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先生。  作者: Delta
6/14

先生の存在。

痛み止めを飲んでも、数時間経つとまた痛んだ。

夜は出血が止まらず、夕食はあまり食べられなかった。

痛みで何もやる気になれず、和晃の帰りを待つ間、横になることにした。


どのくらい眠っていたのか、携帯電話の着信音で目が覚めた。

時計を見ると深夜の1時だった。

和晃・・・?

「もしもし?」ぼんやりしたまま電話に出る。

『もっしも〜し!!はるちゃん、起きとったあ??』

「・・・・麻耶ちゃん?」

『あ、ごめんなあ、もう寝とったん??』

「ううん、大丈夫。」

『はるちゃん、お誕生日おめでとう!』

「あ・・ありがとう。そっか、もう26日か・・」

麻耶ちゃんは、三重県在住の、小学生の頃からの友人だ。小学生の時クラスで流行っていた文通で知り合い、手紙のやり取りで14年付き合っている。携帯電話やパソコンを利用するようになってからは、そっちでのメールのやり取りの方が多くなってしまったが。

『なんやー、はるちゃん、誕生日なのに元気ないなあ。相変わらず、旦那は遅いん?』

「んー・・まだ連絡ない。」

『誕生日くらい、早う帰ってきて欲しいよなあ・・』

「そうだねー・・」

『明日は旦那と過ごすんやろ?』

「ううん」

『え?過ごさへんの?はるちゃん1人?』

「いや、友達とご飯食べに行くけどね」

『そうなん?旦那、仕事忙しいんやなあ。』

「んー、まあ、忙しいうちはいいんじゃないかな。暇になっちゃうと、売り上げとかに影響するし」

『そら、そうやな〜。忙しいうちが華やな。はるちゃん喰わしていく為に頑張ってんねやもんな』

「ははっ、そうだね。頑張ってくれてる。」

『ホンマ元気ないなあ・・。何かあったん?』

「今日、親不知を抜いてさー・・2回目。」

『うわっ!そら痛いなあ。そんで元気ないんや。』

「出血はするわ、痛むわで、ちょっとしんどくて」

『そうかー・・そら辛いなあ』

「麻耶ちゃん、元気にしてた?」

『うん、ウチは元気よ。わかるやろ??』

「うん、わかるけど。ははっ」

『仕事は何かと忙しいねんけどなー。まあ、私なりに頑張っとるわ。』

「忙しいのかー・・。みんな大変だなあ。彼氏は?今いるの?」

『おるよ〜。最近出来てん。楽しむところは楽しんどるわ』

「そう。それは何より。」

『はるちゃんは?旦那とは仲良うやっとる?』

「うん」

『はるちゃん、いつも1人やし淋しいやろうけど、はるちゃんなりに楽しまなあかんで。ウチらまだ若いんやしさあ』

「うん。そうだね」

『うん。ほな、また電話するわあ』

「ありがとうね、わざわざ」

『ええのよ。ほな、またな〜』

麻耶ちゃんとは、学生時代からお互いのいろんな悩み・秘密を打ち明け合ってきた。地元の友人などは、結婚するとどこか疎遠になっていったが、麻耶ちゃんは、初めから遠く離れていたからこそ、今でも変わらぬ関係でいられるのかもしれない。


和晃が帰宅したのは、深夜の2時を過ぎていた。

「誕生日なのに、一緒にいてやれなくてゴメンね。明日は今井さんによーく頼んであるから、楽しんでおいでね。」

「うん、ありがとう。あ、予約は21時でお願いしといて。」

「わかった」

結婚してから、和晃と一緒に過ごす時間は随分少なくなった。出勤が早く、帰宅も遅い為、深夜、1〜2時間顔を合わせている程度だ。結婚してからしばらくは、淋しいと思うこともあった。

・・・いつからだろう。

それが当たり前となって、淋しいとすら思わなくなったのは。


誕生日当日。

右上の頬には、まだ痛みが残っていた。

クリニックの時間に間に合うように出掛ける準備をしていると、携帯にメールが届いた。

一緒に食事をする予定の友里だ。

『今、仕事終わったよ。何時に行けばいい?』

待ち合わせの時間を指定し、返信する。

『わかりましたー。楽しみにしてるよ〜』

高校時代は、友里の他に2人の女友達といつも一緒だったが、他の2人は結婚してから子供を授かり、4人で集まることはなくなった。

唯一、友里は独身で、子供のいない主婦の私と、時々会っては食事をする。


日が暮れた時間に出掛けるのは久しぶりだ。

バスに乗り駅前へ向かうと、歩道の銀杏はすっかり葉を失い、枝だけになった木が並ぶ。景色は秋から冬へ。クリニックがあるビルの前では、数人の作業員が、木に電飾を施している。イルミネーションの準備だろう。


待合室のソファーには、誰も座っていなかった。22時まで受け付けているといっても、20時を過ぎれば昼間や夕方の忙しさはないようだ。

受付を済ませて待っていると、診療室から前田先生が出てきた。

「春日部さん、どうぞ」

白衣の下にはダークグレーのシャツに黒のネクタイ、今日はシックに決まっている。

「こんばんは」と、優しい笑顔。

「こんばんは」と、笑って返す。

診療室も静かだった。助手や他の医師の姿も2〜3人で、患者も奥に2人ほど見えるだけだ。

4番ブースに案内された。

診療台に座るなり、先生が背後から言った。

「あれ?髪、切りました??」

え・・・   そんな表情をして振り返る。

「昨日も来たのに・・」

「あっ・・昨日はあ・・忙しかったからね・・」

先生は、気まずい笑みを浮かべて言った。

それでも、髪を切ったことを気づいてもらえた。それがたまらなく嬉しかった。

「昨日、抜くとき、痛い思いをさせてごめんね。あの後、大丈夫だった?」

先生は背後から手を回し、首元にスタイを着けながら話しかける。

「夜、出血が止まらなくて、結構痛かったです。今もちょっと・・」

「痛む?」

「はい・・」

先生はカルテにペンを走らせる。

「うん、それじゃ、もう少し痛み止めを出しておこうね。」

消毒をする為にシートを倒す。

青いマスクをした先生は、ミラートップを片手に、私の顔の目の前で頷いている。

「左上の時より痛むのはね、右上の方は少し、乾いたかんじになってて、そのせいで痛むんだけど・・。でも、ちゃんと治るし、痛みも徐々に治まってくるから、心配要らないよ。」

「はい。」

「うん、それじゃ、うがいをしてね」

シートを起こしてもらい、うがいを済ませる。

「春日部さんが夜来るなんて珍しいね。」

スタイを外しながら先生が言う。

「あ、今日は、今から友人と食事の約束があって。誕生日で・・」

「え?そうなの??」

先生はカルテの生年月日を見る。

「あ、本当だ。おめでとう!」

先生はマスクを取って言った。

「あ・・ありがとうございます。」

周りには誰もいない。少し離れたところから、別の患者の治療をしている医師と助手の声が聞こえるだけ。

まだ、カルテに何か書き込んでいる先生に、思い切って話しかけてみた。

「先生・・」

「ん?」

「先生って、ラグビーをなさってたんですか??」

「え?あーうん、なんで知ってるの?」

「あ、この前、ここのホームページ見てたら書いてあって・・」

「あ〜あれねー。そうそう、そういえばそんなことも載せてたね。うん、ラグビーやってたよ」

「へえ・・」

「なんで?ラグビー好き?」

「最近、興味持ったんですけど、まだ詳しくはないんです。」

「そうなの??女性でラグビー好きって珍しくない?僕の周りにはいなくてさー。ラグビーの話を振ってくれた患者さんも初めてかも。」

「ポジションはどこだったんですか?」

「ポジションわかるの??」

「・・少しなら」

「スクラムハーフ」

「あー・・」

「ん??」

「そうかなーって思ってたから」

「ははっ、そう?僕ね・・」

と、先生が言いかけたところで、受付の女性の声が診療室に響いた。

「20時半ご予約の患者様いらっしゃいました。前田先生の担当です。よろしくお願いします。」

「はーい」

先生は上向き加減で言った。

「じゃあ・・残念だけど、今日はこれでおしまいだね。また、来週くらいかな?」

「あ、はい。」

「うん、それじゃあ、お食事楽しんでください。」

「ありがとうございます。」

「いってらっしゃい、お気をつけて。」

先生は、手のひらを向けて笑顔で言った。


ビルを出ても、嬉しくてたまらなかった。

1日遅れだけど、髪を切ったと気づいてくれた。

おめでとうと言ってくれた。

今日は「おつかれさまでした」ではなく「いってらっしゃい」


先生の言葉、先生の表情。

1つ1つが、喜びに変わる。

先生の存在が、大きくなっていく。

先生の存在が、確かなものになっていく。



『ディル』の前でバスを降りると、友里はすでに来ていた。

友里は、高校を卒業してすぐに、デパートの婦人靴売り場に就職した。2年前に人事異動があり、今はインフォメーションに立っている。

「はるちゃーん!」

友里が手を振った。

「ゴメンゴメン、待ってた??」

「ううん、5分くらいだよ。」

「じゃあ入ろうか。寒いし」

「うん、お腹空かせて来たんだ〜。」

「今日はサービスしてもらえるらしいよ。」

「ホントにい!楽しみー!」


店に入ると、キャッシャーに立っていた接客係の女性が、私と友里に気づいた。

「いらっしゃいませ。ご予約でしょうか?」

「あ、はい。春日部です。」

「ああ!お待ちしておりました!どうぞ」

2人掛けのテーブルに案内された。23時までの営業だが、お客さんは疎らだ。

飲み物を注文して待っていると、調理場から出てきた男性がこっちへ近づいてくる。

白いコックコート、膝下まである長い前掛け、黒いズボンを穿いた、スラリと背の高い今井さんだ。

「こんばんは。本日はご来店ありがとうございます。」

今井さんはニコニコしながらお辞儀をした。

「こんばんは。今日はお客さん少ないんですね。」

「何言ってんのお〜!はるちゃんたち来る前まで忙しかったんだよ〜」

「ええー。ホントかなー」

今井さんは、和晃を「和ちゃん」、私を「はるちゃん」と呼ぶ。統括料理長でありながら、気さくでフレンドリーなところが、部下から慕われている。和晃を採用したのも、支店の料理長に推薦してくれたのも、他ならぬ今井さんだ。和晃の実力を買ってくれている。

「今日は、ケーキも用意してあるから、食べていってね。」

「わー・・嬉しいです。ありがとうございます。」

「和ちゃんに、くれぐれも祝ってやるようにって頼まれてるからね〜」

「ホント、すみません。」

「それじゃ、ごゆっくり」

今井さんは、友里にも軽くお辞儀をして調理場へ戻って行った。


飲み物が運ばれ、乾杯をする。

「はるちゃんお誕生日おめでとーう!」

「ありがとーう」

店内にグラスの音が響く。

「はるちゃん、今日は旦那さんは?」

前菜のサーモンを口に入れながら友里が尋ねる。

「ん?仕事。いつも仕事よ。」

「誕生日なのに残念だね・・」

「それ、昨日も同じこと言われた。別の友達にね。でも、大丈夫よ。慣れてるから」

「えー・・でも、やっぱり淋しくない?」

「最初の頃はそんな風に思ってたけど、今はもう、なんともない。」

「そうなの・・」

「友里は?仕事はどう?」

「んー実はね、今の会社、来年の3月で潰れちゃうみたいなの」

右手のフォークが止まった。

「は?」

「来年の3月で、全員解雇になるの」

「なるのって・・・え?じゃあ、どうするつもりなの?」

「ん?退職金が少し出るみたいだから、それで繋いで次の仕事探す。」

「そんな・・」

「前々からね、そんな噂はあったんだ。だからあんまり驚いてない」

「そうなの・・」

「あー・・私もはるちゃんみたいに結婚したいな〜」

「・・・え?」

「私ねー、はるちゃんと旦那さんみたいな、仲のいい夫婦になりたいんだ」

私と和晃に憧れる友里を、どこかまともに見られなかった。

私と和晃は、友里が思い描いているような夫婦じゃない。

多分今は。

「友里、彼氏は?」

「それがねー、今付き合ってる人、年下なんだ。」

「いくつ?」

「5歳下」

「・・てことは、21?」

「うん。まだ若いでしょー。だから当分結婚はないかなーって・・。でも結婚したい。はるちゃんみたいになりたーい」

「ハハ・・大変だよ、結婚は。」


もし、結婚していなかったら


「でも、はるちゃん幸せそうだもん。」

「そう?いろいろあるんだよー」


もし、結婚していなかったら


「ええー、独身の私よりは、きっと楽しいはず」

「独身は独身の楽しさがあるでしょ?」


私はどうしていただろう?


先生への、この気持ちを。



今井さんが運んできた手作りケーキのプレートには

「Happy Birthday HARUKA from KAZUAKI」

とあった。

「和ちゃんリクエストのケーキだよ。作ったのは俺だけどねー」

今井さんは、得意気に笑ってみせた。


和晃の想いが、胸にひどく痛かった。

ケーキを前にしてもまだ、先生のことを考えている。


『ディル』を出ると、少しずつ雨が降ってきた。

友里と別れ、バスに乗る。

雨に濡れた窓ガラスが、街のネオンをキラキラさせている。

綺麗な景色がぼやけていく。


胸が痛い。

嬉しいことばかりの誕生日。


なのに  涙が止まらない。








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