閑話:イスラ視点 辺境と不在期間の異変 3
「……それで、私になにか御用ですか、カーネリア姫」
逸れていった思考を目の前にいるカーネリア姫へと戻し、促す。
出先であった異変の報告など、カーネリア姫にする必要はないのだ。
カーネリア姫の前で思考することではない。
……ああ、でも。
辺境の村を雪と氷で閉ざした男神については、カーネリア姫に確認しておいた方がいいかもしれない。
神を動かすことにかけて、カーネリア姫以上の容疑者はいないのだ。
さて、どう会話を誘導するか、と思考をめぐらせていると、用件を促されたカーネリア姫は少しだけ決まりの悪そうな顔をする。
私に会う時のカーネリア姫はいつでも嬉しそうな顔をしているので、この表情は珍しい。
……なにか……?
本当に、何か異変でもあったのだろうか。
カーネリア姫が私を訪ねてくることは珍しくないが、今のような表情をすることはなかった。
……? 少し、違和感が……?
見下ろすカーネリア姫にわずかな違和感を覚え、注意深く観察する。
十日会わなかったぐらいで劇的に痩せている、ということはない。
そういった意味では、いつものカーネリア姫だ。
むしろ、毛皮を纏っているだけ普段よりも丸く、モコモコとしている。
神へ祈るたびに輝きを強くする銀髪も、普段どおりだった。
特別いずこかの神へ祈った、ということもないようで、静謐な銀の輝きをしている。
銀の髪には私の贈った髪紐が結ばれていて、見るものが見れば軽く引くだろう。
奥宮へ閉じ込められて育ったカーネリア姫と、違う文化圏で育ったという白雪 姫子は気がついていないが。
むしろ、知っていればこの髪紐は受け取らなかっただろうし、受け取ったとしても成人までは身につけなかっただろう。
軽く一財産はある髪紐だ。
値段的に姫君が身に付けるものとして相応しく、異性に贈る物としては違う意味が込められる。
「……カーネリア姫、魔よけの石は……どうされましたか?」
「あう、……割れました」
カーネリア姫の髪飾りから、同様にまじないの刻まれた銀や宝石を編みこんで作った腕輪へと視線が下りる。
その腕輪の中央部分は黒い魔よけの石を固定するため網のように編んであったのだが、今は中身が入っていない。
カーネリア姫に覚えた違和感は、これだった。
「魔よけが……割れた、のですか?」
「はい。見事に、ぱっくりと真っ二つに……」
最初は二つに割れたが、今はかなり細かくなっている、と言いながらカーネリア姫は衣の隠しから小袋を取り出した。
差し出されたので受け取って中を覗いてみると、割れた魔よけの石がほとんど砂粒のように細かくなっている。
「……なにをしたのか、お聞かせください」
「わかりません。寝ていたら割れました」
寝ている間に踏んでしまったのだろうか、とも考えたが、その程度で石が割れるとは考えられない。
そもそもとして、石が割れるほどの加重があったというのなら、石より先に腕輪を身につけていた自分の腕の骨が折れているはずだ、と。
「でも……寝ていて割れたことと関係あるのかは自信がないのだけど」
近頃、夢見が悪いのだ、とカーネリア姫は紅玉の瞳を伏せる。
髪と同じ銀の睫毛に縁取られた瞼は、少し浮腫んでいるのか、ぽってりとした丸みがあった。
「ここ何日か、同じ変な夢を見るの。長い黒髪の男の人が――」
「黒髪の時点で気付いてください。それは人間ではありません」
「……? そう、だね? そうかも?」
不思議そうに首を傾げるカーネリア姫に、こちらの方がわからなくて首を傾げたくなる。
黒髪の相手を見て『人間』と考えることなど――
……今のカーネリア姫は、ご自分を『白雪 姫子』だと自認しているのでしたね。
黒髪を見て神ではなく『人間』と思ったところも、そうなのだろう。
自分たちが身につけていて当たり前の常識が、今のカーネリア姫にはない。
「それで、夢に現れた男神がどうしたのですか?」
「えっと……男神が私の部屋に現れて、アコモに触れようとするんだけど……」
嫌な予感がして、その手を阻む。
そんな夢を、毎晩のように見ているのだ、と続けたカーネリア姫に、いくつか気になることがあった。
「……なぜ、玩具がカーネリア姫の部屋に?」
「え? わたしの部屋が、奥宮で一番暖かいからですけど?」
冬になり、一段と気温が落ち込んで、アコモの様子が思わしくない。
毎朝ちゃんと息をしているかと、世話をしていた大部屋の侍女たちが怖がっていたので、アコモをカーネリア姫の部屋へと移すことにしたらしい。
銀髪を持つカーネリア姫の部屋なら、奥宮のどの部屋よりも暖房に気を遣われ、寒さなど感じることがないからだ。
「……もう一つ。夢の中のカーネリア姫は、男神の手を『どうした』のか、お聞きしても?」
「それは……」
男神の手を『阻む』とは聞いたが、その方法を聞いていない。
所詮は夢の中でのこと、と気にする必要はないのかもしれないが、やはり気になった。
カーネリア姫の夢見が悪いことと、自分の夢見が良かったことが。
「……ヒメ」
「ううっ……」
なにやら言いよどむ様子のカーネリア姫に、故意に『白雪 姫子』を呼んでみる。
そろそろこの不思議な響きの名前を呼ぶことにも慣れてきたのだが、わざと少し言い難そうに名前を呼ぶ。
こうすると、よりカーネリア姫が自分を意識してくれるのが判るからだ。
「……ノーコメントでお願いします」
「のーこめ……?」
カーネリア姫の、正しくは白雪 姫子の口から聞き馴染みのない言葉が出てくる。
白雪 姫子の言うことには、白雪 姫子の生きていた世界の、他国の言葉らしい。
そんな言葉を使われても理解できない、とは伝えてあるので、白雪 姫子も普段は使わないように意識してくれている。
時々出てくる時は、白雪 姫子が咄嗟に言葉を直せなかった時だけだ。
「言いたくないんだと」
「……なぜマタイは判るんですか」
カーネリア姫が濁した言葉を、なぜかマタイが横から訳した。
もともと旅人だったというマタイは、脳みそまで筋肉でできていそうな体つきをしているが、案外細かいことに気がつき、知識量も多い。
その出所不明の知識の中に、カーネリア姫の言う『ノーコメント』も含まれているのだろう。
それについては多少気になるが、今は目の前のカーネリア姫である。
「……言いたくないようなことを?」
したのか、されたのか。
そこまでは続けず、カーネリア姫の表情を観察する。
自分の夢見と、カーネリア姫の夢見が、妙な一致をしているような気がしてならなかった。
ジッとカーネリア姫を見つめていると、姫は私の視線から逃れるように両手で顔を隠してしまう。
そのままプイッと顔を逸らす仕草がたまらなく愛らしいと思ってしまうのだが、ますます嫌な予感がしてきた。
カーネリア姫のこの仕草が怒りや拗ねからくるものならいいが、照れやはじらいであった場合には、カーネリア姫の夢の中まで乗り込んで、男神を叩き出してくる必要がある。
「と、とにかく言いたくないのっ!」
そんなことよりも、魔よけの石が割れたことが気になる。
せっかく自分が作ってくれた腕輪が、壊れてしまった、と判りやすく話題をかえてきたカーネリア姫に、これ以上の追求を諦める。
頑なに口を閉ざすカーネリア姫には、しつこく食い下がるよりも、会話の中で誘導してポロリと漏らさせる方がいい。
「……魔よけの石が割れたのは、役割を果たしたのでしょう」
すぐに代わりを用意します、と一先ずこの話題は終わらせた。
※作者はイスラをサイコヤンデレだと思っている。
※礼儀正しい好青年の予定で書き始めた、なんていっても、誰も信じてくれないだろうな、と思っている。




