3.保健室
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相変わらずの六月――の日の朝、オレは弁当屋のすぐ近くでウィダーをちゅぅちゅぅすすりながら目当ての女のコが出てくるの待ってた。ワイヤレスのノイキャンイヤホンから流れてくるんは「つべ」のミックスリスト、身勝手とはいえ学習してるさかい、聴こえてくるんは心地のええもんばっかりや――推しは「女王蜂」。
もう数回目やっちゅうのに、店舗兼自宅の勝手口から出てきたアキラん奴はオレを見るなり「げっ」とでも口走らんばかりに身ぃ引きやった。ホンマにワンパターンなやっちゃな。どう考えたって、どう観察したってオレは無害やろ。否定されたらされたで、言い返すんは難しいんやけど。
今日も男物の制服――茶色いパンツルックのアキラは右手にビニール袋、提げてた。透けて見える中身はなんや、鶏肉かなんかの端っこか? アキラがオレんこと無視してすたすた進むんはいつものこっちゃ。後をつけても「がるるるるっ」とまでは吠えられへんさかい、決定的に嫌われてるわけでもないんやろうって思うことにしてる。
雑色商店街を雑色駅に向かってしばらくまっすぐ歩いたところに、いかにも古めかしい、老舗に違いない肉屋がある。店の前にはいっつもネコが三匹たむろしてて、肉屋の店主とか、今日みたいな日はほらアキラから、ネコちゃんズはごはんもらいやるんや。せやけど、生肉なんや、オレは腹こわさへんのかなぁっていっつも心配するんやけど、たとえばアキラなんかは「大丈夫なんだよ。今まで大丈夫だったんだから」とか事も無げに言うてくれる。「おまえのおなかが軟弱なんだ」とかあさっての方から物言われたりもした。
ガッコへの道すがら。
なんだかんだで並んで歩きながら。
「なんで毎日迎えにくるんだよ。学校とはまるっきり逆じゃんかよ」
「アキラんこと、誰かにとられたら困るんや」
「だだっ、だから、そういう軽薄な物言いは――」
「軽薄ついでに言わせてもらうわ。一発、ヤらせてくれたら考え改めるかもしれへん」
「ややや、ヤらせろっていうのは?!」
「文字通りの意味や。オレは裸のおまえを抱きたい」
やだぁっ!
やだぞっ!!
アキラはそんなふうに大きな声を出すと、両腕つこて自分のこと抱きしめて、大げさなくらいのけぞりやった。
「最近、アキラの下着の色ばっか気になってる」
「おおぉっ、おまえはヘンタイだ! 明らかにヘンタイだっ!!」
「胸デカいのかて隠してるやろ? まさかサラシでも巻いてるんか?」
「うぅっ、うるさい! おまえには関係ないっ!!」
「抱いたるってば。任せとけってば」
アキラは顔を真っ赤にして、「死んどけ、馬鹿ぁっ!!」とか叫びながら、学校への道のりをきっと全力疾走、駆けだした。
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昼休み明けの五時間目に参加すべく、音楽室に向かってる。
一緒なんは赤いメッシュのさっちんに、青いメッシュのみゆきち。
なんでアキラはおらへんのかと言うと、保健室に行ったらしくて、それはよくあることらしい。
「なんでなん? なんでよくあることなん?」オレは率直に訊いた。
「エロい目で見られることに疲れてる」っちゅうんが、さっちんの返答や。
「なんやかんや言うても名誉なことや思うけどなぁ。魅力的なことの証左やん?」
「イクミくんさぁ、キミ、本気でそう考えてるのぉ?」
そうや、オレの名前はつくづくイクミくんやったな。
加えて真っ白な肌に、アルビノの蛇のそれみたいな気色の悪い白い瞳。
オレの特徴、しばしば思い出すな、自分ではわからへんもんやさかい、そのへん、あんま、意識せーへんねんけど。
「イクミくんはさ、私とみゆきちのこと、どう思う?」
「イケてる思う」
「エッチしたい?」
「おう、任せろや」
「それがダメなんだってば」
そら、そうやろう。
男にそないな目で見られて悦を感じてまう女のコはちょい珍しい部類やろう、一般的にはイタいとも言える。
「せやけど、どっかで割り切らへんと、幸せになれへんのちゃうかなぁとも思う」
「端折って言っちゃうと、男と女である以上、それは正しいんだろうね」
「たとえばぁ、さっちんは女のコに生まれたこと、後悔してたりすんのん?」
「割り切ってる。女のコに生まれたんだから、女のコをしないとってね」
うーん……と、オレは少し悩んでから――。
「ほならさ、アキラは男になりたいとでも言うん?」
「百円で性転換できるっていうなら、とっくにしてるような気がする」
「えーっ」オレは文句を言いたかった。「あんな美人やのに? あんなにかわいいのに?」
「だ・か・ら、最終的にそのへんを判断するのは本人でしょ?」
まあ、そうなんやけど――。
「でも、いっぽうで、あのコはめちゃくちゃ女のコをやりたいのかもしれないとも思ってる」
「そうなん?」
「うん。だってさ、下着とか見に行ったら、めちゃくちゃ悩むもん」
「ほえぇ」意外としか言えへん。「いっそサイズとか色とか聞きたいとこやけど」
「自分で確かめなよ。あんたにそれができたなら、私もみゆきちも万々歳」
今は四階で音楽室は二階で、保健室は一階。
音楽室に向かわなあかんところをオレはスルー、さっちんとみゆきちは置いといて、保健室に向かった。
ミスんなよーっ。
――さっちんはおっきな声で言うた。
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保健の先生はバリバリにイケてるナイスバディのエロいおねえさん――なんてことはなくてきちんとフツウの白い物がまじったおばちゃんで、せやさかい「七尾さんの様子見にきましたぁ」っちゅうたら、「男子が何言ってるの」とごくフツウにあしらわれた。部屋ん中の気配からしてたぶんほかには誰もおらへんやろうって察して「アキラぁ」と呼びかけた――返事はない。「アキラぁ」ともっかい呼んだ。そったら小さく「……なんだよ」って声がした。間仕切りのカーテン越しに「入ってええか?」って訊ねたら、これまた「……いいぞ」と小さな返事。
センセも見逃してくれたらしゅうて、せやさかいカーテン開けて入ったら、向こう向いて横になってるアキラがおった。ずんどこベッドん中に押しかけたろかおもたけどさすがにガッコでそれはマズいやろう思うくらいの常識はオレにもあって――。
「アキラぁ、ホンマに身体の調子、悪いんかぁ?」
「悪いんだ。だから横になってるんだ」
「オトコに見られんのが嫌や言うてもなぁ」
「そ、そんなこと、あたしは言ってないぞ」
「言うたぞ。言うてなくても、言うてるのと同じやぞ」
誰にも見られたくない。
誰に触られるのだってごめんだ。
アキラは切実そうに、そないに言うた。
せやのに着るもんはかわいいもんを選びたがる。女のコらしいもん、着たがる、盛大すぎる矛盾やな――せやけど、そういうことらしいさかい。
自然と表情が崩れるっちゅうもんや。
オレは右手伸ばして、アキラの後ろ髪に指ぃ通した。
柔らかい髪で、指先が触れたうなじはえらく冷たいように感じられた。
アキラは身体をぷるぷるぷるぷる震わせる。
それだけ怖い思いをしてきたんやろう。
「期待しろとは言わへん。せやけど、オレはおまえを裏切らへん」
そないなふうに言うたったら、そのうちゆっくりアキラの震えが止まった。
「外の世界かて、そない悪いもんちゃうんやぞ」
今度はがしがし頭ぁ掻いてやって、それから、ベッドに背中向けた。
「泣きなや」
そう。
アキラはしゃくりあげるようにして、肩を揺らし始めたんや。
涙流すくらいなら、いっそ誰かに甘えればええのになぁ。
それをせーへんあたり、アキラの強さなんやろう。
たぶん、そのへんにオレは惚れたんや。
そりゃもう、ひとめぼれ。
裸の彼女に触れたいとか、じつのところ、そんなん二の次でしかないんかもしれへんな。




