19-1
――2週間前。エルメントの場末の酒場の店主であるアツシは、その日も少ない客の相手をして、閉店後の店内の片づけを行っていた。時間は夜の11時を回っており、家族である妻と4歳になる娘はすでに上の階にある寝室で寝ていた。
アツシは第二世代の異邦人であり、このエルミナ・ルナには20年前にやってきた。第二世代からステータスという異邦人のみに与えられる力が付与されるようになったものの、アツシは戦うことを恐れて逃げ回り、結局現地民と変わらない身体能力しかもっていなかった。ギフト能力も与えられたのは第三世代からであるため、アツシの戦闘力はその辺の住民となんら変わりなかった。
それどころか特段取り立てて優秀なわけでもなく、この世界に革新をもたらせるほどの何かがあるわけでもなかったため、あっという間にこの世界に埋もれていった。結局しがない酒場の雇われ店主となり、妻から稼ぎが少ないとグチグチ言われながらも、その日を生きるその他Aになってしまった。
しかし異邦人であるという事実は消えることはなく、シープスタウンにある異邦人の本拠地から、この町にとどまって異邦人のために情報を送るという任務だけは残った。これすらこなせなければ、異邦人キラーと呼ばれる、異邦人を粛正するための刺客を送られ、家族とも離れ離れになってしまう。この世界に来ても結局何も為せなかったアツシだが、せめて家族とは穏やかな日常を送りたかった。
酒場の片付けも終わり、アツシは店内を見回す。見た感じ片づけし忘れたところはなさそうであり、大きく息をつくと家族のいる上階へ行くために階段に向かおうとする。その時だった。
――ガタッ。何か物音が聞こえ、アツシはそちらの方を見る。すでに閉店していることもあってか、店内の明かりは必要最低限のものしかなく、薄暗闇の中での物音は恐怖感を心の中に芽生えさせた。
「いったいなんだ……?」
アツシがそちらの方向へ歩こうとしたその時、急に太い首に首を絞められ、強い力で組み伏せられてしまう。
「よぉ。ちょっといいか」
背後を取られており顔は見えないが、声だけで後ろにいる男が粗野で乱暴な人間だとわかるほどだった。アツシは抵抗しようとはするものの、後ろの男の力の方がはるかに強く、なすすべなく酒場の中央の広いスペースに連れてかれてしまう。そこで後ろの男はアツシの身体を床に叩きつけると、アツシの頭を踏みつけて動けないようにした。
「な……何が目的なんだ! 金なら渡せるほどのものなんてないぞ!」
アツシはそこでようやく自分を捕らえた男の顔を見た。声から想像できるそのままの、悪党のツラをした男がそこにおり、歪んだ笑みでアツシを見下していた。
「俺ぁ用はねえんだがよ。あいつらが“異邦人”であるお前に用があるってことでな」
「何……!?」
“異邦人”の単語を出され、アツシは身体を硬直させた。自分が異邦人であることは、家族にすら言っていない。たまに来る異邦人の客にしか、自分の素性は明かしていないのだ。自分を踏みつけている男が近くの席に指をさし、アツシはその方向を見る。するとそこには一組の男女が座っていた。
「ごくろうさんインジャ。コニールと姉さんの二人にゃあ、こんな感じの強引な尋問はできないからね」
「俺はいいのかよ。……なんかあんま嬉しくねえな」
そこにいたのはシーラとユウキだった。シーラは立ち上がると、アツシの方へ近寄り見下しながら話しかける。
「なんで異邦人ってバレたかって顔ね。……オタク、ラーメンを店のメニューで出してたでしょ。それがたまったまそこの悪党の部下にオタクの店に行ったことあるやつがいてね。ラーメンを作るやつ=異邦人って図式がたまたま成り立っちゃったのよね」
このエルメントに来る数日前、アオイがラーメンを振舞った際に、インジャの部下の一人にラーメンを食べたことがあるという人物がいた。そしてその部下に詰問したところ、エルメントの一角の酒場で出していたという情報を得ることができたのだった。
「……というわけで、こっからは質問。……今のインジャへの無抵抗っぷりや、オッサンの見た目からして、第二世代の異邦人らしいけど、第三世代以降の異邦人がこの店に来てるとか、どう?」
シーラが予想以上に詳しい情報を聞いてきて、アツシは戦慄した。たしかに今のシーラの質問の通り、ケンイチとミクという第四世代の異邦人がここのところここを根城にして、町で怪盗団としての活動を行っていた。
「……君たちの素性も知らずに、私が話すと思ってるのか? 君たちこそ何者だ?」
アツシはシーラに向かって尋ねるが、シーラはノータイムでアツシの顔面を蹴り飛ばした。シーラのいきなりの行動に横で見ていたインジャとユウキは若干動揺するものの、シーラは全くそれを気にせず、アツシの髪を掴んで頭を引きずり起こす。
「私が誰だとかどうでもいいんだよ。さっさと答えろクソ親父。その指一本ずつ切り落とすぞ」
あまりにドスが効きすぎている脅しに、インジャは何があったのかとユウキを見るが、ユウキは首を横に振って答えた。
「いや……わかんない。なんかこの町に来てから、シーラがやたら不機嫌で……」
「シーラ……!?」
その名前を聞いて、アツシは目の前の少女の正体を察する。
「あのシーラか……! 学校を追放されて、町を去ったはずじゃあ……!」
「ああそうだよ。戻りたくねえけど戻ってきたんだよ。だったら私がどれだけ今ムカついてるかもわかってんだろ?さっさと答えろよ」
しかしアツシも答えるわけにはいかなかった。ケンイチとミクの二人を売ることにもなるし、何よりここで答えてしまい、アツシが仲間を売ったことがバレれば、シープスタウンから刺客が送られてくる可能性もある。アツシは何も言うことができずにただ俯くしかできなかった。そして長いような短い時間が経ち、答えようとしないアツシにシーラがため息をつく。
「わかった……“怪盗団”だろ?」
シーラの言った怪盗団という言葉を聞き、アツシはビクッと身体を震わせる。その反応にシーラは確信を得た。
「この町を騒がしてるとかいう怪盗団。私も新聞で情報を追ったけど“22の秘宝”が盗まれてきていて、もう19個は盗まれたんだって? あと3つってとこか……この怪盗団が異邦人なんだろ?」
アツシは冷や汗を流しながらも、何も答えなかった。シーラは内心アツシのことを軽蔑していた。おそらく答えないのは信念からではない。どう答えていいか、もしくはどう誤魔化すかといった考えすら思いつかないのだろう。単に黙ってれば時間が解決してくれる、見逃してくれると思っている下策中の下策の考えなのだろうと。
「わかった。じゃあこっちも最終手段を使わしてもらうわ。……兄さん!」
「はいはい。やっぱこれやんなきゃいけないのね……」
ユウキは部屋の隅から何かを運び出す。最初は薄暗くて何を持ってきたのかわからなかったが、目の前に置かれてアツシはそれがなにかようやくわかった。
「な……! ミエル……クリスタ……!」
妻と娘が両手両足を縛られ猿轡を噛まされ。怯えた表情でアツシを見ていた。アツシのその反応を見て、シーラは表情をさらに歪ませる。
「さて……私の評判を、お前は知ってるんだろ? なら、そんな奴にお前の大事な家族が人質に取られたとなれば、どうなるかくらい想像がつくだろ? “幸いにも”二人とも女だ。……私がどういう商売をしてたか、お前がちゃんと新聞を読んでいるような奴ならようくわかってるはずだ。……それとも今ここでこいつらに悲鳴の一つでも上げさせてやろうか?」
シーラはカウンターに置いてあった食事用のナイフを取り出す。そして娘の方の頬にナイフを当てながらアツシに言った。
「顔を傷つけたら、まぁ客付きは悪くなるからなぁ。……多分売るところも最低の下劣な場所になって、1か月も生きてらんないだろう。可哀そうに。父親が遥かにマヌケなせいで、この世の地獄を味わいながら死んでいくんだから……」
「ま……待って……」
アツシは泣きながら手を伸ばそうとするがインジャがアツシの顔をさらに強く踏みつけ、動けなくする。横にいたユウキに助けを求めようと目線を送るが、ユウキもアツシをゴミを見るような目で見ており、相手にしていなかった。
「じゃ、まずはクリスタちゃんの顔を売り物にならなくくらいに切り刻んでから……」
シーラがナイフの切っ先を立てたその瞬間、アツシはようやく観念した。
「言う! 言うから! その子達には手を出さないでくれ! ……私は……どうなってもいいから……! 頼む……!」
アツシはとうとう嗚咽を漏らしながら泣き出した。その様子を見てシーラはナイフをテーブルに置くと、カウンターの奥の方へと歩き始める。
「……わかった。じゃあ少ししたら尋問を始めるから。……ちょっとトイレに行きたいから、少し外す」
「あ、俺も」
ユウキはアツシの妻子を持ち上げ、両手両足の枷を外して、猿轡も取ってやった。まだ恐怖におびえている二人は声を上げることもできなかったが、ユウキは優しく微笑みながら言った。
「大丈夫。もう傷つけることもないよ。……今更だけど、元々その気は一切なかったし、本当にそうするなら……俺が絶対に止めたから。……本当にごめんなさい」
ユウキは二人に対し頭を下げると、シーラを追いかける。シーラはカウンターの奥にある生活スペースに行ったところで蹲っており、息を上げていた。ユウキは近くにあった水を取ると、それをシーラに渡す。
「……ほら。水だ」
シーラは礼を言おうとするが声も出ず、頭を少し下げてその水を一口で飲み干す。シーラの消耗具合に、ユウキはシーラを慮るように言った。
「……傷つけなくてよかったな」
「……はい」
シーラは力なく答えた。何とか脅しが成功したものの、悪人の演技は予想以上に精神を消耗していた。事前に情報を得てから、酒場の店主の妻子を人質にとり、異邦人である酒場の店主は少し暴力を加えはしたものの、必要以上に傷つける気は一切なかった。
コニールやアオイをこの場面に加えなかったのも、自分のこのような面を見せたくなかったし、何よりあの二人なら間違いなく止めに入ることも予想できたからだ。
「さて……そろそろ戻りますか。あまり時間が経ちすぎると、あの店主の気が変わる可能性もありますからね」
「ああ。そうだな……」
シーラは立ち上がりはするものの、足元がふらついているのかバランスを崩してしまう。倒れそうになったシーラをユウキは肩を抱き寄せて受け止めた。
「あ……すみません……」
シーラはユウキにもたれかかりながら謝った。自分を抱き寄せているユウキの体温が身体に伝わり、アオイはその温かさに安心を覚えた。
「……なんか、最初に会ったころに比べて、逞しくなりました?」
いきなり変なことを言い出すシーラにユウキは呆れながら答えた。
「あのなぁ……。そんなの当たり前だろ。この2か月近く、どんだけ荒事に揉まれてきたよ」
「そうすね……はは……ははは……」
シーラは目に涙を浮かべてユウキのマントに顔をうずめた。突然シーラが自分に顔を寄せてきて、ユウキは緊張で固まってしまうが、シーラを払いのけはせずにそのまま抱きしめた。
自分がこんだけ度胸のある人間だっただろうか?この旅で成長と言えば聞こえはいいが、その変化は果たして本当にいいものなのだろうか?ユウキの中で不安が芽生え始めるが、今はそのことは頭からどけた。目の前の女の子が自分たちのために心をすり減らして泣いているのに、自分のことはどうでもいいと思えるようになっていた。
――ユウキにはわからなかったが、それは間違いなく成長と言っていいものだった。




