12
アレクシスの真剣な声音に、恵美は表情を改めた。
拒否したい。
だが、それが出来ないことも分かっていた。
静かに一歩下がり、恵美はアレクシスを自室へと招き入れた。
アレクシスは扉を少しだけ開いた状態にして、中に入った。
密室に二人きりになるということを避けてくれたようだ。
それが、恵美への配慮なのか、それとも恵美を危険視してなのかは、うかがい知れないが、それでもありがたかった。
「私は、君をこの場に連れてくるつもりはなかった」
アレクシスは、呟くように、そう言った。
ラインヴァルトとは違い、アレクシスはずっと恵美に敵意を示している。
先程まで、その敵意は鋭さを持って恵美に降り注いでいた。今は少しばかりそれは和らいでいるが、恵美は彼らにとって正体不明な女だ。
ラインヴァルトはじめとした王太子軍が捨て置いても、誰も文句は言わない。
むしろ、あの場に残して去っても、恵美は助けてくれたのことに感謝こそすれ、恨んだりしない。
アレクシスの言葉に恵美は頷き微笑んだ。
アレクシスが正しいのだという思いを込めたつもりだ。
「はい。感じております」
アレクシスは、それに一度ぐっと言葉を飲み込んだ。そして、腰に手を当て、ふうっと長い息を吐いた。
「君は、赤い髪を持つ者がシルゴート王国の王族にしか、生まれないということを知っているか?」
「え?」
思わず聞き返すと、アレクシスは苦笑して言葉を続けた。
「赤い髪を持つということは王族に神 ボーデン様が厚い加護を与えている証だ。『赤を持つ者』と呼ばれるその存在は、つまり、王家の血筋だということだ」
「どういうこと、でしょうか」
恵美は、異世界の人間だし、この赤い髪なんて、祖母からの遺伝だ。
王族であるはずもないし、リディアたちから、そのことを教えられてもいない。
唖然とする恵美に、アレクシスは自嘲するように笑った。
「『赤を持つ者』は、現王家には存在しない。そのため、ボーデン様の加護が薄れている証だと、そう騒ぎ立てるものもいる。
君が本物なら、それはとても喜ばしいことだとは、思っている」
それで、納得した。
ラインヴァルトや多くの兵が、恵美を見て、何故驚いたのか。
あんなにも丁寧に恵美を扱ってくれたのか。
「君は、何者だ?」
アレクシスの表情は、疑惑と不審の感情が現れていた。
だが、少しだけ期待の光を宿した瞳で、恵美を見つめていた。
「私は…」口が渇いて、うまく話せない。
「…私は、そんな大層な人間でありません」
困惑に思考が停止してしまうが、なんとかそれだけをアレクシスに伝えた。
伝えた声は、とても弱々しくなってしまう。アレクシスは、恵美の言葉に、片眉を上げただけで何も言わなかった。
しばらく静寂が場を支配する。だが、それを断ち切ったのも、やはりアレクシスだった。
「最後に一つだけ」彼は、静かに言葉を続ける。
「その分じゃ、君はクルトの姓を持つということが、どういうことかも知らないのだろうな」
その言葉に、恵美は、ハッとアレクシスを見る。
「やはり、クルトという姓は何か問題でもあるのですか?
養い親からは、エミーリアという名の由来は聞いています。昔、ボーデンから厚い加護を与えられた者の名前だと。ですが、クルトという姓については何も聞いていないのです」
恵美の言葉に、アレクシスはくしゃりと顔を歪めた。苦笑しようとして、失敗したかのようの顔だった。
「『クルト』の姓は、初代国王にまで遡る、由緒あるもの。
現在、『クルト』の姓を名乗れるのは、三人だけだ。公爵位を賜るフラムスティード領主、そして現王の妹でもある、その妻。そして」
アレクシスは、一度そこで口を閉じ、そして、胸に手を当てた。
「アレクシス フリードリヒ クルト。俺だけだ」
自分が、とてつもない何かの渦中にいる。
ざあっと、血の気が引いていく。
何か言わなくちゃと、口を開いたが言葉が出ない。
余程、酷い顔をしたのだろうか。
アレクシスが憐れむような表情を浮かべた。
「…これから、しばらく髪を隠して行動して欲しい。恐らく、君のその髪は騒動しか起こさない」
恵美がカクカクと小刻みに頷き了承すると、アレクシスは、一瞬恵美へと手を伸ばしかけた。
だが、それは伸ばされることなく降ろされる。
「ーーまた食事を持って来る。申し訳ないが、部屋からは出ることは許可できない。大人しくしておいてくれ」
アレクシスは体を反転させて部屋を出て行った。
アレクシスが去っても、恵美は扉から目を離せなかった。
アレクシスの言葉が、恵美の頭の中で何度も何度も繰り返される。
この世界で、赤い髪を持つ意味。この国でクルトという姓であること。
恵美は震える体を両腕で抱きしめる。
クルトと同じ音の久留戸という姓で、赤い髪を持っていたから、この世界の神は恵美を連れてきたのだろうか。
幼いころ、赤い髪のせいで、よくいじめられた。自分は異質な存在なのだと、そう言われている気がして、ずっとこの髪色が大嫌いだった。家族や親しい友人が褒めてくれていなければ、とっくに黒に染めている。
この世界に来てから、リディアたちが何も言わなかったので、ずっと恵美は自分の髪色について意識したことがなかった。
だが、実際は、自分の赤い髪はこの世界でも異質なのだ。
恵美は、ラインヴァルトの瞳を思い出す。
恵美に憧憬のまなざしを向けていたあの碧眼。
恵美自身ではなく、『赤を持つ者』に向けたあの視線は、恵美にとって恐怖でしかなかった。




