ローリアン皇子
「おい! 逃げるな! ゴーマの戦士の誇りを忘れたか!」
逃げ惑う兵たちの流れに飲まれながら、ローリアン皇子は必死で檄を飛ばしたが、足を止める者はおろか耳を貸す者すら一人もいなかった。
兵達の士気がもともと決して高くはなかったことぐらい、まだ若いローリアン皇子にもわかっている。しかし奇襲を受けたとはいえ尻尾を巻いて一目散に逃げだすとは、ゴーマの誇りはそこまで堕ちたか、とローリアンは臍を噛んだ。これでは国内の反乱すらろくに鎮められないのも当然である。だが引き下がるわけにはいかない。彼は武勲を立てるためにやってきたのだ。ここで兵達と共に退却したら、敵の都市一つ落とせずおめおめと逃げ帰ってきた臆病者との誹りを免れないだろう。それだけはどうしても避けたかった。首都ロンディムまでは落とせずとも何らかの戦果を挙げて武勲を立てねば、玉座はあの悪童オセローとその背後に控える憎き悪女ミースに奪われてしまう。
亡き母エマの不審死にはミースが何らかの形で関与していたとローリアンは確信を持っている。父である皇帝オスロエスはミースに誑かされて目が曇っており、ミースの専横を咎めようともしない。このままではいずれゴーマは滅びるだろう。
かといって、ローリアンは自身が皇帝になろうと目論んでいるわけではない。比肩する者もなき剣の達人ではあるが、ローリアンは政治がわからぬ。学問は苦手だし気が利かない。無鉄砲で向こう見ず。だから無謀としか思えぬサンガリア侵攻を具申したのだ。ローリアンには自らが皇帝の器にないという自覚がある。皇帝となるべきは、弟・ロズリックである。
母エマの面影を残す弟ロズリックは、体が弱く剣の腕こそからっきしだが、書物を愛し、あらゆる学問に通じている。心優しく、部下にも公平で、自らを厳しく律することもできる。ロズリックは兄さんこそ帝位に相応しいと言うが、ゴーマをこの窮地から救い、名君と成り得るのはロズリックの方だ。弟に足りない部分は自分が補ってやればよい。
しかしそれも、今ここで自分が負けたら全てが水泡と帰してしまう。兵達を鼓舞できるのはただ一つ、己の剣のみ。磨き上げた我が剣技で敵をねじ伏せれば、兵達も我に従うはずである。ローリアンは徐に長剣を抜き放ち、遁走する兵の流れに逆らって前へと進んだ。
だが、そこで彼が目にしたものは、見るも悍ましき異形の怪物であった。鈍く黒光りする体に、長い八本の足。見慣れた蜘蛛の姿をしてはいたが、異様なのは2パッスス(約3メートル)はあろうかという体高だ。
「な、なんだ、このバケモノは……?」
瞠目するローリアンの目の前で、バケモノは尻から出した糸を振り回して逃げる兵の体を絡め取り、ぐるぐる巻きにして放り出した。バケモノの周囲には同じ要領で捕えらえたと思しき巨大な蚕の繭のような白い塊がいくつも転がっている。普通の蜘蛛のように後で食うつもりなのかもしれない。
サンガリアの領内にはこのように巨大な蜘蛛が生息しているのか? いや、だとすれば、以前サンガリアを占領していたわが軍が把握しているはずだ。考える間もなく巨大な蜘蛛は白い糸をローリアン目がけて発射し、ローリアンはひらりと飛び上がってそれを回避する。と同時に、ローリアンは宙から見下ろす形で蜘蛛を観察した。確かに姿は蜘蛛そのものだが、体は甲虫のように硬い殻に覆われている。闇雲に攻撃しても埒が明かないだろうが、どこかに弱点があるはずだ。ローリアンは瞬時にそう判断した。普段弟や妹には分からず屋と叱られるが、こと戦闘に関しては鋭い洞察力を持つローリアンである。
わかりやすい弱点は露出している眼や頭部だが――着地したローリアンは間合いを計りながら鎧蜘蛛の様子を窺う。八本も脚があれば、移動を行いながら急所を守れる。防御と攻撃を同時に行うことも可能だろう。すぐに急所を狙うのは危険だ。だとすれば。
ローリアンは目にも留まらぬ速さで間合いを詰め、鎧蜘蛛の懐に入らんという動きを見せる。すると鎧蜘蛛はすかさず前方の脚二本を使って急所を守った。ダメ元でその黒い甲殻に剣を振り下ろしてみたが、やはり殻の部分は鋼のように硬く、ローリアンの剛力を以てしても小さな傷をつけるに留まった。
鎧蜘蛛は他の脚を伸ばしてローリアンの側面を突こうとしたが、素早く飛び退いてそれを躱す。この一瞬の攻防の中で、ローリアンは既に攻略の糸口を見出していた。再び鎧蜘蛛に接近したローリアンは、その攻撃を防ぐべく繰り出された鎧蜘蛛の脚、関節部分の僅かな隙間を、研ぎ澄まされた剣技で刺し貫く。
「ギエェェェェッッ!」
ローリアンがそのまま足を斬り払うと、鎧蜘蛛はこの世のものとは思えぬ悲鳴を上げた。
「ほう、虫のくせに、お前は啼くのか、バケモノよ」
勝利を確信したローリアンは不敵に微笑みながら、剥き出しになった鎧蜘蛛の巨大な眼と頭部に二度、三度と容赦なく長剣を突き刺す。
「グワァァァアッ」
鎧蜘蛛は長い断末魔を上げ、微動だにしなくなった。ローリアンが鎧蜘蛛を発見してから僅か1分余り、まさに電光石火の勝利。洗練された剣技と超人的な身体能力、敵の隙や弱点を見極める勘と洞察力、それに裏打ちされた判断と行動の早さ。彼がゴーマ帝国最強の剣士と呼ばれる所以である。
ローリアンは周囲を見回したが、彼が鼓舞すべき兵は最早一人として残っていなかった。これほど虚しい勝利もあるまい。勝利の高揚感は一瞬にして消え失せ、ローリアンはがっくりと肩を落とす。ふと鎧蜘蛛の死骸を見ると、死骸はまるで煙のように音もなく消滅しようとしている。それは鎧蜘蛛が自然発生した生物ではないことを如実に示していた。
「何と面妖な……」
ローリアンは訝しんだ。このバケモノがたった一匹で我々の部隊を壊滅せしめたのか。いや、それにしては随分あっさりとしすぎてはいまいか。逃げて来た兵士の中に中隊長アルバートの姿はなかった。アルバートも腕利きの戦士である。もし彼が鎧蜘蛛と交戦していたなら、勝てないまでももう少し持ちこたえられたのではないか。
再びローリアンは辺りに注意を向ける。小鳥の囀りは聞こえないが、木々が不自然にざわめいている。どこからか焦げたような臭いも漂ってくる。さっきの蜘蛛は炎など使ってこなかった。まだだ、敵はこのバケモノだけではない。ローリアンは剣を握る柄に再び力を込め、五感を研ぎ澄ます。
直後、森の奥から新たな敵が姿を現した。
「まさかユリヤの召喚獣がやられるなんてな……正直驚いたぜ。あんたがローリアン皇子か?」
短い赤毛に男口調、身の丈と変わらぬほどの特大剣を担いでいる。声も低く男のなりをしているが、ローリアンは女だと直感した。それも彼より年下に見える少女である。まさかこの女が敵の伏兵か、しかもまだ他にも仲間がいるような口ぶりだ。ローリアンは答える。
「……何故私の名を知っている」
「やっぱりあんたか。何故ってそりゃあ、あんたが軍を率いて攻めてくるって情報を得ていたからこそ、あたしたちはここで待ち伏せていたんだぜ」
「そこまでです、イザベル」
と、今度は違う方向からまた別の少女が現れる。涼しげな空色の長い髪に冷淡な声音。そして柄の長い大鎌を携えた、これも少女である。
「貴女はバカなのですか? 軽々しく我々の情報源に関わる事項を口にしないでください。死人に口はありませんが、ローリアン皇子は生かして還すのが我々の作戦ではありませんか」
バカと言われた赤毛の女は明らかに不服そうだったが、反論はせず、そのまま口を噤む。すると、今度はまた別の方向から長斧を持った金髪の少女が現れる。
「フリーデルもそこまで。今は喧嘩してる場合じゃないよ」
「喧嘩とは心外ですね。私はイザベルがこれ以上余計なことを口走らないよう釘を刺しただけです」
「うん、君の言う通りだ……ローリアン皇子、あなたが噂に違わぬ聡明な人物なら、既に敗北を悟っているはず。我々はあなたに危害を加えるつもりはない。ここは大人しく退却して頂けませんか」
金髪の少女は落ち着いた口調で言った。こんな年端も行かぬ少女たちが、わが隊を壊滅に追い込んだと言うのか。ローリアンは内心の動揺が表情に出ぬよう注意しながら、さらに周囲を警戒する。辺りに大軍の気配はなく、これが極めて少数の人員によって行われた奇襲であったことがわかる。こちらの手勢も多くはなかったが、少女たちがかなりの手練れであることは間違いない。それは彼女らが発する殺気からも明らかだった。
名将は引き際を心得ているもの、と弟はよく言う。金髪の少女の言葉通り、ここは退くべきなのかもしれない。
だが、ローリアンには戦わなければならない理由があった。
ゴーマ帝国のためか? ローリアンは自問する。いや、そうではない。彼の両足を戦場に留めているものは、『意地』であった。
「……なるほど、俺の計画はサンガリアに筒抜けだったというわけか。しかし、お前達が得た情報には一つ大きな間違いがある」
「……間違い?」
勝利を確信しきっていた少女たちの表情に、俄かに緊張感が走る。
「そうだ。先程お前は『噂に違わぬ聡明な人物なら』と言ったな。だが、俺の座右の銘は『無理無駄無謀無我夢中』。聡明とは月とスッポン、天と地ほどの開きがある。何をどう調べたかは知らんが、自分の目で確かめるまでは安易に信じぬことだ」
「……!」
座右の銘どころかたった今この場で思い付いた言葉だが、なかなかよい響きだ、とローリアンはほくそ笑んだ。ローリアンが剣を構えると、少女たちもそれぞれの得物を構え直して臨戦態勢を取る。
「ゴーマ帝国第一皇子ローリアン、推して参る!」
「そう来なくっちゃな!」
待ってましたとばかりに突っ込んできたのは、イザベルと呼ばれた赤毛の少女だった。巨大な剣を握っているが動きは俊敏。尋常ならざる怪力の持ち主と見た。イザベルはその特大剣を軽々と横薙ぎに振るい、ローリアンはそれを飛び退いて躱す。得物が長いため相当に間合いを取らなければあの一撃を躱すことができず、敵が再び接近するまでに次の動作に移るだけの十分な余裕があり一方的にゴリ押せる、という戦い方と見た。
相手が常人ならばたしかに通用する戦法だろう。が、ローリアンはイザベルが体勢を整える前にその懐へ飛び込んだ。神速と呼ばれるこの超人的な身体能力こそ、彼が甲冑を身に着けずに戦場に出られる最大の理由である。
「なっ……!」
「遅い!」
「イザベル!!!」
ローリアンがイザベルの無防備な脇腹を斬り裂こうとした瞬間、金髪の少女の長斧による横槍が入り、ローリアンはそれを剣で受け止める。本能的に危険を感じたローリアンが飛び下がると、その直後に金髪の少女の長斧はバチッと雷を帯びた。
「む……? 何だあれは」
逃げた先でローリアンを待ち受けていたのは、フリーデルと呼ばれた大鎌の少女だった。フリーデルの鎌の切り上げをすんでのところで回避したローリアンだったが、鎌の切先から発生した氷が霜柱のように地を這いながら一直線に伸びてくる。
「……!」
足元を狙った氷の一筋を、ローリアンは飛び上がり、近くの樹木の枝に掴まってどうにか避ける。ローリアンを目で追いながら、フリーデルは他の二人に言った。
「殺してはなりません! イザベル、シエラ、忘れたのですか?」
「わかってるよ。でも、手加減して戦える相手じゃない!」
とシエラが長斧を構え直すと、間一髪のところを救われたイザベルもきまりが悪そうに再び臨戦態勢をとる。
雷に氷? いったい何が起こっているのだ? しかしローリアンには困惑する暇すら与えられなかった。掴まっている木の枝に沿って、まるで蛇のようにするすると近づいてくる何かに気付いたローリアンは、慌てて枝から手を離し地面に降り立った。直後、ローリアンが掴まっていた枝は突如不自然に炎を上げて燃え始める。
「あ~ぁ、バレちゃったか。てか結局戦うハメになってんじゃん、メンドくさ」
蛇のように見えたそれは、新たに姿を現した少女が持つ鞭であった。
「殺さないようにつったってさ、相手が無理くり向かってくる場合はどうすればいいわけ?」
「戦意を喪失させるのです、ソフィー」
「ハイハイ、ぁ~、マジでメンド」
ソフィーと呼ばれた少女はしなやかな手つきで鞭を手繰り寄せ、ローリアンの背後に回り込む。4対1。しかも相手は何やら奇妙な術を使うらしい。と、ローリアンはここで先の大戦、つまりゴーマ軍がサンガリアに敗れた戦いの記録を思い出した。
「なるほどな……十六年前の戦いの際、滅亡寸前だったサンガリアは、突如現れた救世主と伝説の剣の力によって戦況を一変させ、我がゴーマの精鋭たちを一網打尽にしたと言う。サンガリアには何か怪しげな妖術でも伝わっているのか」
「当たらずとも遠からず、といったところかな。それを知っても尚戦おうとするのかい、ローリアン皇子」
シエラは暗に降伏を促したが、ローリアンの頭に退却という言葉は存在しなかった。
「生憎だが、女に手加減されるほど屈辱的なことはない。このままおめおめと逃げ帰るわけにはいかんな」
「……ならば生け捕りにするまでです」
フリーデルの目配せを合図に、四人が一斉にローリアンに斬りかかる。
フリーデルの鎌を受け流し、イザベルの大剣を躱し、シエラの長斧をいなしてソフィーの鞭を弾く。四人に囲まれ続けざまに攻撃を受けながらも、ローリアンは冷静に相手の実力を見極めていた。太刀筋や身のこなしは些か甘く、隙がある。雷や氷、炎などそれぞれ特殊な能力はあるようだが、それにさえ気を付ければいずれ勝機は訪れるはずだ。
だがその時、ローリアンは頭上から何者かの気配が迫っていることに気付いた。
「ローリアン皇子、覚悟!」
「むっ? 上だと!?」
ローリアンが見上げると、長槍を持った少女が空から急降下してくるのが見えた。ローリアンはさっと身を引いてそれを回避したが、一瞬頭上に視野を奪われたことが仇となる。その隙を見逃さなかったシエラの斧の切先が、ローリアンの右腕をわずかに掠めた。
「くっ……!」
シエラの斧は柔らかい絹の着衣を裂き、ローリアンの腕に一筋の傷をつけた。傷自体は浅く、左利きのローリアンにとって大きな痛手とはならなかったが、帝都ではなく戦場に於いてゴーマ帝国嫡流の血が流れたのは実に数十年ぶりの出来事であった。
「遅いぞシェリー!」
「ご、ごめん」
シェリーと呼ばれた灰色の髪の少女は、イザベルに叱咤され謝る間もずっとふわりと宙に浮いている。
(空を飛ぶ、だと……?)
地上の四人だけならどうにか戦えたが、頭上にまで注意を払わなければならないとなると話は変わってくる。矢やピルム等の投擲武器への対処は慣れているが、頭上から間断なく槍の突きが繰り出され、しかも相手は空へどこまでも逃げられるとすれば、応戦は困難を極める。
地上へと視線を戻すと、大剣を振りかぶったイザベルが間合いを詰めていた。
「うおりゃっ!」
イザベルの大振りの攻撃をどうにか躱したが、その後隙を咎める間もなく今度は雷を帯びたシエラの長斧と氷を発生させるフリーデルの鎌が次々と襲い掛かる。いずれもただ回避するだけなら決して難しくはない剣筋だが、空中からのシェリーの槍による突きがローリアンの行動を制限し、ローリアンの絹の衣に一つ、二つと傷が増えてゆく。
超人的かつアクロバティックな動きで四人の攻撃を避け、あるいは受け流し続けるローリアンだが、ついに彼の腕を捉えたのはソフィーの鞭だった。その不規則な動きに迷いが生じた一瞬の隙を見逃さず、ソフィーの鞭がローリアンの剣を握る左腕に巻き付いたのである。
「ぐうっ!」
「いいぞソフィー!」
これを好機と攻めかかるイザベルとシエラ。だがローリアンはまだ諦めてはいなかった。ローリアンの強さの神髄は超人的なスピードだが、その速さを支えるのは全身の筋力。つまりローリアンは並外れた怪力の持ち主でもある。鞭をピンと張りローリアンの自由を奪おうとするソフィーを、ローリアンは鞭ごとぐいと手繰り寄せた。
「うわわっ!?」
「軽いな、女」
そしてその勢いのまま、ローリアンは投げ縄でも操るかのようにソフィーの体を軽々と振り回し、迫りくるイザベルとソフィーにぶつけたのである。
「ちょっ!」
「何ッ!」
地面に叩きつけられるソフィー、大きく体勢を崩したシエラとイザベル。一挙に形勢逆転かと思われたが、フリーデルの放射状に伸びる霜とシェリーの槍に遮られ、その隙を突くことはできない。三人もすぐさま体勢を立て直し、再びローリアンに波状攻撃を仕掛ける。
五人を相手に尚も決死の抵抗を続けたが、勝敗を決したのはローリアンの視界の外、木々の間の僅かな隙間から放たれた一筋の矢だった。驚異的な動体視力を持つ彼でも視認できないほどの速度で飛んできた矢を、ローリアンは辛うじて、反射神経というよりほぼ本能的に回避する。
しかし。
「なにっ!?」
矢はローリアンの左脇腹の衣を貫き、背後の樹木に突き刺さった。衣ごと木に釘付けにされてしまったのである。慌てて衣を裂いたローリアンだったが、その時には既にソフィーの鞭が彼の利き手を再び捉え、フリーデルの霜柱が彼の両足を氷漬けにしていた。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i
それから数分後。両手足を氷で拘束されたローリアンは、十人の少女と一人の少年、そして女盛りの美しい女剣士に囲まれていた。女剣士は弓矢を持った栗色の髪の少女の頭を撫でながら言った。
「よくやった、クロエ。他の皆も、怪我はないか?」
誰も声を上げないことを確かめてから、女はローリアンに向き直る。
「さて、ローリアン皇子。この子たちからも聞いたと思うが、我々はあなたの命まで奪うつもりはない。いや、なかった、と言うべきか。戦いの趨勢が決した時点で退却してくれるものと思っていたからな。だが、どうしてもこの森を墓としたいと言うのなら、願いを叶えてやらぬでもない。どうだ、ローリアン皇子」
「……私には……戦わねばならない理由があるのだ。女に負けておめおめと逃げ帰るなどゴーマの名折れ……」
女に負けて。その一言が気に障ったらしく、女剣士は眉間に皺を寄せて言った。
「……ほう。そうか。命あっての物種だろうに、そうまで強情なら仕方あるまい」
「この少女たちの力の源は何だ? そしてお前は? 見たところ、この少女たちの長のようだが」
ローリアンが尋ねると、女はゆったりとした動作で一度髪をかき上げてから答えた。
「我が名はエリウ。かつてサンガリアの救世主と共に、聖剣アランサーで貴様等ゴーマ軍と戦った戦士だ」
「エリウ……あの、エリウか!?」
ローリアンは瞠目した。ゴーマの軍に身を置いてその名を知らぬ者はいない。大地を裂く剣を用いてサンガリア方面軍をたった一人で壊滅せしめた、恐るべき敵である。見た目には二十代半ばから後半といったところだが、既に三十は超えているはずだ。まさかこの女が伝説の女剣士だとは。
「そうだ。そしてこの子たちは、サンガリアの救世主が残した子供。救世主の血を引く者たちだ。その力は身を以て知ったはずだな」
「子供たち……? 十一人全員がか」
「ああ、その通りだ」
「何たる絶倫……」
ローリアンが思わず漏らした一言に、エリウの傍にいる少年が何故か恥じらうように頬を赤らめたのだが、その理由は彼自身の他に誰も知らない。
「伝説の女剣士エリウが直々にお出迎えということは、我々の出兵はサンガリアには全て筒抜けになっていたわけか……大方ミースの女狐めがわざと情報を流したのだろうな」
エリウはどこか自虐気味な含みのある苦笑を浮かべた後、細身の剣を抜き放ち、ローリアンに最後の問いをぶつける。
「……解釈は自由だが、今重要なのは、ローリアン皇子、貴様の処遇についてだ。選択権を与えるのはこれが最後。逃げるか死ぬか、好きな方を選ぶがよい」




