30.パパから卒業
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放課後のことや。
アキラっちが大井町のヨドバシに行きたいっちゅうんで、蒲田駅の三番ホームで電車、待ってたんや。
他愛もない世間話しながら、二人で笑い合ってたんや。
そったらや。
左の太ももからその下にかけて、なんや、得も言われぬ柔らかな衝撃があった。
やんわりしたもんやったんやけど、無視できるもんでもなかった。
なんやろうおもて、そっちに目ぇやる、「ん?」って目ぇ落とす。
「お待たせ、パパっ」
つやつやおかっぱ髪の女のコが、しがみついてたんや。
目を白黒させたんは、アキラや。
「なななななっ、なっ、おまえ、イクミっ、隠し子か?! おまえはすでにパパだったのか?!」
いや、んなわけないに決まってるやろうがぃ。
オレは女のコの頭撫でたって、「人違いやわぁ」って指摘した。
見上げてきた女のコはハッとなったみたいで、それから離れて、「ごめんなさい……」って暗い声を出してぺこり――。
いや、まあ、ええんやけどな。
悪い気がしたはずもないしな。
ぱたぱた駆けてきて「す、すみません」って頭下げてくれたんは、おかあさんやろう。
ええんです、ええんです。
オレはそない言うて、満面の笑顔をこしらえた。
「ほんとうにごめんなさい」おかあさんはなおも頭を下げる。「ほんとうにほんとうにごめんなさい」
「パパに間違われるくらい、オレは貫禄あるんやなぁ、って」言うて、オレは朗らかにわろた。「ご覧の通り、見た目真っ白な、ヘンテコな高校生なんですけどね」
「とても綺麗です。ビックリしてしまいました」目を丸くしてそないなふうに言うてから、おかあさんは恥ずかしそうに目ぇ伏せた、頬は赤かったかもしれへん。「や、やだ、私ったらいったい何を……」
「その肝心要のおとうさんは、会社ですか?」
「いえ、それが……」
「それが?」
一年前に亡くなったんです、肺がんでした。
ああ、しょうもないこと、訊かんけりゃよかった。
おかあさんはおろか、女のコまでしくしく泣きだしてしもたんや。
そうか。
女のコはそのへんきっちり理解してるはずやのに、いざとなったら事実を忘れてしまうんか……かわいそうやな。
「なあ、アキラっち」
「ヨドバシはリスケでいいよ」
アキラは気遣いのヒトや。
せやから、にひひと笑顔で身を引けるんや。
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おかあさんと女のコを伴って、グランデュオ蒲田のスタバに入った。
話をするにはちょい騒がしいに違いないんやけど、とりあえず、近場やったから。
おかあさんはフツウのコーヒーで、女のコはフラペチーノ的なヤツ。
もちろん、奢ったった。
当然や、この場に男はオレしかおらへんさかいな。
まだまだ夏やさかい、まだまだ暑いなぁ。
向かい――女のコの右隣にはアキラが座ってやる。
女のコが気に入ってしもたようで、アキラに相手してもろてるんや。
オレの隣にはおかあさんがおるわけで。
「旦那さん、っていうか、おとうさんがおらんくなってしもたんは、つらいなぁ」
若造が知ったふうな口を利くことは無礼かもともおもたんやけど、話くらいはせなっておもて、口ぃ切ったったんや。
おかあさんはじわりと目に涙を浮かべると、めそめそしくしく泣きだしてしもた。
女のコは気ぃついてへん、その調子やぞ、アキラっち、どうかうまいことあやしつづけたってくれ。
「おとうさんは髪が真っ白やったんですか?」
「いえ、まったくそんなことは。ただ、細くて背の高い男性でした」
まあ、ちっちゃい子なんて上まで見ぃへんのかもしれへんから、間違われるのも無理はないか。
それにしても死んでしもたんやゆうのに「パパっ」ってなふうに忘れられへんのは、やっぱきっと良くないよな。
「オレで良ければパパ、やりますよ?」
「えっ!」
「いや、なんちゅうか、そういうことやなくて」オレは言う。「娘さんはパパがもうおらへんってわかってるわけやけど、だからこそ新しいパパを欲しがってるわけで――」
「おっしゃりたことはわかりました。ですけどご迷惑ではありませんか? あなたにとってはなんの得もない話ですよ?」
ある種、せやからこそやる気が湧いてくる。
オレはドMなんかもな。
せやから、自分でもわかるくらい、えっらい利他的なんや。
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次の日から、くだんのシングルマザー――おかあさんとこを訪ねた。
なんやかんやで、女のコは幼稚園児らしい。
つくづくパパを恋しがるってのも、無理ないな。
もしよろしければ、迎えに行っていただけませんか?
迎えに行ったろうっておもた。
とりあえず、コミュニケーションは円滑に図ったらなな。
女のコのことを連れて帰ると、おかあさんがホットプレートの上でお好み焼きを焼いてくださってた。
その言葉遣いからして、関西のヒトでないわけがありませんよね?
うふふとわろたおかあさんよ、あなたは多くのポイントを得たぞ。
コナモンにおにぎりを準備するとか、そりゃ尊すぎる行為やさかいな。
食後の女のコの話。
パパ、一緒にお風呂、入ろ?
パパ、一緒に寝よう?
かわいそうとか悲しいとか、なんてことはない。
オレは早々に引き揚げるなんてことはできへんらしいわ。
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1-Aの自席にて頬杖をついてまるでベランダの向こうに目をやるようであり。
ゆえに居眠りしているとの旨は気づかれないわけであり。
昼休みになると、今日もさっちんとみゆきちが近所の机を寄せてきた。
せやけど、なにより乱暴に居場所をこしらえたのは何を隠そうアキラっちやった。
「つまるところ、どういうことなんだ?」勢い込んで不審がるのはアキラっち。彼女は「まままっ、まさか、あの中年女性のことを抱いたとか、そういうんじゃないだろうな?!」と激しくどもった。
「アホかい、そないなことするわけないやろぅ?」
「だったらどういうことなんだ?」
「いやまぁ、特別、どないやってことはないんやけど」
「うっわ、うっわ、ひどいなイクミは。なんだかんだ言っても、あの二人には夢を見せてやるべきじゃないのか?」
「アキラ、おまえはどっちやねん」ため息が漏れた。「まあ、うまく立ち回るつもりではあるけれど」と続けた。「言いたいことはわかる。せやけど事実は事実で変わらへんしなぁ」
アキラっちは両肩をがくんと落として、「そりゃそうだ」――。
「せやろ?」
「ああ、そこに間違いなんてないな」
「でも、だったら」
アキラはそう、口を利いて。
「そうなんやよ、そうなんや」
「だよな。前に進まなきゃ、だよな」
「ああ、そうやぞ。今は亡きおとうさんとおかあさんの一粒種であるわけや。前、見れるようにしたらんとな」
「あたしに手伝えることはあるか?」
「いいや。おまえは必要ないわ」
「そう言われたらそう言われたで、なんだかなんだかなんだぞ?」
「とにかくまあ、うまくやれへんかったら、オレはそこまでの男やって話や」
アキラはふっと、頬を弛緩させてみせやった。
「がんばってくれとしか、言いようがないな」
オレが「わこた、がんばるぞっ」って強く強く宣言すると、アキラは熱い物がすっと胸の内に通ったような、爽やかな笑みを浮かべたんや。
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あるいは自分の存在価値を確かめられる事象、瞬間って、得難いもんやないやろうか?
そないなふうに考えながら、今日も女のコをお迎えにあがった。
待ちわびてたんやろう、「パパッ」って呼んで、駆けてきやった。
やっぱパパではないんやけどな。
そないおもて、つい苦笑してしもたんは申し訳ない。
しゃがんで両腕を広げてやると、女のコは勢い良く飛び込んできやった。
「パパ、パパ、今日もありがとう、パパっ」
女のコはどこまで自覚的なんやろうか。
なんとなくやけど、パパがもうおらへんくなってしもたことは、しっかりわかってる気がしてならへん。
今日はあのコがどうだったの、このコがこうだったの。
手ぇつないでの帰路、女のコは楽しげに、友だちの話題を繰り出しやった。
もう三日ほど同じ夕方。
オレはおかあさんのところに女のコを送り届けて、ねだるもんやさかい女のコとトランプで遊んで、それからおかあさんに見送られてマンションを出る――っちゅう日々を続けてる。
どうあればええんやろう。
どこが出口なんやろうな。
答えは見えへん。
夏休みの全部はくれてやろうくらいには考えてた。
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その夜、女のコのおかあさんの電話番号から着信があった。
オレは当該おかあさんのことが嫌いやないさかい、昼間からベッドの上でまどろんでたんやけど、快く応じた。
パパ……?
お伺いを立てるように口を利いたんは間違いなく、くだんの女のコやった。
「おう、どないした、ハルカぁ」
そう。
女のコの名は「ハルカ」っちゅう。
ハルカはいきなり言いやった。
「パパ、ごめんなさい……。パパはパパじゃないのに、ごめんなさい……」
沈んだ、狂おしいほどに、健気で痛々しい声色やった。
「何言うてんねん、ハルカ。おまえは賢いさかいそんなんわかってたやろ? せやけどオレは、おまえのパパなんやぞ」
「でも、それじゃあパパは『シアワセ』になれないでしょ?」
シアワセ。
ちっちゃい女のコが言うと、なんてヘヴィな言葉なんやろう。
「ええんやよ、ハルカ。オレはずっとおまえのパパでおったるさかい」
「でもね? それじゃあアキラちゃんが、不幸になると思うの」
いきなりなんてことを言い出すんや。
そもそもアキラのことなんて、ハルカは詳しいこと、知らんはずや。
「ハルカだって、女のコなんだよ?」
……は?
「私だって、女のコなんだよ?」
……は?
「わかるの。アキラちゃんは誰よりも、パパのことが好きなんだ、って」
まあ、そうかもしれへんけど……。
とか、しょうもないことは口にできへんかった。
「いいの、パパ、いいんだよ? ハルカは我慢できるから」
やっぱガキやな、クソガキやな。
ちっこい子どもの我慢が胸に響かんわけないやろ?
「ハルカ、家で待ってろや。すぐに行ったるさかい」
「来てくれるの? でも、どうして来てくれるの?」
「黙って待ってろ」
「……うん。わかった」
ハルカのためにやったらどれだけでも骨折ったろうって――。
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指定された、マンションの近くの公園を訪れた。
ちょい、驚かされた。
おかあさんがおることは想定してたんやけど、アキラっちまでおったからや。
ハルカとアキラは鬼ごっこしてやる。
微笑ましい様子やとしか、言いようがなかった。
ちょい呆気にとられてるオレんとこに、おかあさんが近づいてきた。
「ごめんなさい、イクミさん。ウチのコが、ハルカが何か言ったんですよね?」
「まあ、それはそういうことなんかもしれませんけど」
「まさかアキラさんもあなたも呼び出すだなんて」
「いや、せやさかい、それはかまへんですよ」
アキラっちが駆けてきやった。
オレの目の前で両膝にそれぞれ手ぇ置いて荒い息しやる。
そないな彼女のおしりに、ハルカは「タッチぃ!」言うて手を当てたんや。
たぶん、この場におるニンゲンすべてが自分の立場を理解してて――。
そうである以上、ハルカも何もかもわかってるはずで――。
「パパぁ、抱っこ」
両手を伸ばして、ハルカが求めてきやった。
「てんで、ええぞぉ」
オレはハルカのことを軽々と持ち上げて、ぎゅって抱き締めた。
「……パパ?」
「ん? なんや?」
「ハルカは今日で、パパを卒業します」
眉を寄せたくなる言葉で、せやさかい、実際、そうした。
「ええんか?」
「うん、いい。今までありがとう、ね……?」
強いコや。
余計に悲しくさせられる。
ほっぺにチュッてしたると、くすぐったそうに、わろてみせた。
「ハルカには、ほんとうの新しいパパができるのかもしれないよ?」
その心当たりがあるんか、あるいはその予定があるんか、おかあさんはしくしく泣き出しやった。
「オレはいつかて、おまえのそばにおるぞ、ハルカ」
「うん。ありがとう、ありがとうね?」
珍しいな。
オレの目から涙が伝うなんて、ホンマ、珍しい。
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手をつないでの、とりあえず、最寄りの駅までの帰路。
「おまえ、今回は――『今回も』かもしれないけど、すごく良くがんばったように思うぞ?」
「それっていわゆる慰めの言葉かぁ?」
「いたってフツウの本音だよ」
「褒めてもらても悔しいんは、なんもできへんかったなぁっちゅう無力感は、拭えへんなぁ」
「ハルカのおとうさんが死んじゃったのは、おまえのせいなんかじゃないだろ?」
「そりゃそうなんやけど。ああ、アキラっちの言うてることは正しいな」
つないでる手に、アキラっちは力を込めた。
「抱かせてやろうか? い、いいんだぞ? べつに、それくらい……」
「無粋な話、しなや?」
「ぶぶっ、無粋だとぅ?」
「わかった。抱かせろ」
「ややっ、やだぁ、やっぱりやだぁ」
今度はオレも、つないだ手をぎゅってした。
「どうかハルカに、幸せを」
「ホント、そうだ。それはそうだ」
アキラはいっそう強く、手を握り返してきた。




