8.聖夜の祝福
最終話です^^
背筋を悪寒が這い上がってきた。こんな顔をしたリリアは、見たことがある。
出会ったばかりの頃。初めてリリアが光の魔法を発動した時だ。あの時も、今と同じように空虚だった。
「リリア!」
正面から両手でリリアの両腕を掴み、揺さぶる。視線は合わなかった。俺を見ているようで、どこも見ていない茫洋とした目線。硝子玉のような、感情を映さない瞳。間違いない。スイッチだ。控え室に移動させただけでは、足りなかったのか。
そして、俺がこうして正気でいるということは──。
リリアがもう一度、横をすり抜けようとした。大扉から、会場へ戻ろうとしているのだ。ニルド殿下の元へ、行こうとしているのだ。
──行かせるわけにはいかない!
咄嗟に抱き込んだ。リリアがもがく。離すわけにはいかない。どうしても。
衆人環視の中、ニルド殿下とラストダンスなど、踊らせるわけにはいかない。
──どうしたらいい?
どうしたらスイッチを切ることが出来るだろうか。
ニルド殿下が欲しいと言っていた、スイッチを途中で切る方法。それが必要だ。今すぐに!
リリアをぎゅっと抱き締めながら、必死で考える。
スイッチを止める手段は、きっと二つだ。
キーワードは、発動条件と優先順位。
発動条件を揃えないこと。もしくは、より優先順位の高いスイッチを発生させて、強制終了させること。
ということは、今からでも発動条件を崩せば、スイッチを切ることが出来るだろうか。
今日のスイッチはラストダンスだ。それならば、ラストダンスが終わる時間まで、このままリリアを抑えていれば、自動的にスイッチは切れるのではないか?
いい考えに思えた。
しかし、その目論見は崩れ去った。背後から響いた、大扉が開閉する音によって。
振り返ると、ニルド殿下が外へ出て来ようとしていた。遠目だが、ニルド殿下もスイッチに操られていることが、すぐに分かった。太陽のような、殿下特有の華やかなオーラがない。
追いかけて出てきたエレノアが、青ざめた顔で頷いてくる。エレノアも引き留めようとしたのだろうが、人目もあるし、どうにも出来なかったのだろう。
──リリアとニルド殿下を、近づけては駄目だ。
「エレノア! ニルド殿下を来させるな!」
俺の指示に、エレノアがニルド殿下にしがみついた。
「ニルド殿下! お願い、止まってください」
しかし完全に引き留めることは出来ないようだ。重石にはなっているし、足を鈍らせることもできているが、そもそもの体格が違う。歩きにくそうに、だが少しずつ、エレノアごとリリアへ近づいてくる殿下。
ニルド殿下は、しがみついているエレノアへは、一瞥も向けない。一言も発しない。冷徹なほどに無視している。恐ろしいスイッチの拘束力だ、と震撼した。恐らく今ごろ心中では、渾身の抵抗をしているに違いないのに。
殿下がリリアの元にたどり着いて、ラストダンスの決まり文句を言い始めたら、終わりだ。
幸いここは廊下だ。人目もないことだし、見逃すか? さっさとスイッチを終わらせてしまった方が、傷が浅くすむかもしれない。
チラッとそんな考えも頭を掠める。
だが、そんなわけにもいかない、と考えを改めた。
ニルド殿下とリリアのスイッチが進行した場合の、未来が不透明だからだ。ニルド殿下のシナリオも、進行すれば俺の場合と同じように、エレノアに不利な何かの発生する可能性がある。
やはり危険だ。止めることができるなら、止めた方が良い。
もうダンスは始まっただろうか。曲の長さはどれくらいだっただろうか。この状況では、ラストダンスが終わるまでなど、到底もたない。
──どうしたらいい。
発動条件を崩せないならば、より優先順位の高いスイッチとやらを起こすしかないのか。そんなものあるのか?
もし仮にあったとしても。サマーパーティーの時とは違う。今度は、ちょうどよくスイッチが起こったりしないだろう。人為的に起こさなければならないのだ。
──無理だ。
何も思い付かない。
ニルド殿下は既に、元々あった距離を半分以上詰めてきていた。駄目なのか。このまま二人のスイッチが進むのを、見届けるしかないのか。
腕の中のリリアを見る。彼女はもがいていた。俺ではない男性のところへ行くために。
腕を突っ張り、抱き締める俺から逃れようとしている。彼女特有の、素直で明るくて、癒される空気はどこにもない。ニルド殿下と同じだ。冷徹なまでに俺を無視している。
先ほどまでは、ちょこちょこと俺の側へ寄ってきては、隣で花が綻ぶように笑っていたのに。
「好きです! ノエル様」と、俺に恋を告げてくれていたのに──。
──嫌だ。
俺の心が叫んだ。
例えスイッチでも、ニルド殿下にでも、リリアを預けるのは嫌だ。リリアとニルド殿下が、恋人同士のように寄り添う姿など見たくない。
一度は手放したのだ。こんな独占欲を抱く資格はないのかもしれない。
だが、嫌なのだ。今更ながらに思う。
俺とリリアが離れなくても、スイッチを止める方法はあると、ニルド殿下が言った時。どれ程嬉しかったことか。
狂おしいほどにリリアを想っているのだ。離れなければと、彼女に別れを告げた、その時でさえもずっと。それから後もずっと。
これが愛でなければ、どんな気持ちが愛なのか、分からないほどに。
貴方を幸せにします! と男前に宣言した彼女。しかし思い返せば、俺は彼女に、そんな言葉も告げていない。
俺の幸せは、君抜きでは考えられないとか、きっと他の男が幸せにするだろうとか、君の幸せを祈っているよ、とか、勝手なことを述べるばかりで。
──どうして俺は言えなかったんだ。
俺が幸せにするよ、と。彼女に。
何もかもを覚悟して、俺に逆プロポーズをしてくれた彼女に、俺も同じだけの覚悟を返すことくらいできるはずだ。
何が起こっても。
貴女を幸せにします、必ず。と。
腕の中の小さくて柔らかな体を、ぎゅっと抱き締める。ニルド殿下になど渡さない。決して。
爽やかな香水の香りが、ふんわりと鼻腔をくすぐる。
いつも可愛いが、今日の彼女は格別だ。衣装と併せて、雪の妖精のようだ。そういえば、俺はそんな誉め言葉さえ、彼女に伝えていない。本当に我ながらどうしようもない男だ。
だが、今からでも遅くはない。例え体はスイッチに操られていても、彼女には聞こえている。
プロポーズした日、この言葉をクリスマスパーティーの夜、もう一度君に言いたい、と囁いたとおりに。
心をこめて。
「今夜、これほど美しい貴女に出逢えたことを、心から嬉しく思います」
効果は劇的だった。ピクン、とリリアの抵抗が止まった。
重大な事実だったが、俺はこの時点では、そのことに気づかなかった。自分のやりたいことを追うのに必死だったからだ。
胸ポケットから真紅の薔薇を抜く。本当はパートナー同士で交換するものだが、構うものか。
そっと、結い上げられたリリアの髪に飾った。
思っていた通りだ。ピンクブロンドの髪に、赤薔薇は鮮やかに映えた。その薔薇に口づけを落とした。
「聖夜の祝福が、貴女に降り注ぎますように」
後から聞いたことだが、ニルド殿下とリリアのスイッチが切れたのは、この瞬間だったそうだ。
クリスマスパーティーのラストダンスのスイッチ。それはただ一緒に踊ればいい、というものでは無かったのだ。
ラストダンスを踊る前に、パートナーへ贈る決まり文句。それを言い交わすことも、恐らくスイッチのシナリオに含まれていたのだろう。
しかし、俺はそれをニルド殿下より先に、リリアに言ってしまった。その上赤薔薇まで髪に飾ってしまった。それにより、スイッチの発動条件が崩れたのだ。
俺たちは期せずして、スイッチを止めることに、初めて成功したのだった。
だが正直に言うと、別の意味で危ないところだったらしい。なぜならスイッチの決まり文句を口にすることで、今度は俺のラストダンスのスイッチが、誘発される恐れもあったからだ。
そうならなかったのは、俺のスイッチが後退しすぎていたためだろう、とエレノアは言う。スイッチには段階があり、徐々に進行するものだから、と。恋愛において、少しずつ気持ちを育てていくように。
だが、そんなことをゆっくり検証したのは、後日のこと。
万感をこめて抱き締めていると、だらりと垂れていたリリアの腕が、そっと俺の背中に回った。
少し腕を緩めて、腕の中を見下ろす。硝子玉のようだった瞳を、エメラルドのようにキラキラと輝かせたリリアが、そこにいた。
小さく、囁くように。恋しさの溢れる声音で。
「ノエル様……。もう一度、言ってください」
俺は歓喜に震えた。
──スイッチが切れている!
崩れ落ちそうな程に安堵した。
だが、ぐっとこらえる。見栄でもいい。しっかりとリリアを支えていたい。抱き締めていたい。
「……今夜、これほど美しい貴女に出逢えたことを、心から嬉しく思います」
半泣きで、リリアが答えた。
「素敵な時間は、短く感じるもの。でもお互いの気持ちが揃えば、幸せはこの先も、永遠に」
俺も泣きそうだ。だが、泣き顔よりは笑顔を見せたい。上手く微笑むことが出来ているだろうか。
「聖夜の祝福が、貴女に降り注ぎますように」
リリアが身動ぎした。腕を緩めると、ドレスの隠しからピンのついた鈴を取り出す。
震える手で、それを薔薇の代わりに、俺の胸ポケットへさした。
「聖夜の祝福が、貴方に鳴り響きますように」
チリンチリン、と胸元の鈴が、軽やかな音をたてた。
俺は吸い寄せられるように、リリアの頬へ手を当てた。仰向かせると、明らかにドギマギしている顔。
──本当に可愛いな。
俺の中で、悪戯心がうごめいた。
桜色の頬と、艶やかな唇。潤んだ瞳に魅入られるように、顔を寄せる。困らせるだろうな。だが、我慢できない。逃げられないように、さりげなく彼女の腰に片手を回して。
「……キスしてもいいかい?」
「えっ?! えっ、え、ええと、キ、キ、キスですか……?!」
ぷっしゅーっと、湯気を吹きそうな勢いで赤くなるリリア。
──あんなに男前な逆プロポーズをしてきたくせに。
ぶはっ、と俺は吹き出した。可愛い。どもる癖も出ているし。
俺が吹き出したことで、ぷーっとリリアがふくれる。からかわれたと思ったのだろう。涙目になって、上目遣いで睨んでくるその破壊力。
頬くらいなら許されるだろうか。
本当に口づけしそうになった俺を押し止めたのは、呆れたようなニルド殿下の声だった。
「やめろ。それ以上やって、寝た子が起きたらどうする」
ちっ。
俺は内心舌打ちした。振り返ると、撫で付けた前髪を、とうとうかきあげて崩してしまった殿下と、心底嬉しそうに微笑むエレノア。
見られていた! という顔になって、リリアはますます赤くなった。小さくなって俺の胸に顔を押し付け、隠れてしまう。
澄ました顔で問いかける。
「どれくらいまでセーフだと思いますか?」
ニルド殿下は、心底呆れたように。
「知るか!」
その返答に、俺は肩をすくめて。せめて、と、リリアをもう一度、ぎゅっと抱き締めたのだった。
孤児院には、元気な子供たちの声が響き渡っていた。
冬晴れのある日。俺はリリアに付き添って、久しぶりに孤児院を訪れていた。ひとしきり子供たちの遊びに付き合って、やっと解放されたところである。
クリスマスパーティー以降、俺はリリアと距離を置くのを止めた。
リリアと離れなくても、スイッチの進行を止めることができるなら。もう二度と離れたくない。
父公爵には、卒業の日に、正々堂々とリリアを連れて来ると宣言している。だから、他家に婚約の打診などしないで欲しいと。約束の期間は終わっていないはずだと。
機嫌良くとは言わないが、是と頷いた父の瞳が、興味深そうな光を宿していたのが、印象に残った。
「ノエル様ー! リリアお姉ちゃん!」
パタパタと駆け寄ってくるアンは、見慣れない一人の少年と手を繋いでいる。少し身なりがいい。孤児院の子どもではないだろう。
「アン! この子はだあれ?」
しゃがみこんで目線を合わせながら、リリアが尋ねる。しかし、ニコニコしているところを見ると、答えは分かっているに違いない。実は俺も予想がついている。
アンと同じ、茶色の髪と青い瞳。鼻のあたりにソバカスが散っているその少年は、何やら仏頂面をしていた。
「ハンスだよー!」
やっぱりな。
「ハンスくんかあ。こんにちは!」
朗らかなリリアの挨拶に、無言で会釈する。意外だった。アンに花やら菓子やら渡しているらしいし、もう少し人当たりのいいタイプを想像していたのだが。いや、十一歳ってこんなものか?
「仲良くしてるんだね。プロポーズは受けたのかな?」
リリアの興味津々な問いかけに、アンはえへん、と胸を張った。
「まだ! だってあたし、マショウのオンナになるんだもん」
「ええっ? 何それ?」
「ノエル様が、返事は待ってもらいなさいって言った! ハンスを振り回しながら、強くて優しくて可愛い女の子になればいいって。そういうのって、マショウのオンナって言うんでしょう?」
ニコニコしながら宣言するアン。そしてその場に流れる沈黙。
リリアの視線が痛い。確かに言ったが。
だがこれで分かった。ハンスの仏頂面は、恨めしさの現れだったわけだ。
同じ男として同情はするが、俺はアンの味方だからな。前言は撤回しない。
「大事なことだろう? アンはまだ小さいんだからな。未来は無限にある」
ハンスの仏頂面が、ますますひどくなった。
その頭をポンっと撫でる。塩を送るくらいはしてもいいだろう。
「プレゼントもいいけど、大事なのは、俺が幸せにするっていう心構えだよ。頑張れ」
「──そんなの分かってるよっ」
お、喋ったな。
声がわり前の澄んだ声は、年相応の幼さだった。行こう、とアンの手を引いて、二人で駆け出して行く。アンの、またねー! という言葉に、笑顔で手を振った。
──そんなの分かってるよ、か。
俺もつい最近たどり着いた、とっておきの真理だったんだけどな。
ハンスの方が、教えられなくても、実は大切なことを知っているのかもしれないと思うと、苦笑するしかない。
そして何やら異様な気配を感じて振り向くと、リリアが意気込んだ顔をして、握りこぶしを作っていた。
「ノエル様! 私、絶対に貴方を幸せにしますからっ」
意図していない方向に飛び火していた。
俺は片手で顔を覆ってしまった。俺はまだ何も言うことができないのに。どうしたらいいんだ。
それが、ニルド殿下との約束だった。
せっかく後退したスイッチが、再びエレノアに毒を飲ませるほど進行したりしないように。
スイッチ発動期間が終わるまで、俺ははっきりと言葉にして、リリアに想いを告げることはできない。勿論プロポーズなどもっての他だ。
だから、どんなに想いを告げてもらっても。それを返すことはできないのだ。
そのことはリリアも知っている。それでも言葉を惜しまない彼女に、できれば同じように言葉を返したいと、願ってしまうこの気持ちをどうしたらいいだろうか。
「ノエル様?」
項垂れてしまった俺を、見上げてくるリリア。
俺はリリアを引き寄せると、抱き締めた。わわわ、とリリアが焦った声をあげるが、気にしない。どうやらスイッチ的に、抱き締めるのはセーフのようなので、俺は何かあるとリリアを腕の中に閉じ込めるようになっていた。
孤児院の子どもたちが、俺たちの抱擁に気づいて歓声をあげる。
「あー! イチャイチャしてるー!」
「リリアお姉ちゃんいいなー!」
「ラブラブー! ラブラブー!」
リリアが耳まで赤くなった。でも離さない。
──リリア。好きだよ。
今はまだ言えないけれど。
俺は今口に出せる、精一杯の言葉を囁いた。
「卒業の日に、必ず、俺も言うから。待っていて欲しい」
俺と結婚してください、と。
貴女を幸せにします、必ず。と。
飲み込んだ言葉を読み取ったかのように。
リリアは嬉しそうに破顔した。
「はい……!」
元気良く頷く彼女を離し、かわりに手を差しのべる。
「さあ、帰ろう。送っていくよ」
リリアに差し出した俺の右手は、編み模様の美しい濃紺の手袋に包まれていた。そして、それに乗せられたリリアの左手は、やはり編み模様の美しい桃色の手袋に包まれているのだ。
──俺はもう諦めない。
この手を離すようなことは、二度としない。そう誓う。
俺たちはお揃いの手袋で、ぎゅっと手を握りあい、家路へとついたのだった。
ここまでお付きあいいただき、本当にありがとうございました^^
感想、ブクマ、ポイント評価を下さった方に、心からの感謝を^^
心の支えにして、最後まで書くことができました。ありがとうございました!




