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コツ、コツ、コツ。

机を指で叩く音に、アレクシスが眉をひそめるのが見えた。だが、ラインヴァルトは改めるつもりもなく、繰り返し机を叩き続ける。


「ライヴァ、いい加減にしろ」

アレクシスが辛抱しきれず注意するのを聞き、ラインヴァルトはそれをようやく止めた。その手をそのまま顎の下に持ってきて頬杖を付く。


「いい加減にして欲しいのは、私の方だ」

苛々とした声音になるのを、どうしても抑えきれなかった。

「もう一ヶ月経ったぞ」


エミーリアが、フラムスティード公爵邸に着いたと報告を受けてから、急いで戦後処理やたまった案件を片付けた。政務官たちが驚くほどのスピードだったと自信もある。

そして、ようやく今後の見通しが立ち、すぐにでもエミーリアのもとへ行こうとしていた矢先、父 ギルベルトから呼び出された。


ギルベルトはラインヴァルトに向け、「まだ行くな」と、それだけを告げた。

その後、ラインヴァルトが待っても待っても、許可が降りることはなかった。



「陛下のご命令だ。諦めることだ」

そう言って、アレクシスは静かにラインヴァルトの机の上に、一通の手紙を置いた。

「なんだ?」

「母からの手紙だ。エミーリアの近況が書いてある」


その言葉を聞くのと同時に、ラインヴァルトは手紙を勢いよく封筒から出し、読み始めた。

アレクシスが大袈裟に溜め息をつくのが聞こえたが、ラインヴァルトは気にすることなく読み進めていく。


エミーリアの怪我は順調に治っている。昨日着せた服がとても似合っていた。甘いものが好きで、ハーブティーに詳しいので、よく一緒にお茶している。


内容は、本当にとりとめもないことだった。

だが、その言葉一つ一つからエミーリアが大切にされているのを感じて、ラインヴァルトはその内容に嬉しさを感じた。

その一方で、まだ会いに行けない自分の身が歯がゆかった。



昼食の後は、ギルベルトとの謁見の時間になっている。

ラインヴァルトは、今日こそエミーリアのもとへ行く許可をもらおうと意気込み、謁見室へと向かった。

懐には、先ほどの手紙を入れている。

アレクシスに頼み込んで、もらったのだ。

「お守りにする」と言うと、アレクシスがさらに呆れた顔を見せたが、ラインヴァルトは懐の手紙を得たことに満足していた。



ギルベルトはラインヴァルトから数分遅れて謁見室へやって来た。

以前は赤褐色だった髪には、白いものが目立つ。深い皺は重い重責を担う証であり、その皺に彩られた鋭い茶色の瞳は確かにこの国を統べる者に相応しい。

だが、ギルベルト本人は、『王の石』と呼ばれる真っ赤なアスタイトが付いた腰の飾り紐をいつも重そうに、そしてそれ以上に丁寧に取り扱う。

『持たざる者』として正当な王へそれをお返しするときのために、と言う父を、ラインヴァルトは同じ『持たざる者』として尊敬していた。


今日もギルベルトは『王の石』に気を付けながら、椅子へと座った。


「さっそくだが。城にイリーネが滞在することとなった」

「叔母上が・・・。陛下、それはつまり」


ギルベルトの話の先を予測して、思わず息を飲んだラインヴァルトの言葉を継ぐように、ギルベルトは頷いた。

「ああ。イリーネと共にエミーリア嬢を登城させる」


ラインヴァルトがその言葉に破顔すると、そんなラインヴァルトの様子を見て、ギルベルトは嘆息した。


「全く。そんなに嬉しそうに笑うな。まだ彼女が『赤を持つ者』かどうか、確定した訳ではないのだ。それに彼女を取り囲む状況も甘くない。

こちらに着き次第、上宮神官長がエミーリア嬢と会うことになった。『赤を持つ者』かどうかを選定される」


ラインヴァルトは笑顔のまま、首を横に振った。

「陛下。恐れながら、あの美しい赤い髪を見たことがないから、皆、疑うのです。

あれほど美しい髪を見れば、誰が疑えましょう。あれ程鮮やかな赤い髪が、偽物のはずがありませーー」

「少し、冷静になれ!」


ラインヴァルトの言葉尻を遮る程の大きな音を立て、ギルベルトは拳を机に叩きつけた。ラインヴァルトを睨みつける目には明らかな怒りの色がある。


「王太子たるお前が浮かれて考えるべきことを疎かにするな!」


ギルベルトの激昂に、ラインヴァルトは口を閉ざした。恥じ入る感情と同時に湧き上がる驚きがあった。



これほど怒りを露わにされるのは、いつぶりか。


ギルベルトは怒りを発散させるために、ゆっくり目を閉じ、開いた。その瞳には、もういつもの冷静さがある。


「エミーリア嬢の存在は、我が国にとって大きな存在だ。

彼女の動静が国を動かすことになる。彼女を疑う者、媚びへつらう者、絡め取ろうとする者。彼女は、多くの思惑に晒されることになる。

流石に『赤を持つ者』を弑する程、愚かな者はいないだろうが、それでもまずは『赤を持つ者』を守る体制を整えるためにも彼女が本物だということを盤石にすべきだ。それさえも、お前は分からないか?」



ああ、その通りだ。


エミーリアと会ってから、これまでの行動を思い出す。冷静さを欠いた行動だ。


ラインヴァルトは、思わずその視線から目をそらした。そんなラインヴァルトに、ギルベルトが大きく息を吐いたのが分かった。


「いいか、王太子よ。エミーリア嬢の選定が済み次第、彼女の存在は公にする。大きな騒ぎとなるだろう。だが、毅然と対応せよ」

「かしこまりました」

ラインヴァルトが頷けば、ギルベルトは「お茶の用意をさせよう」と侍従長を呼んだ。


落ち込んだラインヴァルトに気を遣ってくれたのだと思えば、更に落ち込んでしまう。

だが、ハーブティーからふわりと柔らかな香りが漂ってきて気持ちが多少落ち着きを取り戻すのも事実だった。


「ライヴァ。ハーブティーだ。飲みなさい」


少し優しくギルベルトに勧められ、カップに手を伸ばせば、その温かさと香りにほっとする。

ラインヴァルトが一つ息を吐いたところで、ギルベルトはカップをソーサーに置き、にやりと口角を上げてラインヴァルトを見た。


「一ヶ月程前、フラムスティード公爵が十日間、自領に戻ったのを知っているか?」

「いいえ。存じませんが…」

「そうか。その分じゃ、アレクも知らないか。フラムスティード公爵は、意気揚々と自領に戻り、エミーリア嬢と交流してきたぞ」

「…は?」


唖然とギルベルトを見れば、ギルベルトは笑みを苦笑に変えた。


「戻ってからは、可愛い可愛いと何度も言って、養子にしたいとまで言い出した。あの、タヌキが、だぞ」


それは、自分の知らない所で、いつの間にか会いに行っていたレスターに対して、怒ればいいのか、エミーリアにとって良い後見ができたと喜ぶべきところなのか。

ラインヴァルトは決めかね、気を落ち着けなければと再びカップに口を付ける。


「そのハーブティーも、エミーリア嬢が自分で調合したものを土産にもらったのだそうだ」

「な!?」


ハーブティーを吐き出しそうになるのを慌てて抑える。

なんとか飲み込み、ギルベルトを見れば彼は肩をすくめて見せた。


「嬉しそうに土産をもらったと自慢するから王命で分けてもらった」

「王命で、ですか…」

「ああ。あいつめ、渡すのを渋ったのだ」


その時のことを思い出したのか、ギルベルトは舌打ちをした。そして、それを誤魔化すように立ち上がる。


「エミーリア嬢と上宮神官長との面会には、お前も参加してもらう」


ラインヴァルトはその言葉に是と答えた。それにギルベルトは頷くと、執務室から退室していった。




ラインヴァルトの執務室で、秘書官のグレースとともに書類の整理をしていたアレクシスは、戻ったラインヴァルトの表情を見て驚いたようだ。グレースと顔を見合わせている。

ラインヴァルトは、それを無視して部屋の奥にある己の席へついた。


すると、グレースは「少し所用で出て参ります」と言って素早く書類を片付け始めた。

相変わらず気が利くことだ。

グレースが退出したのを見送ってから、アレクシスは口を開いた。


「なんだその微妙な表情は」


それにラインヴァルトは、わざとらしく大きく息を吐く。


「エミーリアに対して、どれほど考えが甘かったかを思い知らされた」


その言葉で悟ったのだろう。アレクシスは、ひそめていた眉を緩めた。


「甘いと言うより、心酔しているという方が近いように思う。…陛下に叱られたか?」

「ああ。何も言い返せなかった。私は、自分の想いばかりが先走って、結局、エミーリアのために必要なことを見落としていたらしい」


アレクシスは慰めるようにラインヴァルトの肩に手を置いた。それに、ラインヴァルトは首を横に振る。


「いや、それはいいのだ。それよりも、エミーリアが城へ来ることとなった」


ギルベルトとの話を一通りすると、アレクシスは腕を組み、唸るような声を出した。


「陛下のその口ぶりは、彼女を『赤を持つ者』であることを前提として考えていないか?」

「ああ、確かに決してエミーリアを『赤を持つ者』ではないと否定はされなかった。それよりもどう認めさせるか、どう守っていくかを考えられているようだ」

「ならば、彼女はやはり俺たちの知らない王家の血を引いているということか」

「隠された王家の血筋、か。そのようなことがあり得るのだろうか」


ラインヴァルトの言葉に、アレクシスは大きく頷く。


「そうでなければ、あの気位の高い母が見ず知らずの女性に、クルト姓を名乗ることを許し、あそこまで親身に接するはずがない」


その強い説得力に、ラインヴァルトは思わず苦笑しつつも、「そういえば…」と側に立つアレクシスを上目遣いで見る。

そんなラインヴァルトに、アレクシスは首を傾けた。


「アレク。お前、フラムスティード公爵がエミーリアに会いに行ったのを知っていたか?」

「は?」


先程、謁見室でのラインヴァルトのような反応を、アレクシスは示した。

口を開け呆然とする様子は、どこか間が抜けている。

こんな顔を自分もしていたのかと苦笑しつつ、アレクシスに謁見室での話をすると、彼は米神を抑えた。

「あの人は全く…」とぶつぶつ呟いている。


しばらくそうしていたアレクシスが気を取り直すように顔を上げる。


「彼女がここに来れば、全て明らかになるだろうか」

「私はそう願っている」


ラインヴァルトが神妙な顔で頷いた、その時。

扉からノックの音が響いた。


入室を許可すると、入ってきたのはグレースだった。両腕に書類を抱えており、それを机の上に勢いよく置いた。


「殿下。外務大臣の一派と帰りに出会いまして、決裁書類を頂いて参りました」


グレースは不服気に眉をひそめながら、ずれてもいない眼鏡の位置を整えた。


「戦後処理に、政務にと殿下は相変わらずお忙しいご様子。ご自分の身が引き起こしていらっしゃることとは言え、同情いたします。グレース殿も秘書官なんてなるものじゃないと後悔しておいででしょうな」


グレースは、そう一気にまくし立てた。


グレースは元々、子爵家の令嬢だった。男性だらけの城で、女性が秘書官として城にーーしかも王太子に仕える。

余程優秀でないと出来ないことだ。


グレースは、二十五もの年の差を物ともせず、ある伯爵と大恋愛の末、結ばれた。城に出仕する以外は、隠居した伯爵と静かに暮らしているらしい。

そのせいか、グレースは四十という年齢以上に、落ち着きと穏やかさを持つ。

そして、その優秀さから嫉妬され、伯爵とのことを有る事無い事噂されても毅然とする、芯の強さもある。


そんなグレースの、いつもと違う様子に、ラインヴァルトは呆気にとられた。


だが、その様子を見たグレースは気を落ち着かせるためにか、深呼吸を繰り返す。


「何も分かっていないくせに、あの馬鹿な親父たちと来たら!」

「そ、そうか」

ラインヴァルトはグレースの勢いに押されつつも、合いの手を入れた。アレクシスは苦笑している。


「殿下。この書類、本日中に片づけてしまいましょう。そして、あの馬鹿な親父たちを驚かせるのです!」


ラインヴァルトは机に高く積まれた書類を見た。


とんでもないことを言う。


「さあ、始めましょう」


そう言って、グレースは自分の机に座り、書類を確認し始めた。

ラインヴァルトは呆然とアレクシスを見る。だが、アレクシスはラインヴァルトとは逆に、笑顔をグレースへと向けた。


「グレース、それがいい。

丁度、ライヴァは今、王太子としての責任を改めて実感したところだ。その気持ちでいるうちに書類を片づけてしまったほうがいい」

「まあ、そうなのですか。それは素晴らしいことですわ。では、ほかの政務官にも決裁書類を今日中に出すようせっついて参ります」


グレースは、にこりと笑い立ち上がると、再び執務室の扉へと向かった。


ラインヴァルトが無言でアレクシスを睨むが、アレクシスは素知らぬ顔で自身の机に向かい、早々に書類に既に目を落としている。


その様子に、諦めるしかなさそうだと悟り、ラインヴァルトも書類を一枚、机の上から取り上げる。

と、その時、「あら?」とグレースが声を上げた。その驚きを含んだ声に、ラインヴァルトは書類から視線を上げる。


「リーゼロッテ様。侍女もお連れにならず、どうなさいました?」


グレースの後ろに、オレンジ色のスカートが見えた。ふわりとした丸みを帯びたその形は少女特有のデザインだ。

「リーゼがいるのか?」

「ええ、お兄様」


グレースが体を動かすと、リーゼロッテは小首を傾げ、少し残念そうにラインヴァルトを見ていた。


「お忙しいのね?久しぶりにお茶をご一緒できたらと誘いに来ましたのに」

「すまないな。また今度必ず伺う」

「いいえ、よろしいの。お仕事頑張ってくださいませね」


リーゼロッテは、そう言って漆黒の髪につけた髪飾りをしゃらりと音を立てさせながら回れ右すると、グレースと共に出ていった。

侍女を連れていないところを見ると、侍女の目を盗み、内緒でやってきたのだろう。

その自由奔放さは誰に似たのかと思わず苦笑してから、ラインヴァルトは再度書類に視線を戻した。


エミーリアに会う。

そう思えば、怖いような、楽しみなような、そんな複雑な感情が胸に宿る。


いや、まずはこの山を攻略することに集中しなければ。

ラインヴァルトは頭を振り、書類に集中し始めた。



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