夢であってほしかった
……なんの、匂い?
食欲をそそる香辛料のきいた香りに、ゆっくりと瞼を開く。
深紅の敷布へと広がる銀色の髪に一瞬だけ違和感を覚えたが、すぐ眠りに落ちる直前までの情況を思いだした。
……そういえば、ゲームの世界に異世界転生? したんだっけ。
まだ本当に『ゲームの世界』か、知識にある『ゲームと酷似した世界』なのか、は判らないが。
私がここを『ごっど★うぉーず』の世界だと思っているのだから、今はそれでいいのだ。
……派手な色だなぁ。
深紅の敷布をしみじみと眺め、溜息をはく。
白雪姫子の感覚としてはシーツなど白一色で十分だと思うが、カーネリアの感覚としては、このド派手な色の方が普通だ。
派手なことが『普通』なのではない。
染色されたものを使っている、ということがカーネリアの『普通』だ。
布を染めるにも手間と材料がかかるため、濃く鮮やかな色ほど、高貴な身分にある貴人が身に纏う。
つまり、このド派手な深紅の敷布も、姫が使うに相応しい一品だということだ。
……夢であってほしかった。
ムチムチと肉の付いた自分の指を見て、そっと二度目の溜息をはく。
前世ではそれなりに気を使っていたつもりだったが、今世はコレである。
これはあまりにもあんまりではなかろうか。
……や? 待って? いつもと姿勢が違う!?
白雪 姫子時代は目覚めて最初に見るものは自室の天井だったのだが、カーネリアが目覚めて最初に見たのは深紅の敷布だ。
前世では仰向けに寝ていた癖が、いつの間にか横向きになっていた。
……太りすぎると内臓の負担を逃がすため横向きに寝るって、マジだった……。
できれば、一生知りたくなかった事実である。
……今、何時ぐらいだろ?
寝返りがてら仰向けになると、天蓋に四角く白い光を見つけた。
どうやら、誰かが木戸を開いたようだ。
窓にカーテンはないが、このベッドには天蓋がある。
天蓋の幕がカーテンの役割をしていた。
「お目覚めでございますか、姫様」
「ん、起き……ました……?」
はて、カーネリアとしてはどう答えるのが正解だろうか。
それが一瞬判らなくなり、語尾を曖昧に暈す。
とにかく天幕から出て声の主に挨拶をしよう、とベッドの上でもがき始めると、厚い天幕が左右に開かれた。
「おはようございます、姫様」
「おはよう、アイリス」
天幕の向こうにいたのは、乳母のアイリスだった。
アイリスの横には侍女が一人いて、天幕の処理をしている。
毎朝のことで慣れているらしく、綺麗に襞をつけるものだな、と侍女の手元を観察していると、アイリスの後ろから侍女が二人天幕の中へとやってきた。
……ああ、うん。重いもんね、この体。
侍女二人がかりで体を起こされて、昨日と同様に背中へとクッションが詰められる。
起こされたことで視界に入るカーネリアの体は、見事に丸い。
昨日、風呂で裸も見ているが、見事な三段腹だった。
……十四歳。カーネリアは十四歳。まだ大丈夫。まだ成長期。
あまりに太ると皮が伸び、痩せても肌が振袖のように残ってしまうことがある。
前世の医療技術であれば、伸びた皮を切除できたはずだが、この世界では難しいだろう。
否。回復系の魔法があることを考えれば、美容整形もいけるのかもしれない。
が、私によく理解できない魔法に頼る勇気はなかった。
嘘か真か、成長期であれば一度伸びた皮も元に戻ると聞いたことがあったような気がするので、物理的に身軽になることを私はまだ諦めない。
魔法に頼るのは、最後の手段だ。
……いざとなったら、美容系の神様に祈ってみる……とか?
現段階では明らかに、美容よりも健康を求めるべきだが。
白雪 姫子の認識として、減量は美容関係に分類される。
祈るのなら、美に纏わる神々だろう。
……や、どんな神様がいるのか、カーネリアの記憶だとさっぱり思いだせないんだけど。
学を授けないのは父アゲートの方針だったらしいのだが、ここまで何も知らないというのはマズイ気がする。
昨夜イスラに相談したところ、近いうちにどうにかしてくれると請け負ってくれたが、彼の言う『近いうち』とは、どのぐらいの期間をさすのだろうか。
思いだせる範囲でカーネリアの記憶を探るが、カーネリアがイスラに会うためには部屋を出て、奥宮を出て、父の執務室のある王城を抜けて騎士たちが訓練をしている広場まで出向く必要がある。
そこまで移動しても、イスラの予定と合わなければ姿を見ることもできなかった。
イスラに恋するカーネリアは、出不精ながらも、出不精なりにイスラを『追っかけ』ていた。
それでも滅多に会えなかったイスラなので、『近いうち』という言葉も、ひと月ぐらい期間が開くのかもしれない。
……うん?
イスラを待つ間に何もしないというのも、時間がもったいないな、と考える目の前へと小さな卓が用意された。
小さな卓の用途は判る。
前世でも、入院中の親戚を見舞った時などに見たことがあった。
ベッドの上で食事を取る、小さな卓だ。
その小さな卓が、カーネリアの体に合わせてか、用意された朝食に合わせてか、四つほどベッドの上に並べられ、その上へ『ドーン!!』と効果音がしてきそうなぐらい山盛りに肉の盛られた皿が載せられた。
もちろん、これらの支度をしているのは侍女たちである。
所作の一つひとつが洗練された彼女たちが、皿を置く際に『ドーン!!』なんて物音を立てるはずもなく、楚々とした仕草で他の卓へも大盛りの皿を載せていく。
……カーネリアが太るわけだ。
次々に卓の上へと並べられていく料理を眺め、これまでのカーネリアの食生活を思いだす。
量もそうだが、カーネリアはイスラを追いかける以外ではほぼ動かない。
侍女たちが確認もなくベッドの上に朝食の支度をし始めたのも、このためだ。
カーネリアはベッドの上で朝食をとり、自室からを出て父の妻たちや、兄弟たちと食事をとったことはない。
侍女たちにとっては確認するまでもない――なんだったら確認を取った方がカーネリアの機嫌を損ねる――普段どおりの仕事をしただけだ。
「……アイリス」
「はい、姫様」
本当は侍女に声をかけたかったのだが。
侍女の名前が思いだせなかったので、乳母の名前を呼んだ――ら、侍女の動きがピタリと止まった。
……ごめん。普段と違うことしたから、怖がらせてるよね。
絶対に侍女たちは今怯えていると思うのだが、『カーネリア』としては「怯えなくていいよ」と宥めるのも不自然なので、黙殺する。
申し訳ないが、これから少しずつこれまでの『カーネリア』とは変わっていく予定なので、もうしばらくだけ我慢していただきたい。
「今日は、露台で食べるわ」
「では、そのように」
侍女の肩が『ホッ』と安堵の溜息に揺れる。
我がままで気まぐれなカーネリアにどんな難癖をつけられるのか、と身を硬くしていたが、単純に『今日の朝食はベッドの上ではなく、露台に出て食べる』というだけの内容だった。
侍女は黙々とベッドの上に用意していた朝食を下げると、露台の準備に取り掛かった。




