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36.商談

 姉妹で他愛ない話をしていると、有能な秘書の予告通り、アニエスの付き人たちは間もなく到着した。

「~~アニエス様ぁ!」

 社長室に駆け込んできたルーが、子犬のようにアニエスへ飛び付く。

 突如主人が目の前から消え、従者たちはかなり動揺したらしく、特にルーはアニエスを見るや安堵のあまり半泣きになっていた。

「ご無事で良かったです~」

「あ、はい。大丈夫です」

 アニエスがルーを慰めていれば、ファニが遠慮なくその頭を両手で鷲掴む。

「骨あるな? 溶けてないな?」

「・・・はい」

「どこもお怪我はないですか?」

 ファニほど無遠慮でないにしても、ネリーもまたアニエスの存在を確かめるように腕に触れてくる。アニエスはされるがままでいた。

「いきなり消えちゃうんですもん、びっくりしましたよ。あのお兄様にもびっくりでしたけど」

「あいつほんとにアニエスサマの兄か? ファニはウソと思うぞっ」

「いえ、一応、本当です」

 好き勝手言われているレギナルトの姿は、幸いながらこの場にない。聞けば、ファニらを馬車に乗せ、さっさと帰っていったらしい。

「すみません、ご心配をおかけしました」

 アニエスは兄の突拍子のない行動まで含めて従者たちに詫び、その流れのまま己の姉妹の紹介まで済ませた。

「シャル、彼女たちをお願い」

「おまかせください。さ、涙を拭いて。私に付いてらして?」

 ルーの肩に手を添えて促すシャルロッテに、従者たちの衣装選びをまかせることとし、アニエスは一人残ってエリノアに向き合う。

「よく慕われてるみたいね」

 今ほどのやり取りを笑われ、アニエスはなんとも言い返せなかった。

「じゃ、さっそくブツを見せてもらおうかしら?」

 場はエリノアが仕切り直す。

 そこで、姉の顔はこれまでの家族のものからわずかに変化した。すべて見極めようとするように紫色の眼差しが鋭くなり、経営者らしい顔付きとなる。

 合わせてアニエスも腹に力を入れ直した。

「こちらが魔物の乳です」

 従者とともに馬車で運ばれてきた箱をテーブルの上に出す。

 昨日の出発直前に採取したものを、緩衝材の麦わらに包んで二瓶ばかり持参した。

 エリノアは一つ手に取り、蓋を開ける。そして躊躇なく手のひらに雫を落として舐めた。

「――ふぅん。蜂蜜みたいね。少し粘りもあって」

「エインタートではかつて薬用として飲まれていました。なので人体へ悪影響はないと思われますが、念のため学院のほうにも分析を依頼しているところです」

「そう」

 ハンカチで手を拭き、エリノアは頷く。

「このまま売り出してもおもしろいとは思うけど、あくまで化粧水として売り込みたいのね?」

「はい」

 アニエスもまた頷いた。

「ゲテモノとして一時の話題を提供するだけにならないよう、できれば世間のエインタートへの印象を改善したいのです。そのために、美容という魔物と対極にあるものと組み合わせられないものか、ご相談させてください」

「あなたは売れると思っているの?」

 挑発的な物言いは、この姉の癖でもある。

 それへむやみに動揺してはならない。

「飲用としては抵抗のある方にも、美容液としてならば買ってもらいやすいのではないでしょうか」

「効果はあるのかしら」

「・・・確かなことはまだ言えませんが」

 若干言葉に詰まってしまいながらも、アニエスはめげずに説明を続けた。

「長い歳月をほとんど姿を変えずに生きる魔物の体液には、不老の秘密があるはずです。滋養強壮剤として飲用されてきたのも、そのためだと思われます。姉様の会社の化粧水には、薬草がよく使われていますね。あれらの植物も、多くは栽培に長い期間を要する。いずれにも共通するのは長寿であることです」

 やじりのような姉の瞳に向かって、身を乗り出す。

「この乳を出すニュクレという魔物は、他の地域にはあまり生息していません。まとまった量を提供できるのはエインタートだけでしょう。新規性だけでなく希少性もあります。商品化をご検討いただく価値は十分にあると思われます」

 エリノアは腕組みしながら聞いている。

「現状でどのくらい生産できるの?」

「これから人手をそろえれば、この瓶の大きさで日に最大で百五十本を生産可能です。ニュクレは成長が緩慢なため、早急にこれ以上の量を産出することはできません」

「それなら原料に少し混ぜるくらいが関の山かしらね。そのまま売ったほうが高値になると思うけど、あくまでうちの会社に売らせたいのね?」

「はい。まずは魔物に対する悪印象を払拭するところから始めたいのです」

 ぱちん、とその時エリノアが指を鳴らした。

「よろしい。乗りましょう」

 ほぼ即決だった。

 今回の商談の内容はある程度、手紙で伝えていた部分があったとはいえ、あまりに早く話がついてしまい、アニエスは拍子抜けしてしまう。

 その間にもエリノアはきりきり話を進めていく。

「とりあえず今採れる分を全部よこしなさい。まずは試作をするわ。商品化の目途が立ったところで正式に契約しましょう。それでどう?」

「・・・あ、はい。ありがとうございます」

「なに? なにか不満があるなら言いなさい」

 返事まで妙な間をあけてしまったために、エリノアにいぶかられた。

 しかし決してアニエスに不満があったわけではない。

「いえ、なにも。ただ、お話がとても早く済んだので、少し、驚いただけです」

「あら、そんなの驚くことじゃないわ。うちは普段から、こういう類の新しいネタを探しているのですもの。だからあなただって私に話を持って来たのでしょう? 違う?」

「それは、確かに、その期待はありました」

「でしょう」

 とはいえ、こうもスムーズに事が運べば力が抜ける。

 無論、まだ取引が本決まりになったわけではないが、第一段階は突破というところだ。

 エリノアと契約できたならば、加工手段と販路まで一挙に確保できたことになる。

 なんの伝手もなく相場も読めず、自ら販路を拓いて、本当に売れるかどうかわからない状態で販売するのでは経営にならない。予測できないことほどリスクの高いことはないのだ。

 多少実入りが削られたとしても、姉の会社に売り込むほうが価格は安定する。さらに宣伝力も高い。商品が有名になれば、世間のエインタートの印象も変えられる。そのほうが相対的に利になるとアニエスは見た。

 契約内容の詳細については、レーヴェも含め協議を重ねれば良い。ひとまずこの場での目的は果たされた。


「アニエス、あなたちょっと変わったわね」

 あからさまに安堵した様子の妹に対し、エリノアは再び家族の顔に戻っている。秘書が淹れ直した茶に口を付けつつ笑っていた。

「前は私と目が合うだけで怯えていたのにねえ。案外、やれば色々できるんじゃないの。書庫に引き籠ってないで、はじめからもっと外に出て行けば良かったのよ」

「・・・いえ、私は、何も自分ではできている気がしません」

 気が抜けてしまったアニエスは、すっかり勢いを失い、子供の頃のようにもごもご弁解する。

「こうして姉様や兄様方のご支援を得られていなければ、とっくに立ち行かなくなっていました」

「馬鹿ね。助けさせたのはあなたの力でしょう。身内だからじゃないわ。わかるでしょ? こちらにも利があればこそ、あるいは恩情があればこそ人は手を貸すのよ」

 エリノアは姉らしく妹に教え聞かせていた。

「利を示せるのも、情を持たせられるのも、人を使う者には必要な能力よ。それがない者は、どんなにねだってもないのですもの。つまり、そういう者が上にいてはだめってことよ。案外あなたは領主に向いていたのでしょうね」

「・・・向いてはいないと思います」

「そう思うことほど向いているものよ。自信を持てと言っても無理でしょうけど、せめて卑屈になりすぎないことね。陰気は損よ。人生のどの時においてもね」

「・・・善処します」

 さっそく出そうになった溜め息を飲み込み、アニエスはやはり、まだまだ姉には遠く及ばないのだと思った。

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