68 不用意な訪問 1
「こんにちわー。いらっしゃいますかー?」
俺たちの緊張をよそにエミリーは気の抜けるような朗らかな声で呼びかけながら、ズカズカと店の奥に入っていった。
まあ、エミリーにとっては顔馴染みの店なのだろうから、今さら緊張しろと言っても無理な話か。
いや……、そうだ。
むしろ、こちらが緊張していると、相手も警戒してしまうかもしれない。
俺は緊張が顔に出ていないか形を確かめるように頬を撫でさすり、なるべく和やかな表情になるように努めた。
店は横幅に比べると意外と奥行がある。
その奥を見通すより前に、ドアをくぐった先からすでに足元に所狭しと積み重なった大量の本に目を奪われた。
これだけ多くの書物が一所に集まっているところを俺は見たことがなかったし、書物がこんな無頓着に扱われている様を見るのも初めてだった。
一応両脇の壁に沿って書棚が並んでいるのだが、とてもその中には収まりきらずに、残りの本はそのまま床に直置きにされており、それが狭い店内の通路をさらに狭めていた。
手筈どおり、パトリックには入口のドアの前で退路の確保と外の警戒に当たってもらっている。
エミリーの後ろにはセドリック、俺、ローランと続く布陣だ。
ジョセフィーヌを両方から挟むようにして守り、もし何事かがあれば、どちらかがその身体を抱えてでも外に連れ出すという打ち合わせまでしてある。
最初からここに入る予定で来たならもっと準備もできただろうが、即席でできる備えはこの程度が限界だろう。
「ごめんくださーい。プリシラさーん?」
エミリーが繰り返し呼び掛けると店の奥で誰かの動く気配があった。
プリシラというのがここの店主の名前か……。もしかして女性?
そのことを意外に思っているとドサドサと本が崩れる音とともに、年若い女性が姿を見せた。
「ああーあ。また、やっちった……。ごめん。エミリーだよね? 今ちょっといいとこだからまた今度にしてくれる?」
気怠げな声。
ボサボサの髪にダボっとした真っ黒な服。
一見して商売をしようという風体ではない。
その手には、見たこともない複雑な形の仕掛け細工をぶら下げた鎖が握られていた。
「そんなこと言わないで。ほら。お土産も持って来たので相手してくださいよ」
「ん? その紙袋、まさか?」
「はい。食べてみたいとおっしゃられていたでしょ?」
そう言ってエミリーがあの紙袋を差し出すと、プリシラと呼ばれた女性は手にしていた道具をガシャンと放り出してそれに飛び付いた。
何に使う道具かは知らないがその神秘的な見た目から、おそらく大切な商売道具なのだろうと想像したのだが、そうでもなかったみたいだ。
「うっはー! いいの? 食べて?」
「はい。その節はお世話になりました。これはそのお礼です」
「おおっ? てことは上手くいったんだ? アタシのお陰?」
「あ、ちょっと。駄目です。今その話は」
エミリーが後方にいる俺たちを気にかけるようにしながら声をひそめる。
「え、何々? てことはぁ? 今日連れて来た中にいんの? 誰? 誰?」
「もう。駄目ですってばぁ」
お互い声をひそめようとしているのは分かるが、興奮し過ぎて全くそれができていない。
狭い店内であることもあって、少し離れた自分の所まで丸聞こえだった。
『何こいつ? 予想してたのと大分違うんですけど』
それは俺も同感だ。
緊張していたのが馬鹿らしくなるほどの毒気のなさで拍子抜けしてしまう。
だが、まだ気を抜くのは早い。
エミリーとはこんな気安い女友達のようなノリで会話をしているとは言え、立場的に俺やジョゼと敵対する人物である可能性はあるのだから。
よしんば彼女個人は無害でも、どこかであのダノンら襲撃犯と繋がっていることはあり得る。
それに危険に対してばかりではない。
仮に、今日ここに連れて来られたのがミスティの思惑の内なのだとしたら、この女性こそ、俺の身に起きている問題に深く関係している人物であると当たりを付けてもよいはずだった。
こちらの素性を悟られないよう十分注意しながら、何としてもここで手掛かりを見付けて帰らなければ。
「はじめまして、プリシラさん。私は……」
前に進み出ながらそこまで言いかけて、しまった偽名を考えていなかったと焦る。
微妙な間を察してプリシラがそれに割り込んだ。
「大丈夫。偽名でいいよ。エミリーの友達なら、どうせどこかの貴族家のお嬢さんなんでしょ?」
貴族どころか王族で、しかも次期女王ともあろう御方なのだが、今のこれが演技でなければこちらの素性にはまだ気が付いていないようだ。
「では、ヴェロニクとお呼びください」
ヴェロニクは母上の名だった。
すでに故人であるし、どこにでもある名なので差し支えはないだろう。
「分かった。ヴェロニクね。どうぞ、そのへんに座って」
そう言われて俺は周りをつぶさに見回すことを強いられた。
店のカウンターと思しきテーブルの前は、ここまで通ってきた通路より多少広いとは言え、本で溢れ返っており雑然とした様は変わらず。ただ、その中に椅子らしき物はどこにも見当たらなかった。
「悪いけど、アタシ、話しながらこれいただいちゃうわ。だって気になったままじゃ会話に集中できないんだもん」
プリシラは上機嫌で紙袋から生菓子の入った器を取り出し、ドスンと腰を下ろした。
大きなテーブルの向こう側なので見えないが、あちらにはちゃんと椅子が置いてあるのだろう。
確かに彼女は座ってと言ったよなあ……。
椅子はどこに?
もしかすると遠回しに、歓迎していない意思を伝えているのだろうか。
控えめに眼だけをキョロキョロ彷徨わせていると、横に立っていたはずのエミリーの頭の位置が低くなっていることに気が付いた。
その足元を見れば、エミリーは脇の方に寄せて積み重なっていた本の山の上に腰をチョコンと乗せて座っている。
ええ!? それはないんじゃないか?
と驚き、エミリーの顔を見る。
それに気付いたエミリーは、さして動じずニッコリ笑って言った。
「大丈夫です。お姉さま。この店はこういう趣向の内装なのだそうですよ? 本と共にある生活を提案するために、こうやって本を調度品に見立てているのです」
いや、絶対に違うと思う。
騙されてるぞ、エミリー。
それは多分、店を片付けるのも椅子を用意するのも面倒だったから、そうやってエミリーを説き伏せた言い訳に違いない。
初対面だが、このプリシラという女性はそのくらいズボラでいい加減な性格をしていてもおかしくない……というか、むしろ、そういう人物像がしっくりくるという直感があった。
書物に対する冒とくだという気はしたが、勧められたのに立ったままでいるのも気まずく、観念した俺はエミリーに倣って、テーブルの前に柱状に積まれていた本の上に腰を下ろすことにした。
テーブルを挟んでプリシラと向かい合う。
その俺のすぐ脇にセドリックがスッと立った。
こいつめ。自分だけは品行方正でいるつもりか。
「んまっ! 何これ、超甘いんですけど!?」
プリシラが感嘆の声を上げ、器と口の間でひょいひょいとスプーンを往復させる。
これがこちらの警戒を解くための演技だとしたら大したものだ。
初めて会う貴族たちの突然の訪問を前にしても臆する様子がまるでない。
いやこれは単純に、初めて食す菓子に夢中になって、こちらにはろくに注意が向いていない感じか。
盛大な肩透かしを食らい、俺としては戦の緒戦を落とした気分であったが。
さて、どう話を運べば良いものか……。




