69.『マーセル騒動顛末記 6』
カークはいつも通りの時間に、朝起きた。
そして屋敷の中が、いつもと違い浮き立っていることに気付いた。妻が亡くなってからのこの屋敷は静かなときが多かった。妻は本人は大人しいが、いるだけで場の雰囲気を自然と暖かくしてくれる女性だった。
「いったいどうしたんじゃ。」
礼儀正しく挨拶をして通り過ぎる使用人たちの顔も、今日はどこかうきうきしているように見えた。
「おはようございます、父上。そろそろお時間ですよ。」
「ピーセル、今日の仕事はなかったはずじゃが?」
もう若くないとはいえ、カークの頭には今日のスケジュールがきちんと記憶されていた。それによれば、これといった仕事はなかったはずだ。
「はい、今日は仕事ではなくコンサートです。」
息子が笑顔で続けた言葉を、カークは少しの間まったく理解できなかった。
「さあ父上、行きましょう。時間になってしまいます。」
理解の追いつかない父を息子はニコニコ顔で背中を押して玄関前の広間へと連れてく。
「こら、ピーセル。説明せんか!」
遂に癇癪を起した父にピーセルは、手で広間の階段のほうを手で指し示す。
「もうすぐはじまりますので、直接確かめた方がよろしいかと。」
ピーセルに言われてみた先には、二階へと続く階段の広めの踊り場が飾り付けられ即席のステージになっていた。そこに立っているのは、昨日から客人として迎えているマーセルたちだった。
午前中の仕事をすませた使用人たちも楽しそうに集まってきている。
「せっかくの5年ぶりの演奏会なのですから、使用人たちにも気兼ねなく楽しんでもらうことにしました。」
妻が死んでマーセルが出て行って以来、この家で演奏会が開かれたことは一度も無かった。楽団を招くためのステージも必要のないものということで、以前に家を改修したときに取り払ってしまった。
しかし今、踊り場に楽器を用意し、一階に家中の椅子を並べ、玄関からつながる広間を利用して即席のコンサート会場ができてしまっていた。自分の書斎の椅子が、その中の最前列に並べてあることにカークは気付いて苦笑した。
「さあ、父上が座りませんと、みんなも座れません。コンサートもはじまりませんよ。」
ピーセルがカークにその椅子をすすめる。
「ふん、お前たちも協力したのか。まあいい、あいつが何を考えているかは知らんが、見てやろうではないか。」
カークは頷き、どっかりと自分の椅子に腰をおろした。使用人たちもそれに合わせて座り、広間に拍手が鳴り響く。
そして予想通り、マーセルとその楽団の仲間たちが入場してくる。
カッチリと息子と目線が会う。あれ以来、会う度ににらみ合う仲になっていたが、今日は少し違う。いがみ合うわけではない、真剣な瞳がこちらを見つめてくる。
仲間たちが位置につくと、マーセルは一礼した。
「ようこそ、マーセル楽団の演奏会へ。エルハイン家のみなさんに楽しんでいただけるよう、精一杯演奏させていただきます。」
それは息子としてではなく、演奏家としてのマーセルの言葉だ。だからカークも当主として答える。
「みなさんの演奏を楽しませてもらおう。」
カークとマーセルの真剣な眼差しが再び会う。
マーセルの仲間たちは楽しそうにそれを見つめている。使用人たちも同じように久しぶりの演奏会に楽しみな表情だ。ただ、晩餐会で自分たちの喧嘩を止めようとした少女は、心配そうな見守るような表情でこちらを見てきている。
そして演奏が始まった。
観客になったエルハイン家の人々は、演奏が始まるとわっと一度盛り上がると、流れてきた旋律に静かに耳を傾け始めた。
王宮勤めの楽師たちにも引けをとらない高い技術の演奏。暖かな音色。
しかし…、カークは思う。一流になるためには、何か傑出した要素が必要なのだと。
カークは隠れて何度か、マーセルの演奏を聞きに行ったことがあった。聞く度に演奏の技術は上がっていることがわかる。だが、それだけでは演奏家として成功を収めるのは難しいのだ。
しかし同時に違和感を感じた。いつもより演奏が抑え気味なような。基本的な演奏の仕方は変わっていないが、微妙に前に聞いた時より一人ひとりが個性を抑え目にしているような気がする。
そして今まで演奏に参加してなかった、自分と息子を心配そうに見つめていた少女が楽器を構えた。
それは陽光に照らされ美しく輝く銀の魔笛。
少女がそれに口づけた時、世界が変わった。
美しい、純粋な旋律が広間に響き渡る。その音は、広間に集まったエルハイン家の人々の心を揺さぶる。
カークは目を見開いた。音楽にそれほど熱心なわけではないが、貴族として長年いきていくうち多くの音楽を聞いてきた。しかしこんな魔笛の音は今まで聞いたことがなかった。高く澄んだ天使のような音。
隣に座っていたピーセルも呆けたような顔でステージを見つめる。
やがてその旋律は、マーセルたちの音と混じり合い美しい音楽を奏で始める。高く低く楽しそうに。それを支えるように寄り添う仲間たちの音。少女の顔にもう不安の色は無かった。
カークは理解した。この魔笛の音はとてつもなく美しいと共に、その音が合奏をするにはあまりに強すぎる。だから周りがそれを受け入れてやらなければならない。だから今、マーセルたちは自分たちの主張を抑えた演奏をしている。楽団たちはずっと7人で弾くことを意識していたのだ。
それは決して良いこととばかりは言えない。もっと周りの奏者もきちんと自分たちの個性を主張したほうがいい場面もある。魔笛の演奏も時には抑え、誰かのサポートに入らなければいけないときもある。今がベストとは決して言えない。
だが、いずれそれも仲間たちと共に解決していくのだろう。
(そうか…。お前は見つけたんじゃな。自分の夢を切り開く光を…。)
再び会ったマーセルの瞳に、昔見たような焦りの色は無かった。
演奏が終わった時、広間は大きな喝采に包まれた。
***
演奏を終えたマーセルは、団長として観客に挨拶を終えると、カークの元にずんずんとやってきた。
「親父、俺は演奏家としてやっていく。こいつらと一緒に。」
マーセルが手を向けた先には、さっきまで一緒に素晴らしい演奏をした仲間たちがいた。その中で少女が緊張した面持ちで、魔笛を握り締めてこっちを見ている。
「ふっ、勝手にせい。」
カークはそれだけ言って立ち上がると書斎へと向かったが、途中で立ち止まる。
「そうじゃ、ピーセル。」
「どうしました、父上?」
「うちには楽団たちを招くステージが無かったようだのう。今月中にでも作りなおすことにしよう。これから年に一回は楽団を招くことになるだろうからな。」
ピーセルはその言葉を聞くと、笑顔でメモを始める。
「招く楽団についてはどうします。」
「それはお前に任せる。今日のようにな。」
「わかりました。」
ピーセルは振り向くと、ベアトリーチェたちに向かって大声で言った。
「みなさーん!来年もまたお願いできますかー?」
「ふんっ。」
カークが少し急ぎ足気味になり、ピーセルを置いて書斎へと向かいだす。
「任せとけー!」
「こら、てめぇ勝手に了承するんじゃねぇ!」
親指を立てて返事をしたルモに、マーセルが食って掛かる。
「いいじゃないのー。どうせうんっていうんでしょ?」
「来年も美味しいもの食べれるねー。」
「それじゃあよろしくお願いします。」
団長が何かを言う前に、約束を取り付けたことにしたピーセルも去っていく。マーセルはいつも通りにぎゃーぎゃーと仲間たちと騒ぎ出す。カークが最後に振り向くと、安心したようにその姿を見つめるあの少女の姿があった。
***
急ぎ足で書斎に戻ったカークは呟いた。
「椅子がない…。」
***
エルハイン家から出る直前になって、ベアトリーチェはカークの書斎に呼び出された。
「いったいどうしたんだ~?」
そう言う仲間たちを置いて、ベアトリーチェはカークの書斎へと向かう。木の扉を開けて中に入ると、カークが立ち上がって待っていた。
厳しい顔立ちだが、不思議と怖くない。優しい表情を浮かべてるのだとわかる。
「突然呼び出して失礼しました、高貴なる方。」
最敬礼のお辞儀。
その言葉にベアトリーチェの心臓は跳ねた。しかし、不思議と逃げ出す気は起きない。
「ご安心ください。あなたをどうこうしようというのではありません。」
「はい…。」
頷くベアトリーチェにカークは微笑む。
「あなたに言いたいことがありまして。」
「言いたいこと…ですか?」
ベアトリーチェは首を傾げる。
「あなたはもう少し気を付けた方がいい。晩餐の席、あなたがとった祈りの動作は特定の王族だけに伝わるものでした。」
「あっ…。」
そう言われて初めて、昨晩の行動から、見破られてしまったのだとわかった。仲間たちからときどき抜けていると言われるが、本当にそうかもしれない…。
「それからその銀の魔笛も五大国の王族が所有するものにしか無い装飾が施されている。」
「えっ…。」
その言葉にはベアトリーチェも動揺する。銀の魔笛は自分にとって大切なもの
だ。しかしこれも自分の正体を明かす危険があるのだという。でも、ばれる危険があると言われても、手放すわけにはいかなかった。この魔笛は自分にとって大切なもの。アーサーさまからもらった贈り物。
困ったように銀の魔笛を見つめるベアトリーチェに、カークは微笑むと何かを手渡した。
「安心してくだされ。それについては少し隠せば大丈夫です。演奏の邪魔にならないようなものをピーセルに用意させました。」
それは、とても薄い皮のカバーだった。ベアトリーチェの魔笛にもしっかりとフィットする。これなら確かに演奏の邪魔にもならないし、装飾も隠されてばれることはないだろう。
「ありがとうございます。」
大切そうに銀の魔笛を握り締め、ベアトリーチェはお礼を言った。
「何、それはささやかなお礼です。今回、あなたが私たちにしてくれたことの。」
私たち。それはきっとマーセルとカークを表す言葉なのだろう。カークが自分とマーセルのことを、そう言い現したことにベアトリーチェはなんだか嬉しくなる。
「それからもうひとつ。」
「なんでしょうか。」
まだ何か自分はまずい行動をしてしまったろうか。ベアトリーチェは緊張する。
「息子のことをよろしくお願いします。」
頭を下げられて、ベアトリーチェは一瞬呆けてしまう。それから我に返り慌てだす。
「そんな、マーセルさんにお世話になっているのは僕のほうで。音楽だって教えて貰ってるし、いつも失敗ばっかりして迷惑かけちゃってるし…。」
そこまで言ったが、カークの姿を見て言葉を止める。それから笑顔を浮かべて言った。
「今は私のほうがお世話になりっぱなしだけど、いつか私の方もマーセルさんのことを助けられるようになれたらいいと思います、みんなと一緒に。だから、がんばります。」
マーセルの仲間たちと同じ、優しい笑顔だった。
ベアトリーチェのいなくなった書斎で、カークは呟いた。
「良い子じゃのう。別の意味でも息子をよろしくお願いしとけばよかったか…。」
***
ベアトリーチェを待つマーセルたち。そこにピーセルがやって来た。
「ベルはまだー?」
「もう少しかかりそうです。すいません、なんだか父が引き留めてしまって。」
唇を尖らせているルミに、ピーセルが謝る。それからピーセルはマーセルに歩み寄る。
「な、なんだよ。おまえ…。」
あまりに近づきすぎて戸惑っているマーセルに、ピーセルは耳打ちをする。その表情はやたら真剣だった。
「兄さん、がんばってくださいね。」
「ああ、わかってる。ベルも入ったことだし、コンテストでも結果をだしてやるさ。」
「いえ、そう言うことでは無くて。それもあるんですけど、そろそろ兄さんもいい年でしょう。」
「はあ?」
「せっかくあんないい子がいるんですから、ちゃんと捕まえてくださいよ。僕もあんな方が義姉なら、御屋敷にすむのが楽しくなりそうですから。」
「いったい何の話だよ。」
「ですから…。」
そう言いかけた時、玄関が開き蜂蜜色の髪の少女が出てくる。
「おまたせ~。」
「ベルー!」
ぴょーんと飛びついたルミと抱き合いながら、ピーセルの元にやってきてぺこりとお礼をする。
「とてもお世話になりました。ありがとうございます。」
ピーセルはマーセルから離れると、いつもの柔和な笑顔に戻り言った。マーセルは一瞬舌打ちを聞いた気がしたが、気のせいかと思う気がした。
「いえいえ、また来てください。いつでも歓迎します。」
もうみんなの荷物の用意はできてるので、あとは馬車で旅立つだけだ。
「本当にがんばってくださいね!あにうえー!」
見送りの言葉を交わした後、屋敷から離れていく馬車に、まだピーセルは同じ言葉を叫んでいる。
「いったいどうしたの?ピーセルさん。」
「いやわけわからねぇ…。」
首をかしげるマーサに、マーセルがうんざりした顔で呟く。
「きっとマーセルさんが音楽家として成功することを応援しているんだよ。いいね、仲が良い家族って。」
ベアトリーチェだけは憧れた表情で二人のことを交互に見つめていた。




