6.密かな計画
ソーン侯爵令嬢は、エレノアの登場に不快さを隠さなかった。
「エレノア様。おかしなことを仰いますのね。貴女にはニルド殿下がいらっしゃるではありませんか。婚約者たるニルド殿下ではなく、他の男性をパートナーとするなんて、あり得ないことですわ」
だが発言内容は至極もっともだ。俺も同じことを言いたい。いつの間に俺は、エレノアとクリスマスパーティーに出ることになったんだ?
かと言って迂闊な反応をして、エレノアの不利を招く訳にもいかない。動けない俺をよそに、エレノアはさらりと返した。
「ニルド殿下のご了承は得ていますわ」
──何だって?
俺は唖然とした。先程の発言は、この場限りの出鱈目ではないのか。ニルド殿下も何を考えているんだ。
エレノアは優雅に歩み寄ってくると、俺の腕に柔らかく手を添えた。
「今年は大切なお兄さまの、学園生活最後のクリスマスパーティーですもの。そのパートナーを、滅多な方に任せるわけにはいきませんわ。ニルド殿下とは、ちゃんと会場でお会いしますし、それで良いとおっしゃってくださいましたわ」
ね? と顔を覗きこんでくる妹の表情は、話を合わせろと明らかに威圧していた。反射的に頭を撫でると、にっこりと笑ってくる。
ソーン侯爵令嬢の、抑揚の乏しい呟きが耳をうった。
「エレノア様は、昔から、本当にお変わりになりませんね」
青い炎のように揺らめく瞳が、エレノアを冷たく睨んでいた。
「お兄さまを好きなことは、本来良いことですけれど、貴女の執着は度を越しています。はっきり申し上げて、異常ですわ。ノエル様は自分のものだと、誰にも渡さないと、貴女は昔私に叫びました。そして今も。表面上はにこやかに受け入れたふりをしても、結局はノエル様に女性が近づくことを、決して許さないのでしょう? ノエル様とリリア嬢が、クリスマスパーティーを前にお別れしたのも、リリア嬢が貴女の嫌がらせに、耐えきれなくなったからではありませんの? 貴女はいつまでそうやって、ノエル様に付きまとい、ノエル様の幸せの邪魔をするつもりですか?!」
「ソーン侯爵令嬢!」
俺は鋭くソーン侯爵令嬢を制した。睨み付ける。
「そこまでだ。リリアとのことも、エレノアとのことも、口を出すのは止めてもらいます。貴女には関係ない」
彼女が糾弾するエレノアの行動は、全てスイッチのせいだ。エレノアの咎ではないのだ。
自分の意思とは関係なく、俺の周りの女性を攻撃してしまう、このスイッチのせいで、エレノアがどれ程苦しんできたか知らないくせに。
俺がリリアと離れたことを、今もどれだけ胸を痛めているか知らないくせに。
──これ以上、エレノアを責めることは許さない。
エレノアの頬は、白皙を通り越し、青ざめていた。ソーン侯爵令嬢の台詞は、エレノアの傷を抉った。それが良く分かった。
抱き寄せようとした俺の腕を、エレノアは押し留めた。そのまま掌まで手を滑らせ、きゅっと握ってくる。そしてゆっくりとほどくと、ソーン侯爵令嬢に向き直った。
「私はお兄さまの幸せを願っていますわ。ですが、確かに我が儘なのでしょうね。お兄さまのお相手は、私が認めた女性でなければ嫌だと、思っているのは本当ですから」
──お義姉さまになって良いのは、リリアだけです!──
エレノアが何度も繰り返していた言葉がダブって聞こえた。
「お兄さまのパートナーに相応しいのは、お兄さまと相思相愛の方ですわ。その方になら、喜んでクリスマスパーティーのパートナーをお譲りします。ですが、それは貴女ではありません。諦めてくださいね」
感情を抑えて話すエレノアは、俺にとっては痛々しい程だった。
しかしソーン侯爵令嬢は、負の感情で顔を歪めた。エレノアの台詞を、片想いなら引っ込んでいろ、という強烈な嫌味として受けとったらしかった。
「私、やはり貴女が嫌いですわ。エレノア様。──ですがニルド殿下の了承があると言うのならば、今は退きます。失礼いたしますわ」
一礼し去っていく後ろ姿は、ピンと伸びていた。悪い女性ではないのだろう。だが、決定的にすれ違っている。政略結婚の相手が彼女になるのは嫌だな、と思った。
ソーン侯爵令嬢を見送ると、目に見えてエレノアの表情が和らいだ。
「……本当に俺とクリスマスパーティーに出るのか?」
「ええ。お兄さまに拒否権はありませんわよ。ニルド殿下にも、絶対にお兄さまを引っ張り出せと言われていますもの」
それなら仕方ない。どうやら逃げ場はないようだ。
「だが、ニルド殿下のパートナーはどうなる?」
「大丈夫ですわ、ご心配なく」
軽く答えると、エレノアはポケットから、金色の校章を取り出した。俺の胸元に留め、これでよし、とポンっと叩く。
クリスマスパーティーのパートナーの証しは、交換する校章だ。
思わずエレノアの胸元を見ると、そこには既にプラチナの輝きがあった。
エレノアは切なげに目を細めた。
「リリアから、預かってきましたわ」
「……そうか」
俺は瞑目した。
恋の形見にと、リリアに預けた校章は、彼女の手元を離れたのか。
談話スペースを出ると、エレノアを探しに来たのだろう、リリアと行き合った。廊下は一本道だ。回避することは出来ない。
彼女はふわふわのピンクブロンドを、今日はポニーテールにしていた。可愛い。華奢なうなじと後れ毛が目を惹いた。あそこに口付けたい、と反射的に思った。
本当に俺は、どうしようもなく往生際が悪い。
しかし、次の瞬間、リリアが身に付けている校章が目に入って、全ての思いが吹っ飛んだ。
そこに輝く校章には、俺のしぶとい恋心を、滅多切りにする威力があった。
エメラルドグリーンの瞳は、俺を見つけると、喜びで輝いた。決然とした表情で歩み寄って来る。俺に話しかけるのだ、という意気込みが感じられた。
「ノエル様──」
しかしその呼び掛けを、俺は無視した。
拒絶の空気を纏う俺に、リリアが口ごもる。その横を無言で通りすぎた。
すれ違い際に一瞥する。目を遣ったのはリリアが身に付けている校章。やはり見間違いではない。
プラチナだった。
──私が他の人とクリスマスパーティーに出てもいいんですか?──
──いいよ。リリアを誘いたいやつは幾らでもいる。楽しい夜になるといいな──
あのやり取りが本当になっただけだ。
そもそもリリアを手放したのは俺だ。文句を言う筋合いもない。
だが。
──リリアは他の誰かと。俺はエレノアと。出席するクリスマスパーティーか。
俺は苦く笑った。可能なら欠席したいくらい、憂鬱に感じられて仕方なかった。
クリスマスパーティーの夜は、僅かに雪がちらついていた。
会場の大扉の前で、エレノアと二人、呼吸を整える。胸ポケットに挿している、深紅の薔薇をなおした。出席者の男性全員に配られる、ラストダンス用の赤薔薇だ。女性たちもドレスの隠しに、鈴を忍ばせていることだろう。
軽く曲げた腕に、洗練された仕草で手を預けてくるエレノアは、我が妹ながら輝くほどに美しかった。
複雑に結い上げられた銀色の髪。黒いレースのリボンも一緒に編み込まれて、清楚な中に妖艶さを漂わせている。
身に付けているドレスはゴールド。腰はきゅっと絞られているが、足元に向けて流れる、たっぷりとしたドレープ。アクセントに、織り模様の美しい黒レース。上半身にはダイヤと黒刺繍が散りばめられており、豪奢な印象だ。
俺はと言えば、光沢のある濃灰の夜会服に身を包んでいた。タイは淡いピンク。エレノアが選んだ組み合わせを、逆らわずに着てきただけである。
会場は、既に参加者で溢れていた。
ランカード公爵家兄妹の登場に、周囲から感嘆の声が上がる。集中する視線。俺も妹も、不細工とは程遠い造作をしているので、見ごたえがあるらしい。
正面奥に、一際大きな人だかり。その中心に見えかくれする、陽光のようなブロンド。ニルド殿下はあそこか。
今晩はエレノアのエスコートを譲られた形だが、まさかそのまま、婚約者同士の二人を、別々に過ごさせるわけにはいかない。欠席するつもりだった俺の逃げ道を塞ぐように、今回の采配をふった二人も、それは分かっているはずだ。その証拠に妹はニルド殿下の髪色のドレスを着ている。基本的に、ニルド殿下の隣で過ごすことが前提のコーディネートなのだ。
──今夜は、団体行動だな。
ニルド殿下が誰と来たのかは知らないが、実質は俺が、その女性の相手をする流れだろう。気は進まないが、仕方ない。
合流するか、と足を向けようとすると、エレノアに腕を引かれた。
「今はまだ、いいですわ。ファーストダンスは、エスコートのパートナーと踊るものですし。二曲目で会いに行きましょう」
──ん?
確かにそれはそうだが、それでいいのか?
疑問に思ったが、足を止めたことが災いして、俺たちも参加者に取り囲まれ、身動きとれなくなった。
仕組まれた、と分かったのは、オープニングの音楽が流れ出し、ニルド殿下を隠す人波が割れたときだった。
パートナーの手を捧げ持って、皆が次々とホールに出てくる。その視線は明らかに、一組のペアへと注がれていた。皆、こそこそと囁きあいながら、興味津々だ。ちなみにその視線の行き先は、俺たちランカード兄妹ではない。
注目度満点のその二人は、少なくとも表面上は平静だ。堂々とホール中央に立つ。
男性は陽光色のブロンドに、琥珀色の瞳。漆黒の夜会服にイエローのタイ。胸ポケットに深紅の薔薇。少し長めの前髪は後ろに撫で付けられ、凛々しい精悍な容貌を引き立てている。ニルド殿下だ。
女性は華奢で小柄なシルエット。薄いレースを重ねた、真っ白の可憐なドレスを着ている。雪の結晶をモチーフにした銀糸の刺繍。キラキラと輝くパールのアクセサリー。総レースの手袋とボレロは淡い紫。柔らかなピンクブロンドの髪と、零れそうなエメラルドグリーンの瞳が印象的な美少女。
リリアだった。
──やられた……!
これを隠すために、エレノアは俺を引き留めたのだ。
俺が帰ると言い出すことを警戒したのだろう。悔しいが、その目論見は成功している。もうファーストダンスが始まる。今となっては、踵を返すことなど出来はしない。
「エレノア……!」
ホールドの姿勢を取りながら、我慢できず低く叱ると、確信犯の妹はつんっとそっぽを向いた。
「苦情は受け付けません。こうでもしなければ、お兄さまはリリアと話してくださらないでしょう」
──何て馬鹿なことを……!
「ニルド殿下とリリアが、クリスマスパーティーにパートナーとして出ることのリスクを、分かっているのか?」
ニルド殿下が、婚約者ではない女性とパートナーを組む。それだけでも何事かと思われるが、その相手がよりによって、話題満点のリリアなのだ。
エレノア経由で、普段からニルド殿下ともある程度親しくしている。ニルド殿下の采配で生徒会役員になった、という素地もある。しかも、つい先日俺と破局したというオマケつき。どう転んでも、好意的な話にはならないだろう。
リリアが俺からニルド殿下に乗り換えた、と受け取られるだろうか? それとも、ニルド殿下が俺たちの間に割って入り、俺からリリアを取り上げたと受け取られるだろうか?
どちらにしても醜聞だ。
しかも、最大の問題は、そんなことではない。
俺の左手を握りながら、エレノアが頷く。その手は微かに震えていた。エレノアも分かっているのだ。
最初の一歩。滑るように踊り出す。潜めた声は、それでも決意を秘めていた。
「分かっていますわ。このことによって、ニルド殿下とリリアのスイッチが、進行するだろうということ。その場合は、私がニルド殿下に、婚約破棄される未来が待っているのだということも。それでも、どうしても、お兄さまとリリアが、このまま駄目になるなんて嫌だったんです。それに、リリアがどうしても、お兄さまと話したいと言ったんです。お兄さまに言いたいことがあるのだと。だったら、絶対に叶えなければいけないと思ったの。私、お兄さまとリリアに、本当に幸せになって欲しいんです」
視界の端に、優雅にステップを踏むニルド殿下とリリアが映った。いつかも思ったが、意外に似合いの一対だ。物語の中の凛々しい王子と、可憐な姫のように見える。
ニルド殿下は当然ダンスが上手いが、リリアもそれに見劣らない。本当に上手くなった、と思う。初めてのダンスで、俺の足を踏んでいた面影は、既にない。彼女の努力の賜物だ。学園に入学してから、一つ一つ、慣れないことを一生懸命身に付けてきたのだ。
ニルド殿下と目が合った。強い眼差しで、逃げるんじゃねえぞ、と語っていた。
それと呼吸を合わせたように、エレノアもまた、すがるような顔をして俺を見上げた。
「お願いします、お兄さま。どうかリリアの話を聞いてあげてください。二曲目は、リリアと踊ってあげてください。帰るなんて言わないでください」
二人からの懇願に、俺は白旗をあげざるを得なかった。
「……分かったよ、エレノア」
エレノアとニルド殿下が払った代償は、決して小さくない。
二人がここまでして作った機会を、棒にふることは許されないだろう。
曲が終わる。
女性が軽く腰を落とし、男性が胸に手を当てて一礼すれば、パートナーチェンジだ。
ニルド殿下がリリアをエスコートして歩み寄って来る。自然な流れで、エレノアの手を取った。それと同時に、リリアに笑みを閃かせる。激励だろう。
緊張の面持ちで佇む、雪の妖精のような彼女へ手を差しのべた。
「一曲、お相手願えますか?」
リリアの表情が輝く。
「はい……!」
ずっとこの笑顔を見たかったんだ、と泣きたくなるような気持ちで思った。
華奢なリリアの背中に、包み込むように右手を当てる。彼女の左手も寄り添ってくる。抱き返すように。
真っ直ぐに伸びた首筋。軽く反った上半身。教本のように美しい姿勢を取ってみせた彼女は、腕の中で咲く花のようだった。最後に左手をきゅっと握られると、胸が詰まった。
手放したはずの温もりが、今ここにある。
音楽に合わせて、リリアが軽やかに舞う。ふわりと回って、ステップを踏む。うっとりと細められる瞳。キラキラと光を弾くパール。
彼女が踊りやすいように、と心がけた。気持ちよく、自然に体を動かせるように。話があるんだろう? 会話に気をとられても大丈夫なくらい、完璧にリードしてみせる。
「俺に言いたいことがあるって、エレノアに聞いたよ」
囁くと、決意をこめた表情で、リリアは俺を見上げた。
「はい。そのために、ニルド殿下にもエレノア様にも、たくさん協力してもらいました。聞いてもらえますか?」
そして彼女が口にした言葉は、完全に俺の想定外だった。
「私、貴方に宣戦布告しようと思います、ノエル様」




