3.薄氷を踏む
シインとは、非常に厄介な毒薬だ。
弱い毒である。一度や二度口にしたからと言って、健康に害を及ぼすようなことは、まずない。そのため中和薬や解毒薬も存在しない。
ただし何度も繰り返し服薬すると、飲んだ者の体を徐々に弱らせ、死に至らしめる。そしてこれが重要なのだが、死体からは毒の痕跡が一切見つからない。自然な病死に見えるのである。無味無臭でもあるため、暗殺に最適な毒薬だと言える。
そんな毒薬を、俺は小瓶に少量移し入れた。ちょうど一回分を懐に忍ばせ、薬室を出る。今回のスイッチは比較的長いようだ。毒を持ち出すとは、一体どういうシナリオなのだろう。
常と変わらない素振りで廊下を歩み、たどり着いた先はエレノアの部屋だった。
「まぁ、お兄さま。会いに来てくださるなんて嬉しいわ。ちょうどお茶を飲もうと思っていたところなの。ご一緒にいかが?」
俺に抱きついてくるエレノア。至近距離で優雅に微笑んだが、その瞳は硝子玉のように乾いていた。エレノアもスイッチ中のようだ。
「ああ。もらうよ」
この時になって、初めて俺の心に警鐘が鳴った。
嫌な予感が沸き起こる。背筋を悪寒が這い上がった。
──いや、まさか。いくらなんでも。
冗談じゃない。そんなこと、あっていいはずがない。
凝固する俺の眼前で、スイッチは進む。
お茶を入れようとしたメイドを、俺がやるから、と下がらせた。ますます嫌な予感が強まった。
お兄さまが入れてくださるなんて、と感激する声。馬鹿な。恐らくこれは、そんな喜べるような状況じゃない。
──気づけ、エレノア! 危険だ!
密かに、懐から取り出される小瓶。エレノアのカップに、サラサラと入れられたシイン。並々とお茶を注いで溶かす。
──やめろ!
飲ませるのか、毒を。俺が。エレノアに。
俺は猛然とスイッチに抵抗した。カップを差し出す腕に、渾身の力を込めた。溢してしまうことができれば。出来れば投げ捨ててしまいたい。
だが、駄目だった。スイッチの強制力は、頑として俺の自由な行動を阻んだ。
エレノアがカップを受け取る。香りを楽しむように、湯気をくゆらせ、嬉しそうに笑った。
「ありがとう、お兄さま」
反吐が出そうなほどに、自分が綺麗に微笑むのが分かった。
「さぁ、飲みなさい」
──飲むな! エレノア!!
警戒心も何もなく、エレノアがカップに口をつける。
──やめろ!
どうしてこんなにも、手も足も出ないのか。
エレノアが毒を飲んでしまう。
俺が、エレノアに毒を飲ませてしまう。
何と引きかえにしてもいい。体よ、動け!
カップを払い除けろ! 今すぐに!
エレノアの喉が、こくりと動いて、俺は声にならない絶叫をあげた。
俺は、エレノアが毒を飲み干すのを、何もすることができず、見届けてしまったのだ。
スイッチが切れたのは、一人自室に戻ってからだった。
俺は懐から取り出した小瓶を、力任せに壁へ投げ付けた。空の小瓶はカシャンっと簡単に砕け、キラキラと飛び散った。
俺の心のようだった。
破片が瞬く度に、先程の光景が目の前をよぎった。エレノアがスイッチに操られるままに、毒を飲んでしまった姿が。何度も。
扉に背中を預け、ずるずると座り込んだ。
──エレノアは、知っていたのだろうか。この展開を。
分からない。
しかし今から部屋に押し掛け、確認する勇気は出なかった。
それに、恐らく知らなかったのではないか、という気がする。自分が先ほど毒を飲んだことも、もしかしたら気づいていないかもしれない。
これほど重大な内容のスイッチだ。エレノアの知る未来なら、流石に事前に警告があるはずだからだ。
俺は確信していた。これもまた、スイッチが進行した結果だと。
俺がリリアにプロポーズしたことで、スイッチが更に激化したのだと。
エレノアの自信に満ちた言葉が甦る。
──どんなに進行しようとも、スイッチの結末は。お兄さまが私を殺す未来は、実現しません。そうでしょう?──
本当にそうだろうか。
どんなにスイッチが進行しようとも。気にすることはない、リリアを掴まえろと励ましてくれた妹。
一度は納得したその言葉が、しかし今グラグラと揺らいでいる。
俺はスイッチに操られ、むざむざ妹に毒を飲ませてしまったのだ。これがまた起きないとどうして言える?
エレノアは、俺たちの結末はエピローグ部分だから、詳しくは分からないと言った。そしてこうも言ったのだ。
──お兄さまに本邸から追い出された後、幽閉されている別邸で体を壊し、一人寂しく──
それは、シインを何度も飲まされることで、引き起こされる未来ではないのか。
体が鉛のように重い。
心が千々に乱れ、俺を打ちのめす。
その晩、俺は一睡も出来なかった。
そして俺の、薄氷を踏むような日々が始まったのだ。
エレノアの様子は、翌日以降も変わりなかった。やはり、毒のことは知らないのだろう。リリアと顔を寄せあい、朗らかに笑う。所構わずキスしようとするニルド殿下に、頬を染めながら文句を言う。
シインは弱い毒だ。まだ健康に害など及ぼしはしない。
それが免罪符になるとは思わないが、そのことは、臆病で卑怯な俺を安堵させた。
俺は誰にも、エレノアに毒を飲ませたことを言い出せなかった。
何も気づいていないエレノアを、怖がらせてしまうだけだと思ったこともある。
だが、何よりも、ずっと寄り添いあい守ってきた大事な妹を、この手で害してしまったことを。ニルド殿下にも、リリアにも、どうしても言えなかった。
今になって、スイッチで女性を傷つけるたびに泣いていた、エレノアの恐怖が分かる。これほど辛く、重く、やるせなく、自分への怒りに満ちたものだったとは。
もう二度と、繰り返したくない。
そのために、まず俺がしたのは、エレノアの侍女たちに、指示を出すことだった。
エレノアが口にするものに注意を払えと。
だが、シインは毒見では見つからない。そして何よりも、毒を渡すのはこの俺だ。チェックの盲点となるのは明らかだ。
だとしたら、どうすればいいか。
思い付いたのは、薬室のシインを捨てることだった。
特殊な毒だ。まだ学生の身分で、おいそれと入手できるものではない。仮に町で買おうとすれば、さぞ悪目立ちすることだろう。かといって使用人を介せば、父に注進が走る案件だ。
薬室を潰せば、俺がシインを手に入れることができる機会は、ほぼないと言っていい。これでエレノアを守ることができる。
しかし、その考えは最悪の結果を生んだ。
薬室の鍵を開けると同時に、何とスイッチが発動したからだ。俺の迂闊な行動は、発動条件を自ら満たし、スイッチを誘発したらしい。
捨てるどころか、再びシイン一回分を取り出した俺は、エレノア付きの侍女にそれを託した。
「エレノアが、少し疲れているように感じたから、飲ませてやってくれ。滋養強壮の薬だ」
疑う様子もなく、にこやかに受け取った侍女が、エレノアの部屋へ消えていく。
二度目の毒を、エレノアに与えてしまった俺は、顔だけはうっすらと微笑んだ。内心は頭を掻きむしりながら。
「ニルド殿下。お願いがあります。エレノアを王宮に引き取って頂けませんか?」
シインに近づけなくなった俺が、次に考えたことは、エレノアの隔離だった。
スイッチの強制力の前には無駄かもしれないが、遠ざけておく方が安全だ。それには、俺もいつでも出入りできる、公爵家の別邸などでは甘い。人目もあり、毒に対する警戒レベルも高い、王宮が最適だろう。
「急にどうしたんだ? 引き取れって、滞在させろってことか?」
「そうです。出来るだけ早急に、お願いします。そして同時に、俺を出入り禁止にしてください」
ニルド殿下は、スッと目を細めた。
「スイッチ絡みか? 何があった?」
詳しく説明しろと促される。だが、俺は口を引き結んだ。言えない。どうしても。
「エレノアを守るためです。お願いします」
自分の要求だけを告げる俺に、ニルド殿下の眼差しが険しくなった。愉快ではない顔で、それでも尋ねてくる。
「期間は?」
「ゲーム期間が──スイッチが終了するまで」
「来年の三月までか。……長いな」
ニルド殿下は呟いた。あと三ヶ月強。ただの婚約者の身分で、エレノアを王宮に滞在させ続けるのは、やはり苦しいだろうか。
ニルド殿下は、暫く考えてから、ゆっくりと首を横に振った。
「無理だな。俺とエレノアの婚儀は、エレノアが王立学園を卒業する三年後だ。エレノアはマナーも完璧で、王子妃教育を詰め込む必要もないし、頼りになる実家もある。王宮に留めおくのは不自然だ。しかも、その一方で、兄貴のお前を出入り禁止にしてみろ。何かあったのかと、痛くもない腹を探られるぜ」
「俺としては適当な罪をでっちあげて、幽閉もしくは投獄してもらってもいいのですが」
「馬鹿言うんじゃねえ。今ランカードに下手な傷をつけたら、エレノアとの婚約が白紙に戻るじゃねえか。軽率なことを言うな」
「そうですね……」
やはり駄目か。
予想していたことだが、俺は落胆した。がんじがらめに縛られた中で、必死にもがいている気分だ。エレノアを服毒の危険から遠ざける、ただそれだけのことが、これほどにも難しい。
──あと取れる手は、どんなものがあるだろうか。
こめかみに鈍痛が響き、俺は額に手をあてた。神経が休まらないからか、夜上手く眠れない。
頭の中に浮かんでいる、一つの選択肢がある。
苦労せずとも、手っ取り早く、確実にエレノアを守れる方法だ。
しかし自分勝手な俺は、できればその手段を取りたくなくて、必死に足掻いているのだ。
「ひでえ顔色だな」
我知らず俯いていた顔を上げると、ニルド殿下が眉をひそめていた。
「ノエル。ことスイッチが絡むと、お前らランカード兄妹は不器用になる。一人で抱え込み、何とかしようと無理を重ねる。言いたくないものを、無理に暴くことはしねえが、少しは周りも見ろ。お前たちを手助けしたくてウズウズしてる人間が、ここにいるぜ」
一つ年下とは思えない度量を見せたニルド殿下に、俺は頭を下げた。この方が妹の婚約者であることに、心から感謝した。
「ありがとうございます」
この方に、無事にエレノアを預けるのだ。それが、兄たる俺の役目だ。
幼い頃から寄り添いあい、守ってきた大事な妹を、必ずや。
俺は心の中で、冷たい覚悟がゆっくりと固まるのを感じていた。
判断の秤を、狂わせるわけにはいかない。
天秤の片方に乗っているのは、エレノアの命だ。どうしても二つのうち一つしか手にできないとなれば、自分の我が儘を通すわけにはいかない。エレノアの命より重たいものなど、ないからだ。
その代償が、どんなに俺にとって、愛おしく、温かく、優しく、貴重なものであっても。
エレノアの命と引きかえにはできない。
できないのだ。
数日後、俺はリリアと学園帰りに、下町の孤児院を訪れていた。リリアは以前から、この孤児院にパンを差し入れている。俺もリリアに付き合って、度々出入りしているため、二人で顔を出した途端、子どもたちにワッと取り囲まれた。
いつものことだが、元気の有り余っている、やんちゃ盛りの男の子たちが手を引いてくる。剣術ごっこがしたい! という希望にこたえて、適当に木の棒で打ち合った。リリアは向こうで、女の子たちの相手をしている。
それも一段落したところで、ふと俺は、アンという少女が、モジモジと俺に話しかけたそうにしていることに気づいた。おしゃまで元気で、ひときわリリアになついている彼女が、リリアより俺に寄ってくるのは珍しい。
「アン。何だい?」
声をかけると、内緒話をしたそうな素振り。しゃがみこむと、嬉しそうに耳元に口を寄せてきた。
「あのね、ノエル様。私ね、宿屋のハンスにプロポーズされちゃった」
プロポーズ?! 俺は驚いた。アンはまだ十歳に満たない。政略がからむ貴族ならともかく、随分気の早い男もいたものだ。
まさか相手は大人の男じゃないよな、と心配になる。
「ハンスは何歳?」
「十一歳」
それなら、まあいいか。
「嬉しいのかい?」
頬を染める様子から、答えは分かっていたが聞いてみる。
「うん。ハンスは優しいんだよ。乱暴しないし、意地悪もしないし、お花とかお菓子とかくれるの。……でも、ハンスの宿屋って、すごくピカピカで大きいんだ。近づくと、ハンスのお母さんとかが、何だか恐い顔をするの……」
それは嫌な話だが、恐らくアンが、孤児だという理由で、ハンスとやらの家族に厭われているのだ。
貴族と平民ほどではなくとも、至るところに格差はある。孤児のアンは、残念ながら底辺に近い。裕福そうなハンスの一家は、アンと距離をおきたがっているのだろう。
こんなに小さいのに、アンは空気を読む力に長けているのだなと、俺は切なくなった。
「リリアお姉ちゃんは、気にしなくていいよって言うの。自分がどうしたいのかを、大事にしようって。ノエル様は、どう思う……?」
じっと見上げられて、俺は反応に困った。同じ男として、ハンスの応援をしてやりたい気もするが、ハンスの家族に辛く当たられるなら、アンが不憫だ。
──リリアは、アンを止めなかったんだな。
俺はじんわりと喜びが沸き起こるのを止められなかった。
周りは気にするな、自分がどうしたいのかを大事にしよう、と、言ったというリリア。
それは、彼女が身分差や周囲の状況を敢えて度外視し、自分の気持ちだけを見つめて、俺との関係に答えを出そうとしている証に思えた。
ありがとう、リリア。
そして、──ごめん。
俺はアンに笑いかけた。俺が今アンにできるアドバイスは、一つだけだ。
「俺としては、返事は保留にしておくのがオススメかな」
わざと明るく言うと、アンは、ええーっ、と笑った。
「そしてその間に、アンは強くて優しくて可愛い女の子になるんだ。構うことはない、ハンスを振り回してやれ。もしも待てないような男なら、こちらから願い下げだ。そしていつか、嫌な思いをしてもいいくらい、ハンスを好きだって思ったら、いいよって言うんだよ」
「分かった! ありがとうノエル様!」
向日葵のような笑顔を見せると、アンは駆け去っていった。
入れ替わるようにリリアが歩み寄ってくる。
「ノエル様。そろそろ帰りましょうか」
「そうだな。送っていくよ」
冬の日暮れは早い。気温がみるみるうちに下がっていく。吐く息が白く浮かび上がっては、宙に溶け始めた。
二人で他愛のない話をしながら、家路を辿る。
学業のことや、生徒会活動のこと、級友のこと。
リリアは着実に、クラスに馴染んでいるようだった。春頃の彼女の学園生活には、俺とエレノアだけがいた。しかし今のリリアの世界は、もっと広がっている。随分色々な名前を、楽しそうに挙げるようになったのが、嬉しい反面妬けるところだ。
そしてクリスマスパーティーの準備や、エレノアとのやり取り。ニルド殿下とのエピソード。いくらでも話題は尽きず、リリアと俺の歩みはゆっくりとしたものだった。
リリアの明るくて軽やかな声が、俺の胸をくすぐっては、微かな痛みを呼び起こした。
リリアを早く家に帰らせてやらなければ、と思う。
それと同時に、もう少し長く一緒にいたい、と思う。
もう少しゆっくりと歩いてみようか。
寄り道をしても許されるだろうか。
もっと、リリアの声を聞いていたい。明るい笑顔を目に焼き付けておきたい。手を繋いだり、肩を抱き寄せたりするのは反則だろうが、もしもそうできたら、どんなに幸せだろう。
これが、最後なのだ。
「ノエル様、雪です!」
リリアが空を見上げる。粒の大きな雪が、ふわふわと降り始めていた。
決して激しくはないが、途切れず舞い落ちる雪。俺とリリアの髪や肩にふんわりと着地しては、キラキラと瞬く。
リリアが一際大きな粒を手のひらで受け止めた。小さくて美しい雪の結晶が、幾つも連なっているのが見えた。
「綺麗ですね」
俺にも見やすいように手のひらを傾けて、リリアはくすぐったそうに見上げてきた。結晶が溶けて消えると、更に雪の粒を捕まえて、はにかむように笑った。
俺はその笑顔を、心の中に刻み付けた。
──リリア。好きだよ。
ずっと君の側にいたかった。
俺は通りに面した雑貨屋に歩み寄った。ノエル様? とリリアが呼びかけてくるが、ちょっと待ってて、とだけ返す。予告すると遠慮して止められるからだ。
防寒具のスペースに足を踏み入れる。
遠ざかることを決めた自分に、リリアにプレゼントを贈る資格はないのかもしれない。だから、宝飾品は選ばない。高価すぎるものも選ばない。その代わり、彼女の手元に、俺の贈り物が残ることを許してほしい。
俺が買い求めたのは、編み模様が美しい桃色の手袋だった。素手で雪を受け止める彼女が冷たくないように。冷たい風が彼女を凍えさせることのないように。これから先、彼女と手を取り合うことができないなら、少しでも彼女を暖めて守りたかった。
「ノエル様。黙って勝手に買っちゃうなんて! 断らせないように、わざとですね?」
めっ、と腰に手を当てて抗議してきたリリアに、手袋を着けさせる。可愛い。
「もうしないから、見逃して。どうしても、リリアにプレゼントしたくなったんだ」
リリアは少し困った顔をした後、はっと何かを思い付いた顔になった。意気込んで、
「……分かりました、ありがとうございます。でも、それなら私にだって考えがあります! ちょっと待っててくださいっ」
そう何やら宣言すると、雑貨屋に駆け込んでいく。
──ああ、これは。もしかしなくても。
俺はゆっくりとリリアの後を追った。思った通り、リリアは男性用手袋の棚の前で、うんうん悩んでいた。シンプルな灰色のものを手に取っているが、本命ではないようだ。熱を宿した目線は、飾られている濃紺の手袋に向けられている。
編み模様が美しい手袋だった。俺がリリアに贈ったものの色違いだ。
何度か灰色と濃紺を見比べると、彼女はじわじわと頬を染めながら、灰色をそっと棚に返した。代わりに濃紺へ手を伸ばす。
俺は横から、そのリリアの手を取った。
──買わせるわけにはいかない。
俺に、リリアからプレゼントをもらう資格はない。
「気持ちだけもらうよ、リリア」
リリアはガーン、という顔になった。
「や、やっぱり、お揃いはダメですか……!?」
その台詞に、小さく笑ってしまう。リリアとのペアを、俺が嫌がるはずはないのに。
「違うよ。ただ、お返しは要らないんだ。そんなつもりであげたわけじゃないし、この後、俺は君に酷いことを言うから」
「……酷いこと?」
「そうだよ。……君の家の前で、言うよ。行こう」
リリアの手を引き、俺は彼女を雑貨屋から連れ出した。
そこから先の家路は、それまでの穏やかで温かな空気が、まるで嘘のような沈黙だった。問いかけるようなリリアの視線を何度か感じたが、俺はそれを黙殺した。無事に送りとどけ、いざ別れるその時までは。名残を惜しむことだけに心を向けていたい。
握ったままだったリリアの手を、俺は結局その別れの時まで、放すことができなかった。リリアは引き抜こうとする素振りも見せたのだが、断固として放さなかった。未練だらけだな、と内心で苦く自嘲した。
だが、どんなに未練だらけだろうが、もう決めたのだ。
──お別れだ、リリア。
リリアの家の前で、不安げに俺を見上げる彼女と向かい合う。俺は自分の胸元から校章を外した。ゴールドの輝きを放つそれの、本来の持ち主はリリアだ。クリスマスパーティーのパートナーであるという証。
それを差し出して、俺はリリアの目を静かに見つめた。
「君へのプロポーズを、取り消させてくれ。リリア」




