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1.夜半の襲撃

訪れてくださって、ありがとうございます^^


スイッチシリーズの三作目になります。良ければ、前の二作も宜しくお願いします^^


少しでも楽しんでいただけますように^^

 カチッ、という音が響いて、俺は目を覚ました。嫌になるほど聞き慣れた音だ。


 ──まさか。スイッチが入ったのか?


 最悪の目覚めだ。溜め息をつきたかったが、体はピクリとも動かなかった。ああ、本当に間違いない。スイッチだ。


 スイッチとは、俺たちを悩ませる、俺たちの定められた未来のことである。その時々で違うが、特定の発生条件を満たすと、それは唐突に俺たちの体を乗っ取ってしまう。そして定められた未来シナリオの通りに、俺たちの体を動かすのだ。


 屋敷は静まり返っている。その暗闇と静寂の深さに、夜明けはまだ遠い時間帯だと目算した。こんな時間に、しかもただ眠っていただけで、何故スイッチが発動したのだろうか。

 そして俺は、ぎくりと心を強張らせた。闇に慣れてきた瞳に、人影が映ったのだ。

 ベッドの脇に、一人の女性が立っていた。

 ほっそりとした立ち姿。ふんわりと広がる夜着。顔は陰になり見えないが、微かな光を反射する髪は銀。


 ──エレノア。


 それは俺の大事な妹だった。


 妹の浮かされたような声が、夜陰に溶け込むように降ってきた。

「お兄さま、愛していますわ。あんな汚らわしい平民に惑わされたことも、許して差し上げます。だって、お兄さまをこの世で一番愛しているのは、幸せにできるのは、私ですもの。それをこれから、分からせて差し上げます」

 どうやらエレノアも、スイッチに操られているようだ。

 俺に変質的に執着する妹。それがスイッチの中での、エレノアの役どころである。


 エレノアの体から、夜着がスルリと落ちた。シュミーズとズロースだけの心もとない姿に、俺は焦った。真冬の深夜だ。部屋は冷えている。あれでは風邪を引いてしまう。

 ベッドに乗り上がってくるエレノアは、まるで猫のようだった。しなやかに音をたてず、俺の横に這い寄ってくる。

 そして伸びてくる、たおやかな手。外されていく俺の夜着のボタン。上から三つ外したところで、エレノアの手が、俺の胸元に滑り込んだ。


 ──エレノア、やめろ。


 淫靡な手つきで鎖骨を撫で上げられ、悪寒が走った。自由に体が動けば、反射的にはねのけていただろう。

 スイッチに操られてさえいなければ。即座に止めさせて、暖かい上着を羽織らせるのに。

 内心で歯噛みする俺と、身を乗り出してきたエレノアの目が合った。俺の頬に手を当てて微笑み、更に顔を寄せてくる。キスしようとしているのだ。

 俺は本格的にスイッチに抵抗した。このまま妹とキスするわけにはいかない。動かない体が苛立たしい。唸り声をあげたいくらいだったが、もちろん喋ることも出来なかった。

 エレノアと俺の、二つの紫の目線が絡み合った。

「……愛していますわ。お兄さま」


 ──切れろ! スイッチ!


 その時、俺の体が弾かれたように動いた。エレノアの腕を取ると、ギリギリとねじりあげる。荒々しくベッドに押し付け、背中へ馬乗りになった。

 スイッチはまだ切れていない。悔しいことに、自分の意思でスイッチを切る方法は、見つかっていないのだ。俺の体は操られたままだ。

 スイッチの容赦ない行動に、息が止まるかと思った。

「──とうとう、ここまで腐ったか。エレノア」

 発した声は、低く凍りついていた。エレノアが苦痛の声を漏らす。

「お前と俺は、血が繋がった兄妹だというのに、今何をしようとした」

 自分が、見下げ果てた表情で、エレノアを見下ろしているのが分かった。かけがえのない大事な妹を蔑み、締め上げている自分。神経が焼き切れそうだった。今日のスイッチは最悪だ。いつも最悪だが、いつもにも増して最悪だ。

 エレノアが身を捻るのを、更に体重をかけて抑え込んだ。

「痛い……! お兄さま、離して」

「離して、そしてお前はどうする。また俺を襲うのか?」

「だって! お兄さまを愛しているのです……! もう我慢が出来ないの! どうか私を、お兄さまのものにしてください。そしてお兄さまは、私のものに。あの汚らわしい平民になんて渡さないわ……!」

「汚らわしいのはお前だ」

 俺は吐き捨てると、エレノアをベッドから突き落とした。床に倒れふし、立つことも出来ないエレノアの腕を掴み、そのまま扉まで引き摺っていく。力一杯廊下へ突き飛ばした。

「出ていけ! お前の顔を見るだけで虫酸が走る。お前みたいなものが、妹だと思うと心底おぞましい。金輪際、俺にもリリアにも近づくな!」

 バタン! と乱暴に扉を閉めたところで、待ち望んだ音がした。スイッチが切れる合図だ。


 カチッ


 俺は体の自由を取り戻すと同時に、扉を開いた。エレノアはまだ廊下に座り込んだまま、放心していた。艶やかな銀色の髪。紫色の瞳。普段は咲き誇る大輪の百合のような妹の、美しい顔に影が射していた。

 すぐに抱き上げる。素早く室内に連れ戻し、そっとソファーに下ろした。

「お兄さま……」

 エレノアが身震いした。寒さのせいなのか、恐怖のせいなのかは分からなかった。ひとまずは俺のガウンで包み込む。

「……エレノア、大丈夫か? 乱暴な真似をして済まなかった。腕を見せてくれ。何処か痛めていないか?」

 燭台に灯りをともし、エレノアの腕を丹念に確認する。どうやら異常はなさそうだ。良かった。

 エレノアは気丈に笑ってみせた。

「大丈夫よ。お兄さまとのスイッチは久しぶりだったから、ビックリしてしまっただけ」

「そうだな……。しかも、これほど酷いスイッチは初めてだ」

 真剣に肝が冷えた。エレノアの淫らな振る舞いにも、自分の乱暴な振る舞いにも。

「エレノア。俺たちのスイッチ、激化していないか?」

 前世の記憶を持つ妹は、唯一スイッチの未来シナリオを知る人物でもある。

 以前聞いたことがあるが、俺たちは妹が前世でやっていた『乙女ゲーム』の登場人物なのだそうだ。

 自分が創造物のキャラクターだと聞かされた時は唖然としたが、それについては深く考えないことにしている。誰が何と言おうと、俺たちは今こうして存在しているのだから、気にしても仕方がない。俺たちは、目の前にある現実を精一杯生きるだけだ。

 俺の問いかけに、エレノアはつんっと、そっぽを向いた。

「いいえ。気のせいですわ」

 気の強そうな仕草だが、その横顔を観察していれば、すぐに分かる。すごい勢いで繰り返される瞬き。銀色の長い睫毛が扇のように上下している。エレノア、動揺が漏れているぞ。

「嘘をつくな。スイッチが進行しているなら、大問題だろう。何故誤魔化そうとするんだ?」

 確か俺たちの未来シナリオは、憎み合った挙げ句、俺がエレノアを死に追いやるという内容だったはずだ。

 エレノアを殺すなんて冗談じゃない。これ以上スイッチが激化しないように、一刻も早く手を打たなければならない。スイッチが進行した理由を特定し、潰さなければ……。

 そこまで考えて、俺は愕然とした。

 スイッチが進行する理由なんか、分かりきっているじゃないか。


 ──なぜ俺は、こんな簡単なことに今まで気づかなかったんだ。


 自覚は無かったが、浮かれていたのかもしれない。

 初めての恋に。


 俺の表情の変化に、エレノアがバレた、という顔になった。エレノアのやつ、やはり確信犯だな。分かっていて、回避もせず、黙っていたのだ。


 俺たちのスイッチは、俺に女性が近づくことが鍵となって発動する。エレノアは俺に近づく女性を憎み、俺はそんなエレノアを憎むのだ。そのため、俺は長らく周囲から女性を遠ざけてきたが、少し前からそれに一人の例外ができた。

 王立学園で唯一の、平民出身者。貴族でも稀な光属性の魔力を有することから、特例として学園に入学を許された、スイッチのヒロイン。ピンクゴールドの髪にエメラルドグリーンの瞳の、素直で愛らしい少女。


 ──リリアが、スイッチが進行した理由だ。


 俺がリリアと親しくしているから、スイッチが激化したのだ。

 そう言えば、エレノアがリリアに嫌がらせをするスイッチも止まない。当の本人たちが気にしていないから、重視していなかったが、そういうことか。


 ということは。

 彼女──リリアを俺から遠ざければ、スイッチの激化は止まる。


 ……だが。それは。


 俺の想いを見透かしたかのように、エレノアは俺の目を覗きこんだ。

「気付かれてしまったなら、はっきり言いますけれど、私は嫌ですわよ。お兄さまとリリアが、距離をおくなんて。お義姉さまになって良いのは、リリアだけです! それでなくても、二人の関係って、微妙に煮え切らなくてヤキモキしているんですから。それを考えたら、切れてさえしまえばそれで終わりのスイッチなんか、大した問題じゃありませんわ」

 大胆な発言だ。これまでスイッチを避けるために、二人で悪戦苦闘してきたのが嘘のようだ。


 エレノアの言葉には迷いがない。ニルド殿下という相愛の婚約者を得て、エレノアは強くなった。エレノアから嫌がらせを受けるリリアが、事情を理解し寄り添ってくれているのも大きいだろう。決然とした光が、エレノアの紫水晶の瞳を煌めかせている。


 だが、かかっているのはエレノアの命だ。


「大した問題じゃない、なんて言えないだろう。スイッチの最後に、俺は……お前を死に追いやるんだろう? 以前そう聞いたはずだ」

「その部分はエピローグなので、詳しくは分からないんですけれど。お兄さまに本邸から追い出された後、幽閉されている別邸で体を壊し、一人寂しく……だったはずなので、まあそう言えないこともないですわね」

「だったら……!」

「お兄さま。大丈夫ですわ。私、お兄さまを信じていますもの」

 エレノアは自信満々にニッコリ笑った。

「どういう意味だ?」

「簡単な話です。とりあえずスイッチに操られて、『お前を別邸に幽閉する!』と叫んだとしても。スイッチが切れた後、お兄さまは本当に、その通りに私を追い出すのですか?」


 ──は?


 俺は意表を突かれてキョトンとしてしまった。

 スイッチは確かに、必ず切れる。これまでの経験から見ても、一回ごとの時間は、それほど長くはない。

 それなら、スイッチが切れた後、俺はどう行動する?


 そんなことは決まっている。

 即座に前言を撤回するのだ。


「確かに……」

「でしょう?」

 エレノアは楽しそうだ。悪戯っぽく笑う。

「実は、これに気づいたのは、ニルド殿下なんです。ニルド殿下にそう言われた時の、あの衝撃ったら! 表現し尽くせないのが残念ですわ。私、それから、一気に気が楽になったんです。どんなに進行しようとも、スイッチの結末は──お兄さまが私を殺す未来は、実現しません。そうでしょう?」

「そうだな……」

 俺も急に世界が明るくなったような気がした。

 言われてみれば、その通りだ。

 今夜のようなスイッチを、経験し続ける是非はさておき、スイッチの最悪の結末だけは、決して実現しない。それは何と素晴らしいことなのだろう。

 このことに気がついたニルド殿下は流石だ。俺たちは、スイッチを回避しなければとそればかりに捕らわれて、冷静さを欠いていたのかもしれない。

 エレノアは誇らしげな顔をしていた。ニルド殿下の手柄が嬉しいのだろう。仲睦まじい二人の様子は、俺にとっても素直に嬉しかった。長らくニルド殿下の気持ちに気づかなかった鈍い妹だが、落ち着くところに落ち着いてくれて、本当に良かった。


 ──そうだ。スイッチの思い通りになんか、なってたまるか。


 エレノアを幸せな花嫁として、ニルド殿下の元へ届けなければならないのだから。

「ふふっ、だからね、お兄さま。スイッチの進行なんか気にせずに、頑張ってリリアを捕まえてくださいね。もうすぐ学園のクリスマスパーティーですわよ。お兄さまもニルド殿下も、攻略対象ですから、リリアと過ごすスイッチがありますわ。メインヒーローのニルド殿下の方が、スイッチの優先度は高いんです。でもお兄さまがリリアを誘ってあげてくださいね。念のため言っておきますけれど、誘い文句をスイッチに任せるなんて、男らしくありませんわよ」

 分かりやすく発破をかけられて、俺は苦笑した。

 学園のクリスマスパーティーは、初夏のサマーパーティーに続く、学園の三大イベントの一つだ。ただし、サマーパーティーとは異なり、エスコートがある。このパーティーのラストダンスを共に踊った二人は、カップルであると周囲に認識されるのである。

「頑張るよ」

 俺としても、リリアを誘うなら、自分の意思で誘いたい。勿論リリアのエスコートを、他の男に譲るなんてもっての他だ。

 それでは、私、そろそろ部屋に帰って寝ますね、とエレノアは立ち上がった。俺もそろそろ寝なければ、明日に差し支えるだろう。

 無性にリリアに会いたくなった。

 明日、会いに行こう。そして、クリスマスパーティーを共に過ごそうと誘おう。

 そう思いながら、俺はエレノアを送り出したのだった。



 翌日の放課後、俺はリリアに会うために、生徒会室へ足を向けていた。

 リリアはエレノアと共に、今は生徒会の末席に身をおいている。

 平民のリリアは、学園での風当たりが強い。しかし生徒会に入れば、生徒会長である第三王子ニルド殿下の庇護を得て、手っ取り早く雑音をシャットアウトできる。そう考え、エレノアとニルド殿下が手配したのである。

 生徒会室の扉をノックしようとしたその時、中から響いてきた艶めいた声に、俺は手を止めた。

「リリア。可愛らしい私の姫。私と校章を交換してくれませんか? 君の金色の輝きを、私のものにしたい。他の男には渡さない」

 ニルド殿下の声だった。俺はギクッと動きを止めた。

 王立学園の校章は、女性はゴールド、男性はプラチナで出来ている。それを交換してお互い身に付けることは、クリスマスパーティーのパートナー同士である、という意味を持っていた。

「ニルド殿下のプラチナは、私にとって手の届かない輝きです。もしもそれをいただけるなら、どんなに幸せかと、ずっと思っていました。本当に私でいいんですか……?」

 涼やかなリリアの声。

「私が心からパートナーに望むのは、君だけだ。エレノアとの婚約は、元より恋愛感情はない政略的なもの。今の私は、君が恋しくて堪らないんだ」

 普段の伝法な口調とは、明らかに異なる甘やかさで告げるニルド殿下に、おかしいと思う間もなく俺の理性が吹き飛んだ。

 ニルド殿下はエレノアの婚約者だ。俺がエレノアを預けるはずの相手だ。いつもエレノアを溺愛している様子だから安心していたのに、よりにもよって、こっそりリリアを口説くとは……!

 ノックもせずにドアを押し開ける。

 そこには、リリアを壁際に囲いこみ、リリアの髪の毛先にキスを落としているニルド殿下の姿があった。


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