2.看板娘
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起き抜けに寝ぼけまなこのまんま歯ぁ磨いてたせいや。
兄貴に「朝はしっかり食べろ」って注意された。
「コンビニでウィダーでもこうてくわ」
「それをヒトは無駄遣いというんだ」
「かたいこと言わんといてよ」
歯ぁ磨き終えたら部屋に戻って制服に着替え。
のっぽな体躯のせいで顔が半分見切れてまう姿見の前で身だしなみをチェック。
しっくりこぉへんなぁ。
ブレザースタイルなんて初めてや、チューボーんときは問答無用の詰襟やったさかいな。
「兄貴ぃ、もう出るわ」オレは玄関でローファーつっかけながら言うた。
「不注意がないようにな」っちゅう言葉はなんとも潔癖な兄貴っぽいなぁ。
家を出た。
やっぱ時間は早い。
始業の三、四十分前に来てほしいっちゅう話やった。
きっとあらためて、いろいろと説明があるんやろう。
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東海道線、あるいは京浜東北線の線路近くにくだんの高校はあって、蒲田学園――蒲田っちゅう枕詞に「学園」なるハイカラな響きはなんや笑える。
言ってみれば「学校の掟」みたいなもんを職員室の応接セットで叩き込まれた上で教室に向かって堂々と歩いたる、途中で予鈴が口利きやった。
予鈴が鳴ったっちゅうのに、生徒がまだ廊下におって、それって三人組の女のコ。
見覚えのある洗練された背中があったんや。
すっきりさっぱりとしたヘアスタイル、長身、痴漢されるくらいのヒップの肉感的な装いは本日も健在や。
ボーイッシュな身なりやからこそ、えっらいエロさが引き立って際立つんや。
気がついたら抜き足差し足忍び足、そのうちスピードを上げてすたすた歩を進めた。
おなかに両手を回すようにして、オレは後ろから女のコのことを抱きすくめた。
女のコが「ひゃっ」と短い悲鳴をあげたのがわかった。
オレは「やっほぉ、また会えたねぇ」ってご満悦。
「ぎゃーっ!」女のコ――アキラは上向いて、そないなふうに発した。「やめろやめろやめろぉっ、離せ離せ離せぇぇっ!!」とじたばた暴れた。
まるでキスをするように首筋に唇を押し当て、その甘ったるい香りをくんくん嗅いだったら、今度は「ひゃぅんっ」とか色っぽい声を出しやった。
かわいい。
めっちゃかわいやんけ。
――と、後ろから何か硬いもので頭のてっぺんを叩かれた。「こらこらこら、やめなさい、犀川くん、セクハラですよ」と注意くれたんは担任教師だ。どうやら出欠簿、しかもその角で叩かれたらしく、せやさかい、それなりに――いや、著しく痛かった。
「センセー、アキラでもええわ」オレは右手を上げた。
「な、なんだよ」と応じたのはアキラや。
「アキラ、おまえは1-Aなんか?」
「だ、だったら、どうかしたか?」
「おぉ、まさに運命やな。今日から同じクラスや。よろしゅうな」
オレはアキラと向き合って、右手を差し出した。
おずおずって感じやったけど、手を握ってもらえた、あはは、空気読めるやっちゃな、あはは。
っちゅうても、じつは流されやすいタイプなんかもしれへんな、頬が赤いのがなんとも言えん、とにかくかわええ。
アキラと一緒におった女のコ二人には握手を求められた。
「転入生さぁん、大阪弁、私、ツボ」
「私もだよぉ」
それが女のコ二人の感想らしかった。
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教室――最後尾の窓際にアキラの席があって、その右隣がオレに与えられた。
色素の薄い白い髪にえっらい気色の悪い白眼、そないなオレはえっらい目立ってしょうがないわけやけど――。
物珍しさもあってやろう、せやから女のコにはきゃぁきゃぁ言われて、男どもから妬みに違いない視線を向けられんのは、まあ慣れてる――。
さて、授業中のアキラに至っては真面目の一言に尽きた。
しこしこ一生懸命に板書写して、視線も真剣そのものや、見習わなあかんなっておもた。
キンコンカンコンが鳴って、授業がはけたところでアキラは顔を机の上に突っ伏した。
「なんやアキラ、どないした?」
「勉強は苦手だから疲れるんだ。っていうかアキラとか、えらそうに呼ぶなよな」
「ほな、七尾さんて呼んだろか?」
「それはそれでヤだよ。よそよそしいのも苦手なんだ」
「ほなら、アキラな」
「勝手にしろよ、もう」
やがて昼休みを迎えると、先達ての女のコ二人がやってきた。
ざっくり言うと、赤いメッシュが「さっちん」で、青いメッシュが「みゆきち」らしい。
二人は近所の空いてる机を寄せてきて、うまい具合に自分たちの席をこしらえやった。
オレはというと、そりゃ当然いち早くアキラの机の半分に陣取ったった次第や。
「なんだよ、転校生。おまえさっきからマジ馴れ馴れしいぞ」
「いや、おまえ、かなりの美少女やんか。つっけんどんなところ含めて、オレ、おまえにガンギマリなんやわ」
「だだだだだっ、がががががっ、ガンギマリだぁ!?」
「推しやぞ、おまえは。オレの推し」
アキラが戸惑ういっぽうで、オレはあははとわろた。
「いいじゃん、アキラ」アキラ氏の友人らしい赤メッシュの女子が言った。「あんたにも本格的に色っぽい話が来たのかもよ?」
「そうそうそう、そうだよ、アキラちゃん。これはチャンスだと思うよぉ」もう一人のかるーいノリの青メッシュの女子――が言う。「たとえば痴漢なんか、絶対にもう嫌でしょ?」
「それわぁ、そうだけどさ……」なんとも実感がこもった受け答えをしたけなげなアキラさん。
さっちんに「ナイトさまがやっと現れたんだよ」と言われると、「やめろぉっ、ナイトとかやめろぉっ」などと少々大きな声を出した。照れ屋なのはもはやわこてるさかい、べつにその言い分については違和感は覚えへん。ただただ、かわいらしいなって思うだけや。赤いさっちんと青いみゆきちはとにかくアキラの背中を押したいみたいや。まあ奥手そうに見えるさかい、ダチとしてはとっとと片付いてほしいんかもしれへんな。親心? 老婆心? どっちが適当な表現なんかはわからへんな、わからへんけど。
女のコ二人はえらい短いスカート姿で、アキラはというとやっぱりズボン姿。
見えるもんより見えへんもんのほうに魅力を感じてまうんは気のせいやないやろう、男ってのはそういうもんや。
「やっぱりイマドキの女子高生もおるんやな」
「そうだよ、イクミくん」さっちんが言う。「醜いんだったらヤだけど、綺麗な脚なら見せつけてやろうって思うんだ」
「激しく同意なのだ」とは、みゆきち。
二人の意見はなんとも豪快かつ強引。
しかしどう考えてもや、それは真実と言ってええやろう。
女のコどものあけっぴろげなところに、めっちゃ東京を感じたりもした。
美に対する意識が潔くて幼稚なんや。
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オレとアキラんちが近いことはとうにわこてるさかい、帰り道、彼女のことをつけたった。そのうち気づかれたんやし、そうである以上、「帰れ!」と言われるのは当然なんやけど、なんやかんやで折れてくれたもんやさかい、ついていくことにした。雑色商店街は小さくて短いんやけど、老舗と呼べる個人商店ばっかが並んでる。
「なあなあ、アキラ。おまえんちの家業ってなんなん?」
「どうでもいいだろ、そんなこと」アキラはずんずん前を進む。
商店街の北の端に近いあたりに突き当たった。
行き着いた先はなんとも年季の入った店、看板にゃあ「七尾の弁当」ってある。
「ほぉほぉ、アキラんちは弁当売ってんのかいな」
「悪いかよ」
「誰もそないなこと言うてへんぞぉ」
帰れっ!
アキラはそう言い放ち――。
「それはかまへんけど」と、オレはアキラの背中に言葉をぶつけた。
「なんだよ? まだなんかあるのか?」アキラは振り返った。
「あとでもっかい来るわ」
「来んなよ、馬鹿。っていうか死ね馬鹿、絶対死ね、馬鹿」
「客として来るっちゅうてんねんけど?」
アキラは振り返ると、どことなく悔しそうに難しい顔をした。
「ホンマ、来るさかいな」
言って、オレは場を後にした。
アキラ。
ホンマにかわいいやっちゃなぁ。
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一応、兄貴にLINEした。
はように帰るようならメシ作っとくぞー、って。
帰れへんっちゅう返事やったからやっぱ出かけることにした。
めっちゃ賢いのに残業せなあかん兄貴の実務ってなんなんやろうな、見当もつかへんわ。
目当ての、アキラの弁当屋まではフツウに歩いて五分ほどや。途中でおでんの屋台を見つけた、列ができてて、注文の品をビニール袋に入れて寄こしてくれるらしい。なんともわかりやすい商売やなと感心しつつ、先を進んだ。たこ足なんか食べたいな、からし付けて――なんてのは脈絡のない思考――。
くだんの弁当屋に到着。
ほったらまるで看板娘を務めてるアキラに出くわした。
エプロン着て、三角巾までつけてやる、どっちも年季入ってるけど、どっちも真っ白。
客が並んでて、せやさかい、オレはしばらくのあいだ、離れたとこでアキラの働きぶりを見てた。
信じられへんくらい、愛想が良かった。
なんや、綺麗に笑えるんやんけ。
新たな発見やったな。
顔を覗かせると、すぐにオレやって気づいたらしい、露骨に顔をゆがめてみせた。
「来んなっつったぞ」
「かわいいやん、アキラ。給仕さんのカッコ、めっちゃ似合ってる」
なななななななっ!
そんなふうにどもりまくって、アキラは目を白黒させた。
「ややっ、やめろぉっ、あたしにそんなつもりはないんだっ」
「でも、よう言われるやろ? かわいい、って」
「なっ、なななななっ!」
ったく、ワンパターンなやっちゃな。
「客だろ? 客なんだな? でなけりゃこれ以上、相手してやらないぞっ」
「何がオススメなんや?」
「そんなの教えてやる義理はないんだっ」
「せやけどさ、オレはおまえんこと、めっちゃ好きやからさ」
「すすす、好きだとか、なんでそんなに軽々しく言えるんだっ」
まあ、そのへんはどうやかてええさかい――。
オレはアキラとの会話を続けることにする。
「アキラっちさぁ」
「あ、アキラっち? ななっ、何がアキラっちなんだ?!」
「あの日、あの時の痴漢に感謝やなっておもてな」
「痴漢なんかに感謝するな!」
「まあ、そうなんやけどさ」
オレは朗らかに笑った。
オレはそっけなく突き出されたメニュー表を見る――品を見定める。
タイトルからして気になるメニューがあった。
「なんやねんな、これ。『めんたいのりから』って。名物って書いてやるけど」
「馬鹿か、おまえは。『めんたいのりから』は『めんたいのりから』に決まってるだろ」
「いや、なんとなくはわかるんやけどさ、にしたって、詳細はまるで不明や。教えてもらいたいな」
するとアキラはいきなり振り返って、それから「じいちゃん、めんたいのりから一つ!!」と大きな声で注文? した。
「おい、待てや、アキラ。オレはまだ頼んでへんぞ?」
「だったら断ればいいだろ。それとも、断っちまうくらい、おまえは器が小さいのかよ」
まったくもっておっしゃるとおり、じつに正しいことを言うてくれた。
せやさかいオレは――。
「わこた。二つでも三つでもこうたるぞ。とっとと寄越せや」
「偉そうな物言いはどうかと思うぞ。すねかじりなんだろ?」
オレはわろた。
「そりゃそうや。もうちょい控えめに生きなな」
「い、いや、べつにおまえの背景とか性格まで否定するつもりは……」
そないなふうに聞こえたんやけど、気のせいやったんかもしれへん。
せやさかい、つい「ああん?」と問い返すように先を促してしもた。
「いいよ、もう」アキラはプンスコ、怒った様子。「めんたいのりから、一丁な」
「おぅ、頼むわ」
するとややあってから、アキラはがくっと俯いた。
それから上目遣いでオレんこと見てきたんや」
「い、いいぜ? 弁当、奢ってやる」
「へ?」その物言いが意外すぎて。「そないなことしてもらう理由があらへんぞ?」
「うう、うるせーな。その、痴漢の――」
「ああん? 痴漢がどうかしたかぁ?」
アキラは明らかに慌てながら、「卑猥な単語をデカい声で言うなぁぁっ!!」と頭を抱えた。
そのさまを見て、オレは盛大にわろた。
わっかりやすいリアクションやなぁ。
「いいよ、もう! 痴漢の御礼だ!!」
なんだかとてつもなく誤解を招きそうなセリフをアキラは吐いて――。
じいちゃん? から寄越された弁当――発泡スチロールに入った弁当箱を、アキラは手早くビニール袋に入れて、つっけんどんな感じで寄越してきた。
「ほら、もういいだろ? とっとと帰れよ。冷めちまったらうまいもんもうまくなくなるんだぜ」
「そりゃそやろうな。しかしやアキラ、一つお願いを聞いてくれへんか?」
「お、お願い? なんだよ?」
「右手、貸してくれ」
「なななっ、何しようってんだよ?」
「ええから」
身構えてたアキラやけど、案外素直に言うこと聞いてくれた。
寄越してもろた右手の甲に、オレはちゅってキスしたった。
「馬鹿ぁっ!!」
そないな叫びと一緒に、脳天におもくそチョップかまされた。
「セクハラだセクハラだセクハラだっ! あたしはおまえを許さないぞっ!!」
顔、真っ赤にしてやる、かわいいなぁ。
ホンマ、好きにならへん理由なんてないやろう?
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めっちゃ腹へってたさかい、家に着いたらソッコーで弁当の蓋開けた、晴れて「めんたいのりから」とご対面っちゅう――。
まずはどでんとしてるでっかい鳥の唐揚げが目を引いた、ホンマ、メッチャでかい、こんがり、ええ色。
とはいえ、こいつはちゃんと中まで火が通ってるんか……そのへん心配やったから内側を確認、うん、大丈夫、これまたええ色や。
広い海苔めくったらご飯にびっしり明太子が塗りたくられてた。
うん、なるほど、まったくもってわかりやすいメニューや、コスパもええやろう、今時、明太子なんて安いもんやないさかいな。
掻き込むようにして食ったった。
食ったって、それからペットボトルのほうじ茶をぐびぐび飲んだ。
そうか。
ホンマ、うまいんやな。
めっちゃ偉いぞ、めんたいのりから。




