名もなき龍の王は困っている
その王は永遠とも言える長い年月を生き、この星のどの生物より強大な魔力と体を持っていたが、運命と呼ばれる時の気まぐれに抗う事ができなかった。
既に疲れ果て、希望も揺らぎ、自分の名前まで捨てたが。
今も空にまどろみながら、地上の生物たちを慈しんでいる。
しかし絶滅の危機はどの種にも均等に、無慈悲に降りかかっていた。
運命をいたずらに狂わす神、人族が「天神」と呼ぶそれが……
人族最大の都、帝都にあらわれたことをつかむと。
王は久々に人の形をとり、地上に降りた。
帝都で名もなき王の補佐をしている、先読みの妖狐「キュービ」から情報を得ると。
ふと、以前娘婿と交わした約束を果たそうと思い至った。
「名もなき龍の王よ、今日はあなたにとって困った1日となるでしょう」
その思いを見透かすように、先読みの妖狐が笑ったが。
体を霧に変えると、名もなき龍の王は風に乗り……
大陸のある街へと向かった。
そして人の姿の……バド・レイナーは困惑する。
「今はまだ、来てはいけません……」
突然ピンクのふわふわした髪形の美少女がそう言って、目の前でパタリと倒れたからだ。
年の頃は17~18歳だろうか。
垂れ目でやや幼さの残る顔つきに、消衰し切った表情が妙に痛々しい。
肩には「ドラゴン・バスターズ」と刺しゅうされた、魔術防御が施された戦闘服を着ているが……あちこちに破れや超高温度で攻撃されたような焦げ跡がある。
幸いその少女にケガはなかったが、大きな胸は破けた戦闘服から半分こぼれ落ちているし。
その下のミニスカートも大破していて、髪や瞳と同じような鮮明なピンクのパンツが見えてしまっている。
「これはいかんな」
バドは自分のマントで少女をくるみ、念の為回復魔法をかけてから被害を受けなさそうな場所まで運んだ。
そして、なぜ初対面でそんなことを言われたのか首を捻る。
気を取り直して、門をくぐると……
おどろかせてやろうと突然訪れたその教会の前では、子供たちが奇声を上げながら遊んでいたが。それはどこにでもある『遊び』と少し違っていた。
大魔術がいくつも施行された跡があり、幸いケガ人はいないようだが……
あちこちに先ほどと同じ年頃の少女が、何人か疲れ切って倒れている。
少女たちの共通点はみなエロ可愛い戦闘服を着て肩に「ドラゴン・バスターズ」の刺しゅうがあることだったが。
「何と言ったかな、超古代文明の影響の……」
実用性よりエロさに重きを置いたそれは、コスプレパーティーにしか見えなかった。
バドがその異様さに悩み込んでいると。
元気に駆け回る子供たちの中で、一番年上だろう5歳ぐらいの少年がバドの近くまで歩み寄り、頬に着いた泥を手でこすりながら。
「爺さん、そんな所に突っ立ってると危ないぞ! それに今はまだ入っちゃいけない」
特徴的な銀髪とブルー・アイを揺らしながら、ふてぶてしい声を上げる。
「……爺さん? なんと、私をそう呼ぶか」
そう言われたバドは、嫌な顔をする。
バド・レイナーの容姿は20代の半ばにしか見えなかったし、色白で中性的な美しさを誇るこの姿でそう言われたのは初めてだったので。
「この餓鬼どもは」
小声で憤慨した。
「ミミー! そっちの影にひとり隠れた。急いで、マーティーが爺さんと話しているうちに体制を整えたいの」
今叫んだ女の子も5歳ぐらいで、派手なブロンドに豪華なドレスを着ているが……
ドレスは泥だらけで、おまけに大きな本物の剣を握っている。
「エリザベス姉さん、隠れたのだれ? クリス、それともエバン??」
ミミーと呼ばれた犬耳の女の子は、どう見ても3歳ぐらいなのに。
信じられないスピードで庭を走り回っていた。
「エバンよ、噴水の奥だから……水魔法に気を付けて!」
ミミーと呼ばれた少女が高く跳躍し、噴水を越えようとすると水の障壁が二重三重に展開する。
それはA級魔法と呼んでも問題ないような、強固な防御魔法だったが。
「ガロウおねがーい」
「えっ、は、はい! ミミー様」
少女が短パンの腰にぶら下げていたホルスターからナイフを抜いて振り払うと、別の少女の声が聞こえ。ドスンと大きな音とともに障壁が拡散した。
「ずるい! それは反則だ」
少年が不服そうに叫んだが……
「ミミーはガロウの正当な持ち主よ、反則じゃないわ」
ブロンドの少女が手を口に当てながら「ほほほ」と高笑いした。
そのスキに噴水の影に隠れていた少女が、犬耳の少女に拘束される。
「くそっ、我が軍もここまでか」
少年はそう言って地団太を踏んだ。
ミミーがブロンドの少女……
エリザベスの後ろに、拘束した少女を耐魔ロープで縛りあげゴロンと転がすと。
穴だらけ焦げだらけの庭に、3人の子供がにらみあう状態となった。
高度な魔法で蹂躙された、教会の庭の惨劇にバドが唖然としていると。
「エリザベス! この人質を殺されたくなかったら捕虜を解放しろ」
突然少年がバドに拘束魔術を放つ。
無詠唱で、しかも子供が放った魔法。
バドはいつでも解放できるだろうと考え、ため息をつく。
――さて、この異常な遊びにいつまで付き合うか。
悩んでいると、エリザベスが冷笑をたたえた。
「マーティー、あなたそれでも大司教の息子なの?」
「何とでも言え、俺たちは魔王軍だから何でもありだ!」
マーティーと呼ばれた少年は腰から1本のナイフを抜く。
見たところ魔術的な機能は備わっていないようだったが、鋭く光る刃は間違いなく実刀だ。
「それは違うぞ、過去の戦闘でも魔王軍はそこまで卑怯な手を使っていない。それに身動きの取れない人間に刃物を向けるのは卑劣だ」
バドは教育の側面から、史実と道徳を少年に伝えると。
「そうなのか? ならごめん。でもこの局面でどう手を打てば良い」
マーティーは素直に謝って質問してきた。
魔術で拘束されていたが、そのマーティーの態度にバドは気を良くし。
――庭の戦局を観察する。
「お前の軍勢はあの木の陰に隠れている少年ひとりか」
「そうだ、クリスはどんくさい奴だけど誰よりも強い怪力がある」
「耐魔ロープを引きちぎれるほどに?」
バドの質問に、マーティーは自信満々に頷く。
「敵軍は3人、あの剣を握るブロンドの大将と犬耳の少女。それからこそこそとクリスが隠れている木に近付いている女の子か?」
「ん? あっ、ソフィアのやついつの間に!」
マーティーがおどろくのを無視して、バドは作戦を伝える。
「そうか、爺さんすごいな」
マーティーは暗号なのだろう、ハンドサインで木の陰の少年に何か伝えると。
「我が軍に栄光あれ!」
バドの指示通り、玉砕のふりをして大声を出ながらエリザベスに向かっていった。
ミミーも加勢するようにマーティーを追ったことを確認すると。
「これで決着だな」
バドは自分の作戦が成功したことを確認しながら、マーティーがかけた拘束魔法を解こうとして。
それがなかなか解けないことに……
――冷や汗を流した。
「おじーちゃん、なんであたしたち負けちゃったのよ」
ぷくりと頬を膨らませ、抗議するエリザベスに。
「戦局はな、いつだって勝ちを確信したその瞬間が一番危険だ」
バドは笑いかけたが……
やはりじじい扱いされることに、少しへこんだ。
「むー、もう少しママが読んでいた本を読み込んでみるわ。まさかあそこでクリスがわざと捕まるとは思わなかったもの」
エリザベスは自分が指揮を執っていたにもかかわらず、負けたことがどうしても納得いかないようだった。
バドがマーティーに託した作戦は簡単なものだ。
エリザベスとミミーを引き付けて、そのスキに捕まったふりをしたクリスが仲間の捕虜をその怪力で開放して挟み撃ちにする。
それが成功した一番の原因は、エリザベスの計算された戦術と統率力のせいだと言いかけて……バドは口をつぐんだ。
――才能のある娘だ。いつか自分でき気付くだろうし、その方が糧になるだろう。
銀髪に青い瞳のマーティー、同じ髪と瞳の色のエバンとソフィアは双子だという。
ミミーはよく見るとオオカミの耳と尻尾を持っていた。
怪力のクリスは緑の髪で、瞳の奥に知性があふれている。
彼は母の影響で一番の読書家だそうだ。
6人の子供たちは皆素直で才能に溢れ、とても楽しそうに笑う。
どの子供にも同じような聖力の波動を持っていたから。
――女癖の悪い男だと気にしていたが、子育ては問題ないようだな。
バドは安どのため息をついたが。
復活した……子供たちの遊びに付き合って、先に倒れてしまったらしい「ドラゴン・バスターズ」の妙にエロい服装を見ると。
バドの頭の隅に……
――なぜか不安がよぎった。
++ ++ ++ ++ ++
「ちょっと教会に用事があってな」
バドが教会の玄関をくぐろうとすると、子供たちが必死に止めたが。
――どうせおどろかせようとしているのだから、ちょうど良い。
バドはそれを振り切って中に入った。
大聖堂から料理の香りと足音が聞こえてきたので、気配を消して近付くと。
数人の女性が慌ただしくパーティーの準備をしている。
「爺さん、ダメって言ったじゃないか!」
後をつけてきたマーティーが顔を歪め。
「あたしたち怒られるのかな?」
エリザベスが小声で呟いた。
「ひょっとして私は来てはいけなかったのかね」
バドが心配して子供たちを見ると、先ほどの笑顔が消え。
……皆、顔を歪めた。
さすがに子供たちを困らせるのは悪いと思い、バドはまた日を改めようと踵を返す。
――どうやら私は招かざる客だったようだな。
そう、ため息をつくと。
「あれ? バド・レイナーだよね」
酒樽を運び込んでいる、やたら胸の大きなビキニアーマーの女性に声を掛けられた。
以前ディーンと共に攻めてきたところを撃退したことがある、千剣のローラだ。
――ディーンの妻となったことは知っていたが、過去の遺恨もあるだろうし。
表情はどこか堅い。
だからバドは腰を下げ、いつでも撤退できる姿勢をとった。
「あんたたち、もう少しで準備が終わるのに。なんとかならなかったの?」
しかしローラはバドの後ろにいる子供たちを見て、ため息をつく。
「だってさ、この爺さん強引なんだ」
マーティーがふてくされてそう言うと。
「ちゃんと、おじい様と呼びなさい!」
ローラは少し怒った表情でそう言う。
マーティーたち子供6人が声をそろえて。
「はーい」
と、嫌そうな返事をしたが……
状況が飲み込めないバドがローラの顔を見ると。
「もう来ちゃったから、仕方ないね。いまディーンとリリーを呼んでくるから待っててください」
バドはテーブルの一番奥の貴賓席に連れていかれた。
準備をしているのはディーンの妻たちで、和気あいあいと料理を並べながら順番にバドに挨拶する。
マーティーとエバンとソフィアの双子の母は真贋の巫女で、転神教会の大司教。
ミミーの母は狼族の生き残りのようで、美術品の修復士として現在も活躍中だとか。
クリスの母は賢者会で司書をやっていたそうで、今は帝都の帝国図書館に勤めているそうだ。
そしてエリザベスの母は、この領の領主だった。
ローラと闇族の女王、ケイトにはまだ子がいないそうだが。
――しかし良い妻ばかりだが、人数が多すぎる。
バドは料理を食べる前に胸やけがしそうになった。
そしてなぜこんなことになっているのか、悩み始めると。
「すいません、実は3日ほど前にキュービから『あなたとリリーが一番待ち望んでいる人が今日訪れる』と、連絡がありましてね」
ディーンが相変わらずいけ好かない笑みをたたえながらあらわれた。
その頃にはドラゴン・バスターズのメンバーも聖堂に集まり、妻たちの支度を手伝っていたが……皆キョロキョロとディーンに色目を使っていることに、バドは苛立ちを覚える。
しかし、なぜキュービがあんなことを言ったのか謎が解け。
バドがフンと鼻を鳴らすと。
「お、親父殿。うむ、来てくれてありがとう」
リリーがディーンに隠れるようにして声をかけてきた。
その手には、まだ生まれたばかりの小さな生命体が抱かれている。
バドが思わず両手を伸ばすと、リリーがそっとその手に子供を預けた。
「男の子か」
それは女児の出生率が9割を超える龍族として、とても珍しい事だった。
「そうじゃ、それでその。まだ名前が決まっておらんのじゃ、親父殿……良ければその子につけてくれぬかのう」
リリーのその言葉に、バド・レイナーは困惑し。
――名前か。
そして名もなき龍の王は、その子供の黒く澄んだ瞳に希望を感じ……
いつか捨てた自分の名前を、ふと口にした。




