閑話:下女視点 一転した日 1
『おい』とか『そこの』と呼ばれていたアタシ――ワタシがカーネリア姫に拾われたのは、今から十年ほど前のことだ。
当時のワタシは砦に住んでいた。
砦――と言えば聞こえはいいが、王城で働くようになり、その敷地内にある建物を見ることができるようになれば、『砦』だなんて呼べるような立派な建物ではなかったことが判る。
ただ石造りで頑丈な、少し人里離れた場所にある建物だ。
頭のいいイスラあたりにでも説明させればまた違った話が出てくるのだろうが、当時のアタシにとっては『家』だった。
そこに住み付いていた男たちにとっては『砦』で、イスラが言うには『根城』だ。
ワタシは男たちに飼われていたのだと思う。
もしくは、子どものうちは召使のように働かせ、年頃になれば売り払う予定だったのだろう。
なんとも腹の立つ話ではあるが、こんな話は珍しくもない。
雨風を防げる屋根の下で眠れ、死なない程度に食べものも与えられていたので、ワタシは運がいい方だったとも思う。
というか、当時のワタシにそれを不幸だ、不運だと嘆くだけの余裕も知識もなかった。
他を知らなかったとも言う。
物心ついた頃にはもう『砦』にいたので、砦での日常が『普通』だったのだ。
気まぐれに怒鳴られ、殴られ、蹴られ、倒れるまで働かされ、日に一度の食事さえ頻繁に忘れられる。
それが日常だった。
……これ、なんだろ?
食べものをくれる大男に指定された麻袋を覗き込み、中に入っていた『モノ』に首を傾げる。
薄汚れた麻袋の中に入っていたものは、これまでに見たこともないほど綺麗な『モノ』だ。
……『ぎん』でできた、『きぬいと』?
言葉を教えてくれる親はいなかったが、たまに食べものをくれる男たちが使う言葉はなんとなく判る。
判るようにならなければ、生きてこれなかったからだ。
少ない自分の語彙の中から、麻袋の中身を確認する。
糸束は、『絹糸』だ。
大男がたまにどこから運んできて、またどこかへと持っていく。
「商人の馬車から拝借してきた」「貴族に高く売れる」と言っていたので、この『絹糸』も『貴族に高く売れる』のだろう。
銀は、『色』の名前だ。
大男は丸くて平らな銀色を集めて喜んでいるが、色の中では『金』が一番嬉しいらしい。
……『しろ』い、『パン』?
白も、色だ。
ただ、この色は大男があまり好きな色ではない。
大男が集めている丸くて平らなものに白はないし、白い布や糸は『生成り』といってなんの染色もされていない安物だからだ。
……あれ? でも、なんかちがう?
白は白だが、生成りの白とはまた違う『白』だ。
生成りは素材の色が出てほんの少し黄味がかっているのだが、この白いパンは本当に『白い』。
「……っ!?」
白くて柔らかそうなパンだ、とつい指で突いたら、かすかに瞼を震わせて、銀の睫毛の奥から深紅の瞳が姿を現した。
銀と白というある意味でおとなしい色合いの中に、深紅の瞳は強烈な印象を与える。
麻袋の中身は銀の絹糸と白いパンだと思っていたのだが、強烈な瞳のおかげで、理解した。
自分とは違いすぎて、一目見ただけでは理解できなかったが。
麻袋の中身は、人間だ。
銀色の髪をした、同じ人間とは思えないほどに美しい女の子が、麻袋の中にいた。
……?
こんなに綺麗な女の子を見たのは初めてで、呼吸を忘れてジッと見つめてしまう。
深紅の瞳の女の子は、頬を突かれて一瞬目覚めただけだったようで、またすぐに瞼を閉じてしまった。
「おい、なにチンタラしてんだっ!? さっさとソレを下に運べっ!!」
麻袋の中身に気を取られていたら、すぐに動き出さないことに大男が怒鳴り始めた。
与えられた仕事を有り難く受け取り、無駄なく動け。
そうすれば食い物を恵んでやらないこともない。
これが大男の口癖だ。
麻袋の中身など、気にしている場合ではない。
『躾け』られた通りに小さく頭を下げて、女の子の入った麻袋を持ち上げる。
引きずってもよかったのだが、中身が綺麗な女の子と知ってしまっては、雑に扱うことが躊躇われた。
綺麗なものは大切に扱え――傷でもつけば値が下がる――そう大男に教えられている。
麻袋を引きずって中身に傷でもつければ、また大男に蹴られて、食べものをもらえなくなってしまうのだ。
石造りの階段を下りて、地階の物置部屋へと麻袋を運ぶ。
地階には鉄格子の嵌った牢屋もあったが、女の子は『綺麗』だったので、物置部屋だ。
牢屋には『くたびれた人間』を入れる。
だから、たぶん『綺麗な女の子』は物置部屋だ。
「……」
部屋の片隅に麻袋を寄せて置くと、もう一度あの綺麗な顔を見たくなった。
大男は「下へ運べ」と言っていたので、すぐにこの部屋に来ることはないだろう。
……こっそり、すこしだけ……。
あの綺麗な女の子は本当に生きた人間なのか、と好奇心が押さえられなくて麻袋の口を開く。
粗末な麻袋の中には――
「ごきげんよう、小さな誘拐犯さん?」
麻袋の中には、深紅の瞳を猫のように細めて微笑む女の子の顔があった。




