20 誕生日プレゼント2
「……どういう事でしょうか。
つまりセルティ様は、わたしがコーヒーなる言葉を聞き流したというだけで、わたしが異世界転生者だとおっしゃるの?」
シェリュア様が無表情に聞き返してきた。
ご立腹か? いや警戒だ。
あたしは余裕綽々な表情を作って返す。
「いえ、他にも根拠っぽいものはありますよ?
あたしの義父の髪がピンクだと申し上げた時、笑いをこらえながら『男性でもピンクの髪はあり得る』とおっしゃいました。
こっちの世界には、『ピンクは女の子の色』という発想はありません。それは日本の話です。あり得るも何も、違和感なんかないんです。確かにピンクは珍しい髪色ですけどね。
ラヴィル様も、異世界知識持ちとしては迂闊でした。
青酸カリは酸に反応するとご存じなら、炭酸水に入れちゃまずいでしょう。日本語だと炭『酸』水なんですよ? 口に含んだ毒を投入した途端に、青酸ガスが発生しそうじゃないですか?
あたしならすり替えを諦めて、自分の飲み物を炭酸なしの水にして毒を入れますね。中性だから多少は安全ですし、会場にもあったはずです。
それに、ハーバルク夫妻は毒入り気付け薬瓶の指紋を拭かなかったんです。だからそれは、瓶を交換した動かぬ証拠になりました。
でもラヴィル様は、何で両親に指紋の知識を教えなかったんでしょう? 青酸カリの知識を持っていて、指紋を知らないってあり得ます?
まあ反論は多々あるでしょうね。どれも証拠としては弱いですもの。
でも、細かいことがちょこちょこ積み重なると、あれ? ってなるんですよ」
「…………もし、もしも。
もしわたしの方が異世界転生者だとしたら、それが一体何だと言うのでしょう」
「そりゃあもちろん、事件の様相が一変しますよ。
ラヴィル様に異世界知識がないなら、どこからあのトリックが湧いて出たんですか?
確かに彼らは犯行を計画して実行しました。自爆しましたけど。
でも、あのトリックを吹き込んだ人間が別にいることになります。
その人は、青酸カリのマニアックな知識がありました。
そしてメッキ工場に、青酸カリに相当する毒が存在すると知っていました。
その人は発売前の、魔道具の扇の存在を知っていました。
それをメッキ毒と組み合わせる発想がありました。
その人は、シェリュア様が毒の指輪をお持ちだったけど取り上げられて、取り戻せたならずっと嵌めるだろうと分かっていました。
シェリュア様。貴女以外に誰がいるんですか?」
シェリュア様は無言で、あたしを見ていた。
あたしはオルゴールの人形に視線を移した。
「異世界知識と言っても、持っている知識には個人差があるみたいですね。シェリュア様は『犯人の操り』をご存じない。
これは推理小説の言葉です。
犯人が偽の手がかりをばら撒いて、探偵を間違った結論に誤誘導する。
あるいは──真犯人が、実行犯となる人間にトリックや手段をチラつかせる。人を殺せなんて一言も言わない。でも犯人は誘導されて、でも自分の意志で殺人を実行してしまう。
それが『操り』です」
オルゴールに注いだ魔力が残り少なくなって、人形の踊りがゆっくりしてきた。
「ハーバルク夫妻は、貴女が成人する残り数ヶ月のうちに、貴女を亡き者にしなければならない。
ところがシェリュア様の周囲は、領地の信用できる召使いと傭兵で固められている。タウンハウスでは離れにこもって母屋に行かない。婚約者とのお茶会も、全部味方の召使いが采配する。もうガッチガチにガードを固めているから、暗殺できない。
そんな彼らに、メッキ毒の情報が流れて来る。ラヴィル様経由で、魔道具の扇の情報も。そしてシェリュア様が春の社交パーティーに出席するとも。
こうなると彼らには、パーティー会場で毒を使うという選択肢しかありません。まあ殺すなよって話なんですけど。
上手い誘導ですね。たった一ヶ所にわざと隙を作って、そこで特定のトリックを使わせる。でも失敗してラヴィル様が死亡。
その後は警察にヒントを出して、ハーバルク夫妻の計画に気づかせて逮捕させる。
シェリュア様、お茶会の時、ものすごく効率的にヒントをくださいましたよね。
魔道具の扇、毒の指輪、青酸カリは飲み込まなければ大丈夫という異世界知識。おかげさまですぐにトリックに気づきましたよ。
ラヴィル様たちは自分が犯行計画を考えたと思っています。彼らは仕掛け人の予定通りに踊りました。
でも、操られてからのその先は。ほら、こんな風に」
魔力が切れて、人形と小鳥は止まってしまった。もう踊れない。
「わたしが、彼らにわたしを殺すように唆したとおっしゃるの? いくら何でも危険ではなくて?」
「危険です。でもラヴィル様たちも危険でしたね。
青酸カリは口に含んでも大丈夫って、本当なんでしょうか? 人間は真空中でも数秒は生きられるとか、そういう確認しようもない謎知識ですよね。
まして、こっちの世界のメッキ毒が大丈夫かなんて分かりっこない。どのみち扱いに失敗して、誰かが倒れたりしたんじゃないかなあ。青酸カリとメッキ毒は似てても別物ですから。コーヒーとピピンキシみたいに。
メッキ毒を口に含んで倒れてくれれば良し、そうでなくともシェリュア様に毒を盛ったところを指摘して、殺人未遂で逆ざまぁ、そんなシナリオだったのかな〜と思ってます」
あたしたちは座ったまま、しばらく睨みあった。内心ドキドキしてるけど、気圧されたら負けだ。
……ややあってシェリュア様は視線をそらし、ため息をついた。
「……名探偵って実在するのね。
わたしは殺人教唆か何かで裁かれるのかしら? 弁護士を呼んだ方がいい?」
認めた。
「その必要はありません。証拠がありません。
操りの真犯人って普通、逮捕なんかできないんですよね、教唆の実証ができませんから。こんなの罪に問えないでしょう」
「では何故この話を? わたしを脅迫でもするの? お金?」
「はあ?」
シェリュア様の発言にカチンと来た。内心のドキドキも吹っ飛ぶ。
「あたしを平民上がりだと蔑むのはいい。事実です。
頭悪そうと侮るのもいい。わざとやってるし、それであたしが得することもある。
でも卑劣な人間だと思われるのは心外です。それは違う。撤回して下さい」
あたしの本気が伝わったのだろう、シェリュア様は羞恥に顔を赤らめた。
「ごめんなさい、貴女を不当に貶めたことをお詫びいたします。
わたしの怯懦と疑心が、貴女の心を見誤らせました。貴女の許しを乞いますわ」
「謝罪を受け取ります」
「ありがとう。……では何故?」
「恩返しです。いや恩送りって言うのかな?」
「え? 恩?」
斜め上の答えだったからか、シェリュア様が目を丸くした。
「あたしも、似たようなことをしたことがあります。嘘をついて、人を騙して誘導して、自分の望む結果を出したことが。
後悔なんかしてませんし、なんなら何度でも同じことをするでしょう。
でもね、ある人に即バレしたんですよ、あたしの企み。
その人は見逃してくれたけど、まぁ釘は刺されましたね。あんまり調子乗るなよって。
なんか人を操って自分は頭がいいってイキって。でも世の中には、そんな奴を速攻で見破る化け物がいるんです。そうしたら、今度は自分が破滅させられますよ。
操りって罪にはならないけど、バレればヘイトを集めますから」
「だからわたしにも、あんまり調子に乗るなと?」
「そういうことです。まあね、そんなに褒められる行動じゃないですからね。それはその人に気づかせてもらいました。
それよりも、シェリュア様、あたしはあなたにそんな人間になって欲しくない。
何か都合の悪いことが起こったら、間接的に毒か何かで殺しちゃえば問題解決、そんな考え方を持って欲しくないんです」
シェリュア様は視線を落として、お茶を飲んだ。あたしも自分のカップにお茶を注ぐ。
「そう、忠告のためにわざわざ……。これが、加護を持つに至る人間なのね。
ええ、よく分かりました。もとより、こんなことを繰り返すつもりはなかったから」
あたしの話を受け入れてくれた。ちょっとホッとする。
「それにしても、貴女も異世界転生者なのね。
初めて会ったわ……わたしと同じ知識を持つ者に会えるなんて……」
「あたしもです。一定数いるとは聞きましたけど、生きている間に出会えると思ってませんでした」
「ええ本当に。……王様の耳はロバの耳。おぼしきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける。バレてしまったならいっそ、今まで自分だけの秘密にしていたこと、言いたくて仕方ないわ。
何か訊きたいことはあって? ここだけの話にしていただけるなら、何でも答えるわよ」
異世界知識を持つという仲間意識だろうか、口調が砕けてきた。
「お言葉に甘えて。細部では分からないことは色々あります。
何であんなトリックを考えたんです? 別に毒を持ち出さなくても、仮病でも使ってずっと領地にいれば成人までガードを固められるし、成人すれば合法的に彼らをざまぁ出来たでしょう? 当主なんだから」
シェリュア様はかぶりを振った。
「わたしが当主なんだと今更ながらに気づいた直後に、毒の指輪を返してきたの。
しかも毒を入れる空洞部分には、わずかな粉──毒らしきものを付着させてあった。もちろん水で洗い流してから、職人に念入りに磨かせたけれど。
ああこの人たち、わたしのことを毒殺する気だって分かった。指輪の中の毒で死んだ風に見せかけたいんだって。だからそれを逆手に取って操ってやったの。
それよりも許せないのは、指輪の中の母の遺髪を捨てていたこと。
あれはわたしのものよ。
あれはわたしのものなのよ!
それが永遠に失われた……!
僻地に押し込めるくらいじゃ許さない。出来れば毒で死ぬなり処刑されるなりしてくれないと気が済まない。
それどころか、母は彼らに殺されていたのね。本当に死刑じゃ生ぬるいわ。出来るだけ苦しんで死んで欲しい」
冷静な口調だったけど、その表情は憤怒に歪んでいた。
あたしは何も言わなかった。かけるべきどんな言葉も持ってはいなかったから。
「ガーディス卿やベッキラさんは、このことは?」
「教えていません。彼らにとって、わたしは家族の仕打ちに耐える完璧な女伯爵。
父と義母、義妹を破滅させるなんて計画を打ち明けたら……失望されるわ。それだけは嫌」
シェリュア様の瞳が不安に揺れた。心細そうな顔。
「そうですか……。
あたしの推理が正しいなら、事件の前からラヴィル様は異世界転生者のフリをしていたことになります。
どういう経緯でそんなことを?」
シェリュア様はため息をつく。
「そうね、ラヴィルはこの家に来てから、わたしの物を欲しがるようになった。それは話したわね。
あの子は、わたしの『異世界転生者であること』まで欲しがったのよ。
父はわたしに命じた。他の人に異世界知識をひけらかさないこと。わたしの知る限りの異世界知識をラヴィルに教えること。
……そうして彼女は『異世界転生者』になりきった。自分は特別な人間だという設定に酔った。
ああいうのも中二病というのかしら」
「ええ……そんなことまで欲しがる奴がいるんだ……まあ、夢見る少女だったんですかねぇ。
じゃあ、青酸カリの知識は」
「あれは、ラヴィルがこの前ウザ絡みしてきた時に教えてあげたわ。まあ必要ない知識だろうけど、一応思い出したからと言って。メッキ毒の存在と一緒にね。
その前に、魔道具の扇の使い方も懇切丁寧に教えてあげた。どんな馬鹿でもあのトリックを思いつくように」
「それをラヴィル様は夫妻に話したと。ベッキラさんが盗み聞きしたのもその時だったんでしょう。
でも夫妻は、シェリュア様に誘導されたって主張しませんかね」
「あの人たち、本当に馬鹿なのよ」
シェリュア様はしみじみとおっしゃった。
「警察で『自分たちはシェリュアに騙された、シェリュアが悪い』とか言っているらしいけれど、誰も信じていない。
わたしも警察に聞かれた時、悲しそうな顔で『父と義母は、都合の悪いことは全てわたしのせいにするんです』って言ったら、それで終了。事実だし。
そのくせ真相に気づいたわけじゃない。賭けてもいいけど、彼らは未だにわたしに操られたと気づいていないわよ」
「でも、リスキーでしたよね。相手の仕込みに気づかず、本当に毒殺される恐れはありました」
「正直怖かった。わたしの想定外の方法で毒を盛られるかもと不安で、食事なんかほとんど食べられずに痩せてしまったし。
逆にラヴィルが死んだのには驚いたわ。メッキ毒を口に含んで倒れても、屋敷には治療師がいるんだから助かる可能性は高い、でも騒ぎにはなるからそこで告発すればいい。そう思っていたのに。
別に助かってくれても良かったんだけれど、死んでも構わなかった。その程度。こういうの、未必の故意というのかしら。
それにしても、少しガスを吸っただけだったのにねえ」
アンニュイな、気だるげな風情で義妹の死を語る。
「いわゆる致死量は、その人の体重や体質によって違います。一般的な致死量以下でも死ぬ人は死にます」
「えっ、そうだったの? 致死量って誰にとっても同じ量で、例えば致死量の8割の毒を飲んだら、みんなヒットポイントの8割のダメージを受けると思っていたけれど」
「そうじゃないんですよね。その場合、亡くなる人もいれば助かる人もいるということです」
「知らなかったわ。
そう言えばドラマで、クロロホルムを染み込ませた布を鼻に押し当てて気絶させるシーンがよくあったじゃない。でも実際は、何回も呼吸してやっと意識を失うらしいわよ。そのかわり、その時には命の危険があるんですって」
「え、そうだったんですか? 知りませんでした」
「メッキ毒の正確な致死量なんか知らないけれど、ラヴィルも毒に耐性がなかったのね、きっと。
だから少量のガスで死んでしまった。運がなかったわね」
凄まじい無関心だった。死というざまぁが済んだから、もうラヴィルに思うことはないんだろう。本当に何も感じていない。
「すごい。異世界の話が完全に通じるわ」
「あたしも感動してます」
いやマジで。ドラマや小説の話が説明なしに通じるとは。
今までは説明が面倒だったから異世界知識は出さなかったけど、その話ができることに(殺人の話だから不謹慎だけど)興奮した。
主人公の「自分も同じことをしたことが……」というのは、拙作「断罪探偵ヒロインちゃん」での出来事ですが、別に読まなくても大丈夫です。フレーバーです。
クロロホルムの説でもう一つ聞くのが、「クロロホルムを染み込ませた布を出した途端に犯人が意識を失う。なんならそのまま永眠する」というものです。
なんだか諸説ありますね。




