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グレアムにはティエンサン公国への牽制のため、王国軍と共に国境付近に残るよう指示を出し、ラインヴァルトが率いる王太子軍は夜明けと共に出立した。



久しぶりの帰還だ。

妻を、家族を、恋人を想っているのだろう。


ラインヴァルトの斜め後方で馬に乗るアレクシスを始め、皆、その瞳を輝かせているのが分かる。


王都に帰ったら、久しぶりに母の墓を参ってもいいかもしれない。

彼らを見て、ラインヴァルトもそう思った。


帰還へ強い想いが、王都まで予定より早いペースで一行を順調に進ませ、行程の三分の一まで来たところで、休憩をとることとなった。


休憩地は少し道を外れた先の広い草地に設けられた。

ラインヴァルトが馬から降り、用意された場所へ陣取ると、兵たちも各々、馬を降りた。

馬の世話をする者、好きな場所で休む者と、階級に応じて様々な行動を取っている。


戦へ向かうときの殺伐とした雰囲気とは違うリラックスした兵たちの様子を、ラインヴァルトは目を細めて眺めた。



「ライヴァ。水を」

ラインヴァルトとアレクシスの馬を兵に預け、隣に座ったアレクシスから水を受け取る。早速飲んだそれは、どんな葡萄酒よりも美味い。


「…終わったんだなと、やっと実感できた」


アレクシスにだけ聞こえるように、そう呟けば、アレクシスは白い歯を見せた。


「ああ。ようやく帰れるな」


風が吹き、ラインヴァルトとアレクシスの髪を乱す。それに苦笑しながら、ラインヴァルトは顔を空へ向けた。

「アレク。帰ったら、母の墓へ行きたい。付き合ってくれるか」

アレクシスは快諾し、ラインヴァルト同様空を見上げた。




それから数十分経った頃。ざわりと空気が揺れた。

草地の端で、ざわめきが起きているようで、空気の揺れがラインヴァルトたちまで感じる。


変事かと眉を寄せ、ラインヴァルトはアレクシスと顔を見合わせる。


「何事だろうか」

アレクシスが腰を浮かすのと同時に、一人の兵がこちらへやってくるのが見えた。


あれは、確か第二部隊の隊長だ。


「殿下。申し上げます」


彼は、よほど焦っているのか、簡易的な礼にとどめた。

アレクシスは、それを見て眉をひそめた。アレクシスが注意しようと口を開くのを止め、ラインヴァルトは先を促す。

礼節はわきまた男だったと記憶している。その彼が簡易的な礼にとどめるとは、よほどのことだろう。


「我が隊副長及び第三部隊三席が、森の中にて、女性を保護致しました」

ラインヴァルトはその報告に思わず眉をひそめる。

「詳しく報告せよ」

「年若い女性です。両名曰く、怪我をし身動きがとれないところを、保護したとのこと。

その方は、高地から滑り落ちてしまったと仰っているそうです」



『その方』、『仰っている』だと?


ラインヴァルトは、第二隊長の言葉に違和感を覚える。

正体不明の女に対する言葉遣いに、相応しいとは思えない。


だが、「ティエンサン公国のスパイの可能性は?」と問うアレクシスの厳しい声に、その違和感を追及できなかった。


「可能性が無いとはいえません。ですが…」


第二隊長は言い淀み、ラインヴァルトとアレクシスを交互に見た。

そして、アレクシスへと視線を定めた。


「アレクシス様。恐れながら、お伺い致します。妹君はいらっしゃいますか?」

「…なんだ?なぜ、そんなことを聞く。今、それは必要なことか?」


質問の意図が分からないと、アレクシスが第二隊長に詰め寄ると、彼はそれに是と答え、アレクシスを見つめた。


「アレクに妹はいない。そうだな、アレク」


ラインヴァルトが、苛つくアレクシスの代わりに答える。

すると、第二隊長は困った顔をして見せた。

それにラインヴァルトは首を傾げる。

彼が何を知りたがっているのかが分からない。


「保護した娘は、エミーリア クルトと名乗っており、」


「…は?」

「なんだと?」


ラインヴァルトは大きく目を見開き、アレクシスを見る。アレクシスは、唖然としていた。

第二隊長は一度震え、唇を湿らした。一瞬だけ、ラインヴァルトたちに縋り付くような視線を向けたが、彼は振り切るように、続きの言葉を発する。


「ーーそして、鮮やかな赤い髪を持っておいでです」


その報告は、ラインヴァルトの想像を超えていた。


「どういうことだ!?」

ラインヴァルトが声を荒げると、第二隊長は更に眉尻を下げた。だが、すぐに表情を引き締め、もう一度アレクシスを見た。


「もう一度、お伺い致します。アレクシス フリードリヒ クルト様。

貴方様に妹君はおられませんか?」

「いない」

アレクシスは、きっぱり否定した。

だが、大きく息をつくと、第二隊長、ラインヴァルトの順に視線を向けた。


「だが、その娘ーーいや、女性の所へ行く。案内してくれ。…ライヴァ。会いに行こう」



本物の、『赤を持つ者』だろうか。


ラインヴァルトはこぶしを強く握り、頷いた。



*****


「あの…」

恵美がためらいがちに声をかけると、男たちはびくりと身体を震わせたようだ。ぎこちない笑みを浮かべ、恵美を見た。

「怪我をしていて動けません。大変申し訳ありませんが、平地へ連れて行って頂きたいのです…」


恵美がそう伝えると、男たちは互いに目を見合わせた。その後、そばかすの男が、ぎこちない様子で頷いた。


恵美は二人がかりで窪地から下ろされた。

その際、ガチャという鉄がなる音がして、そこでようやく男二人が鎧を身に纏っているのに気付いた。腰には剣を提げている。



その姿に、血の気が引く。

山賊という可能性もあることに、今ようやく気付いた。

だが、恵美を抱える男の二の腕付近にある紋章に、目を見開いた。


ハロルドが持っていた書物で見たことがある。

幾何学模様が金で縁取られている、その紋章は、確か…王太子軍。


恵美は驚愕に身体が固まるが、二人の挙動がおかしいことに気付き、その強張りはすぐに解けてしまった。


二人とも大きな体躯であるにもかかわらず、何故かおどおどとしている。


王太子軍の紋章では、なかったかしら。

恵美はそうとさえ思った。




結局、二人の身分は分からぬまま、恵美はつり目の男に所謂お姫様だっこで運ばれることになった。

腰や足に痛みがあり、背負われることが困難だったせいである。


なんだか、とても恥ずかしい。

男の顔の近さにどぎまぎするが、首に視線を固定することにして、なんとかやり過ごす。


恵美たちの前を行くそばかすの男は時折、低木の枝を剣で払い、恵美たちが通り易いようにしてくれた。



「あの、僕はブレット コーディ デイルと申します。前を歩くのは、アンディ ブルックと言います」


しばらく無言で低木を避けるように進んでいたが、恵美を抱き上げるつり目の男ーーブレットは、それぞれをそう紹介した。



確か、シルゴート王国では貴族の男子のみ、姓名の他にミドルネームがあると、ハロルドから聞いた気がする。

つまり、ブレットは貴族階級の出身であるということだ。



「あの、貴女様のお名前を、お伺いしても宜しいでしょうか」


その彼に、丁寧すぎる言葉遣いでそう尋ねられた。

ブレットの視線は、前を向いたままだが、恐る恐る伺うような気配を感じる。


その違和感に気を取られ、「エミ」と答えようとしたが、思わず躊躇して口を閉じた。


しかし、そのおかげでリディアの言葉を思い出し、恵美は唇を湿らせてからもう一度開いた。


「エミーリア クルトと申します」


恵美を支える腕が、びくりと動いた。

前方のアンディに視線を動かせば、彼の背中も緊張しているように思う。



さっきから、一体、何?



エミーリア クルトと名乗ったことが、不味かったのだろうか。


恵美は頭の中を不安が支配するのを感じていった。




しばらくして、恵美たちは低木を抜け、拓けた草地に出た。

と、すぐにアンディは振り向き、「では、失礼致します!」と声を上げて走って去っていた。


その背中を呆然と見送る。


だが、少し先に数頭の馬が草を食んでいるのに気付き、その長閑な様子に思わずほっと息を吐いた。


ここなら、痛む足を固定してしまえば、再び歩き出せそうだ。



「あの、ありがとうございました。あとは一人でなんとか致します。降ろしてもらえませんか?」


アンディにもお礼を言いたかったな。そう思いながら、恵美はブレットに声をかけた。

だが、「申し訳ありませんが…」と首を横に振られてしまった。


「え?」

恵美が呆然とブレットを見返すと、ブレットは困ったように眉を下げた。だが、そのまま草地を進んで行く。


草地を進むと多くの男が居た。

ブレットたち同様、鎧を身に纏った男たちだ。

彼らは、皆、恵美とブレットを遠巻きにしている。だが、その一方で、こちらへ視線を向けては逸らし、逸らしては視線を向ける、という動作を繰り返した。

しかも、男たちから向けられる視線は、どこか興奮したもののように感じられ、恵美は思わず視線を下げ、身を小さくした。




「ブレット!」


その声を向け、ブレットはようやく立ち止まった。

恵美も下げた視線を上げれば、前方からアンディが走ってくるのが分かった。

だが、それと同時に、アンディの後方に居るものを認識し、身体が固まる。



アンディの後ろには、十人程の男たちが居た。

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