われても、オレ的にはこの黒猫殿がしゃべってくれたんは事実なんやから――。


「あっはっは」高らかに、アキラはわろた。「心配になるよ、おまえのこと。猫がしゃべるとかさ、あっはっは」


 むかっ腹が立った。

 ホンマにしゃべりやったんや、この黒猫殿は。


 オレはすっくと立ち上がって、アキラに背ぇ向けた。


「なんだよ、怒ったのか? あっはっは」


 そうや、怒った。

 いつもやったらそないなはずもないのに、今日に限っては馬鹿にされてるって頭にきた。


 すたすたすたと、帰路を行く。


「お、おぃっ、待てよ」とか、後ろから声。「こっ、こんなことで怒るとか、らしくないじゃんよ」とか言われた。


 アキラっちは追いかけてきた。

 オレの隣に並ぶと、注意深く覗くようにして、横顔を見てくる。


 アキラっちは慌てたように、「わ、悪かったよ」と弁解した。「馬鹿にするつもりはなかったんだってば」って続けた。


「いいや、オレは馬鹿にされたぞ。せやさかい、かなりおこなんや」

「ど、どうしたら許してくれるんだ?」

「許してもらいたんか?」

「そ、そりゃ、まぁ……」

「今んところ、方法はないな」

「えっ! そうなのか?!」


 アキラっちは心底驚いたようやった。

 オレからこないなふうにキツい言葉浴びせられるやなんて、思ってなかったんやろう。


 そのうち、アキラっちは泣きそうな顔しやって。


「ごご、ごめん、謝るから、許してくれよ……」


 オレは苦笑して、アキラっちのほうを見た。


「アホかぁ。オレがおまえに本気で怒るわけないやろぅ?」


 そったらアキラっちはうるうるって目ぇ潤ませて。


「やめろよぅ。怒られたら泣きたくなるだろぉぉぉ……?」

「まあ気にすなや」

「気にするよぅ」

「せやけどな?」

「う、うん」

「あの黒猫殿はホンマに口利きやったんやぞ」


 アキラっちはソッコーで微笑みやったんや。


「おまえが言うんだ。はなから嘘だなんて思ってないよ。っていうか、あのネコがしゃべったらかわいいだろうな」

「次に見つけたら、アキラっちにもしゃべってみせるかもしれへん」

「楽しみだ」

「せやろ?」


 エビフライとタルタルソースが好きなネコ。

 おまえんこと忘れたりせーへんさかい、またおうたときには、しゃべってほしいな。


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