50.『旅の仲間 4』
(ちくしょう…。)
マーセルの心境は暗澹たるものだった。
自分たちの楽団は実力なら他の楽団に負けていない。なのに、何故かいつも実力を侮ろうとする人間が表われる。確かに風変りな楽団だ。魔笛の奏者は未だいないし、団員たちには子供や少女もいる。全員が最初から、音楽を志していたというわけではない。
それでも一つの楽団として、音楽で身をたてられるよう上を目指していこうと決めたのだ。
なのに…。
マーセルはちらっと、自分の右手を見た。
蜂蜜色の髪と琥珀色の瞳の小柄な少年。いや、18歳だからもう大人なのか?この食堂のオーナーに報酬を値切られかけたとき、魔笛を吹けるといって少年は現れた。
今は荷物入れから取り出した銀の笛を両手で大切そうに持ち、自分たちと一緒にステージの上に上がっている。
人のよさそうな少年だった。申し出も純粋に親切心からだったのだろう。だが、滅茶苦茶に切られていながらもさらさらの蜂蜜色の髪、どこか気品の漂う仕草、丁寧でやわらかな物腰は育ちの良さを伺わせる。どこかの貴族のお坊ちゃんなのだろう。
マーセルは貴族出身の音楽家が好きになれなかった。真剣にやっているものもいるし、自分自信も貴族の出ではある。が、身分の高い貴族の娘がろくな実力もないのに高価な楽器を弾き、宝の持ち腐れのような演奏をして、それを聞いた周りの人間たちが褒め称える。そんな有様を見ていると虫唾が走った。
少年の持つ銀の魔笛は一見地味だが、良く見ると高貴な装飾が施されとても高価なものであるとわかった。この少年もきっと、そういう貴族たちと同じ類の人間なのだろう。実力には期待できない。
いや、もともと期待なんかしちゃいない。自分たちは魔笛の奏者なんかいなくても、立派にやっていけるのだ。
魔笛の奏者は希少な存在だけに、引く手数多だ。だから傲慢な人間が多い。自分たちの楽団に子供がいるのを見ると、馬鹿にし演奏も聞かずに去って行った。
そんな人間たちに頼ることはない。今回も本当なら自分たちだけでやれるはずだったのだ。この少年に望むのは、どれだけ足を引っ張らないでくれるか。それだけ。あとは自分たちで観客を満足させ、オーナーの鼻を明かしてやる。
「何の曲にする?」
マーセルはベルという少年にそう聞いた。自分が言い出す曲なら失敗しないだろう。少年は少し考えると、こちらに顔を向け笑顔で言った。
「あの、食堂で一番はじめに引いた曲でお願いします。」
「ラッフェルのセレナーデか?」
「はい。それです。」
「わかった。」
一度やった曲だが、休憩をはさんでいるので客層も入れ替わっているだろう。演奏するのに問題はない。イレナたちにも、そう伝える。
「わかったわ。ベル、緊張してない?」
「少し緊張してるかもしれません。でも大丈夫です。」
イレナたちは少年のことが気に入ったらしい。笑顔で話しかけている。
「おい、なんか一人増えてるぞ。」
「魔笛の奏者か?」
「そんなはやく見つかるわけないだろう。」
休憩前の客たちがまだいたらしい。口々に噂しあう。そんな客の後ろで、オーナーがなめきった態度でにやにやしている。成功するわけないと思っているのだろう。それは自分たちの実力がなめられているということだ。
「よし、やるぞ。」
マーセルの発した言葉と共に、全員が楽器を構えた。全員はじめるまえに1度、音を出す。
ギター、ピアノ、バイオリン、打楽器、そしてマーサの声が響いた。だが、魔笛の音は聞こえない。見てみると、ぱちくりと少年は目を瞬かせている。
(音合わせもとくにできないのか。)
マーセルは実力のない貴族の少年という自分の予想が半ばあたりかけていることに眉をしかめたが、もうここまで来たのだから仕方ないと演奏を開始した。
心を落ち着かせバイオリンの弓を引く。長く伸びる綺麗な音が、高く低く上下し食堂に優雅に響き渡る。その音色は美しく、食堂にいる女性たちはうっとりと耳を傾ける。
その音にギターの音色が混じっていく。イレナの性格を表すように力強く、安定した音がメロディに厚みを加えていく。
この曲はバイオリンで始まり、次々といろんな楽器が加わって行く。
ピアノの音。セレナーデの名にふさわしい優美な演奏。そして双子たちが加える打楽器の音。セレナーデにしては少し陽気すぎるかもしれない。
マーサの歌が加わる。美しい声は演奏に負けず、食堂中に響き渡る。
そして次が、ベルの番だった。もしかして音も出せないのでは?と今更な不安が、マーセルの頭を過ぎる。
6人の奏でる演奏がついに魔笛の部分にさしかかる。マーセルは横目でベルが息を吸い込み、魔笛に口をつけるのを見た。
ベルの演奏がはじまる。
そして…。
「すごい…。」
イレナがそう呟くのが聞こえた。演奏中は集中している彼女が、何か言葉を発するのは珍しい。双子たちも、マーサも、ウッドも目を見開いてベルを見ている。
自分も同じような状態になりかけていた。
今まで聞いたこともないような高く澄んだ音色。魂を奪われるような美しさと、精霊のような神聖さを持った美しい笛の音。
思わず演奏が止まりそうになる。
だがその音が自分たちと一緒にメロディを紡いでいっているのを聴き、慌てて意識を演奏に戻す。魔笛の音は美しい音色で曲を奏でていく。
魔笛の音はそれを吹く人間によって変わる。人によってそれぞれ持つ魔力が違うからだと言われている。マーセルはこれほど美しい魔笛の音を今まで聞いたことがなかった。
そしてその音が奏でる音階は、恐ろしく正確だった。
魔笛は魔力がある人間なら簡単に吹けると誤解されやすい。音孔がないためだ。だが、それは逆だ。吹き込む息の量、触れる手の位置、そしてそこに含まれる魔力という捕らえられない概念。音はすぐに変わってしまう。正確な音程を奏でるのはとても難しい。
観客たちも目を見張るようにステージの一点を見つめている。あのオーナーまでが茫然とした顔で、魔笛を吹く少年を見ていた。
魔笛は魔力を使った楽器であり、その特殊さからどんな音でも出すことができると言われている。『第二の歌』と言われる所以だ。ベルの奏でる音は、その名の通りに自由自在に高音低音へと展開していく。
マーセルはバイオリンを握る手に力をこめ、演奏に注力する。他のみんなも同じように思ったらしい、6人の音に力がもどる。
食堂全体に響き渡るように7人の音が美しい音楽を奏でた。




