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シルゴート王国城は他国から『蜘蛛の巣城』と評されている。


シルゴート王国城は、北に王殿のほか王家が過ごす館があり、東に王太子殿、西に賓客館が数邸、南に主要な省庁や機関が配されている。

それらは十字になるよう回廊で繋げられ、さらにその十字の回廊はいくつも枝分かれし、騎士団や倉庫、上宮神殿などにも繋がり、慣れぬ者にとっては複雑な構造でしかない。



ギルベルトは機嫌良く、王殿にある執務室の窓から、外を眺めていた。

見えるのは回廊のみなのだが、今はもう闇が世界を支配する時間。回廊を照らすほのかな明かりは、まさしく蜘蛛の巣のようにぼんやりと回廊を浮き立たせていた。



手に酒の入ったグラスを持ち、ゆらりとグラスを揺らせば、豊かな芳香が鼻をくすぐる。



隣国 ティエンサン公国との戦に勝利したという一報が届いたのは、昼を過ぎたばかりのことだ。

それまで、水を打ったように静かだった城内は、途端、喜びの声を上げ、その様子を一変させた。


会う人会う人の表情は明るい。

侍女たちは浮かれて笑い、踊り出しさえしそうだと苦笑しつつ報告した侍従長は、今日だけは咎めないつもりらしい。


ギルベルトもまた、晴れやかな気持ちでラインヴァルトたちの帰還を待ち望んでいた。




「陛下。この度は、お慶び申し上げます」


その言葉に振り向けば、ソファに座っていたはずの宰相 ペラムとフラムスティード公爵領主 レスターが、立ち上がりグラスを掲げている。


ギルベルトは、窓際から二人がいる向かいのソファに向かうと、手に持っていたグラスを同様に掲げた。乾杯をするのも、もう何度目か分からない。


喜びながらも慌ただしく戦後処理にあたったが、ようやく、勝利の美酒に酔いしれてることができたのだった。


ペラムの老眼鏡の奥で、いつもは鋭く光る灰色の目も今日は柔らかだ。

いつもは腹の内を隠して狸親父然としているレスターも今日は朗らかに笑っている。



「ああ。二人にも感謝している。よく耐えてくれた」


宰相であるペラムや法務大臣を任ずるレスターには、他の貴族たち以上に、戦中、様々な問題に対処してもらっていた。


「勿体無いお言葉。ご厚情痛み入ります」

「とんでもございません。これも、陛下の治世が正しいということが証明されただけのこと。我らを労っていただく必要などございません」


レスター、ペラムがそれぞれ、そう言ってくれるのに、心内で改めて感謝する。


『持たざる者』である王に誠心誠意仕えてくれる二人の助けがなければ、恐らく今日という日を、また違った形で迎えていただろう。



ギルベルトが杯を傾けたのを見て、二人もそのグラスの中身を飲み干した。


そこに新たな酒を注ぐ。


王自らのその行動に、二人はグラスを捧げ持ち、恭しくその酒を受け取った。


「それにしても、グレアム将軍は素晴らしいな」

砕けた口調でそう言えば、レスターも笑みを浮かべて頷いた。

「まったくです。流石は三将軍、剣聖と呼ばれるお方。老齢となっても格が違う。ーーですが、早く後継を育てなければなりませんな」

広い額を手で撫で、嘆息したレスターにペラムも同調する。


「確かに、他の二将軍に比べ、グレアム将軍の後継の育成は中々進まない様子。此度の戦で、素質あるものを見出していて欲しいものです」

「高齢のグレアム将軍に頼り切るわけにもいかぬ。今後、ラインヴァルトの治世の時の為にもお早い方がいいだろう」

「そうですとも。ラインヴァルト殿下の治世の為にも。ですから、陛下。そろそろお決めくださいませ」


ギルベルトは嘆息混じりに言った言葉に、ペラムは大きく頷き、持っていたグラスを机に置いた。


話の風向きが変わったぞと内心苦笑すれば、柔らかだったその瞳が鋭く光る。


「ラインヴァルト殿下のご婚約者の選定をと望む貴族を躱すのも、もう限界ですぞ」

「はは。戦後処理が落ち着けば、その声は更に大きくなることでしょうね」

レスターはにやにやとした笑みを浮かべ、ペラムの言葉に頷く。


「他人事だな、フラムスティード公爵」

「いえいえ、そのようなことは」


思わず苦言をこぼしたギルベルトに向けて、レスターはそう言って首を振った。


「ラインヴァルト殿下のご婚約者の選定は、次期王妃の選定。真剣に考えておりますよ」


レスターは真剣な顔でそう言うが、やはりどこか楽しそうだ。

「レスター」と睨めば、レスターは肩をすくめて見せた。それにペラムは大きく頷く。


「ラインヴァルト殿下は、もう二十五。ご結婚されていてもおかしくないお年です。それにも関わらず、のらりくらりとご婚約の話を避けて来られて…」


ラインヴァルトの婚約は、七歳の時から出続ける議題だ。

ラインヴァルトの従兄であり、レスターの息子でもあるアレクシスでさえ、九歳の時に婚約を交わしている。

それでも婚約者を決めぬまま今日まで来たのは、当の本人が了承しないからに他ならない。


ペラムは、大きく息を吐く。


「私に殿下のお子を抱かせて頂きたいのですよ」


その言葉は、切実さを持ってその場に響いた。


場を楽しそうに見守っていたレスターもその表情を改め、ペラムを見つめている。


先王の代から宰相位にいるペラムは、老いてもなお、かくしゃくとしている。だが、その瞬間覗かせた表情は、確実に彼を老いが蝕んでいるのだと知れた。



分かっているのだ。

ラインヴァルトの婚約者が決定しない限り、多くの貴族令嬢たちもまた、婚約、結婚から遠ざかる。


ラインヴァルトが誰を選んでもいいように。

ラインヴァルトに、誰が選ばれてもいいように。


高位の貴族になればなるほど、親たちは子の結婚を躊躇する。

婚約を仮の段階で止めている者たちも多い。

それが問題視され始めて、かなりの年数を経ている。

それでも、一向にラインヴァルトは婚約者の選定に消極的だ。


ラインヴァルトの妻は、次代の王妃。

つまり『赤を持つ者』を産むことを期待される存在だ。


それは、ギルベルトたち『持たざる者』以上に、重い役割と言えよう。


ラインヴァルトは厭うている。

自分の妃がその役目を負わなければいけなことを。




「あいつも、思うところがあるのだ」


その言葉に、ペラムは分かっていると頷く。

「ですが、避けて通れぬ道でございます。どうぞお考え下さいませ」

「…ああ、そうだな。落ち着き次第、考えることとしよう」


ギルベルトが嘆息混じりで頷けば、それまで静観していたレスターが「もしかしたら」とわざとらしい明るい声を発した。


「突然結婚したい女性がいると連れていらっしゃるかもしれませんよ。ラインヴァルト殿下は容姿はともかく性格は陛下に良く似てらっしゃいますから」


はははと大きな腹を揺らして笑うレスターに、今は亡き最初の妻とのことを揶揄されて、思わずくっと笑う。

「確かに、あいつは私に良く似ている」

そう言ってギルベルトがグラスの酒を煽った丁度その時。

「陛下」と呼ぶ声が扉の外から聞こえた。


侍従長の声なのだが、その声は珍しく少し焦りの色が濃い。


何事かあったか。


空気は一瞬で緊張感を孕み、酔いが覚めていく。


レスターが目で許可を求めるので、それに頷くと、彼はすぐに扉の元へ行き扉を開けた。



現れた侍従長は、盆を捧げ持っていた。

レスターはその盆の上から何かを取り、すぐに戻ってくる。


そして、その手にしたものをギルベルトへと差し出した。


「伝達の早馬が今到着し、これを。ラインヴァルト殿下と我が愚息からの手紙のようです」

「手紙だと?」


ギルベルトはレスターから手紙を受け取ると、差し出し人を確認し、アレクシスからのものをレスターへ渡す。

「中身の確認を」

ペラムから読むように促され、ギルベルトは手紙を開封する。


そして、手紙に書かれたその一行目に目が奪われた。


そこには、『赤を持つ者』が見つかったと、そう書かれていた。


何度も何度も、その一文を読む。

間違いでないことをようやく確信してから、続きを読み進めていく。


ラインヴァルトの手紙には、『赤を持つ者』を見つけた喜びが、興奮が溢れんばかりに書き連ねてあった。

そして、『父上。彼女を護ることこそ、私の役割だと感じております』と、手紙は締めくくられていた。



ギルベルトとレスターは、ほぼ同時に手紙を読み終えた。


片眉を上げ、二人の様子を見ていたペラムに、ラインヴァルトからの手紙を渡す。

逆にギルベルトはアレクシスからの手紙を受け取った。



アレクシスの手紙は、ラインヴァルトのものとは違い、冷静だった。


エミーリア クルトと名乗る、赤い髪を持つ娘がどのように見つかったのかの説明に続き、彼女の現在の様子と、一旦、フラムスティード公爵邸に滞在してもらうという報告が書かれていた。

ラインヴァルトが、どれ程興奮しているのかも言及し、そして、彼女の身の上についての問いで終わっていた。



「…これは、夢か?」


戦勝に酒に酔い見る夢だろうか。



ギルベルトから今度はアレクシスの手紙を受け取り、読み進めていたペラムは、その言葉に顔を上げた。

そして、目尻の皺を深くする。


「陛下。現実ですぞ」


レスターを見れば、彼も大きく頷き返す。


それに、ようやく実感が湧いた。



嗚呼!なんということだ!


神は、我が国を見捨ててなんかいなかったのだ!



感動に震える身体を手で押さえ、ギルベルトはペラムを見た。


その実感とともに、思い浮かぶ懐かしい顔がある。


ギルベルトはゴクリと思わず唾を飲み込む。


「ペラム。兄上ーーハルトムート兄上はご存命ということだろうか」


兄弟のうち、唯一、先王 マルクスと同様、鮮やかな赤い髪を持っていたハルトムートが、王位継承権を捨て姿を眩ませてから、もう二十年は過ぎていた。


ペラムは顎を撫でながら、「はて、どうでしょうな」と口を開いた。


「ですが、エミーリア嬢が本物の『赤を持つ者』であれば、それは、おそらくハルトムート様のご息女の可能性は高いでしょう」


そこまで言って、ペラムは晴れやかに笑う。


「陛下。婚約者候補の選定は今しばらく待ちましょう。もしエミーリア嬢が本物ならば、彼女以上にラインヴァルト殿下のお妃として相応しい者はおりません。

勝ったとはいえ、戦後処理は気の重いことと思っておりましたが、さて、とても興味深いことになって参りました」


それに、レスターも同調する。


「本当ですな。シルゴート王国中、騒がしくなりそうです。と言うわけで…」


レスターが椅子から立ち上がると、ギルベルトに向けて礼を取った。


「陛下。十日程、暇を頂きたく思います」


騒がしくなるだろうと言ったその口で、そんな言葉を述べるレスターに、ギルベルトは思わず眉を寄せた。


「レスター、これから、話し合わねばならないことが山ほどあるぞ?」

「存じています」

「ならば、何故」

「我が屋敷にエミーリア様が滞在されるのなら、私は戻らなければ」

「それが良いでしょうな」

肯定するペラムの言葉を満足気に聞き、レスターはふくよかな腹を揺すって笑った。


「全く、我が愚息は、珍しく良い判断をしてくれました。『赤を持つ者』を、陛下より先に目にする僥倖を与えてくれたのですから」

「羨ましいことですな」


絶句するギルベルトをよそに、ペラムとレスターは二人で話を進めていく。

そして、話がまとまったとレスターはギルベルトへ向けて再度礼を取り、扉へと向かう。



「レスター!七日だ!七日で戻れ!」


我に返りレスターの背に言葉を投げかけると、彼は返事の代わりに笑声を上げた。


「あれは、そのお言葉を守るつもりはないでしょうな」

ペラムのその呟きに、ギルベルトは思わずうな垂れた。

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