ある意味、便利な能力だ
久しぶりに愛娘とゆっくりおやつの時間を過ごした父アゲートは、機嫌よく王宮へと帰っていった。
相変わらずおやつの後は王宮で過ごし、王城で仕事はしないようだ。
父の置いていった本日のお菓子を侍女たちに分けていると、ジェリーが外から戻って来た。
「戻った、ました」
「おかえりなさい、ジェリー」
以前のジェリーは外から戻っても、出かける時も、私には一言もなかった。
それはカーネリアが身分の低い下女とは口を利かない、返事をすることすら許さなかったからだ。
けれど、今の私は白雪 姫子なので、日本人の感覚をもって、普通にジェリーに対して受け答えている。
その成果として、ジェリーは少しずつ私へも声を聞かせてくれるようになっていた。
……丁寧に話すのは苦手みたいで、ちょっと片言っぽくなるのが可愛いんだよね。
小柄なのでそうは思えなかったのだが、イスラによるとジェリーは私よりも少し年上らしい。
年上の少女に対して『可愛い』という感想はどうかと思うのだが、可愛いは正義だ。
イスラを推すのとはまた違う宗教だが、この世界は多神教なので気にしない。
おいで、と入り口で立ち止まったジェリーを手招き、その口へとオモムという桃に似た果実の砂糖漬けを入れる。
砂糖漬けは今日父が持って来たおやつだ。
相変わらずのすごい量なので、多くの口へと分散することで消費する。
「……それで、あの人はどうしてお父さまに蹴られていたの?」
「えっと……しつこかった、から?」
こてり、と首を傾げる仕草も可愛らしいのだが、当事者から話を聞いてきたはずなのに、なぜ疑問系なのだろうか。
不思議に思ってジェリーと同じように首を傾げると、ジェリーは私に話が通じていない、と理解したようだ。
あわあわと焦りながら言葉を追加しはじめた。
「あの、えーへー? が教えてくれた、です。しつこかったから、王さま怒った、って」
「あの男の人から話を聞いたのではないの?」
「それは……その……?」
どうやら、男を引きずっていった先で衛兵に出会い、その衛兵から話を聞いたようだ。
衛兵は、男が王城に来た時に城門を通したようで、それとなく男の様子を観察していたらしい。
衛兵の話によると、最初は身だしなみをそれなりに整えた男だったようだ。
彼が薄汚れたのは、父が蹴ったせいである。
……もしかしなくても、一張羅で王様に謁見を願い出て、ボロ布にされたんじゃない? あの人。
白雪 姫子の感覚としては、一張羅にはとても見えない衣だったが。
一国の姫でも簡素な作りの衣を着ているぐらいだ。
衛兵が「問題なし」と城門を通すぐらいには、王に謁見するのに相応しい姿だったのだろう。
「それで、あの男の人自体は、どうしてお父さまに蹴られていた、って?」
「んっと……いくさで、さむくて、死んじゃうから、待って、って?」
「んん?」
一生懸命に記憶を探ってくれているのは判るのだが、ジェリーの言葉はいまいち理解ができない。
これは本当に、カーネリアの責任ではなかろうか。
ジェリーと話しをする習慣が、相手は姫でなくとも侍女たちでよかったが、毎日少しずつでも話す習慣があれば、ジェリーももう少し話すことが得意になっていただろう。
片言が可愛い、とか言っている場合ではない。
腕力頼みの仕事は任せられるが、簡単な伝言のやりとりすら難しいというのは、今後絶対に困ることになるはずだ。
「ジェリーが覚えているだけでいいから、あの男の人が言ってたことを、教えてくれる?」
「!」
……え? なに?
なにがジェリーの琴線に触れたのか、ジェリーはパッと顔を輝かせた。
それまでは考えながら話しているのか、少し自信のなさそうな顔をしていたのだが、一転して生きいきとした表情だ。
「昨年の戦で村の男手が減り、畑仕事の手が足りなかった。それに加えて、今年の夏が寒かったせいで実りも少ない。例年通りに税を取られては――」
「待って? ねえ、待って、ジェリー?」
「?」
急に流暢に話し始めたジェリーに驚き、話を止める。
普段はほとんど片言でしか話さないジェリーが急にハキハキとしゃべりだせば、私でなくとも驚くだろう。
驚いて周囲を見渡せば、侍女の三人も驚いて瞬いていた。
……あ、アイリスは知っていたっぽい。
突然流暢に話し始めたジェリーに、乳母のアイリスは普段どおりだ。
特に驚いている様子はない。
ということは、ジェリーがこういう話し方をする時がある、と知っていたのだろう。
「ジェリー、あなた……普通に話せたの?」
「ふつう、なに? です」
「え? また片言?」
いったいジェリーの中で何が起こっているのか。
それは判らなかったが、今はこの疑問は横へと避けておく。
まずはあの男の話を聞いておきたい。
突然流暢に話し始めたジェリーの話を整理すると、あの男は西の辺境にある村から来た、村長の息子だったらしい。
想像通り、王と謁見するために、一張羅で王都まできたそうだ。
カーネリアの記憶にはないのだが、昨年この国では戦があったらしい。
その戦で村の男手が兵士として取られ、男たちは戻らず、畑仕事に支障が出た。
それに加えて今年は冷夏で、その影響を受けて秋になった今も実りが少ない。
例年通りに税を取られていては、自分の村ばかりではなく、周辺の集落でも多くの餓死者が出るだろう。
少し税を減らすか、取立てを待ってほしい。
そう直訴に来たが、予定にない者とは合わない、と追い払われ、諦めきれずに王城内をうろついていたところ、王宮から出てくる王アゲートの姿を見つけ、追いすがった。
王の護衛は当然男の行動を止めたが、引き下がらず、しつこくアゲートに食い下がり――
「それでお父さまがあの男の人を蹴り始めて、周囲の人は誰も止めなかった、と」
「姫様、とめた」
「それはいいから……」
あ、話し方が元に戻ったな、と妙な感心をしてしまう。
どうやらジェリーは、聞いた話を聞いたままに話すことは得意だったらしい。
ただし、方言や口調までそのままに話すので、男言葉が出てきたり、乳母が思わず止めにくるような単語が飛び出てくるので、これはこれで判りにくい面もある。
「ジェリーは、相手の言ったことを、そのまま覚えているの?」
「ワタシ、あたま悪い、から」
自分は頭が悪いので、難しい話は何を言っているのか理解できない。
だから、言われた言葉を音としてそのまま覚える。
そう答えたジェリーに、まず私が思うことは――
……それ、頭悪いって言わないからーっ!!
獣人とのハーフという以上に、びっくりな能力だった。
つまり、相手の言っていることが理解できないので、それを纏めて解説しろ、と言われると難しい。
それでたどたどしい片言になっていたのだろう。
言われて思い返せば、私は最初に「どうして蹴られていたのか」と男が蹴られていた理由を聞いた。
それで出てきたジェリーの説明が判り難く、次に「言っていたことを教えろ」と言ったら、ジェリーは男の話したことそのままを言いはじめた。
私としては「男が蹴られていた理由・その原因を知りたい」という同じ指示内容なのだが、ジェリーにはまったく違う指示になるのだろう。
ジェリーは、聞いたことを聞いたまま伝える方が得意なようだ。
それも、かなりの精度で。
……それにしても。
これもある種の超能力だろうか。
いや、前世でなら名前のついた症例に当てはめられそうな気はするが。
他者の言葉を、そっくりそのまま覚えられるだなんて、私には無理だ。
なんだったら、自分の言った言葉でさえも、同じことを言ってみろ、と言われた瞬間に間違える自信がある。
……ある意味、便利な能力だ。
ジェリーの特技は、話を聞いてきた視点者の所感や感情といった不純物を混ぜることなく、当人の言葉をそのまま聞くことができる。
これはいい。
実にいい。
しかも、ジェリーの外見は判りやすく獣人で、言葉も拙い。
獣人を蔑み、学のない下女とジェリーを下に見る相手なら、『どうせ聞かれても理解できない』と油断して口が軽くなることもあるかもしれない。
……カーネリア……あなた、すっごい宝の持ち腐れしてた、よ……?
改めて気付いたジェリーの有用性に、彼女をこれまで放置してきたカーネリアの愚かさに、今は我がこととしておののく。
ジェリーはカーネリアが小さな頃に拾ってきたという話なので、手駒として育てる時間は十分にあったはずだ。
それなのに、カーネリアはジェリーを放置した。
ただ力持ちな下女として、教育を乳母に丸投げしたのだ。
……諜報員って、どう育てたらいいの?




