16-1
――目を覚ますとまず感じたのは背中に伝わるヒンヤリとした感覚だった。その感覚は意識の覚醒を促し、同時に自分が寝転がっていることに気づいて急いで身体を起こす。
「ここは……」
ずっと目を瞑っていたのか目は開いているのに、目の前の景色が霞んでおり、視覚を取り戻すためにひたすらに目を擦る。
「何があったんだ……?」
少年は少しずつ視界が戻ってくると、自分の身体を確認した。服装は私服であり、自分の服であるという確信があった。ポケットには携帯と家の鍵も入っていたが、それ以外のバッグなどの荷物は見渡す限り近くにはなかった。携帯も電池が切れているのか電源が入らなかった。
「健一……」
後ろから女の子の声が聞こえ、少年は振り返る。そこには見知った顔がおり、他人がいたことに少年は安堵した。
「美玖……お前もいたのか?」
少年の名は幸田健一。今年で16歳になる高校一年生だった。そして一緒にいる大沢美玖は健一とは幼馴染であり、幼稚園から高校までずっと一緒の学校に通ってきていた。
「なんなのここ……何があったか覚えてる?」
美玖は健一に尋ねるが、健一は首を横に振って答える。
「いや、わかんねえ。記憶では渡辺たちと池袋のカラオケに行ってたとこまでなんだが……」
「それは私も同じ。カラオケを出て、そっから変な光に包まれて……記憶がそこで切れてる」
困惑する二人はようやく辺りを見渡した。薄暗くなにかタイルのような材質に囲まれた部屋だったが、家具のようなものが一切なく、生気をまるで感じさせなかった。しかしドアがあることに気づき、健一はようやく立ち上がる。
「あそこが出口か……? とりあえず一回外に出よう」
健一は美玖の手を取り、身体を起き上がらせる。
「ええ……まずはここがどこなのかだけでも……」
二人が歩き出そうとした次の瞬間、目の前で急に光があふれ出し、その光に二人は目を眩ませる。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
目が眩み、動揺する二人に“声”が優しく語り掛ける。
「ケンイチ……ミク……あなたたち二人をお待ちしておりました……」
「な……なんだって?」
名前を呼ばれた健一は、その声の主を見るために無理やり目を開ける。そこには薄暗い部屋を照らす、健一が今まで見たこともないような美女が、健一たちに優しく微笑みかけていた。
「あなたは……?」
健一がその女性に名前を尋ねると、その女性は静かに答えた。
「私の名はイウーリア。エルミナ・ルナにおける領界のひとつを司る女神です」
「……はい?」
美玖はその女性が言った言葉を思わず聞き返してしまった。イウーリアを名乗る女性はそんな美玖にも優しく微笑み返す。
「その反応はもっともです。……あなたたちは地球があった日本から、このエルミナ・ルナの世界に転生したのですから」
「て……」
「転生!?」
健一と美玖は互いに素っ頓狂な声を上げた。戸惑う二人をよそにイウーリアは口調を一切乱さずに説明を続けた。
「あなたたちには特別な“力”を授けております。……そしてあなたたちはこの世界で、外の世界から来た“異邦人”として、暮らしていただきたいのです」
「そんなこと急に言われても……! 学校とか、家族とか……!」
美玖はイウーリアに尋ねるが、イウーリアは微笑みを崩さずに答えた。
「大丈夫です。この世界で過ごしている間は、元の世界の時間は止まっております。……あなたたちが帰るころには、元の時間のまま戻れるようにします」
「……なんで俺たちが?」
健一は訝しむようにイウーリアに尋ねる。
「急にこっちに連れてこられたって、別に俺たちは普通の高校生ですよ? なんで俺たちじゃなきゃいけなかったんですか?」
「……それはあなたたちが、特別な”才能”を持っているからです」
「才能……?」
健一は思ってもみなかった言葉にイウーリアに尋ね返す。そしてここで初めてイウーリアは表情を崩した――微笑んでいるのは変わってはいなかったが、そこには明らかに邪悪な意図が浮かんでいた。
「ええそうです。……才能です」
× × ×
エルミナ・ルナの東大陸において、魔法が学べる場所はそう多くない。――これは学校や教える人間が少ないことを指すのではなく、ある一つの街に学校が集中しているという事情がある。
それがこの学園都市“エルメンド”だった。この街の人口は5万人ほどで、そのうち1万人が魔法学校の関係者であった。
エルメンドでは初等教育と中等教育、そして大学の3段階に分かれており、5歳から11歳までが初等教育、11歳から18歳までが中等教育、それ以降優秀な成績を持つものが大学に進む――そういうカリキュラムになっていた。
そしてその中等学校において、エルメンドの中でも一際大きな規模を持つ学校がある。それが“ストローズ魔法学校”であった。生徒数1000人、職員の数も100人近くおり、そのすべてがエリート候補生であるという、まさに学園都市の中心というべきものだった。
そしてケンイチとミクの二人は、この学校の廊下を並んで歩いていた。二人とも学校の制服を着ており、胸につけているバッヂが二人がこの学校の6年生であることを示していた。
「まさか転生してまで、律儀に学校に通うとは思ってもなかったよ」
ケンイチは自嘲気味に言うが、ミクはそれを叱りつけるように言った。
「学校に通うことは大事でしょ。私たちは元の世界でだって”学生”なんだから」
ミクの説教にケンイチは辟易しながら答えた。
「はいはいわかりましたよ。……というか別にここに来るのは俺だけでよかったんだから、お前は別に学校に通わなくてよかったじゃねえか……」
「なによ。あんたを一人にさせると、何しでかすかわかったもんじゃないんだから。だからあんたのお母さんにだって、普段から面倒みろって……」
「あーあーわかったわかった。ったくもううるせーな……」
二人がエルミナ・ルナに来てから半年が経っていた。ケンイチとミクはシープスタウンからここエルメンドまで、東大陸中央にある“天使の断層”を越えてやってきていた。このストローズ魔法学園に転入したのは3か月前であり“ある目的”のために二人はこの学園の生徒として潜入していたのだった。
「うるさいとは何ようるさいとは! 私がいなかったらあんたは……!」
「い~~……それはもう話が長くなるから……」
ミクのいつもの小言が長く続く、そう思いケンイチは救いを求めるように視線を余所へ向ける。――そしてあるものが目に映った。
「あれは……?」
ケンイチたちの前をある女子生徒が歩いていた。それだけだったらケンイチは目にも留めなかったかもしれない。しかしその女の子は、何故かケンイチの視線に強く焼き付いた。
黒く長い髪、制服の上からでもわかるプロポーションを持つ身体、そしてエルミナ・ルナでは珍しい、アジア系のケンイチたちと似たような顔立ちの少女だった。確かに可愛いかったが、それだけではない、何か不思議な魅力をケンイチはその少女に感じていた。――うまく言葉に表せないが、なぜか親近感を感じていたのかもしれない
少女はケンイチと目が合うと、微笑んで頭を下げる。ケンイチも無意識に頭を下げるが、その目線は少女が横を過ぎ去ってからもずっと追ってしまっていた。そんなケンイチに、ミクは思いっきり頭をひっぱたいた。
「いってぇ!?」
急に頭を叩かれたケンイチは涙目でミクを睨みつけるが、ミクは不機嫌そうにケンイチから顔をそらした。そこから二人とも無言になってしまい、そのまま次の授業が行われる教室に到着した。
× × ×
教室についた二人は空いている席に座る。隣同士で座ってはいたが、ミクの不機嫌はそのままであるのか、ケンイチの方を向こうとしなかった。
「おいおい、またお前ら喧嘩してんのかよ」
「飽きないねえ全く」
その様子を見て周りがケンイチを囃し立てる。二人が仲がいいことは、この三か月の間で同級生に知れ渡っており、またいつもの痴話喧嘩が始まったのだと、からかわれるだけだった。
「うるせえな。もう授業始まるんだからさっさと座れよ」
周囲のからかう声が鬱陶しくなり、ケンイチは手を振って周りの見物人たちを散らす。そうこうしているうちにチャイムがなり、教師が教室に入って教壇に立つと、ようやくケンイチたちの周りは静かになった。
「ほら座れー……。よし、じゃあ入ってきてもらえるか」
教師は教壇横にあった扉に向かって手を振り、何者かを呼ぶ。その合図と共に扉が開かれると、制服を着た少女が入ってきた。その姿を見てミクは更に不機嫌な顔になり、ケンイチは驚いて口を大きく開けた。そんな二人をよそに、教師は入ってきた少女の紹介を行う。
「この子は今日からこのクラスに転入することになった。すでに魔法の基礎は学んできているとのことで、6学年からの転入だが基礎には問題ないそうだ。……自己紹介、お願いできるか?」
教師に促され少女は教壇の前面に立つ。そして明るく、透き通るような声で、自己紹介を始めた。
「私の名前はアオイ・ロマンディです。諸事情から6学年からの転入になりますが、皆さんと仲良くやっていければと思います。……よろしくお願いします」
その少女――アオイは笑みを浮かべて自己紹介を行った。




