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あの日、星空の下で -Star Observation Society-  作者: TOM-F
Sign12 サジタリアス・スターオブザベーション
34/36

α Sgr


 目の前には、黒く凪いだ海が、どこまでも広がっていた。


 松の梢を渡る夜風が、さらさらと音を立てている。

 背後からは、夏祭りのお囃子の声が聞こえていた。どんどんと鳴る太鼓の音に混じって、勇ましい掛け声がこだましている。


 僕は、人混みの喧騒から外れた児童公園のベンチに座って、左手を包み込む温かくて柔らかなものを感じながら、黒い海を見つめていた。


「ねえ……」


 すぐ横から、女の子の恥ずかしそうな声がした。


「お星さまがきれいだね、ともゆきちゃん」


 声のほうを見ると、花柄を散りばめた白い浴衣を着た、長い髪の女の子が座っていた。

 桜が満開に咲くころに、都会の小学校から転校してきた女の子だった。

 そのおおきな瞳とふっくらとした頬に向かって、僕は答えを返す。


「うん、そうだね」


 女の子は、白い足をぶらぶらさせながら、甘えたような声で僕にせがんだ。


「ねえ、お星さまのお話、聞かせて」


 僕は、天空を横切る天の川を指差して、それが小さな星の集まったものであること、そしてその銀河という星の集まりのなかに、僕たちの住んでいるこの星があることを話した。

 つい最近、図鑑で見つけたばかりのとっておきの話だった。


「すごい、ともゆきちゃん、お星さまの先生だね」


 僕を見つめる瞳が、きらきらと輝いている。


「ねえ、夏休みになったら、またいっしょにお星さまを見ようね。お話も、いっぱい聞かせてほしいな」


 そのまっすぐな眼差しが眩しくて、僕は思わず目を逸らして空を見上げる。

 漆黒の中に銀色の砂を撒き散らしたような星空を、一筋の光が横切って消えた。


「あ、流れ星」


 僕と女の子の声が重なる。


「ねえねえ、あたし聞いたことがあるよ。流れ星が消えるまえに、ねがいごとを言えたら、それがかなうんでしょ?」


 そんなわけはない、と僕は思った。

 流星は、小さな星の屑が地球の大気に突入したときに、摩擦熱で燃えているものだ。天空にいる神様が見せている奇跡ではない。

 でも、目の前で無邪気にそれを信じている女の子に、そんなつまらない話をしたくなかった。


「そうだよ。なにか、ねがいごとでもあるの?」

「うん。でもね、あんなに早く消えちゃったら、言えないよ。あたしのねがいごとは、かなわないのかな」


 いつも元気に、僕を引っ張りまわしている女の子だった。

 その笑顔はきらきらと輝いていて、僕にはそれが眩しくて、この子といるのが楽しくて、いつでも一緒に居たくて。

 今日だって、ついさっきまで愉快な夏祭りを過ごしていたのに、急にこんな悲しそうな顔をされたら、僕はどうしていいのかわからなかった。

 この子には、いつも笑っていて欲しかった。春の日の、おだやかな陽光のように。

 だから、僕は言った。


「じゃあ、ねがいごとを言って。僕が、流れ星を出してあげるよ」

「いくらともゆきちゃんがお星さまの先生でも、そんなことできないよ」

「大丈夫。もし、流れ星が出なくても、僕がねがいごとをかなえてあげるから」

「ほんと?」


 僕の出任せの言葉に、女の子は再び目を輝かせた。

 僕には、それがなにより嬉しかった。

 空を見上げると、天の川を挟むように夏の大三角があった。

 三つの星の中でもひときわ強い輝きを見せる、はくちょう座のデネブを指差して僕は言った。


「いいよ、ねがいごとを言って。あやのちゃん」


 うん、とうなずいて、綾乃は口を開いた。


「ともゆきちゃんと、ずっといっしょにいたい。おなじ学校に行って、それから、お嫁さんになりたい」


 そのとき、僕の指先をかすめるように、大きな流れ星がゆっくりと天空を横切った。

 微かな光の痕跡を残して流れ星が消えたとき、綾乃はねがいごとを最後まで言い終えていた。

 僕は、そのねがいごとが嬉しかった。

 そうだ。僕たちは、ずっと一緒に居るんだ。夏休みが終わっても、年が変わっても、いつかもっと上の学校に上がっても。

 ずっと、このまま、ふたりで……。




「あのね、あたし、来年の春にはアメリカに行くから……」


 プラネタリウムの投影が終わったあと、地学準備室の窓辺に三人並んで夕焼けの空を見ながら、綾乃がそう告げた。


「こんど日本に帰って来るのは、早くて四年後だよ。でも、もしかしたら、そのままあっちで暮らすことになるかもしれないよ」


 それはまるで、週末のちょっとした家族旅行の計画を打ち明けるみたいに、軽やかな告白だった。

 僕は、自分の耳を疑った。

 綾乃は、なにを言っているんだろう。アメリカ、四年後、そのまま帰ってこない……。

 そして、ようやくその意味に思考が追いついて、僕は愕然とする。


「綾乃、それって、ほんとなの。どうして?」


 問い返した僕の声は、かなり気色ばんでいたと思う。

 けれど綾乃は、おおきな瞳に僕を映したままで、はっきりと答えた。


「ずっと考えて出した答えなんだ。フォトジャーナリストになるのは、あたしの夢だから。遠回りなんて、したくないしね。あ、詩織ちゃんに言っておくけど、智之ちゃんを諦めたわけじゃないからね。あたしと智之ちゃんは、運命の赤い糸でしっかりと結ばれてるし、将来を約束し合った仲なんだからね。五年後には、あたしが最年少記録でピューリッツァ賞を取って、ついでに智之ちゃんもゲットしちゃうから、そのつもりでね」


 綾乃はすこし早口でそこまで喋ると、大きな目を細めて笑顔を浮かべた。

 そして、唖然としたような表情の詩織に向かって、言葉を続けた。


「詩織ちゃんは、これからどうするの?」

「私は……」


 突然のことに、詩織は答えが見つからないようだった。

 すこし潤んだ琥珀色の瞳が、綾乃と僕を写し、最後にプラネタリウムに向いた。


「いままで私には、なにもなかった。けれど、今はこれがある」


 詩織はそう言って、プラネタリウム投影機に歩み寄ると、恒星球に左の掌をそっと載せた。


「だからもう、ひとりでも平気。誰にも負けないし、何があっても挫けない。東京に行ったら、むこうの高校の編入学試験を受けて、もう一度やり直すわ。そして、綾乃さんが賞を取るより先に、自分で書いた童話の絵本を出版したい。そしたら、私も……」


 ゆっくりとした、けれど力強いその言葉にうなずいた綾乃は、詩織の隣に立って右手を恒星球に添えた。


 綾乃と詩織の視線を受けながら、僕は、形を変えていくオリオン座を思い浮かべていた。

 僕たちは、これからもこんなふうに、いろんな形をとりながら生きていくのだろう。

 けれど……。


 僕は、プラネタリウムの恒星球に目を移す。

 アクリル球の表面に穿った穴のひとつひとつは、僕たちの絆そのものだ。そこから投影される星空は作り物かもしれないけれど、いつまでも形を変えない僕たちの星空なのだ。


「綾乃、詩織。どんなに遠く離れても、この空は、僕たちの星空は、いつも繋がっているから」


 僕は、綾乃と詩織の小さくて柔らかな手と恒星球を包み込むように、自分の掌を重ねた。

 窓から差し込む夕陽に照らされて、綾乃と詩織の笑顔がオレンジ色に染まる。


「だから、僕たちは……」


 誰の目にも涙はない。もう、言葉も要らなかった。

 これは、さよならなんかじゃない。


 僕は、ただ、そう願った。

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