正妃の来訪 1
父の関心が薄れた妻たちを着飾らせ、おやつの時間に私の部屋へやってくる父と対面させる試みも、一巡目が終わった。
この試みは、当たったような、まだまだ改善の余地があるような。
初の試みとしては、成功に数えてもいい気がする。
翌日の夕方になると、私のところへお礼と称した贈り物が届けられるようになった。
……なに、この女郎屋にでもなった気分。
父の目を引くきっかけを作った程度なのだが、過分な礼が届いて戸惑ってしまう。
これが菓子や果物であれば侍女や妹たちと分けて食べてもいいのだが、宝石や布となると、それもできない。
なにより父と顔を合わせる機会を提供しただけで宝石など貰っていては、対価として貰い過ぎだ。
……さて、どうしたものかな?
とりあえず、宝石など見えないところへ片付けさせよう、と後の扱いを侍女に任せる。
綺麗な装飾品を眺めるのは好きだが、身につける勇気はない。
白雪 姫子の庶民過ぎる感覚が、落としたり、壊したりしたら怖い、と訴えていた。
……私は、これだけあればいいし。
近頃は腕が少し細くなってきたのか、イスラの作ってくれた魔除けの石が配置された腕輪がゆるい。
うっかりすると落としてしまいそうになるので、輪を少し小さくした方がいいだろう。
やり方が判れば自分で直せるかもしれないが、そのやり方自体が私には判らなかった。
……イスラに教わってみようかな?
少しだけ、下心がある。
腕輪の修正を相談したら、イスラがまた作ってくれないだろうか、と。
そんなことを考えながら腕輪を弄っていたら、珍しいことに昼間からイスラがやって来た。
少し言い方が正しくない。
正確には、イスラの案内で客人がやって来たのだ。
……え? なんで?
豪奢に波打つ黄金の髪を、複雑に編みこんで背中で纏める。
華やかな顔立ちをした美人なのだが、華麗さよりも静謐を湛えた水面のような美しさを感じさせるのは、その佇まいのせいだろうか。
スッと背筋を伸ばした女性が纏っているのは、白の衣だった。
生成りの白ではない。
色を抜き、白く染めた衣だ。
恐ろしく手の込んだ衣を纏っていることから判るように、彼女の地位は高い。
黒は王族が纏う色だが、白は位の高い祭司が纏う色だ。
「お久しぶりです、正妃さま」
「ええ、お久しぶりね、カーネリア様」
さすがに正妃相手ではカーネリアも礼を尽くす必要がある。
椅子から立ち上がって礼をすると、正妃エレスチャルはわずかに目元を弛めた。
……なんで突然、正妃さまが来たりするの?
説明を求めてイスラへと視線を向けるが、イスラは表情を動かさなかった。
今は護衛として正妃の案内をしてきたので、護衛として以上の行動はしてくれないのかもしれない。
せめて昨夜のうちに教えてくれていたのなら、突然の正妃の来訪に驚くこともなかったのだが。
可哀想なことに、イスラの後ろで侍女たちが右往左往と慌てていた。
彼女たちは、王である父が来ることはほぼ連日なので慣れているのだが、正妃の来訪などこれまで一度もなかった。
持て成し方の判らない突然の権力者の来訪に、慌てるのも無理はない。
最後に正妃と会ったのはいつだったか、と考えて、春の始めにあった新年の宴を思いだす。
この世界の新年は、新春といいつつ真冬だったりはしない。
新緑の芽吹き始める春が、新年に数えられる。
今は秋も終わりなので、半年以上会っていなかったはずだ。
そんな間柄の人がなぜ――と考えていると、答えは当の本人が教えてくれた。
近頃は王の妻たちから、女性としての教えを受けているようだ。
そうイスラから聞いた、と。
「私も王の妻の一人として、カーネリア様の教師を務めさせていただこうと思い、山から下りてまいりました」
「えっと……? ありがとう、ございます?」
一応お礼を言っておけばいいのだろうか。
頭の中の疑問符は消えないが、正妃が突然奥宮へとやって来た理由は判った。
イスラが案内してきた理由も。
……つまり、イスラが祭祀を司る正妃さまを連れて来たってことは、すぐ神様に祈る私へのお説教……っ!
昼間からイスラの顔が見られたことは嬉しいが、これからお説教が始まるのか、と思うと少しだけ気分が沈む。
プラスマイナスで言えば――イスラが視界にいるだけで常にプラス補正だった。
オタクなんてこんなものである。
まあ、いいや。
イスラを見ていられるのなら、甘んじてお説教でもなんでも受けよう。
そう腹を決めて正妃に向き直ると、早足にこの部屋へと近づいてくる二つの足音を耳が拾う。
大きくて勢いのある一方の足音は、それだけで誰の足音かが判る。
「姫様、お父上様が――」
「ネリや、今日もお父様と一緒に甘い菓子を――」
甘い菓子を食べよう。
そう続くはずの父の言葉は、先に部屋の中にいた正妃の顔を見て止まった。
先触れのはずが、途中で父に追い抜かされた侍女は、困ったように扉の陰で固まっている。
「げっ!? なんでここに おまえがっ!?」
苦手なものを目にした第一声が息子と一緒だな、と妙なところに気が付く。
声には出さない。
その程度の空気は読める。
「先ほどカーネリア様にもお話したように、近頃の姫は女性としての教育を受けているようだと聞きまして……ねえ?」
「え? ええっと……はい」
正妃に話を振られたので、相槌を打つ。
女性としての教育といっても、彼女たちはもともとは平民の町娘だ。
学問や教養といった話が出てくるはずもなく、もっぱら機織や手芸といった、手に職系の話しか出てこない。
女性の体についての話や美容についてなら、白雪 姫子の知識の方が豊富でもあった。
そのため、内容によってはどちらが教わる側なのか判らない、という事態になる。
「二十三番目のお母さまから、機織を教わりましたの」
今は小さな織り機で帯を織っている、と続けたら、父がムッと顔を顰めた。
おまえは機織などしなくてもいい、と。
「ちょっと楽しいし、妻の役割には機織もある、と教わったのだけど……?」
「そんなモノは覚えずともよい。ネリはずっとお父様の娘として、奥宮にいればいいのだ」
……やっぱり嫁に出す気はなかったか。
そんな気はしていたが。
いや、この男尊女卑の世界で、下手な男のところへなど嫁に出されたくはないが。
それでも、こうもはっきりと「嫁には出さない」と言われると、なんとも微妙な気分になる。
下手な男には嫁がされたくないが、だからといってずっと実家にいる、というのも微妙なのだ。
……でも、カーネリアの姫って身分と、ほぼ女性の人格が無視された男尊女卑な世界だと、未婚で独立って無理だよね……。
自由でありたい、というのは白雪 姫子の気持ちだ。
カーネリアとしても、この世界に女性として生まれたものとしても、それを叶えることは難しい。
……こういうのを感じないように、なにも教えないように育てるのか。
他を知らなければ、自分がおかしいと気付きようがない。
弟妹たちの扱いについて感じていたことは、そのまま自分にも当てはまっていた。
ただカーネリアと弟妹たちが違うのは、カーネリアには白雪姫子という『他』が混ざってしまったことだ。
以前の何も知らないカーネリアであれば、嫁ぐことにも、父の元に残されることにも、疑問も不満も感じなかっただろう。
……嫁に行くならイスラがいい! ってぐらいはゴネたかな、カーネリア。
以前のカーネリアであれば、きっと「イスラがいい」と言っただろう。
その結果、イスラの立場が悪くなったとしても。
……本当に、カーネリアはイスラの破滅フラグだ。
イスラの破滅を回避したいと思ったら、私が離れることこそがその回避方法かもしれない。
そんな気付きたくないことに気付いてしまった。




