7.宣戦布告
俺は呆気に取られてしまった。宣戦布告? とはどういう意味だ?
リリアは緊張の面持ちを崩さない。えいっと気合いを入れて、その台詞を口にした。
「遅くなったけど、私、決めたんです。ノエル様、──私と結婚してくださいっ」
──え? ……結婚してください?
脳にその言葉が染み込む前に、拒絶の言葉が零れた。
「それは出来ないよ」
エレノアに毒を飲ませる未来が戻ってきてしまう。
「言ったはずだ、俺はもう、君の側にはいられないって」
しかしリリアは動じなかった。きっぱりと言う。
「ノエル様はそう言うと思ってました。でも私も諦めません。だから宣戦布告って言ったんです。私、絶対にやりたいことがあるんです。そのためにどうしても、貴方のお嫁さんになりたいんです。公爵家には不釣り合いだって分かってます。でも努力しますから。貴族としてのマナーも、知識も、恥ずかしくないものを必ず身に付けてみせますから! お願いします」
俺は混乱した。何故こんなことになった?
「どうしたんだ? そんな簡単な話じゃないことは、分かっているだろう? 貴族の世界に飛び込んだら、ツラいことが沢山起こるよ。下町の家族にもろくに会えなくなるし、生まれで蔑まれたり、馬鹿にされたりも、きっと日常茶飯事だ」
「分かってます。……私もそう考えて、あの時ノエル様のプロポーズに、二の足を踏んだんです。どんなにノエル様が好きでも、私、頑張れるかなって。それだけの覚悟を持ってるのかなって思っちゃって。でも今なら胸を張って言えます! 私、頑張れます! どうしても、どうしても、やりたいことがあるんです。そのためなら、いくらだって頑張れるって思うんです」
キラキラ輝く瞳。潜めながらも張りのある声。リリアは本気だ。本気で俺に、逆プロポーズをしてきている。
この時の俺の気持ちは、一言では言い表せない。
愛しい女性から、逆プロポーズされた喜び?
予想外の展開への困惑?
それでも離れなければと思う哀しみ?
そのどれもが正解で、不正解でもある気がした。
「その、どうしてもやりたいことって何だい?」
彼女をここまで決意させた理由を知りたかった。
リリアは少し言い淀んだ。ちょうどステップの難しい小節に差し掛かっていた。ちょうどよい、と、ふわりと彼女を抱き上げる。ステップのショートカットだ。ついでに耳元に囁いた。
「教えて、リリア」
「それ、ずるいです」
口を尖らせるリリアの頬は真っ赤だった。
そしてリリアは、ぱあっと花のように破顔した。その笑顔に俺は見惚れてしまった。
「でも好きです! ノエル様」
──好きです。
その言葉は、俺の中でファンファーレのように鳴り響いた。落ち着くことなく、気持ちがくるくると舞い踊った。
それは、リリアから初めて貰った恋の告白だった。
「私のやりたいことは、貴方です。私どうしても、ノエル様を幸せにしたいんです」
しかしその言葉に、舞い上がっていた心が、ストンと落ちた。
──ノエル様、プロポーズの時に、私に言いましたよね? この先の自分の幸せを、私抜きで考えることが出来ないって。それなのに、こんな風に私と離れて、ノエル様はちゃんと幸せになれるんですか……?!──
あの時俺は、答えることが出来なかった。幸せになる展望など描けなかった。
それを見抜いたリリアは、その優しさとお人好しを発揮して、まさかこんな決意に至ったのか?
俺の中の恋心が、すうっと青ざめた。
リリアをそっと下ろすと、ステップに戻りながら苦く笑う。
「同情かい?」
「違います!」
リリアの否定は早かった。目を伏せる。声が小さくなった。
太陽に雲がかかり、それまで陽射しに包まれていたピンクの薔薇に、陰がさしたようだった。
「……ノエル様がツラかったり苦しかったり悲しかったりするって考えたら、私、胸がぎゅうっと苦しくなるんです。泣きたくなるんです。そんなの絶対に嫌だって、ノエル様を幸せにしたいって、すっごくすっごく思うんです。……だから、これは自分のためですよ」
雲間から光が零れるように、えへへ、と笑って。
「自惚れてるなぁって自分でも思うんですけど。私、貴方を幸せにします! 必ず。私が一番じゃなくてもいいんです。貴方のお嫁さんになって、エレノア様やニルド殿下とも一緒に、仲良く笑って過ごすんです。ノエル様がいいよって言ってくれるまで、嫌だって言っても、付きまとっちゃいますから、そのつもりでいてくださいね」
それは甘美な夢だった。強烈な誘惑だった。
リリアと結婚して、エレノアやニルド殿下と共に、いつまでも仲良く。もしもそれが実現できるならば、どんなに俺は幸せだろうか。
踊り終わると、リリアは美しく腰を落とし、優雅に礼をとった。完璧だった。
顔を上げてニコッと笑う。その後、心配そうにこちらを見ているエレノアへ、向き直って手を振った。
「エレノア様!」
「リリア! お兄さまと話はできた?」
四人でホールの端へと移動しながら、エレノアが尋ねる。
「はい! ニルド殿下、エレノア様、本当にありがとうございました。言いたいことをちゃんと伝えて、安心したら、お腹が空いてきちゃいました。エレノア様、何かつまみに行きませんか?」
「いいわね。──ニルド殿下、お兄さま。私たち、ちょっと行ってきますね」
エレノアとリリアは楽しそうにフードスペースへ行き、じゃれあいながら軽食を選び始める。見るともなしに、その姿をぼんやりと眺めた。
正直俺は途方に暮れていた。
──貴方のお嫁さんになりたいんです──
しかしリリアが、俺のスイッチが進行する理由だ。
──貴族としてのマナーも、知識も、恥ずかしくないものを身に付けてみせますから!──
確かに、彼女はきっと、できるだろう。既にダンスは完璧だ。だが今となっては、問題はそこではないのだ。
──好きです! ノエル様──
俺も好きだよ。離れてからも、君を想わない日はなかった。
──私どうしても、ノエル様を幸せにしたいんです──
やっぱり君は優しい。優しくてお人好しで、どうしようもなく愛おしい女性。
──貴方のお嫁さんになって、エレノア様やニルド殿下とも一緒に、仲良く笑って過ごすんです──
だが、リリア、それは出来ないんだ。
どんなにそれを切望しても。
俺はきっと、エレノアに毒を飲ませ、殺してしまうから。
それさえなければ、俺だって今すぐリリアの手を取って、再びプロポーズの言葉を捧げるのに──
「情けない顔してるんじゃねえよ」
ニルド殿下が、飲み物を差し出してきていた。受け取って、ぐいっと飲む。
「どうしたら良いか、分かりませんからね」
「リリアは何だって?」
「俺と結婚したいと。皆で仲良く笑って過ごすのだと」
改めて口にすると、幸せすぎる夢だと、胸が震えた。
「それで何故困る? 晴れて両想いだ。結婚すりゃいいじゃねえか。ランカード公爵になら口添えしてやる」
ふと先日、強烈に胸を焼いた後悔を思い出した。
もしも他にも手があるのなら、それでも俺は、リリアと離れることを選んだだろうかと。その手段は、ニルド殿下に打ち明けていたなら得られたのだろうか、と思ったのだ。
その機会は今なのだろうか。
密かに深呼吸する。それを口にするには、予想以上の勇気が必要だった。
「ニルド殿下。俺のスイッチは危険です。スイッチが進行したら、俺はエレノアにシインを飲ませてしまうんです。エレノアを守るために、どうしても止めなければいけません。俺がリリアと離れる以外に、その方法はあると思いますか?」
ニルド殿下の琥珀色の瞳が、その瞬間、金色に光った。怖いほど鋭い眼差し。その表情は雄弁に、何故早く言わなかったのかと語っていた。可能なら、怒鳴っていたに違いない。
俺は静かにニルド殿下の叱責を待った。これは本当に俺の咎だ。甘んじて受けなければならない。
しかしニルド殿下は言わなかった。怒りをぐっと抑え込み、沈黙する。自分の感情を爆発させるより、未来を見据えることを優先したのだ。冴えざえとした光を瞳に浮かべて、考えを巡らせ始めた。
──ああ、やはり素晴らしい方だ。
この方が、エレノアの婚約者であることに。スイッチを理解する味方であることに、心から感謝した。
そしてニルド殿下は、言った。
「──ある」
──方法がある?!
鼓動が跳ねた。
それでは俺は、リリアを諦めなくてもいいのだろうか。
「確証はねえけどな」
「それは、どういった方法ですか?」
うーん、とニルド殿下は、綺麗に撫で付けた髪をくしゃくしゃにかき混ぜそうになった。直前で気づいて止める。
「まだ上手くまとまってねえんだ。シインのことを聞いたからには、不確実な手を打つわけにはいかねえしな。今日を無事に乗り切れたら、もう少しはっきりしたことが言えるだろう」
今、到底聞き流すことができない台詞があった。
「今日を無事に乗り切れたら? 何かあるんですか?」
ニルド殿下は忌々しそうに顔をしかめた。
「エレノアによると、このクリスマスパーティー、ラストダンスにスイッチがあるらしいぜ。俺とリリアで起こるか、お前とリリアで起こるか。それとも、どちらとも起こさずにすむか。今のところ読みきれねえ」
俺は愕然とした。俺ならまだいい。だが、ラストダンスのスイッチが、ニルド殿下とリリアの間で起こる?
クリスマスパーティーのラストダンスを踊った二人は、カップルであると周囲に認識されるのだ。
衆人環視の中、エレノアを尻目に、ニルド殿下とリリアがダンスを踊ったりすれば、言い逃れもできない。
──かなり面倒な事態になる。
やはり、ニルド殿下とエレノアは、今日の機会を作るために、とんでもなく危ない橋を渡っていたのだ。
「そう言えば、ニルド殿下がリリアを、クリスマスパーティーのパートナーに誘うスイッチ、ありましたね……」
「ファーストダンスも踊ったしな。一応できる範囲で防御策も張ったんだが、俺とお前と、どちらでスイッチが起こるか賭けるかと言われれば、俺かもしれねえな」
「その防御策とは?」
「校章だ。お前にエレノアが渡した校章は、リリアのものなんだ。勿論リリアが身に付けていたのは、お前のものだ」
そうだったのか。
リリアがプラチナの校章をつけているのを見たときは、かなり動揺したのだが、どうやらショックを受ける必要は無かったらしい。
「校章と実際のパートナーを、ねじれさせたということですね?」
「妨害になるかもしれねえだろ?」
「それはどうでしょうか……」
俺は口ごもった。幼い頃から付き合ってきたスイッチの強制力を考えると、そんな生易しいものではない気がする。
俺とニルド殿下は顔を見合わせた。このまま四人でクリスマスパーティー会場にいるのは危険かもしれない。
「……俺がリリアを連れて帰りましょうか? ニルド殿下は生徒会長ですし、会場にいないと不味いでしょう」
「お前とリリアを二人にするのも不安だ。万が一スイッチが反応したらやべえぞ。せっかく寝た子を、起こすようなことはするな」
「ですが、リリアを一人で帰らせるのは……」
俺は難色を示した。
リリアを一人で帰らせることは、絶対に却下だ。馬車は呼ぶとしても、俺が嫌だ。以前リリアはその可愛らしさで、良からぬ輩に目をつけられて、拐われそうになったことがあるのだ。特に今日は着飾っており、金目当ての輩に狙われる可能性もある。勿論その可愛さも群を抜いている。一人にするなど危険すぎる。
ニルド殿下は、美味しそうに軽食を口にしているエレノアとリリアに目をやった。二人とも幸せそうだ。内緒話をしては、クスクス笑う。お互いが選んだ料理を分け合って、美味しそうに顔を綻ばせる。
大輪の百合のようなエレノアと、咲き初めの薔薇のようなリリア。周囲の男たちが見惚れているのが分かる。
ニルド殿下が愛しそうに目を細めた。二人とも、特にエレノアを、可愛いなと感じたに違いなかった。諦めたように緩く頭を振る。
「仕方ねえな。俺もエレノアを一人で帰せと言われたら、反対するわけだし。ラストダンス近くになったら、控え室にリリアを隔離だ。俺とお前が籠ってもいいが、そうするとあの二人を、会場の狼どもの前に、無防備に晒すことになっちまうからな。リリアに外れてもらうのがいいだろう」
ラストダンスが近づくまでは、そのまま四人で談笑して過ごした。リリアには何人か、ダンスの誘いもあった。クラスメートや生徒会の仲間らしい。正直心穏やかではないが、彼女の交遊関係を制限するわけにもいかないので、黙って見送る。
リリアは楽しそうだった。本当に学園に馴染んできたな、と思う。それでも踊り終わった後は、いそいそと栗鼠のように戻ってくるのが可愛かった。
俺にもダンスの誘いはあったが、当然全て断っている。その中には、ソーン侯爵令嬢の姿もあった。
ラストダンスの数曲前に、リリアを会場脇の控え室に移動させた。
「リリア。俺たちが迎えに来るまで、この部屋から出るんじゃねえぞ」
ニルド殿下の注意に、リリアは固い顔をして頷く。控え室に鍵はついているが、内側から開けることが出来る。閉じ込めることは出来ないのだ。
「やっぱり私も、リリアと一緒にこの部屋にいますわ」
エレノアが気遣わしげにリリアと手を繋ぐ。しかしリリアは、にこっと笑って断った。
「エレノア様。お気持ちは嬉しいですけど、私は大丈夫ですから。気にしないで戻って下さい。今日は私がパートナーになっちゃったから、エレノア様はニルド殿下と、ラストダンスを踊らなくちゃダメです」
一理ある。ニルド殿下とエレノアの円満さを印象づけるためにも、出来れば二人はラストダンスを踊った方がいい。
ニルド殿下も同意見だったため、三人で会場へ戻ることになった。パタン、と扉を閉じる直前、心細そうなリリアの表情が印象に残った。気丈なことを言っても、やはり不安なのだろう。
──スイッチの危険が去ったら、すぐに迎えに来るから。
待っていてくれ、リリア。
廊下を歩き始めるとすぐ、ニルド殿下が俺とエレノアを交互に見た。
「二人とも、気にかけておいてくれ。今後のために、今日、出来れば手に入れたいものがある」
「手に入れたいもの? って何ですか?」
と、エレノア。
ニルド殿下は真剣な顔をして言った。
「スイッチを切る方法だ」
──スイッチを切る方法。
それは俺たち兄妹も、昔から追い求めているものだった。そして追い求めているが、見つからないものでもある。
「勿論起こさねえのが一番なんだが。本意じゃねえスイッチが起きた時、途中で止める方法。今後のことを考えたら、どうしても欲しい。あるかどうか分からない、とか、弱気なことは言うなよ。探すんだ。今日のラストダンスのスイッチを、上手く止めることが出来れば、それがヒントになるだろう。注意を払っておいてくれ」
会場に戻ると、ちょうどラストダンス前のインターバルに入るところだった。音楽がロマンチックなものに変わる。少し浮わついた会場の空気。上気した令嬢たちの頬。さりげなく胸元の赤薔薇をなおす男性たち。
令嬢たちの視線が、一人で立つ俺に集中する。俺がエレノアとラストダンスを踊るわけはないから、その眼差しは熱い。あわよくば誘ってもらえないだろうかと輝く瞳。瞳。瞳。
居たたまれなくなって、ニルド殿下に目線で合図した。外に出ています、と伝えたのだ。
この時は、ニルド殿下はまだ正気だった。肩をすくめて、了解、と伝えてきた。
男性たちが、意中の女性に向けて歩み出す流れに逆らって、大扉から外へ出た。
熱気から解放され、ふぅ、と息をつく。
落ち着くと、ニルド殿下からの投げかけを考えずにいられなかった。スイッチを止める方法、か。
見つかれば画期的だ。予定の行動を全てこなす前に、スイッチが切れたことなど、今まで一度としてないのだから。
──いや、待てよ。
ある。一度だけ。
サマーパーティーだ。リリアを突き飛ばそうとしたエレノアのスイッチは、確かにあの時、途中で切れた。そのかわりにニルド殿下との婚約スイッチが始まったけれど。
考えたこともなかったが、これもニルド殿下の言う、ヒントの一つか。
あの時、エレノアは何と説明していただろう。
ニルド殿下との婚約スイッチは、発動条件が揃わずに、何年も保留されていたのだと。
そして、ようやく発動条件が揃ったあの時。エレノアがリリアを苛めるスイッチより、ニルド殿下と婚約するスイッチの方が、優先順位が高かったのだと。
そのため、スイッチが途中で切り替わったのだと。
つまり。
キーワードは、スイッチの発動条件と優先順位だ。
だが、それが、どうスイッチを止めることに繋がるかが分からない。
廊下は底冷えしていた。パーティーも終盤だ。それも当然だろう。会場の空調は完璧だが、扉一枚隔てただけで、上着が欲しくなるほどだ。
カチッ、という、乾いた音は、どこからも聞こえない。やはり今晩は、俺にはスイッチは起こらないのだろう。
安堵すると、自然に視線は、リリアのいる控え室の方向へと流れた。
リリアの様子を見に行こうか。
だが、俺とリリアが同じ部屋に揃うことで、スイッチを誘発したら困る。
悶々としていた俺の視界に、その時、白いドレスが映った。
レースを重ねた可憐なシルエット。雪の結晶をモチーフにした銀糸の刺繍。薄紫のボレロと手袋。ふわふわのピンクブロンド。
リリアが廊下に出てきていた。
驚くと同時に、嫌な予感がした。
「リリア! 部屋から出ない約束だろう?」
駆け寄って前に立つ。リリアはこちらを見ない。俺をすり抜けて、先へ進もうとする。
「リリア?」
彼女を引き留め、覗きこんだエメラルドグリーンの瞳は、何の感情も映してはいなかった。
次話が最終話になります^^




