β Cap
カプリコン(山羊座)
黄道十二宮では、十番目に当たる磨羯宮である。
星座は、三等星以下の暗い星ばかりで構成される三角形で、いちばん目立つ星は、四連星『デネブ・アルゲティ』。上半身がヤギで下半身が魚の姿に変身した、ギリシア神話の牧神パーンに見立てられている。
占星術においては、十二月二二日から一月一九日生まれの人が山羊座になり、その性格は「堅実」だとされている。
*
翌日の放課後、僕と観月は、職員室でひとりの教師と向かい合っていた。
天文研究部の顧問、小田久だ。
小田先生は、整然と積まれたプリントの山を背にして、神経質そうな細面をすこし歪ませて僕たちを見上げていた。
「新部長は、できるだけ早く決めるように。それと、夜間活動申請は許可を出しておいた。私は監督できないが、くれぐれも間違いなどおこさないように。だいたい、高校生の男女が一緒に、公然と学校で寝泊りするなど……」
また始まったなと、僕は思った。
髪に白いものが混じり始めていて、中年というよりは初老という表現が似合う小田先生は、四半世紀を教職に捧げた筋金入りの物理教師だ。生活指導を兼任しているが、僕の知る限り、否定的な言葉しか発したことがなかった。
こんなふうに、苦言が小言にかわることなど、いつものこと……のはずだった。けれど。
「……おまえみたいな年ごろの女の子を、平気で夜歩きさせるなんて、親も親だ。何かあってからでは、取り返しがつかないのに」
小田先生のその言葉に、観月の顔色が変わった。
絵筆で刷いたような端正な眉をしかめ、美術史か歴史の本で見た阿修羅像のような表情で、なにかを堪えるように肩を震わせている。
僕はこのとき、小田先生に抗議をするべきだったのだろう。
なのに、僕はなにも言えなかった。
小田先生に反論することの無益さを知っていたこともあったが、なにより初めて見た観月の表情に、僕は戸惑っていた。いつも穏やかな観月が、どうしてそこまで怒っているのか、僕にはその理由すら分かっていなかった。
黙ったままの僕より先に、観月の声がした。
「小田先生……」
彼女は、自身の感情を抑えつけるように、事務的な声で小田先生の話の腰を折った。
「部室の鍵をください」
観月もずいぶん不愛想だったが、小田先生の方も、つまらないことに時間をとってしまったと言わんばかりに、キーボックスからプラスチックのタグが付いた鍵束を取り出すと、無言で観月に手渡した。
僕と観月は、一礼をして小田先生の前を辞した。
ドアの前で、今度は職員室そのものに礼をしてから、廊下に出る。
帰宅する生徒や、部室の鍵を受取りに来る生徒やらでごったがえす廊下に、「あえいうえおあお」という謎の言葉で、発声練習をする演劇部員たちの声が響いていた。
部室のある北校舎に向おうとして一歩を踏み出した僕は、ブレザーの裾を引っ張られていることに気付いて足を止めた。
振り返ると、観月が琥珀色の瞳をじっと僕に向けていた。
背が低い彼女は、僕を見るときには必然的に上目遣いになる。いつもよりうるんだその瞳が、わずかに険しい色を浮かべていた。
なにかを言いかけた観月の隣で、黒いタイトなスーツを着た女性が立ち止まり、いたずらっぽい声が聞こえてきた。
「あらあ、あなたたち、相変わらず仲がいいわね」
長い黒髪を胸のあたりで内向きにカールさせたこの女性は、クラスの担任で、天文研究部の副顧問でもある富士香奈子だ。
まだ大学生と言っても通じるほど若い地学の教師だが、なにごとにも鷹揚で、こうして純真な生徒を平気でからかう気さくな人物だった。そして、僕が天文研究部に入るきっかけになった人でもある。
「星河くんが部長を引き受けるの、期待してたんだけどな。だって、本校の人気実力ぶっちぎりトップの春日綾乃さんも入部したんでしょ。でもまあ、そんな簡単に性格は変わらないか……。そうそう、明日の夜間活動だけど、小田先生はご予定があるから、私が監督に付くわね。せっかくの土曜日のお泊りなんだから、頑張りなさいよ、いろいろとね」
教師としてはどうかと思うようなことを、しれっと言ってのけたあと、富士先生は小悪魔のように微笑んだ。
気のせいか、観月の眼差しがさらに険しくなったように見えたが、僕は気付かないふりをしていた。
中庭に整列した演劇部員たちから、「あめんぼあかいなあいうえお」という謎めいた唱和が聞こえてきた。




