第八七話 修羅の国
小野佳奈美福岡県警察本部長による長年の地道な検挙が実を結び、勢力が衰退していた暴力団。追い詰められた工藤組を初めとした暴力団による、抗争が発生する。
修文三十年、十一月末。福岡県内西部の福岡地区、北部の北九州地区にて、工藤組と警察機動隊が衝突した。そしてそれに連動し、福岡県南部の筑後地区にて、大牟田市に縄張りを持つ浪川組が久留米市へ進出し、同地を縄張りとする道仁組の抗争が始まった。
「巨大な山内組の威を借りるだけの浪川組のバカタレ共が、調子に乗ってなんばしよるか!」
「工藤組がおらんやったらなんもできん道仁組ごときが、なんばいいよるか!」
道仁組は工藤組と友好関係にある暴力団であり、工藤組の援護に人員が割かれたタイミングを狙って発生した抗争であった。
続いて、福岡県東部の筑豊地区にて、工藤組や道仁組と友好関係を結ぶ太洲組は、福岡県の右隣である大分県警が福岡県警と合同で工藤組の掃討に動き出したことを知り、暴力で従えた暴走族のバイク乗りや、庇護下の不良を束ねる複数の愚連隊を動員し、警察組織への妨害を図った。
「ガキ引き殺したって関係無かやろうが! そがんどうでん良かけん道ば塞げ! 鉄パイプでんなんでんよかけん武装してとにかく警察ば殴れ!」
「公務執行妨害どころの騒ぎではないが……ピストルや警棒では最早対処しきれない……!」
四六時中、早朝から真夜中まで怒号やバイクの轟音が鳴り響き、田川市、田川郡もまた治安は悪化した。
諍いが諍いを呼び、市民を巻き込んだ暴力団と警察の争いは、佐賀県や長崎県など、九州北部の広範囲へと波及していった。
その状況を、大友修造は満足げに眺めていた。
それは、この惨状は当に計算通りであり、平和ボケした市民の危機感を煽り、その矛先を暴力団へ向けさせることに成功したからであった。
九州、その中でも特に福岡県というのは、昭和末期から修文初期にかけて、大小様々な暴力団が血で血を洗う抗争を続け、漸くいくつかの大組織に統合されたという歴史があった。だがそうして成し上がった暴力団もまた、女傑の小野佳奈美福岡県警察本部長によって、過去の遺物になろうとしていたのである。そんな残存の暴力団を大業の為に利用し、完全に無きものにしようと、大友修造は考えていた。
小野は全てを終わらせるべく、暴力団の完全掃討作戦を行うことを世間へ発表した。
防圧重点の対策から、一斉検挙という一大攻勢へ移ること発表したのである。
そして十二月中頃、警察と浪川組の両方を相手取ることを困難と判断した工藤組、道仁組、太洲組は、浪川組との手打ちを行うこととした。
手打ち式は、日本最大の暴力団組織山内組の九州に於ける代表組織、山内組伊豆会が仲介を担った。
修文三十年……2018年




