コイズの進度 1
神学の教師は神殿から送られてくるが、その他の教師は長く王城で働いていた文官の隠居や、学士だ。
共通点があるとすれば、みなそれなりに年を経た白髪の老人たちだ、というところだろうか。
王城の一室を借りて授けられることになった勉学の種類は、意外と多岐にわたる。
てっきり父アゲートの横槍が入り、学ぶことができても読み書きぐらいだろうと思っていたのだが、このあたりは正妃エレスチャルの意向がしっかりと反映されているようだ。
……いや、学べるのは有り難いんだけどね?
学べることは有り難いが、次期国王と考えられていることだけは、どうにかならないものだろうか。
沈むと判っている船には乗りたくないし、沈まなくとも私に船頭など務まらない。
授業が始まる初日に、イスラを通して正妃から勉強道具一式が届けられた。
これまではイスラの作ってくれた書字版代わりの砂を入れた薄い木の箱を使っていたのだが、今はこの書字版だ。
薄い木の箱という意味では同じものだが、砂の代わりに蝋が詰められており、木面はやすりで整えられていて引っ掛かりがなく、装飾として花の絵が描かれていた。
こうして見ると、たしかにイスラがくれた木の箱は『簡易な』仮の物だったのだろう。
そうは判るのだが、あの木の箱には『イスラがくれた』というプレミアな価値があったので、私としては装飾や使い勝手よりもあちらを選びたい。
……まあ、イスラに回収されちゃったんだけど。
イスラが内心を聞かせてくれた夜。
唇が触れ合うかと思うほど顔を近づけて――実際に鼻先は触れてもいた――きたイスラは、うろたえた私の腕の中から、しっかりと薄い木の箱を回収していった。
父アゲートがよくイスラのことを「すかした顔をしていて気に入らない」と罵倒するのを聞くが、確かにイスラにも罵倒されるだけの理由はあると思う。
当人にそのつもりがあるのかどうかは謎だったが、あれは間違いなく色仕掛けの一種だと思うのだ。
照れもなく顔を近づけて、木の箱を回収するという目的を果たしているのだから、イスラは本当に油断できない。
……イスラには勝てない。絶対に勝てない。
これが惚れた弱みだろうか、と逸れていく思考を、塗板に書かれた文字を書字版へと写しながら引き戻す。
今はイスラについて思い馳せる時間ではなく、勉学の時間だ。
ここしばらく、本当にイスラ成分が足りていないが、だからと言って勉強をおざなりにしていい理由にはならない。
「――こう言ってはなんなのですが」
意外と真面目に授業を受けてくれるのだな、と老師――と呼んでしまいたいのだが、用意された教師のほとんどが老齢で、老師だけでは誰のことかと判別ができない――イスオルが目を細めて微笑む。
カーネリアの前評判が悪すぎて、真面目に授業を受けるだけで私の評価が勝手に上がっていくようだ。
「せっかくエレスチャル様が用意してくださった機会ですし、必要なことだと思いますので?」
授業を真面目に受けた程度のことで不思議がられてしまっては、困ってしまう。
学ぶということは、すべて未来の自分のためである。
白雪 姫子としてこの程度の分別は身につけているので、学ぶこと自体に忌避感や苦手意識はない。
多少、気が逸れてしまうことは、たしかにあるが。
「王位にはコイズ……が無理にしても、いつか生まれるかもしれない弟が継いでくれたらいいな、とは思いますが」
身につけた知識とは武器であり、何者にも奪われない財産である。
その知識が、これまでのカーネリアには与えられることすらなかったので、エレスチャルの与えてくれたこの機会を私が逃す気はない。
なにをするにしても、まずはこの世界、この国についてを知っておく必要があると思うのだ。
「カーネリア様はもう少し、お父君と似たお方だと聞いていたのですが」
「先日、このままでは自分自身がいつか困る、という気付きを得たので、エレスチャル様に『学びたい』とおねだりしたんですよ」
正確にはイスラに相談し、イスラが整えてくれた場ではあったが。
大筋はこれで間違っていない。
老師たちを用意したのは正妃エレスチャルであり、イスラはエレスチャルに渡りを付けてくれただけだ。
……それにしても?
隠居し、王城から離れた老師たちの耳へも、カーネリアの素行については届いていたらしい。
学が授けられるようになって四人の師と引き合わされたが、その誰もが同じようなことを言った。
曰く、真面目に授業を受けてくれて驚いている。
曰く、これまで学んでこなかったはずなのに、学ぶ姿勢ができている。
曰く、教えれば教えただけ吸収し、これではすぐに教えることがなくなってしまう。
などなど。
白雪 姫子の入った新生カーネリアの教師受けは上々だ。
なお、私から言わせてもらえば、受けたくて受ける授業を真面目に聞くのは当然のことである。
学ぶ姿勢がすでに身についているのは、前世には『義務教育』という『学を授けられる期間』が存在しており、白雪 姫子はその期間を修了しているためだった。
すぐに教えることがなくなると言うのも、カラクリというか、理由がある。
文化が未成熟というか、社会の仕組みがまだ単純なせいというか、老師・学士と呼ばれる人たちが授けてくれる専門的な学問であっても、前世と比べると内容が簡易なのだ。
簡易というよりも、洗練されていないと言った方が近いのかもしれない。
おかげで、為政者の子として下地も素養もない白雪 姫子であっても、なんとか教師たちの講義が理解できた。
ただそのせいで、『文章としては簡略されているが、解説で複雑かつ深い話をしてくれるのか』と思い、思いついたままを質問したら、「着眼点が素晴らしい」「さすがは神童だ」と奇妙な持ち上げられ方をし始めている。
これは少し、マズイ気がする。
これはカーネリアの実力ではなく、白雪 姫子が前世で身につけた知見による感想でしかないのだ。
私に為政者としての能力があるわけではない。
そこを勘違いされてしまっては困る。
ほとんど奥宮から出なかったカーネリアの悪い噂など、いったいどこから拾ってきたのか、とは思うが、これはどうでもいい。
いざとなったらこの噂を利用して、次期国王の座から逃げさせてもらうつもりでいるのだ。
このある意味で都合のいい『悪評』を、自分で訂正する必要はない。
「……そういえば、コイズの方はどうなっているんですか?」




