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初めてのチート能力

 ひゅぅひゅぅ、ゴーゴー、ドクンドクン。


 四方八方から響いてくる音と浮遊感、体全体を包み込む懐かしい温もり、そして時折聞こえてくるくぐもったエリウの声。忘れもしない、これは十五年前と全く同じエリウの胎内の感覚だ。

 今まで起こったことすべてがただの悪い夢だったと思ってしまいそうなほどの心地よさ。ずっとこうしてエリウの中にぷかぷかと浮いていられたらどんなに幸せだろう。


 しかし、そんな都合のいい願いはやはり叶わず、暗闇の中、未だ開かない瞼の向こうから淡い光を知覚する。体が頭から引き上げられ、エリウの体温の代わりに外気の冷たさが肌に触れた。

 俺はほぼ反射的に産声を上げる。


「おぎゃあ、おぎゃあ」

「エリウ様、産まれました! 元気な男の子ですよ! サンガリアの救世主の血を受け継いだ、立派な男子です!」


 カボタの声だ。それからすぐに、エリウの柔らかい肌の感触が体を包み込んだ。


「ああ……私の子供……私と、ケンタの……」

「お名前は、もうお決まりですか?」

「ええ……男の子が産まれたら、『タケル』という名をつけようと決めていたの」

「タケル……でございますか」

「そう。ケンタの生まれた国の神話に伝わる、勇ましい軍神の名前なのだそうよ」


 十五年前と一字一句変わらない会話。またしても俺は、俺の子供『タケル』として異世界に生を受けたのだ。

 マジか……また赤ん坊からやり直しかよ……。



!i!i!i!i!i!i!i!i



 二度目の異世界転生を果たして約一年経ったが、俺の心身にこれといって大きな変化はない。いや前世の記憶がそのまま残っているのに変化がないっつーのもおかしいか。だが今のところ、前回の転生と異なる部分は一つもない。姉妹たちの人数も名前も全く同じだし、住んでる場所も館の内装も同じ。エリウやカルラ、イリーナたちの様子も何も変わっていない。

 そして残念ながら、俺にチート能力が芽生えたわけでもないようだった。引き継いだのは記憶だけ。満足に喋ることも、自力で立ち上がることもできない、ただの無力な赤子である。エリウの乳を堂々と吸える点だけが唯一の特権と言えるが、それ以外は不便なことこの上ない。おっぱい飲んだらすぐ眠くなってくるし。普通の異世界転生チーレムものの主人公ってさ、いったいどうやって成長するまでの退屈な時間を過ごしてんだ?


 エリウの腕の中で、俺はタクシーが最後に残した一言、その言葉の意味を考えていた。

 視界が光に包まれる寸前、タクシーはたしかにこう言った。


『それは夢ではないぞ、主どの』


 夢ではない。つまり、あのロンディムの一室で眠り、エリウに起こされるまでの間に体験した、自分の子供としての十五年の人生。俺は夢の話としてヒトミに語って聞かせたが、タクシーの言葉はそれを指したものだったのだろう。今なら俺にもその意味がわかる。再び俺とエリウの間にできた子供、タケルとして転生した今ならば。


 だとすれば、俺が巻き込まれているこの現象は一体何なのだろう?

 エリウやカルラ、イリーナたちは何も知らないらしい。おそらく事情を知っているのはタクシーだけだ。この前タケルとして転生したとき、あいつは黒猫に化けて来やがったっけな。ひとまずはタクシーが接触してくるのを待つしかなさそうだ。


 俺はおっぱい飲んでねんねしながらひたすら待った。

 そして俺が一歳半になった頃、あいつはやってきた。



!i!i!i!i!i!i!i!i



「主どの、主どの」


 ある晴れた昼下がり、俺様専用のベッドでひとり微睡んでいると、転生してからの一年半待ちわびていたイケボが聞こえ、俺は目を覚ました。エリウは今狩りに出ている最中で、部屋にいるのは俺一人。重い頭を回して声のした方を見ると、開けっ放しの窓辺に一匹の黒猫が座っている。


「起こしてしまってすまない。しかし、主どのも早く事情を知りたいのではないかと思ってな」


 人語を喋る黒猫。それは紛れもなくタクシーだった。黒猫といえばタクシーじゃなくて宅配便なんじゃねえかとふと思ったが、それはさておき。俺は喃語で答えた。


「あーうー」


 何と言ってるのかは自分でもよくわからねーが、とりあえずなんか声を出しとけば周りはだいたい喜ぶという赤ん坊なりの知恵が習慣となったものである。別にタクシーを喜ばせようと思ったわけではない。強いて意味を付加するとすれば、『早く~』だろうか。

 すると、黒猫のタクシーは窓辺からひょいと飛び降り、すたすたとこちらへ歩いてきて、俺のベッドに飛び乗った。


「喜びたまえ、主どの。どうやら今回の転生で、主どのは特殊な能力を身につけたようだぞ」

「ぶぁ!?」


 特殊能力!?

 俺はわが耳を疑った。それってつまり、異世界転生モノの主人公だったら本来誰でも持ってるはずの、あのチート能力のことか!?


 ついにおれもねんがんのチートのうりょくをてにいれたぞ!!

 体がもっと自由に動かせたなら俺は間違いなく飛び上がって喜んだことだろうが、つい最近よちよちと歩けるようになった程度の今の体ではそれもできない。にしても、俺のチート能力ってなんだろ。全然心当たりねえけど。赤ん坊だからまだ何も発現してないのか。成長すれば自然とわかるのか?

 まあそこらへんのところはタクシーから説明があるだろう。そう思って待っていると、黒猫タクシーは寝転がった俺の顔の上にさっとやってきて、不意に腰を屈め始めた。

 え、なに?


「説明するよりこちらのほうが早かろう。主どの、少々の我慢だ」

「ぶぇぇ?」


 タクシーはそう言うと、俺の目の前に尻を突き出す。猫を飼った経験はないが、野良猫の尻ぐらいなら何度か見た。しかしこれほどの至近距離でまじまじと眺めたことはない。正直あまり気分のいいものではない。だって尻だもん。

 困惑していると、目の前の猫の肛門から、黒っぽい物体が顔を出し始める。

 っつーか、おい、あえて表現を濁したけど、これって……?

 そしてその直後、だらしなく開けたままだった口に、ぼとりと何かが落ちてきた。



!i!i!i!i!i!i!i



「ゲェエェェッ!!! オゲェェエェ!!! ぎもぢわりぃぃ!! 何しやがんだテメエ!!」


 俺はベッドから飛び起きて、ついさっき嚥下してしまったものを吐き出そうと喉に指を突っ込んだりしてみたが、出てくるのは自分の唾液ばかりで肝心のブツは全く吐けない。黒猫タクシーはそんな俺をすまし顔で見下ろしながら言った。


「さて、もうわかったのではないかな? 今回の転生で主どのが得たチート能力は、生物の排泄物を食べることで、相手の能力を手に入れられる、というものだ。その証拠に、主どのはまだ乳児であるにもかかわらず突然不自由なく言葉を話せるようになったし、猫の身軽さと敏捷性を獲得しただろう」

「……え?」


 タクシーの言葉に、俺は自分の体を確認し、またついさっきまで自分が寝ていたベッドを振り返って見た。ベッドまでの距離は1メートル以上。ここまで這ってきたわけではない。最近ようやく立てるようになったばかりの平均的な一歳児の俺が、自力でベッドから飛び出したのである。そして、確かに俺はさっき喋った。気持ち悪ぃ、何しやがんだテメエと。吐き気を催していたからあまり明瞭な発音ではなかったが、それでも喃語ではなくれっきとした言葉を喋ったのだ。


「……たしかに。俺、言葉を話せるようになってる……」

「うむ。それこそ、主どのが手に入れたチート能力だ。何かと不満はあるかもしれないが、使いようによっては役に立つ能力なのではないか?」


 排泄物。つまりう〇こを食うことで相手の能力を手に入れることができる。

 ――たしかに強いかもしんねーが、やだ。チート能力ってもっとこう、労せず強くなれるもんなんじゃねえのかよ! だからこそ俺みてーな負け組のクズがデュフフってキモい薄笑いを浮かべて自分を主人公に重ねながら読むんだろうが!

 俺は即座にタクシーの言葉を否定した。


「ふざけんなオイ! なんだよう〇こを食って強くなるとかいうクソみてーな設定はよ! いったいぜんたいどこの世界に糞食ってまで強くなりたい主人公がいるかよ!」

「……まあ、そうかもしれないが、それを私に怒鳴られてもな……」


 タクシーは軽く首を傾げる。自分が黒猫の姿であることを明らかに意識し、またそれを利用したいかにもあざとい動作である。だがたしかにタクシーの言う通りだ。おかしいのは作者の脳みそであってタクシーではない。なんかちょっと怒る気が削がれた。

 それはそれとして、タクシーに対しては色々と新たな疑問が湧いてくる。まあもともとデタラメなやつだから突っ込み始めたらキリがねえのかもしれないが、俺の身に起こっているこのループみたいな現象を知る手掛かりは、やはりこいつしかいないのだ。俺はタクシーに尋ねた。


「つーかタクシー、なんでお前は俺がそんな能力を持ってるって知ってんだ?」

「うむ、良い質問だ……が、実は私にもよくわからないのだ」

「自分が知ってることについてわからねえってのはどういうこった? お前、何か隠してんじゃねえだろうな?」

「私が主どのに隠し事……? そうすることで私に何のメリットがあるというのだ。不審に思う気持ちはわからぬでもないが」

「そもそもだ。ツッコミだしたらキリがねーが、俺は死んでから転生するまでの間、たしかにお前の声を聞いたぞ。俺の魂をサルベージする、とかなんとか言ってただろうが。なんでお前にはそんなことができるんだ?」


 前から薄々疑問に思っていたことを読者の代わりにぶつけてみると、黒猫はまた愛らしいしぐさで首を傾げた。


「何故……という問いには、私は基本的に答えられない。私は元々機械だ。機械には意思はない。唯一近いものがあるとすれば、それは主どのの願いを叶えたいという思いのみ。そして私には何故かそれを叶える力が与えられた。私は予め定められた機能――役割と言い換えてもいいが――それを全うしているだけだ」

「機能……だと?」

「そうだ。主どのが佐藤健太として生きていた世界には、主どののように異世界に転移や転生をする物語が数多存在しただろう。しかし、何故異世界に行かなければならないのか、そして何故死ななければならないのか、といった根源的な問いが作品中で投げかけられることは極めて少なかったはずだ」


 黒猫はそこで一度言葉を切り、後ろ足で耳の後ろを掻いてから続けた。


「商業的に分析すれば、それらのライトノベルがターゲットとしている読者が感情移入しやすい平凡なキャラクターが超能力を得て活躍したり女の子にモテるストーリーを展開するには、現実世界よりファンタジー世界のほうが都合が良いから、と説明できる。さらに、そういったプロットを持つ作品が流行ジャンルとなってからは、もはや異世界転移や転生はミステリー小説における殺人と同様にプロットを構築する上で必要不可欠な装置となった。ミステリー小説で殺人事件が描かれる理由を問う者は多くはあるまい……少々話が飛躍してしまったが、私のことも、主どのをサポートする機能を備えた装置だと思ってもらって構わない。だから、何故こんなことができるのか、と問われても、私にはわからないとしか答えようがないのだ。この回答で納得してもらえるとは思わないが……」


 やべえ。納得とか以前に理解が追い付かねえ。だってほら俺一歳児だし。


「あ~……と、とにかく、何故って聞かれても答えらんねえ、ってことだな?」

「うむ。その解釈で齟齬はない。私はこの世界に猫として生まれた時点で、何故か主どのが持っている能力を知っていた。そしてそれを伝える機会をずっと窺っていたのだ。何故こんな能力を持って生まれて来たのかは、もしかすると主どのの方が心当たりがあるのではないかな」

「心当たり……?」


 心当たりっつーか、前のときとの違いはエリウとアレしたことぐらいしか思いつかねえが……って、そういうことか?

 なんとなく合点がいってしまったが、俺はすっとぼけて見せた。


「いんや、心当たりなんて全くねえな」

「そうか。前世でのタケルとしての最期も、私は猫の姿でずっと見ていたが、主どのを助けることはできなかった。体が動かなかったのだ。あのヒトミ嬢に似た娘を恐れたわけではない。どうやらそれも私の機能、というか制約らしい」

「……そういやタクシー、お前、俺だけじゃなくてヒトミも転生させるって言ってたよな? あれはヒトミなのか?」

「それはわからない。ヒトミ嬢の転生の措置もたしかに行われたはずだが、私と転生したヒトミ嬢は紐づけられていないのだ。しかし客観的に見て、あの娘がヒトミ嬢である可能性は高いように思われる」

「やっぱ、そうだよな……」


 もしエリウとアレしたことが今の俺の能力に関係しているなら、転生前の振る舞いが転生後に何らかの影響を及ぼしている可能性がある。仮にあの女がヒトミの転生した姿だとすると、転生前のヒトミに対する言動が関わってきたりするのだろうか。まあ今更考えてもしょうがねーけど。

 と、その時、誰かが部屋に近づいてくる足音がして、黒猫のタクシーは慌てて立ち上がった。


「では主どの、私はこの世界では人語を話せること以外何の能力も持たないただの一匹の黒猫。私にできるのはここまでだ。生まれ持ったその能力をどう使うかは貴方次第。私は陰からひっそりと見守っているぞ。健闘を祈る」


 タクシーはそう言い残し、入ってきた窓から外へ颯爽と飛び降りて去っていった。

 健闘を祈る、とか言われても、こんなクソみてーな能力でどうしろっつーんだよ!


「あら! まあ、なんてこと! お坊ちゃまがベッドから落ちてるわ!」


 部屋に入ってきたのはカボタだった。落ちたんじゃなくて自分で飛び降りたんだが、それを説明すると面倒なことになりそうだ。つーかそもそも言葉を喋る時点でややこしいだろう。俺は赤ん坊の持つ最強のチート能力を使ってこの場を誤魔化すことにした。


「ぅ……ぅ……ぅわぁぁぁぁぁん」

「はいはいタケルお坊ちゃま、泣かないで、今すぐベッドに戻してあげますからね」

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